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アンデッド  作者: 無理太郎
Episode.2 剣の道
29/89

二人の剣士

 魔剣使いへの厳戒態勢が敷かれて一週間が過ぎた頃。

 昼は学校、夜は港。

 休日であれば御紋会本舎に集まる、という生活に慣れ始めていた。


「賢史さん」


 学校に行く前、玄関で虎徹がオレを呼び止めた。

 振り返ると、黒髪を短く綺麗に整え、感情に乏しい彼女の顔がそこにある。


「魔剣使いですが、名前を『牛島剛』というそうです」

「――――」


 うしま、つよし?

 その名前には、覚えがある。


「北麓高校の三年で、現在は行方が分からなくなっています」

「……警察は、身元を特定したのか」

「はい。この一週間で、街の監視カメラに何度か姿が映っていたようで、そこから割り出したのではないかと」

「それ以外で分かったことは」

「ありません。この数日間はほぼ動きがなく、関係各所も手をこまねいているようです」


 やけに慎重だな。

 それにしても、牛島剛――あの、神童と呼ばれた人が?


「分かった。ご苦労だった、虎徹」

「とんでもないことで御座います。……行ってらっしゃいませ、賢史さん」

「あぁ、行ってくる」


 学校へ向かう道中、オレは魔剣使いの素性に思案していた。

 牛島剛は、オレが小学校から知っている――というか、美小野坂の剣道部員であれば、知らない人間の方が少ない元有名人だ。

 元、とつくのには理由があり、彼は風の噂によると既に剣道を辞めているらしい。

 オレの知る限り、彼は心身共に強靱な人物だ。

 魔剣使い――いや、不死の世界に足を踏み入れるような人間には、到底思えない。

 だが、ただ名前だけを虎徹は調べていたわけではないだろう。

 彼女は自分の仕事には実直であることを、オレはよく知っている。

 つまり、現状やれる手を尽くして、名前までしか成果物がなかった、ということだ。


「……」


 気づけば、オレは普段の通学路を外れ、朧気な記憶を頼りに住宅街を歩いていた。

 小、中と学区が被っていた事もあり、そこまで家同士が離れているわけではない。

 ここ連日顔を合わせている面々は、オレが学校に来ていないことを怪訝に思うだろうが、どうしても確かめたい欲求に駆られていた。

 足早に移動すれば、三十分ほどで彼の家に着く。

 中流家庭で、ごく普通の一軒家。

 表札には「牛島」と掘られている。

 インターホンを押すと、無機質な電子音が流れる。


「――――」


 反応へんじはない。

 車がある所を見ると、誰かしらいる気はするのだが。

 扉に手をかけると、妙な感触が指を伝う。

 抵抗なく扉は開き、重い空気が霧のように外へ漏れる。


 ――――絡みつくような血の匂いが、鼻を突く。


 嫌な汗が背筋を伝い、喉を鳴らす音がやけに大きく感じる。

 自分自身でも、踏み入れるべきではない予感を感じながら、それでも重たい足は進んでいく。

 家の中は薄暗かった。

 靴は脱がずそのままあがり、居間らしき場所に辿り着く。

 大きなテーブルと椅子、テレビにソファ。

 ここには確かに、人の生活がある。


 ――――事切れた生活の残滓、都合三人の遺体がそれを告げている。


 どこでどう、終わったのかまでは分からない。

 一人おとこは椅子に座ったまま、首が大きく裂けているせいか、前のめりなくせに虚ろな瞳で天井を仰いでいた。

 もう一人おんなは、正面から袈裟に斬られ、床に仰向けで倒れている。

 最後の一人おんなは、胴を一突きにされ、壁際にうつぶせで倒れていた。

 三者三様の死に様ではあるが、それほど争った形跡がないことから、おそらく……。


「ほとんど、抵抗する間もなく、か」


 高さ的に心臓を貫かれた一人――おそらくは、妹らしき人の亡骸だけがうつ伏せで倒れているところから察するに、両親はほぼ一刀の下に斬り伏せられ、逃げ惑う彼女は壁際に追い詰められる過程で、その短い生涯に幕を閉じたのだろう。

 死後日数が経っているのか、部屋中はひどい匂いで充満している。

 オレは口元を抑えながら、そのせいで居間へは立ち入る気になれず、まるで外野から惨状を眺めるようにして、廊下で突っ立っていた。

 だからだろう。

 ふと視界の端で揺れた気配に、目を見開いて向き直る。


「久しぶりだな、雲月君」


 そこには、牛島剛が、いた。

 しまった、と思った時には、全てが遅かった。

 学校へ真剣は持って行かない為、こっちは丸腰。

 しかも、警察は身元を特定したにも関わらず、この家は手つかずという時点で、何らかの不可解な力が作用していると、どうして疑わなかった。


「あぁ、気にしないでくれ。俺ももう、土足であがっている」


 こちらへ真っ直ぐに歩いてくると、牛島剛はすれ違いざま。


「俺の部屋で話そう」


 そう言いながら、通り過ぎ、廊下の途中にある階段をあがっていく。

 俺の立ち位置から玄関までの距離は、約二メートル。

 それさえ、向き直る方向を誤れば死ぬ感覚に、奥歯を噛みながら、彼の背を追った。

 二階は幾分匂いがマシだが、反比例するように流れる汗の量が増えていく。

 まるで真冬のように寒く、真夏のように息苦しい。


「さて、何から話すべきか」


 案内された部屋は、荒れ果てていた。

 剣道関連のトロフィーなどは無残に破壊され、当時の部屋の主の心境を物語るように、今はただ残骸だけが遺されている。


「俺が魔剣使いということは、知っているのだろう?」

「……どうして、あなたが」


 信じられなかった。

 オレの――雲月賢史の記憶の中では、この人は血の匂いをさせるような、そんな人間ではなかった。


「それを、君が言うのか」


 ふっ、と呆れたように彼は自嘲わらう。


「俺はね、雲月君。……君に敗れたあの日、死んだんだ」


 そんな、はずはない。

 オレは、この人に勝ったことは一度だってなかった。


「嘘だ。そんなはずは――」

「――試合上は、そうだろう。だが、俺は確かに、君に敗れた」


 真っ直ぐに、牛島剛は言い切る。

 しかし、俺はどんなに記憶をひっくり返しても、思い当たる節がないことに困惑した。

 オレは、この人の姿に、尊さすら覚えていたのだから。


「今も覚えている。あの冬の道場で、俺は君と練習試合をした。それだけなら、今までも幾度となくある。だが、あの時は――君の有り様は完成されていた」


 牛島剛は語る。

 あれは、その年初めて雪が降った日のこと。

 中学一年の雲月賢史と、中学三年の牛島剛。二人による、ありふれた試合形式の練習だ。

 試合の結果は、いつも通り。

 唯一違う点は、「完膚なきまでの勝利」が牛島剛という人物の真骨頂を思わせたこと。

 雲月賢史は、一歩も動けず、竹刀の先すら反応することを許されず、棒立ちのままに敗れた。


「だがそれは同時に、俺の完全な負けを意味していた。あの時、君の中での俺は死んでいたろう? 抜かずに斬る。まさしく、その極致だった」


 喉がひりつく。

 眼球が乾いていく。

 違う。違う、違う、違う。


「違和感こそあれど、みな、君を見ないようにしていた。……無理もない。君の剣は、道が違い過ぎる」


 声が出ない。

 否定したくとも、言葉がない。

 脳だけは熱に茹だっていくのに、そこから下は血が抜けたように凍てついていくようだ。


「俺も違和感はあったよ。君はいつも負けを続け、一向に上達しない中――『誰よりも無駄なく敗れていた』。足捌き、構え、呼吸、視線。何一つ欠けていないのに、最後は必ず敗れていく」


 蘇る、過去つみの記憶。

 暴かれる、かこの痕。


「あの日、俺はようやく至ったんだ」


 ――あぁ、彼は俺とは逆に生きていたんだと。


「あれは競技として勝つ為の技術ではない。相手を殺す為の業だ。未来に続く試合など、君にとっては意味を持たない。だから、敗北でいい。いや、敗北でなければならない。……それはもう、剣道ぶかつではないから。敗れた数だけ、君は自身の内で殺し続けてきたんだろう?」


 雲月賢史は、敗れる度、血を噴いて倒れる相手を作り出してきた。

 何度も繰り返される、想像の殺人。

 それは、今まで培ったことを忘れないようにする為の、反復練習さつりくこうい

 いつも、彼の眼に映る人達は、死後の姿を晒していた。


「けどね、俺は感謝をしているんだよ」


 目の前の男。

 牛島剛の眼が嗤う。


「死んでようやく、判った。どうして、俺だけがそれに気づいたのかを」


 手にしていた学生鞄が、指から滑り落ちる。

 どさり、と足元に音を立てて転がる。


「俺は、君の側に憧れていたんだ」


 それは、雲月賢史という存在が生んだ、明確な罪過だった。

 神童であるが故、彼は見てはいけないもの、触れてはいけない殺人理論に触れてしまった。

 剣という武器が辿ってきた、血濡れた路。

 現代ではどう足掻いても目にすることはない、「殺人の概念」を。

 凡庸な人物であれば、気づくことなどなかったそれは、無意識の内に牛島剛という人間を引きずり込んでしまったのである。


「俺が長く追い続けてきた理想は、人の手によって歪められた人工の剣道に過ぎなかった。だが、君の敷く剣の道はまるで違う。剣という武器と共に生きる為の、装飾のない道だ。原理とも言えるか。かつて、剣と人間はそうあるべきだったのだ、という見本だ」


 牛島剛が、ふと部屋の奥に目をやる。

 つられて見ると、そこには西洋甲冑と一振りの長剣があった。

 この荒れ果てた部屋の中、それだけは丁寧に立て掛けられ、手入れも入念にされていると分かる。


「俺は、ようやく剣士として正しい姿に成れそうだ。下の連中は、理解を得られなかった為、殺した。家族ではあるが、剣とはそういうものだ。立ちはだかるなら、斬るほかはない」

「――――」


 刃を刃として扱う、始まりの理念を、彼は語った。

 護る為でも、攻める為でもない。

 ただ、命を奪う為だけに振るわれるべきなのだ、と。

 魔剣使いとなった牛島剛は、自身を社会の脅威であると明白にする。


「しかし、少し残念だよ、雲月君」

「……っ」

「君は、それだけ完成された生き方を持ちながら、どうして偽りの側へ身を置く?」


 そこには、侮蔑や軽蔑はない。

 本当に、牛島剛は残念に思っている。


「……牛島先輩、オレは、あなたが思っているような人間じゃ、ない」

「ふむ。それは、どうしてか」

「あの頃のオレは、剣士として生きる意味を知らなかった」


 ただ、先行して技術ばかりを身につけた結果だった。

 心は追いつかず、気づけばオレはまるで息をするように殺人を行う、機械のようになろうとしていた。

 しかし、そこに少しずつ疑問が生まれたのは、他でもない牛島剛の存在だった。


「オレにとって、あなたは純粋に剣道を楽しんでいた」


 勝てば笑い、負ければ悔しがる。

 試合中、兜と剣を持っている間、それは許されない振る舞いだ。

 だが、剣士としての殻を脱ぎ捨ててしまえば、牛島剛は至って普通の明るい人物だったのだから。


 ――下段か。雲月君、中々個性的な構えが好きなんだね。


 いつだったか、牛島先輩はオレにそう言った。

 通常、剣道は上段が構えのほとんどである。

 しかし、真剣を想定した理論しか持たないオレは、頑なに下段の構えを貫いていた。

 剣道においては、下段というのは名残にも近い構えであり、ルール上もあまりメリットのない構えである。


 ――けど、いいんじゃないかい。勝つのは難しいが、自身を表現する構えだって、十分魅力的さ。


 思えば、この時初めて、雲月賢史は「剣道」というものを、殺人技術ではなく競技スポーツとして考えたのかもしれない。


「だから……オレは――――」


 この人の努力を、穢したくないと、そう思って。


「――――あなたを、斬ったつもりなんて、なかった」


 本当に、そうだった。

 だが、幼少期からしみこませてきたものは、意志一つではあまりに頼りないほど、深くオレに根を張っていたのだろう。

 揺るがない視線は、彼の眩しさを見過ごさない為。

 動かない身体は、彼の努力を受け止める為。

 乱れない呼吸は、この一瞬を大切にする為。

 勝敗ではなく、剣道という青春に、少しでも混ざりたくて、オレは必死だったのだ。


「……そうか。それでも、俺は斬られた。なるほど、研ぎ澄まされた刃は力を入れずとも断ち切るという。君は、触れただけで相手を殺す達人であったか」


 だから、こうなるまで、オレは何一つ気づけなかったのだろう。

 全て、何もかもが、あまりにも、遅すぎた。


「話せて良かったよ、雲月賢史君。これで、目標が出来た」


 魔剣使いが動き出す。


「俺は君を倒す。だが、今の君ではダメだな。あの頃の君に戻ってもらわねば」

「……っ、何を」

「何が君に血を通わせているのか」


 じろり、と牛島剛が値踏みをするような眼で、オレを見定める。


「家族か、友か、あるいは故郷か」


 血流が速まる、意識が沸騰しそうになる。

 何をするつもりか、など聞くまでもないほどに。


「君の大切なものを壊していくとしよう。さて、君はどれくらい失えば、昔に戻るのかな」


 目の前の人物は、殺意を漲らせていた。


「いいのか、雲月賢史。――丸腰で、この俺を止められるのか」


 後半を背で聞き、俺は家を飛び出していた。

 時間など忘れ、肉体活性で住宅街を疾走する。

 弾丸のような動きで塀に足をかけ、飛び上がり、屋根から屋根へと飛び移っていく。

 ほぼ全力であれば家まで五分と時間は掛からない。

 家の中へ飛び込むように入り、自室へ駆け上がる。

 夜警用の真剣を手に取り、一階へ戻る。

 小さな庭を一望出来る縁側へ行くと、そこには眼鏡をかけた割烹着姿は一つ。


「家はわたくし達が守ります。賢史さんは、御役目を」

「……」


 オレは、内心驚いていた。

 少しくらいは動揺が見られると思ったが、虎徹は眉一つ動かさないで、まるで全て見通していたかのように振る舞っている。


「知っていたのか」

「少し、予想はしておりました。……わたくしを責めますか?」


 刹那だけ、彼女の目に後悔が見えた気がした。

 そうか。

 きっと、調べを進める内、牛島剛とオレとの確執に思い至る部分があったのかもしれない。

 だとして、責める理由がどこにある。


「いや、感謝を。家は頼む。だが、無理はするな。住まいは替えが利いても、お前達はそうはいかん」

「はい。――ご武運を」


 背を向け、外へ出る。

 まだ昼間。時刻は十時にもなっていない。

 だからこそ、彼ならば真っ先に狙いそうな場所がある。

 間に合え、と胸の内で念じ、後先を考えずにオレは通学路を疾駆する。

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