魔剣使い
声は、頭上からだった。
何事でもないかのように、あっさりと声の主は天を覆う暗闇から、街明りが犇めく下界へ降り立つ。
低く見積もっても、建物の高さ――いや屋根から地上までは、三階相当の距離がある。
それを、まるで階段一、二段くらいから着地した、とでも言うように難なく足を着いたのだ。
それだけではない。
「――――」
神宮寺さんが息を呑んでいるように、僕も呼吸が止まりそうだった。
その人物は、あろうことか甲冑に身を包んでいるのだ。
西洋の、それこそ中世を舞台にしたファンタジーもので出てくるような全身鎧。
違う点を挙げるとすれば、その人物が纏う鎧は明らかに実戦向けのものだった。
立場ある者や式典向けの豪奢な意匠で飾られたものではなく、質実剛健を体現するような堅牢さが、目だけで十分に伝わってくる無骨さ。
だとすれば、その重量も相応のものとなるはず。
「最近、ついてないなぁ、ホント」
神宮寺さんの、窮する声が意識を震わせる。
『――? ――君!』
電話口の声が、よく聞こえない。
僕もまた、その降り立ってきた人物に、目を釘付けにされている。
西洋鎧に身を包み、時代錯誤も甚だしいその人は、一振りの剣を腰に提げ、僕らの方へ向き直る。
「あ――――」
声が止まる。
理性を本能が押しのける。
ダメだ。
戦っちゃいけない。
巨人の時と同じ――いや、もしかするとそれ以上の胸騒ぎがする。
――顔立ちは、若い日本男児のもの。年齢もそう変わるまい。
――ただその雰囲気、僕らを射抜くその眼光は、およそこの時代のものではない。
なんだ。どうして。おかしい。
僕は、あの眼を知っている?
あれは、きっと。
――脳裏をコマ送りのように攫っていく、識らない記憶たち。
――それは、かつて人が生きることにのみ全霊を注いでいた、古い記憶。
――いつしか、人々はそれを記憶ではなく、創造や創作と呼び始めた、失われたはずの過去。
あれは、きっと――世界に仇をなした者らの眼ではなかったか。
「に、にげ、逃げてっ!」
携帯を投げ出し、僕は神宮寺さんの手を引く。
「え!?――――ちょ、ちょっと、クドウくん!?」
「戦っちゃダメだ! 急いで、逃げないと!」
「ちょ、落ち着いて! んもぅ、次から次へと――!!」
理由なんて、僕だって分からない。
けど、ダメだ。
戦ったら、絶対に死ぬ。
理性では抑えきれない恐怖が、本能が、訴えている。
全てをかなぐり捨ててひた走れ。
でなければ、お前は必ず死ぬ、と。
それはいつの世も、絶望に面した時、生きる者に許された最後の望みである。
「――クドウ。そうか、もしやお前が久遠満か」
名を呼ばれ、僕らはぴたりと動きを止める。
それを見て、謎の剣士は「図星か」と威圧をより強めてきた。
「――くっそ! ほんと、何なの!? またクドウくん狙い!?」
「否。しかし、つくづく運命とは数奇なものだな。……お前が、先生の言っていたあの……」
ぎろり、と剣士が僕を睨む。
「――――っ」
足が竦む、指が震える、奥歯が鳴る。
今すぐ、一人ででも逃げ出しそうな身体を必死に抑え、神宮寺さんの片手を強い握りしめた。
声さえ出せず、僕はただ、首を横に振ることしか出来ない。
「く、クドウくん……」
僕の様子が、尋常ならざるものと悟ったのか、神宮寺さんが心配とも不安ともとれない声音で、僕の名前を呼ぶ。
「然程、驚異にも特異にも思えん。が、僅かにお前には拒否感を覚える。……俺の中の何かが、お前に対して思うところがあるようだ」
「……お願いだから、もうちょっと話が分かるように喋って欲しいんだけど」
「む、許せ。今はその時ではない。……同胞よ、悪いがこの連れは返してもらうぞ」
「させない――って、言ったら?」
もし、音がしたならば、それは空間に罅が入るような緊張だった。
氷の刃先を喉元に突きつけられているような、酷い悪寒。
「その四肢を落とし、達磨にしてやろうか」
「……っ、冗談ってワケじゃなさそうっぽいな、これ」
「負ければ女は戦利品だ。楽には死なせん」
台詞だけなら、それは三流のものだ。
しかし、この剣士は毛先ほどもその表情に性の色を浮かべてはいない。
まるで、女を蹂躙することすら、性とは別の、より強い想いに突き動かされての行為だとでも言うように。
故に、それがただの脅しではないことが、嫌でも伝わる。
「退け、同胞よ。蛮勇とは、滅びの名に他ならん。……尤も、五体満足で返す気はないがな」
「ほら、見逃す気ないんじゃんっ」
「仕方あるまい。……俺がよくとも、コイツはそれを望まない」
剣士は神宮寺さんと横たわる女の子の間に立ち塞がると、腰に提げた剣の柄を握り、ゆっくりと鞘から抜いて構えた。
「――――本当、今日は厄日だわ」
「どうした。見覚えがあるか、我が剣に」
神宮寺さんが、初めて僕の手を握り返す。
「魔剣なんて、どっから持ち出してきた、この大馬鹿者――っ!」
刹那、今度は、僕が引っ張られる側になる。
「神宮寺、さん!?」
「走って! 逃げるよ、クドウくん!」
「う、うん!」
踵を返し、僕らは人気の無いホテル街をひた走る。
その背に向けられるは、謎の凶刃。
「さぁ、神に祈れ。その身に加護と施しがあるならば、運次第では生きて明日を拝めよう」
魔剣――それが聞き違いでないならば、果たして僕らは、生きて帰れるのであろうか。
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身体が熱い、喉が冷たい、肺が潰れそうなほど痛い。
それほど深くは入り込んでいなかったはずの、ホテル街と繁華街の中心部を結ぶ道が、やけに遠く感じる。
流れる景色には目もくれず、ただ一心不乱に僕は脚を動かした。
「――――っ!?」
ふいに、肩口から体当たりじみた衝撃を受けて、僕は横にすっ転んでしまう。
痛みに呻くよりも早く、たった今までいた場所を鋼の音が通り過ぎたことで、それが神宮寺さんによる決死の体当たりだったのだと分かった。
重力がちゃんと仕事をしてるのかすら怪しく思うほどの身軽さ。
僕らを追う剣士は、単純な速力で僕らを容易く凌駕し、真上を飛び越しざまに宙返りと同じ動きで、僕を両断しようとしたらしい。
なんて――出鱈目な動きだ。
「良い勘だ。女だてら、戦士でもないというのによくやる」
「クドウくん、走って! こいつは私が抑える!」
「え――ダメだよ! た、戦っちゃダメ!!」
「あーもぅ、無理! それが出来ないから言ってるの! お願いだから、今は言うこと聞いて!!」
悲鳴にも近い、絞り出すような怒号。
剣士は僕を一瞥すると、戦力にはなり得ないと判断したのか、神宮寺さんと相対する。
間髪を入れない、地を割るような踏み込み。
剣士は、魔剣と呼ばれた西洋風の長剣を下段に構えると、息吹さえ遅れて見えるほどの速度で、彼女の懐に肉薄した。
ぎょっとする神宮寺さんの視界はおそらく、剣士の顔と体躯で覆われている。
その影から、剣先が弧を描くように胴を断つ。
しかし、その刃は振り抜かれたにも関わらず、火花を散らし、獲物の胴体を両断することはなかった。
「――成る程。その身、対魔においては天性のものか」
両断こそ免れたものの、斬撃に対してかざした御札は砕け、神宮寺さんの表情にも苦悶が浮かぶ。
僅かな後退。
その後、神宮寺さんの背後の壁に遅れて斬撃が奔った。
コンクリートに深く痕を残し、罅を入れるそれは、もはや人体に向ける威力を大きく超えていたことが、容易に分かる。
化け物だ。剣士は、本物の化け物だ。
僕は痛みも忘れて身体を起こし、周囲を見渡す。
何か、何か助けになるものはないか。
――逃げなければ。
脳に響く声に頭を振り、懸命に考える。
ここで逃げて、どうする。
そもそも、逃げられる保証があるのか。
あの時だってそうだった。
逃げられたはずだった。
でも、僕は逃げなかったじゃないか。
なら――――。
「面白い。なれば、あくまでも魔性を以て引導を渡してみせよう」
――――そんな想いを、魔剣使いが打ち砕く。
空気が薄くなる。
大気が重くなる。
世界が歪み、命が軋みをあげる。
「こいつ――! 本当に魔剣使いか――!!」
「如何にも。悠久とも思える時を流れての今だ、我が証紋、その身で受けてみよ――同胞!」
なんの変哲も無い長剣が、剣士の言葉を合図に青黒い気配を帯びていく。
そのまま後方へ飛び退くと、魔剣を上段に構え、深く腰を落とす。
ズン、と剣士の足が地に沈むのが分かった。
生温い風が逆巻き、不吉な予感が形となって全身を撫でていく。
剣身を軸として、嵐のように青黒い殺意が渦を巻いて唸りを上げる。
まるで、地の底から轟くような魔剣の聲は、久方ぶりの獲物を前にしての歓喜なのかもしれない。
へたり込む僕の前に、滑り込む様な勢いで神宮寺さんが背を向けて立ち塞がった。
そうか、魔剣使いが距離を取ったのは、タメの時間を稼ぐだけじゃない。
「次の一撃」は、きっと通常の斬撃よりも範囲が大きく、僕と彼女を一網打尽にする為の――。
「――――む」
――だというのに、絶好の機会にありながら、魔剣使いは必殺の構えを解いた。
ほぼ同時に、僕と神宮寺さんの後ろを人影が飛び越え、魔剣の剣士へ真っ直ぐに駆けていく。
響く剣戟の音。
素人目にも洗練されていると分かるほど、凄惨な太刀筋同士が交わり、幾度か火花を散らすと、両者は再び跳躍を以て距離を置く。
乱入してきた人影は、まるで魔剣使いとは対照的な――一人の侍だった。
「見境がねぇな、魔剣使い。いくら街中の人間の生存本能が働いてるとはいえ、こんなとこで魔剣をぶっ放せば大事だぜ」
「それがどうした。連中には良い目覚めだろうさ」
「ハッ――ぬかせ。まぁ、いいや。お前が夢中だったおかげで、駒の女は始末出来たしな」
「ぬ、貴様……狙いは典子だったか」
「さぁね、名前で覚える必要がねぇから、知らねぇよ。これで三人目だ。そろそろ駒数も少なくなってきたんじゃねぇか? ったく、剣士の癖に魔法使いみてぇなことしやがって……」
甲冑具足の金具が擦れる音を立てて、侍が手にした一振りを構える。
「お互い、本領に入ろうぜ」
声からでも分かる程、侍の声音には戦意が漲っている。
まるで、ようやく食事にありつく獰猛な獣のようだ。
しかし、思わぬ事態とは続くもので。
「……まったくだ、本領故に些か思慮に欠けた。回収が目的だったが、これでは先生に合わせる顔もない」
「……あ?」
「悪く思うな、国士。此度の斬り合いは、そちらに預ける」
「――――はぁ!? あ、おい! 魔剣使い、待てコラ!!」
魔剣使いは愛剣を鞘に戻すと、驚くほどあっさりと身を引いていく。
跳躍から建物の壁を蹴り、まるでどこぞのアメコミヒーローみたいに、あっという間に闇夜へ姿を消してしまった。
残されたのは、未だ尻もちをついたままの僕と、神宮寺さん、そして割って入った侍の三人だった。
「どういうこと? 戮士が出張ってるとは聞いてない」
再び静寂が戻ったホテル街で、切り出したのは神宮寺さんだった。
その口調にはどこか責めるような風があり――あれ、そういえば、ポニーテールが――。
「ちっ、別にいいだろ。神宮寺の当主様にゃ、関係ねぇよ」
「聞き捨てならないわね。誰が戮士の権限を保つ為に、尽力しているとでも?」
「はいはい、大家様のおかげですよ。んだよ、俺が間に合わなきゃ、アンタ死んでたかもしれねーんだぜ。そんな突っかかってくんなよな」
「口の利き方には気をつけなさい。あなたの刃は、世間に晒せないものよ。どうして内密に行動をしていたの。喋らないなら、本舎で会議にかけてもいいけど。尤も、『喋れない』なら自然とそうはなるでしょうが」
兜の上からでも察するほど、侍の人の怒気が見て取れる。
僕は呆気にとられながらも、神宮寺さんの雰囲気がいつもと違うことに、驚きを隠せないでいた。
「大家ってだけで、随分と偉そうにすんじゃねぇか、アンタ」
「はぁ、躾のなっていない刀ね。偉そうではなく、偉いの間違い。大家の後ろ盾がなければ、自分達の立場さえ危ういと分からないとは驚きね」
「……マジで、ここで切り捨ててやろうか」
「やってみれば? こんな粗末なものを斬る為に磨き上げたのであれば、早々に戮士をやめなさい。大家の当主として、命の代わりにあなたを人間に戻してあげる」
言葉の応酬は、半分以上が僕には分からないものだった。
けど、二人の間の剣呑さは、誰が見ても危ういほど張り詰めている。
数秒ほどの睨み合い。
それが、僕には何分にも思えるほど長く感じる。
息が詰るような中、緊張の糸に耐えられなくなったのは侍の方だった。
「――深淵のトコの爺さんの采配だ。言っておくけどな、あの爺さんを責めるなら、それこそ相手になるぜ、ご当主様よ」
抜き身の刀を鞘に収めながら、兜の奥に光る双眸は未だ戦意を収めてはいない様子だ。
しかし、それでも納得のいく返答だったのか、神宮寺さんは腰に片手をあてながら、「よろしい」と頷いた。
「大家の采配であれば、内密であろうと一定の理解は示すわ。まして、彼以上の視界はそうそうない。問題は、事態をどこまで把握しているか、だけど」
「相手も暗躍が上手い。面白くねぇが、先導役がいる。そいつは、相当なキレ者だよ。深淵の爺さんだけじゃなく、御紋会全体の監視をうまいこと潜り抜けてやがる」
「つまり、あなたが助けに入ったのは、偶然ということね」
「まぁな。助けるつもりはなかった。知っての通り、戮士は殺しが生業だ。奥で呆けてた女を追っかけてたら、アンタらがいたってだけさ」
「そう。――国士よ、大義です。助太刀には感謝をしましょう」
責める姿勢から一転、神宮寺さんは真っ直ぐに感謝の意を侍へ向ける。
これには、流石の相手もやりづらいというか、ついていけないのだろうか。
ばつが悪そうに背を向けると、「助けるつもりじゃねぇって言っただろ」と吐き捨てる。
「じゃあ、俺は行くぜ。あの魔剣使いの駒を潰すのが仕事なんでね」
「家名を。もし深淵家だけで後押しが足りなければ、神宮寺家も肩を持ちます」
「――――南雲だ」
それだけを言い残すと、侍もまた風のような速さで駆けていく。
ほんの二、三秒でその姿は見えなくなってしまった。
話が終わり、神宮寺さんがくるり、と僕の方へ向き直る。
解かれた髪はその見事なストレートヘアを揺らしており、その長さたるや見事なものだった。
だからだろう、僕は未だ立ち上がれず、そんな彼女の姿に見惚れていた。
太ももまで隠れるほどの黒い長髪は、手入れが行き届いているのが不思議なほどの毛量であり、男女関係なく目を奪われてしまうくらいの艶を帯びている。
それこそ、その髪の合間に指を通してみたくなるほどに。
「いつまでそうしているつもり」
「――――え」
「立って。怪我をしているなら別だけど」
「あ、うんっ、ごめん」
口調が、刺さるような鋭利さを帯びている。
僕を真っ直ぐに捉える視線も、いつものようなからかう素振りさえない。
直感で、怒っているんだな、と僕は思った。
「…………」
沈黙が、痛い。
もの凄く居心地が悪いが、今の僕にはそれに耐えるしか出来る事がなかった。
図らずも、その静寂を破いたのは、遠くから聞こえる誰かの悲鳴だった。
「はぁ……先に警察に連絡しないとか」
ため息を吐くと、神宮寺さんは携帯を取り出して、やり取りを始める。
ホテル街はいつの間にか、入った時の死に体が嘘のように、息を吹き返しているようだった。
人の往来が少しずつ復活し、それ故に、ここで起こった戦いの傷痕が世間を賑わせていく。
電話を終えた神宮寺さんが横目で僕を見やりながら、制服の内ポケットに手を入れ、ヘアゴムを取り出した。
「警察が来るまで、ここで待機。いいわね」
「は、はい」
周囲が騒然としていく中、彼女は手早く髪をまとめると、いつものポニーテールに結っていく。
見慣れた髪型に戻った頃には、先ほどまでの鋭さはもう、なくなっていた。




