クレオン・サラウマリ
僕は、その戦いを陰で見ていることしか出来なかった。
魔剣を手にした法衣姿の女性――クレオンと名乗る彼女を前に、神宮寺さんと雲月君が僕を背にして迎え撃つ。
結局、僕は戦力にならず、こうして護られているしか出来ない。
そもそも、自分がどうしてここに来たのか。
感覚としては、あの死霊術師と遭遇した夜にそっくりだった。
地理もよく分からないのに、向かう場所だけは判明している。
自分でも抑えきれない焦燥だったり、衝動だったりで、気づけば走り出していた。
それが自分の証紋と関係があるのだと想像は出来るが、その行動で感覚的に分かったことはほとんどない。
「……っ」
悔しくて、情けなかった。
僕も一緒に戦えればいいけど、身体が動かない。
自分で来ておきながら、あの法衣姿の女性を前にした途端、本能は逃げ出せと警告している。
意味が分からない。
ではどうして、僕はここに来た。
そんな混乱と責め苦の中、またも目の前で超人的な戦いが繰り広げられる。
クレオンの周囲を浮かぶ青黒い球体は、時に彼女の命令で、時に自発的に標的へ向かって飛翔していく。
同じく遠距離攻撃――閃光の弾丸で援護している神宮寺さんの活躍で、これらのほとんどは撃ち落とされていた。
しかし、肉薄する雲月君の斬撃を魔女は魔力で押し返す。
まるで、魔力の波動を全身から放って、物理的な接近を阻止している風だ。
雲月君は手にした刀で、これに刃を奔らせているが、それがタイムロスとなって距離を取られていた。
目まぐるしく位置関係が変わる中、雲月君が一度、動きを止める瞬間があった。
「……あ、道が」
接近までの距離が、売場の構造の関係で長くなってしまっている。
真っ直ぐ直線距離で肉薄することが難しい場合、遠距離からの射撃戦が途端に有利になる。
空間を交錯する閃光と魔弾。
互いの残滓をまき散らしながら、その明暗を縫うように雲月君が絶影の動きで距離を詰める。
接近されれば魔力の放出で、その攻め手を封じてきたクレオンの動きが、ぴたりと止まった。
魔力の放出――肉薄する相手を押し返す魔力の壁は、周囲の売場や瓦礫ごと吹き飛ばしながら展開されていた。
この被害を受けない為、神宮寺さんもクレオンから一定の距離を離さざるを得ない。
「ちっ、良い勘をしているな、魔女」
両勢の動きが一旦止まり、建物内に静寂が訪れる。
雲月君に、クレオンは不機嫌さを隠すことなく吐き捨てるように語る。
「それはこちらの台詞です。まさか、放出の間合いと間隔を読まれるとは」
「……出来るなら、驚きで止まったところを仕留めたかったのだがな」
「生憎と、私も負け続きなもので。戦況を覆されるのは、慣れています」
「それは気の毒な話だ。信心深そうな服装を除けば、十分魔戦士として通用すると思うが」
「つまらない冗談はおよしなさい。魔剣になる前の相手は、勇者や英雄達でした。世界の敵とすら罵られた私に、常勝など望むべくもない」
叛逆の魔女はそう、自らの過去を振り返る。
独り戦い、独り負け、満身創痍で逃げ延びては、また戦う。
なんと無様だったか。
なんと愚かだったか。
なんと無謀だったか。
「敗北を重ね、それでも命からがら生き延び、私は一夜一夜を超えていった。魔法と信仰の心得があれば、傷は塞げます。ですが、心の亀裂までは繕うにも限界があった。……だから、私は『人間』であることを諦めたのです」
魔剣に転身した経緯は、そうでもしなければ耐えられなかったからだったと、クレオンは語る。
「案の定、魔剣というモノになってしまえば、殺されることはなくなりました。厳重に保管され、私は悠久の時を死蔵という形で乗り越えた」
「……人間の悪い癖だな。いつか、どこかで、役に立つ時が来ると錯覚する。まして、それが魔剣であろうと、貴重な代物であれば尚のこと」
「如何にも、その通りです。思えば、それだけが私の戦いにおける、唯一の戦果でした。私と戦を交えた戦士達は、口を揃えて鋳潰すことを訴えたというのに――――ただ座って結果を待っていただけの司教達によって、クレオン・サラウマリという愚かな神官は、九死に一生を得た」
クレオンが、その口の端を吊り上げる。
おかしさが堪えられないとばかりに肩を震わせ、片手の平で口元を抑えた。
つぅ、と頬を伝うものがあった。
「今思い出しても、お笑い種です。私は、彼らの暴力を伴わない『神聖』に訴え、この法衣に最初の背信を行ったというのに。最後に私の命を繋ぎ止めたのは、自分が見限った総てだった!」
それは、あまりに哀しく、あまりに報われない、独りの魔女の末路。
彼女はただ見ているだけの神聖に耐えかね、愚者を救う為に返り血を浴びる覚悟をした。
だというのに、彼女はその一身で庇った悉くから裏切られ、最後の最後に「魔剣」となることで、一世一代の復讐の機会に懸けたのだ。
そして――それさえ、可能としたのは、自分が「間違っている」と背を向けた者らの存在あってこそだった。
ひとさし指の背で涙を払うと、クレオンは「だからせめて、この世界が正しくあることを願いたかった」と呟いた。
「……ツヨシは、私に街を見せてくれました。争いのない、穏やかな時代。私が生きた時代に比べれば、十二分に価値がある、文明栄える未来在る世界」
けれど、と。
魔女は顔を伏せて、遠目にも分かるほど魔剣の柄を強く握る。
「そこに、私が大切と――一瞬でも思った人の居場所がなかった。ヒトからモノへと堕ちた私と、愉しげに過ごしてくれた人の未来が、此処にはなかった。私と彼は歪んでいたのかもしれない。それでも、どうにかして生きる道はあったかもしれないのに……正しくあればあるほど、そこで息の吸える者達は減っていく」
その事実を目の当たりにして、二度も人の世を恨むとは思わなかった、と。
魔女は悲痛な顔をあげた。
「あなた方も不死でしょう。でも、私とは違う人間のはず。なのに、どうして――二度目の生誕を成しながら、どうしてあの時と何一つ変わっていないのです!」
やがて、哀しみは痛みへ、痛みは怒りへ変わっていく。
「力ある者が力ある者を殺す。強者が弱者を護り、護られなかった者がどちら側であったかさえ、あやふやになる。正義や悪など、人間が持つ秤ではその正誤を見極めることすら、至難であると。……この時代の人間であれば、答えに至っていると縋っていたのに!」
それは、あまりに遠く、拙い希望。
けれど、それでも神に誓い、人々の安寧を願った故の想い。
どうしてか……僕には、少しだけクレオン・サラウマリの気持ちが分かる気がした。
「あの――」
「――クドウくん!? ダメ、前に出て来ちゃ――」
神宮寺さんに制止され、僕は彼女の隣で立ち止まる。
「なら、どうして、その大切な人を裏切ってしまったんですか。その……ツヨシって人のこと、なんですよね?」
僕は、自然と言葉を紡いでいた。
それに、クレオンは真っ直ぐに向き合い、答える。
「私は魔剣です。人間の姿に戻っても、魔女です。どうあっても、彼を正しく導くことは出来ない。せめて、私が彼の在処になれればとも思いました。けど、考えてもみてください。――――拠り所にしていたのは、私の方でしょう?」
自嘲するように、けど、どこか美しく、その女は笑う。
「本当に短い間だった。きっとお互いに最悪の形で出会って、実らないはずの日々を過ごして、破滅へ向かう兆しを知りながら、それでも砂上の幸福を崩せなかった。……それを私だけは、初めから知っていた」
「わたし、だけ?」
「はい。でも、私が彼に手渡された時、私は彼を拒むことが出来なかった。……裏切られ続けてきた私は、この世で一番出会ってはいけない人と出会ってしまったから」
それは、僕らが知らない、魔剣使いと魔剣の出会い。
「判りますか? 例え魔剣が主導権を握っても、この肉体の素地は牛島剛という人間のものです。意思一つで、いくらでも抵抗が出来る。それくらい、魂と肉体とは強く結びついているもの。なのに、未だに抵抗の一つさえない。それどころか、時間と共にどんどんと鮮明になっていく」
まるで、自分の身体であるかのように。
胸元に触れたクレオンの指先が、赤く滲んでいく。
「私は彼を裏切った。どうせ、私は彼を正しく導けないからと、裏切られる前に裏切った。……は、ははっ――はははははっ!」
「……まさか、彼――あなたを、受け入れたの?」
神宮寺さんの声に、クレオンが叫ぶ。
「えぇそうよ! 受け入れた! 驚きはあったけど、抵抗なんて微塵もせず! 分かる!? 初めから彼が裏切らないと分かっていて、それでも『この人にさえ見捨てられたら』と思うと、自分を止められなかった!!」
クレオン・サラウマリという女性を、最後に裏切ったのは、他でもない自分自身だったのだ。
喪うばかりだった人生が、彼女から信じ抜く力を奪っていた。
あぁ、少しだけ、分かる理由を僕は思いつく。
「怖かったんですね。絶対に裏切らない人だから、それが崩れた時を想像するだけで――――」
世の中に絶対なんてない。
それだけは、絶対と言える。
「少しだけ、僕も分かる気がします」
「クドウくん?」
「僕も、大切なものを喪った事があるから。もう一度、その時の哀しみや痛みに耐えられるかって言われたら、きっと難しいと思います」
癒えない傷痕は、そういうものだ。
何よりも、自分自身を弱くする。
そういった意味では、僕はこのクレオンという女性を責めることが出来なかった。
「……そうですね。あなたには、分かるかもしれない。私は、あなたのような人を昔、見てきました。世界の守護者。弱き者達の希望であり、人類が誇る最小単位にして、最大の犠牲と罪。この時世でさえ、人々はどこかで、『誰かに都合良く救われたい』と願っているのですね」
「……え?」
クレオンの言葉に聞き返したのは、僕だけでなく三人全員だった。
しかし、それを彼女は首を横に振って否定する。
「無駄ですよ。どんな言葉も、この少年には届かない。彼は、人類種という生き物が産んだ、最古の罪です。……諦めなさい。この少年は、どう足掻いても滅んでいく」
「ちょ、勝手なこと言わないで! 第一、クドウくんは――」
「――彼、自分の証紋を認識出来ないでしょう」
今度こそ、僕と神宮寺さんは、二人で目を丸くした。
どうして、それを知っているんだろうか。
「私は自身の身の上を不幸と考えています。ですが、唯一、あなただけには口が裂けても『私の何が分かる』とは言えない。私の時代で、あなたは尤も、尊く、無残で、あまりに報われない存在だったから」
「あなた、クドウくんの証紋について、何か知ってるの?」
「知っている、というよりも、知覚出来る、という表現が正しい。私の場合、彼のような証紋を持つ存在は、全盛でしたから。似た顔を幾つか知っていますし、その末路も知っています」
ですが、オススメはしませんよ、とクレオンは念を押す。
聞けば答える、とその眼が言っているが、同時に、聞けば必ず後悔する、とその表情が語っていた。
「……本当に、人間とは根っこの部分では変わりようがないのですね」
「クレオンさん……」
俯いたその人の表情に、僕はふいに名前を呼ぶ。
「人間同士が戦う時は、いつだって手遅れになってからです。後戻り出来る時はとうに過ぎて、全部が終わっていく中でしか、抗うことが出来ない」
それを、彼女はなんて弱いのだろう、と。
そも強ければ、不死などにはなっていないという事実が、余計にその悲運を明確なものとしてしまう。
「ウヅキ、で合っていますか」
ふいに、クレオンが雲月君を見据える。
「さすがは剣士と名乗るだけはあります。後ろの二人に背を向けている分、決して警戒を解きませんでしたね」
「無論。語りに刃を挟むほど無粋ではないが、その隙を利用する相手なら、問答無用で切り捨てるつもりだった」
「……そうですか。ツヨシが、あなたを目指した事は、間違いではなかったようですね」
「どうする、魔剣。もし牛島剛の魂がまだ残っているなら、今からでも主導権は手放せるであろう」
「それは出来ない。ここで彼に戻れば、苦しむのは他でもないツヨシ自身です。……最後まで、私は彼を裏切った悪辣な魔剣として戦います」
でも、とクレオン・サラウマリは、眉を下げ、微笑むように表情を緩めた。
「クドウ、ですか? あなたに胸の内を聞いてもらえて、少しだけ楽になりました。……ずっと、そうする相手にさえ、私は恵まれなかったから」
そしてすぐに、彼女は魔剣を握り直す。
「ウヅキ。相手を頼めますか」
「……いいのか、オレで」
「ツヨシが焦がれた剣士です、不足はありません。それに、あなたなら私を後腐れ無く殺せるでしょう」
「斬る理由は十分ある。だが、その不幸を、オレの剣は埋められない。救いを望むなら、他の手を借りるべきだ」
「今更救いなど。望むのは進展です。私が勝って、世界の終わりに一歩近づくか、あなたが勝って、私が死ぬか。どちらにせよ、世界は何らかの滅びで進んでいく」
そうして、今も昔も、世界は廻ってきた。
幾重の屍を積み上げ、連綿と続く滅びの中で、決定的なものだけを避けて、歴史は紡がれていく。
そうした先に、いつか平穏で溢れた楽土があると信じて。
「さぁ、決着をつけましょう、今世の不死よ」
「――神宮寺、後ろは任せた」
「い、いいけど……まさか、一騎打ちでやる気?」
「それを断るようなら、剣士など今後二度と名乗れんさ」
「冗談でしょ、相手は魔剣――それも、受肉した第一紀の不死者だよ!?」
「だからだ。追い詰められているのは、こちら側。それを承知の上で、相手は『剣遣い』としてやり合おうと言っている」
「――――っ、言っておくけど、死んだら殺すからね」
「うむ。心得た」
最後、雲月君は背中越しに、「必ず勝つ」と、そう言っている気がした。




