Epilogue 開戦の狼煙
少し時は遡り、中央区での戦いが佳境を迎えつつあった頃。
御紋会本舎の敷地――広大な庭に、人知れず立つ影があった。
ライオンの鬣のようなブロンドの髪に、サングラス。
季節を先取りしすぎたアロハシャツに革のズボンというチグハグな出で立ちの男は、武家屋敷の庭の上では、余計に異質な存在として見えている。
その人物に隠密のつもりがあるとは思えない風貌ながら、肩で風を切る歩き方からは想像も付かないが、足音一つさせていない。
「ケッ――出てこいよ、舐めた真似しやがって」
庭の真ん中まで来ると、アロハシャツの男は声を上げる。
普段であれば、在駐の職員数名の気配はある本舎にも、人の居る気配はない。
ただ一人、真紅のソバージュヘアを揺らして近づく、黒コートの女性を除いては。
「ようやく尻尾を出したわね、不死者」
ある程度の距離まで歩み寄ると、女はそう切り出す。
「四月の連続猟奇殺人といい、その見た目でよく暗躍なんてするわね」
「んなこたぁ、俺が聞きたいぜ。ったく、面倒臭ぇ役回りばかりさせやがってよ、センセイも」
「ふぅん、そのセンセイってのが、あなたの雇い主ってわけ?」
「まぁ、そんなとこだ」
牽制し合うように言葉を交わし、両者共に一歩も動かない。
互いに軽口にも似た口調ではあるが、向ける視線は穏やかなものではなかった。
敵意、戦意は今更、という魂胆が両者に見え隠れしている。
戦う気があるか、よりも、どう仕掛けてくるか、を想定しているような、張り詰めた緊張感が周囲を異様な空気にしていく。
「ここにいた連中はどうした」
「一時退避してもらったわ。とはいえ、こっちは半分が勘だったからね。信用させるのが一苦労で、正直姿を現わしてくれて助かったわ」
「そうかよ。じゃあ、お礼ついでに、俺に殺されてみっか? 女ぁ」
男の挑発に、真紅の女はゆらりと身じろぎをして、右手を前に出す。
「フランベルジュよ――ストックホルムの怪物さん」
女――フランベルジュの右手が、ぼぅ、と熱を帯びる。
しかし、それ以上に――男は、呼び名が気に食わなかったのか、狂暴な目つきで「知っていやがるのか」と呻った。
「ま、知ってるのは学者だったあなただけど。――その様子じゃあ、因子復元は一定の成果を残したってところかしら」
「……テメェ、さては学園の魔法使いか」
「ご明察。流石、オリジナルではないとはいえ、人狼の鼻はバカに出来ないわね」
瞬間、男が身を屈める。
ぎちり、と尖った歯を覗かせたかと思うと、その太い両手の先――指先にある爪も、鋭利なほどに鈍く光っていた。
「そうまで知ってるなら、殺すが吉、だな」
そこからは、まさに高速の動きだった。
男はふっと姿を消したかと思うと、瞬きの間には既に、女の目の前に迫っており、右手の爪を振りかざしている。
それを、フランベルジュが熱を帯びた右手で受け流し、左の空手で――。
「チッ、速いわね」
――の前に、男は既に身を翻し、フランベルジュの周囲を飛び回ることで、簡単に狙いを定まらせないように動く。
男が大柄なことを考えても、その動きは常人の範疇を大きく超えている。
疾走とごく短距離の跳躍を合わせ、すれ違いざまにフランベルジュの細い身体を、ケダモノの爪撃が襲う。
それをフランベルジュは、右手から伸びる「何か」で防ぎ、捌いていく。
それだけではない。
身のこなしも世の考える魔法使いのそれとは違い、動体視力や基本的な運動性能も強化されているのか、男の精細さを欠いているが凶悪な爪の乱れ打ちを、運足だけで回避するなどの異様な運動能力を発揮していた。
「ハッ! 胸の割にゃあ、意外と動けるじゃねぇか、女!」
「あら、どうも。でも所詮はケダモノね。視線がだだ分かりよ」
「ぬかせっ!!」
男の攻撃の激しさは一層烈度を増し、フランベルジュの動きも同じく、より戦士のそれに近づいていく。
それは、もはや空想上の激戦であった。
人間の動きを遥かに超える男と、人間の反応を遥かに超える女の戦い。
どちらもヒトガタを保っていながら、そこから生み出される動きの数々は、超人という枠組みでさえ、狭く思えるほど。
鋼がぶつかり合うような衝突音を響かせながら、男が自分の爪先をちらりと見やる。
「熱……剣状の熱気か? いや――――熱を剣状に固定してやがるのか」
「さすが、よく見てるわね」
「それで、炎の剣たぁ、捻りがねぇな」
「そう? 意外と――そうでもないわよ」
真紅の髪が揺れ、黒コートが揺れる。
初めて、フランベルジュが男へ攻撃を仕掛けに出る。
当然と迎え撃つ男は、右手を振りかざして斬り掛かるフランベルジュの連撃を、爪とその豪腕で押し返していく。
その最中、男が一瞬の隙を突いてフランベルジュへ右爪を振り下ろすと。
「――ぎっ!?」
それを阻止するかのように、小さな爆発が起こった。
奇襲から距離をとる為、男は大きく跳躍し、彼我の距離は再び大きく離れてしまう。
「テメェ――!!」
左手には、どこから取り出したのか、試験管のような小瓶が空の状態である。
よく見ると、フランベルジュの周囲には、何やら粉末状のものが舞っているようだった。
「右手だけ、とは言ってないでしょう?」
「粉じん爆発たぁ、面白ぇじゃねぇか……ますます、ぶち殺してやりたくなったぜオイ――!」
男は、爆発でサングラスを失ったのか、素顔晒しながら吠える。
血走った双眸は縦に割れ、人間以外の要素が混じっていることを想起させる。
「獣化因子症候群か。瞳に影響が出てるってことは、やっぱりあなた……」
「んなこたぁ、どうでもいい! 殺す、すぐ殺す、今殺す!」
「……はぁ、副作用もアリって感じかしらね」
ざわざわと、男の髪が風で揺れる。
ぴくり、とフランベルジュが厳しい表情で再び右手を構える。
その表情は、これから何かが来る、と予期してのものか。
「――あまりハメを外しすぎてはいけないよ、リオル」
突然、割って入った声に、二人がばっとそちらへ振り向いた。
塀の上。
本舎入り口側の塀の上に、金髪の男性が白衣を纏って立っていた。
「ハンス・ウィリアムズ……!」
「そういう君は、学園の処刑人だろう、フランベルジュ。動く火葬場とは、ただの比喩表現かと思っていたけど……うん、どうやらあり得そうだね」
両者はお互いに面識があるのか、フランベルジュは睨み据え、金髪の男――ハンスは不敵な笑みを浮かべている。
「リオル、ありがとう。君のおかげで、ようやく回収出来たよ」
「おう、ついでだ、この女を殺させろ」
「うぅん……個人的には応援をしてあげたいけど、貴重な友人を失いたくはないからね。異変を嗅ぎ付けた御紋会の連中も戻って来る。どちらにせよ、すぐにケチがついてしまうよ」
「……チッ」
半ば理性が飛びつつあったように思えた男――リオルは、ハンスの忠告に舌打ちをしつつも、すぐに身を引く仕草を見せた。
それを、フランベルジュは警戒しつつも、注視するに留める。
「いいのかい、私達はこれで失礼させてもらうけど」
「私一人で追うには手に余るわ。……まさか、ご本人様が直接回収しに来るとは思わなかった」
「彼女の証紋は貴重だからね。タナトスが目をつけるのも分かる。それを、わざわざ御紋会の元に置いておくのも勿体なくてね」
――彼らじゃあ、使いこなせない。
と、ハンスは言い、塀の上で器用に踵を返した。
「あなたも、そのタナトスに追われる身でしょう。――どうせ、逃げられないわよ」
その背に、フランベルジュが声をかける。
振り向くことなく、しかし肩を軽く振るわせ、ハンスはこみ上げる笑いを堪えた。
「あの老人会に、私をどうこうする気があるなら、受けて立つさ。散々利用して来たんだ。私がどれだけ危険な存在かは、彼らがよく知っている」
そうとだけ残すと、ハンスとリオルは塀の外へと姿を消してしまった。
一人敷地内に残ったフランベルジュは、証紋の力を収めると、天を仰ぐ。
「いよいよ、か。これで一つの街に三法機関もタナトスも揃うことになる。……はぁ、まるでこの世の終わりね」
呟いた言葉は、誰の耳に届くわけでもなく、すぐに消えていった。




