狂気の中を征く
学校を後にして、すぐに家に代わりの刀を取りに行くと、そこでは雲月家の面々が今後の対応に追われている姿があった。
「賢史」
玄関を抜け居間に入ったところで、父がオレに気づき名前を呼ぶ。
母も同席しており、虎徹の姿はなく、宗近はすぐに居間から離れてしまう。
おそらく、実動戦力として駆り出されるのだろう。
「代わりの刀を取りに来た」
言うや、父と母の顔が曇るのが分かる。
情報は既に出回っているのだろう。
魔剣使いが都心へ向かったということは、事態は一刻を争うと同時に、それを許してしまう相手だという意味も持つ。
「学校での件は聞いているよ。……賢史も無傷じゃないんだろう?」
話が早い。
いつも思うが、本当に情報伝達だけは舌を巻く次元である。
御紋会も年々実戦力の規模縮小が囁かれている分、こういう点に人力を集中させているのだろうか。
母は黙ったままオレを見つめ、父は返答を待っている。
「心配は無用。見ての通り、五体満足。むしろ深刻なのは心の方だ」
過去の経験から、この二人に適当な言い訳は通用しないことを知っている。
オレは子供の身分故思い至らない部分もあるが、親とはそういうものらしい。
「牛島剛くん、だったね。父さんも覚えているよ。小学校から、何かと気にかけてくれる先輩だったろう」
言われ、思い出すものがあった。
我が儘を言って、剣道部に入らせてもらったオレは、生まれて初めて触れる、「殺し」以外の剣術に目を丸くしていたのだ。
当時から神童と呼ばれ、よく後輩の指導もしてくれていた牛島剛は、まさに皆の中心人物だった。
「夏休み中は、彼のお家に遊びにも行っていましたね」
「あぁ、そうだった。賢史が他所の家でどうしているか、お母さんと二人でヤキモキしたものさ」
振り返る思い出は、どうということはないものだ。
けれど、戮士という血濡れた過去を持つ家柄であり、系譜の一族でもある雲月家にとって、それは貴重な社会との繋がりだった。
故に、尊い。
例えもう、全てが手遅れであったとしても。
その価値までもが失われてしまうわけではない程に。
「賢史、はやる気持ちは分かる。けど、少し座りなさい」
父に促され、オレは大人しく居間へ入ると、並んで座る父母と机を挟んで正対に腰を下ろした。
「心が深刻、ということは、御前は迷っているということだね」
――彼を斬ることを、と。
父はその柔らかな物腰と口調から想像もつかないほど、鋭く本題へ踏み込む。
「……『剣士』の殻を被っていても、その在り方故に、オレはあの人を壊してしまった」
幼少期から根底に叩き込まれたものは、そう簡単になくなってはくれない。
オレはあの冬の道場で、ほんの一瞬だけ――気を抜いてしまったのだ。
真摯な眼差し、気迫に満ちた踏み込み、迷いのない竹刀捌き。
あの時、あの人なら、あの人の剣技なら、全てを打ち払ってくれる気がして。
詰る所、牛島剛は本物だったのである。
神童とは名ばかりではなく、現代における剣道界を牽引する存在だった。
であるが故に、彼は自分が目指すものよりも遙か先にある、過去の先人達が時代を作る上で不要と切り捨てた部分をすら、目にしてしまった。
武道、あるいは武芸の始点であり原点。
命を奪うという時代錯誤な正解に、辿り着いてしまったのだ。
「自らの罪に、刃が震える可能性を否定は出来ない」
まして、自分だけがのこのこと救われたとあれば、尚のことである。
覚えている。
冬の道場で、オレは完全に打ち負かされた。
その感覚が、雲月賢史という少年の瞳に光を戻し、ただ人を殺すだけの存在ではなくさせてくれた。
ある意味では、牛島剛の気づきと挫折は、その代償であったのだろう。
「いいかい、賢史。よくお聞き」
父は、変わらず落ち着いた口調で話し始める。
「雲月の家は、確かに御前に良い環境を与えてはやれなかった。幼い頃は、戮士の家柄と混ざって『同じ業』を学び、それでいて御前は戮士にはなれない。人殺しの鍛錬に多くの時間を費やしながら、人殺しにはなれない。確かに、酷い話だ。……特に、狭い世界しか知りようのない子供の時分では、恨んだこともあったろう」
父の声に滲む、僅かな後悔。
けど、それを避けられたかと言えば、答えは「避けられない」だった。
本家として御役目を果たす上で、その戦闘技能は手放せるほど安いものではなかった。
両親がオレに戮士の業を学ばせた理由は、それだ。
必ず戦う時が来ると分かっているなら、少しでも生き残れる確率を高くしようと考えるのは、当然のことである。
「不死の世界において、同族殺しはついて回る呪いだ。私や母さんが言えた口ではないけど、辛い戦いは時期に差はあれど誰にでもやってくるもの。御前が今一歩踏み出せないのは、剣士として未熟なんじゃない。人間として、答えを出せていないんだ」
「……人、間?」
「そう。剣士とは所謂、鎧であり刀。御前自身が身に纏う武装のことさ。けど、相手の生き死にを決めるのは道具じゃないだろう?」
父は語る。
いつだって、命を奪うのは意思ある者の役割であり、責務なのだと。
不死者が、本家が、戮士が、剣士が、誰かを殺めるのではない。
――雲月賢史という個人が、牛島剛に対してどんな答えを出すか。
それが、迷いの根底にあるものだと。
「今すぐに、この場で出せる答えではないだろうね。御前にとって、彼はある意味での憧れであり、恩人だ。本来なら、私や母さんが替わってやれたらいいのだけど」
「……いや、それだけは」
ならない、と知らず言葉が口を衝いていた。
父の言う通りだ。
これは、オレ自身の問題であり、オレが向き合って戦わねばならない、牛島剛との一戦なのである。
そんなオレを見て、父は静かに頷き、母へ目配せをする。
すると、母は一度居間から席を外すと、その細い隻腕に一振りを抱えて、戻ってきた。
かちゃり、と机の上に見覚えのある一刀が置かれる。
「持っていきなさい、賢史」
「――いや、これは。出来ない、この一振りは雲月の家宝だ」
それを、今まで口を挟まなかった母が、厳しく諫める。
「賢史、御前はその雲月の家の当主です。長であるならば、今更その重責に怯んでどうするのですか」
「…………っ」
息を呑む。
目の前の刀は、名を「霞別」と呼び、霊刀と称される古刀である。
父母曰く、九年前に一度抜いたきり、以降はずっと雲月家の奥座敷に鎮座されていたという代物。
当然、古刀というのは比喩ではなく、本来であれば国宝級の年代物であり、雲月家が戮士だった時代から受け継がれてきた、歴史そのものでもある。
そんなものを、いきなり持って行けと言われても、怯んで当然だ。
「剣士にとってツルギの類いは、確かに相棒であり、命同然という考えも理解出来る。だが、それ以上に道具である。父上が申したように、所詮は人の扱う物。……代えの利くものでなければ、逆に振るい様がない」
「だろうね。実戦で愛刀だなんだと固執すれば、勝てる泥仕合も負け戦になる。私達はそう、御前に教えてきた。だからだよ、賢史。これを使い捨てるくらいの覚悟がないなら、魔剣使いとは勝負にさえならない」
「使い捨てる? 正気か、父上。これは、雲月の歴史そのものであろう。系譜にとって、家の歴史がどれほど重要かは――」
「――そんなものが子供の命よりも重いなら、私や母さんはずっと、楽に生きていけただろうね」
オレは、返す言葉を見つけることが出来なかった。
父の声音に、侮蔑や嘲笑はない。
ただ、困ったように眉を下げ、「それでも御前が大事なんだ」と、まるで頭を下げるように笑顔をつくった。
幼い頃から、オレは満足に二人を知らない。
父母共に過去は話したがらないし、父上と母上が互いに片腕を無くした時ですら、二人は沈黙を貫いた。
「それは、ただの刀だよ。どう使うかは、御前次第だ」
そこで、オレの携帯が無機質な着信音を鳴らす。
「呼び止めてすまなかったね、賢史。さぁ、行きなさい」
納得しきれていないながら、携帯を取り出して画面を確認すると、そこには「神宮寺 当主」の文字が映し出されている。
数秒戸惑い、かけられた言葉を消化しきれていない中で、電話に出る。
『雲月くん!? 今どこ!?』
「すまない、代えの刀を取りに家に戻っていた」
『早く中央区に来て! ――このままだと、街が決壊する!』
「どういうことだ」
『説明してる暇がないの! いいから、来れば分かるくらいにはヤバいってこと!』
こういう時、一度動き出した運命というのは、本当に待ったなしだと思い知る。
奥歯を噛みながら、オレはひったくるように目の前に置かれた刀を手にし、家を後にする。
「武運を」
振り返らないオレの背中に。
父と母の、そんな声が、聞こえた気がした。
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美小野坂市中央区。
市内きっての都心ぶりで有名なそこは、郊外の街並みでは考えられないほど、立派にビルなどが建ち並び、その人口密度は随一である。
故に、それが仇となり、今は怒号が飛び交う喧噪の只中となっていた。
鉄橋を渡った先、街中との境界線のようなそこでは、警官隊による通行規制が行われ、今も尚、忙しなく人々が行き交っている。
「雲月くん!」
「神宮寺! すまない、遅くなった。状況は?」
オレを見つけた神宮寺が駆け寄るや否や、状況を確認する。
が、それに答える彼女の表情は苦虫を噛み潰したように渋い。
「はっきり言って悪い。警察と御紋会の連携は上手く機能してるけど、魔剣使いが現れた中心部一帯は阿鼻叫喚の地獄絵図よ。暴徒と化した一般人が、次々と人を襲ってる。拡大は防げているけど、縮小も難しい」
「つまり、元凶を断たねばならない、ということか?」
「話が早くて助かるわ。御紋会の実働部隊も、ほとんどが市民だからかなり苦戦してる」
だろうな、とオレはすぐに理解した。
御紋会の実働部隊は、鎮圧や制圧というよりも、それこそ生死問わずの正面戦闘向きだ。
まして、市民が一人二人巻き込まれるくらいなら、まだ誤魔化しも効くだろうが、何百、何千人となれば警察機関の許容範囲を大幅に超過することになる。
まさしく、不死者達にとっては鉄壁の壁ということだ。
「個人戦闘なら、本家の出番というわけか」
「この状況で戮士を使うのは、リスクしかないしね」
オレと神宮寺は、二人で混沌の中心を睨む。
本家の跡継ぎとして生まれ、系譜の一族として御役目に従事してきたが、ここまでの規模は初めてである。
渦中であろう中央区からは、所々火の手もあがっており、そのまま天を仰げば太陽の陽射しが視界を刺す。
これだけの騒ぎで、報道局のヘリ一つ飛んでいないというのは、まだ情報規制の効力はあるということだ。
「早いところ決着をつけないと、本格的に三法機関の助けを借りないと収拾がつかなくなるよ」
「あぁ、急ごう」
一部警察官らの制止の声を振り切り、オレと神宮寺は中央区へと駆け出した。
そして、すぐに彼女の言っていることが、誇張や比喩表現ではないことを思い知る。
血溜まりに倒れる誰か。
動かない相手をいつまでも殴り続ける他人。
手短かな凶器を振りかざしながら、逃げ惑う人を追いかける狂人。
そこは、憎悪と怨嗟が支配する魔境の様相を呈していた。
「――っ、なんと惨い」
「ホントにね、これで精神干渉じゃないってんだから、冗談みたいよね」
「馬鹿な、」
「私が言うんだから、ホント。多分、あの魔剣は洗脳じゃなくて、理性の増幅が本領ってこと。本能的な攻撃性じゃなく、社会に生きるからこそ抑圧している理性を暴走させる、その切欠作りにおける最高峰だよ」
神宮寺曰く、時代が違えば、あの魔剣は国家転覆あるいは革命の先導者にすらなっていただろうとのことだった。
精神干渉や精神汚染であれば、今よりもぐっと範囲は狭まる。
これだけの広範囲を狂気の世界に変える仕掛けは、あくまで「人間が根底に持つ判断力」を火種にしているからだ。
「魔力で支配しているわけじゃないから、私の証紋でも彼らを正気に戻すことは出来ない」
「いっそ、笑いが出るほど趣味が悪いな」
一度火が付いてしまえば、当人が自力で自身を抑え込まない限りは、暴走が止まることはないらしい。
……まさしく、悪夢と言えよう。
「神宮寺、魔剣使いの場所は分かるか」
「分かる。方角は兎川球場方面、更にその奥」
「つまり、中央区のど真ん中――」
「――舐め腐ってるよね。アイツ、逃げも隠れもしないつもりだ」
それは確かに。
だが、お誂え向きでもある。
四方がビルで囲まれているとはいえ、閉鎖空間で範囲攻撃持ちを相手にするよりは、よっぽど勝機が望める戦場だ。
疾走の速度をあげたい衝動を抑え、神宮寺の速度に合わせて走り続ける。
決して彼女の走りが遅いわけではない。
むしろ、肉体活性は万能の人体操作技術ではない為、有難くすらあった。
ただ、それでも指をくわえて見ているしか出来ないことが腑に落ちないほど、周囲の惨状は酷いものだった。
地獄の街中を突破し、ついに巨大なスクランブル交差点へ出る。
「ようやくか。遅かったな、雲月賢史」
「――牛島、剛っ!」
ここだけ、暴徒の姿が少なかった。
いや、すぐにそれが間違いだったと奥歯を噛む。
ここだけ、生きている人間の数が圧倒的に少ない、だった。
「……御紋会の人達をっ」
神宮寺が、隣で息を呑むのが分かった。
上半身は開け、腰から下を西洋の甲冑で固く守った魔剣使いの周囲には、複数名の亡骸が転がっている。
おそらくだが、先に到着し、果敢にも挑んでいった御紋会の実働部隊だろう。
ざっと見て、七名ほど。
なにぶん、「バラバラになっている遺体」もある為、正確な人数は絞り込みが難しい。
「手練れ、ではあったのだろうが、先に殺してしまったぞ」
「……オレが狙いではなかったか、魔剣使い」
「無論。しかし、降りかかる火の粉は払わねばなるまい。なに、おかげで俺も相棒も、良い準備運動になった」
手にした刀の柄を握り、抜刀の構えを取る。
残念だが、様子見が許されるほどの相手ではない。
力量は相手が上だ。
何より、魔剣と契約をしていることで戦闘経験の差が天と地ほど違う。
「では、始めようか。雲月賢史、お前を殺す以外にも目的が出来てしまってな。……悪いが、全力であるかないかに関わらず、その首――貰い受けるぞ」




