幕間 煽動の魔剣
街に出る。
鎧は邪魔だったので、上だけ脱ぎ捨てた。
斬られた脇腹に触れてみると、痕こそ残っているが、完全に塞がっているようだ。
「え、なにあれ?」
「なんかの撮影?」
「血じゃない、あれ? 本物?」
「まさか。どうせ動画投稿者か何かの企画でしょ」
突如として現れた時代遅れの戦士に、人々は今から自分達を襲う運命など、露ほども想像出来ないままでいる。
行き交う人々から受ける、奇異の視線。
その中に幾つか、刺すようなものがあるのを察した。
『ツヨシ』
「分かっている。御紋会とやらか。……始めよう、クレオン。我々が手を下すまでもないことを、連中に分からせてやろう」
『えぇ。――これが私、クレオン・サラウマリの本領ですもの』
魔剣をアスファルトに突き立て、その内に刻まれた力を解放する。
渦巻く思念は一瞬で大気を冒し、蠢く怨嗟がそれを吸いあげた人間の心を犯していく。
クレオン・サラウマリとは、古い時代――愚者の先導者となった魔法使いの名である。
契約したことで得た彼女の記憶は、悲劇そのものだった。
求められ応じ、諭され裏切られ、嘆くがまま魔女となった。
自分が生きる社会に不満を持つ民を見捨てられず、愚かと分かりながら杖を執った彼女はしかし、正しき者達に諭された愚者達の裏切りに遭い、その身に消えない傷痕を負うことになる。
心はとうにひび割れ、自分達を唆した悪魔だと罵られ、嘆くままそれでも、彼女は独り、戦い続けた。
裏切りと糾弾がその細い四肢を折り、侮蔑と敵意が細い首を絞めあげても、諦めることはしなかった。
愚かな民。寄る辺がなければ、流されてしまう葉のような命達。
いつか、弱き者の為になりたいと願った女は、確かに、最後まで彼らの為に総てを捧げたのである。
例え誰一人、彼女を振り返る者がいなくなったとしても。
社会を変えるという不変の約束を果たすために。
『さぁ、暴きなさい、心の底を。内に根付く、晒せない己を。私が赦しましょう。あらゆる罪を私が。あらゆる咎を私が。あらゆる後悔を私が。――私が、受け止めます』
故に、さぁ、心置きなく「抑圧を捨てるのだ」と。
囁くような毒の魔力にあてられ、周囲の一人が急に声を張り上げた。
「ふざけんじゃねぇ!」
異変は、若い男のものだった。
連れ合いであろう年若い少女に食ってかかり、その剣幕は治まる気配を見せない。
「金を使ってもらうことしか考えてねぇんだろ、このクソ女が!」
「……え、なに、え?」
「そのくせ、俺のことはいい加減でよぉ。なんだ、惚れた方が負けってか? 調子乗ってんじゃねぇぞ」
「――あ、やっ――い、痛――髪、離し、てっ!」
男は女の髪を掴んで引っ張り上げると、次の瞬間には、容赦のない頭突きが少女を襲っていた。
短い悲鳴の後に、呻き声が続く。
突然の暴力に唖然としていた周囲だが、数秒もすれば事態が異常であることを悟った数名が、若い男を取り押さえようと動き出す。
しかし、その至極当然の流れを再び止めたのは、たった今、謂われのない暴力を受けた少女その人だった。
「――何すんだよ、この野郎ぉ!」
そこからは、男女同士とは思えぬ壮絶な殴り合いが始まる。
何事かと顔を見合わせる周囲で、一人、また一人と日頃の鬱憤が弾けるように、堰を切ったような罵詈雑言が、歓声のように沸き上がっていく。
数分もすれば、辺りは不平不満で言い争い、傷つけ合う人間で溢れかえっていた。
『見せつけなさい、社会の至らなさを。決して消えない傷痕を残しなさい、もう二度と、貴方達よりも社会が偉いなどと思えないように』
煽動の魔力が響き渡る。
通りで洗脳を苦手、と自称するわけだ。
魔剣クレオンの証紋は「煽動」。
人々の内を暴き出し、暴走する理性で以て本能を掌握する。
しかし、これは洗脳でも精神干渉でもない。
あくまで、切欠作りにしか過ぎず、人々を狂気の徒に走らせているのは、本人自身が抱える、ひた隠すべき自身である。
瞬く間に本音は伝播していき、津波のように中央区の街を席巻していく。
当時も、こうして彼女は狂人達の軍勢を率い、勇者や英雄達と戦ったのだろうか。
だとすれば、その裏切りは許されるものではない。
彼女は人々の不満の栓を抜き、誰もがどこかで憧れた姿に成れるよう、背を押していただけである。
それを、唆すだの――お門違いも甚だしい。
そも、それを言うならば。
不満などなければ意味のない煽動を責める前に、不満なき世を作れなかった「人間という種族」を罰するのが先ではないか。
「クレオン。どうして、社会は人よりも上に立とうとするのだろうな」
『それは、社会も生きているからです。そこに、群体と個体、生命の有無はさして問題ではないのですよ、ツヨシ。生きている以上――どう足掻いてもぶつかり合うように、この世界は出来ているのです』
「それは、哀しいな。もしそうでなかったら、人工の剣道など生まれなかったし、君も魔剣になどならずに済んだ」
『そうですね。でも、それはあり得ない。人は管理されるべき性質を持ちながら、管理される事実を嫌う希有な生命です。社会が統率と維持という優先事項を持った時から、個人は歯車になるよう定められている。そうしなければ、社会が保たれないから。詰る所――人々の為に、などというのは詭弁です。群体とは平均した同列の存在で形成されるのではなく、序列によって組織されるものなのですから』
目の前に広がる社会の崩壊を眺めながら、渦中の中心にある俺達は、穏やかな心境で語り合う。
これほどの不満を、人々は日々抱えて生きていたのだ。
ますます、その価値が問われることは明白であろう。
一切合切を瓦礫に戻し、そこから新たな歴史を刻んでいこう。
誰も、不満を抱かない、そのままの姿で生きていけるように。
「この世界は長く続きすぎた。少しばかり、滅んでみるのも悪くはない」
大気を震わせるような怨嗟の中を、俺はクレオンと二人、ゆっくりと歩いていく。
誰かが何かに負の感情をぶつける地獄は、まだその幕を開けたばかりである。




