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アンデッド  作者: 無理太郎
Episode.2 剣の道
25/89

魔剣使い

 声は、頭上からだった。

 何事でもないかのように、あっさりと声の主は天を覆う暗闇から、街明りが犇めく下界へ降り立つ。

 低く見積もっても、建物の高さ――いや屋根から地上までは、三階相当の距離がある。

 それを、まるで階段一、二段くらいから着地した、とでも言うように難なく足を着いたのだ。

 それだけではない。


「――――」


 神宮寺さんが息を呑んでいるように、僕も呼吸が止まりそうだった。

 その人物は、あろうことか甲冑に身を包んでいるのだ。

 西洋の、それこそ中世を舞台にしたファンタジーもので出てくるような全身鎧。

 違う点を挙げるとすれば、その人物が纏う鎧は明らかに実戦向けのものだった。

 立場ある者や式典向けの豪奢な意匠で飾られたものではなく、質実剛健を体現するような堅牢さが、目だけで十分に伝わってくる無骨さ。

 だとすれば、その重量も相応のものとなるはず。


「最近、ついてないなぁ、ホント」


 神宮寺さんの、窮する声が意識を震わせる。


『――? ――君!』


 電話口の声が、よく聞こえない。

 僕もまた、その降り立ってきた人物に、目を釘付けにされている。

 西洋鎧に身を包み、時代錯誤も甚だしいその人は、一振りの剣を腰に提げ、僕らの方へ向き直る。


「あ――――」


 声が止まる。

 理性を本能が押しのける。

 ダメだ。

 戦っちゃいけない。

 巨人シェオルの時と同じ――いや、もしかするとそれ以上の胸騒ぎがする。


 ――顔立ちは、若い日本男児のもの。年齢もそう変わるまい。

 ――ただその雰囲気、僕らを射抜くその眼光は、およそこの時代のものではない。


 なんだ。どうして。おかしい。

 僕は、あの眼を知っている?

 あれは、きっと。


 ――脳裏をコマ送りのように攫っていく、識らない記憶たち。

 ――それは、かつて人が生きることにのみ全霊を注いでいた、古い記憶れきし

 ――いつしか、人々はそれを記憶ではなく、創造や創作と呼び始めた、失われたはずの過去。


 あれは、きっと――世界に仇をなした者らの眼ではなかったか。


「に、にげ、逃げてっ!」


 携帯を投げ出し、僕は神宮寺さんの手を引く。


「え!?――――ちょ、ちょっと、クドウくん!?」

「戦っちゃダメだ! 急いで、逃げないと!」

「ちょ、落ち着いて! んもぅ、次から次へと――!!」


 理由なんて、僕だって分からない。

 けど、ダメだ。

 戦ったら、絶対に死ぬ。

 理性では抑えきれない恐怖が、本能が、訴えている。

 全てをかなぐり捨ててひた走れ。

 でなければ、お前は必ず死ぬ、と。

 それはいつの世も、絶望に面した時、生きる者に許された最後の望みである。


「――クドウ。そうか、もしやお前が久遠満か」


 名を呼ばれ、僕らはぴたりと動きを止める。

 それを見て、謎の剣士は「図星か」と威圧をより強めてきた。


「――くっそ! ほんと、何なの!? またクドウくん狙い!?」

「否。しかし、つくづく運命とは数奇なものだな。……お前が、先生の言っていたあの……」


 ぎろり、と剣士が僕を睨む。


「――――っ」


 足が竦む、指が震える、奥歯が鳴る。

 今すぐ、一人ででも逃げ出しそうな身体を必死に抑え、神宮寺さんの片手を強い握りしめた。

 声さえ出せず、僕はただ、首を横に振ることしか出来ない。


「く、クドウくん……」


 僕の様子が、尋常ならざるものと悟ったのか、神宮寺さんが心配とも不安ともとれない声音で、僕の名前を呼ぶ。


「然程、驚異にも特異にも思えん。が、僅かにお前には拒否感を覚える。……俺の中の何かが、お前に対して思うところがあるようだ」

「……お願いだから、もうちょっと話が分かるように喋って欲しいんだけど」

「む、許せ。今はその時ではない。……同胞はらからよ、悪いがこの連れは返してもらうぞ」

「させない――って、言ったら?」


 もし、音がしたならば、それは空間に罅が入るような緊張だった。

 氷の刃先を喉元に突きつけられているような、酷い悪寒。


「その四肢を落とし、達磨にしてやろうか」

「……っ、冗談ってワケじゃなさそうっぽいな、これ」

「負ければ女は戦利品だ。楽には死なせん」


 台詞だけなら、それは三流のものだ。

 しかし、この剣士は毛先ほどもその表情に性の色を浮かべてはいない。

 まるで、女を蹂躙することすら、性とは別の、より強い想いに突き動かされての行為だとでも言うように。

 故に、それがただの脅しではないことが、嫌でも伝わる。


「退け、同胞よ。蛮勇とは、滅びの名に他ならん。……尤も、五体満足で返す気はないがな」

「ほら、見逃す気ないんじゃんっ」

「仕方あるまい。……俺がよくとも、コイツはそれを望まない」


 剣士は神宮寺さんと横たわる女の子の間に立ち塞がると、腰に提げた剣の柄を握り、ゆっくりと鞘から抜いて構えた。


「――――本当、今日は厄日だわ」

「どうした。見覚えがあるか、我がつるぎに」


 神宮寺さんが、初めて僕の手を握り返す。


「魔剣なんて、どっから持ち出してきた、この大馬鹿者――っ!」


 刹那、今度は、僕が引っ張られる側になる。


「神宮寺、さん!?」

「走って! 逃げるよ、クドウくん!」

「う、うん!」


 踵を返し、僕らは人気の無いホテル街をひた走る。

 その背に向けられるは、謎の凶刃。


「さぁ、神に祈れ。その身に加護と施しがあるならば、運次第では生きて明日を拝めよう」


 魔剣――それが聞き違いでないならば、果たして僕らは、生きて帰れるのであろうか。


-------------------------------------------------------------------------------


 身体が熱い、喉が冷たい、肺が潰れそうなほど痛い。

 それほど深くは入り込んでいなかったはずの、ホテル街と繁華街の中心部を結ぶ道が、やけに遠く感じる。

 流れる景色には目もくれず、ただ一心不乱に僕は脚を動かした。


「――――っ!?」


 ふいに、肩口から体当たりじみた衝撃を受けて、僕は横にすっ転んでしまう。

 痛みに呻くよりも早く、たった今までいた場所を鋼の音が通り過ぎたことで、それが神宮寺さんによる決死の体当たりだったのだと分かった。

 重力がちゃんと仕事をしてるのかすら怪しく思うほどの身軽さ。

 僕らを追う剣士は、単純な速力で僕らを容易く凌駕し、真上を飛び越しざまに宙返りと同じ動きで、僕を両断しようとしたらしい。

 なんて――出鱈目な動きだ。


「良い勘だ。女だてら、戦士でもないというのによくやる」

「クドウくん、走って! こいつは私が抑える!」

「え――ダメだよ! た、戦っちゃダメ!!」

「あーもぅ、無理! それが出来ないから言ってるの! お願いだから、今は言うこと聞いて!!」


 悲鳴にも近い、絞り出すような怒号。

 剣士は僕を一瞥すると、戦力にはなり得ないと判断したのか、神宮寺さんと相対する。

 間髪を入れない、地を割るような踏み込み。

 剣士は、魔剣と呼ばれた西洋風の長剣を下段に構えると、息吹さえ遅れて見えるほどの速度で、彼女の懐に肉薄した。

 ぎょっとする神宮寺さんの視界はおそらく、剣士かれの顔と体躯で覆われている。

 その影から、剣先が弧を描くように胴を断つ。

 しかし、その刃は振り抜かれたにも関わらず、火花を散らし、獲物の胴体を両断することはなかった。


「――成る程。その身、対魔においては天性のものか」


 両断こそ免れたものの、斬撃に対してかざした御札は砕け、神宮寺さんの表情にも苦悶が浮かぶ。

 僅かな後退。

 その後、神宮寺さんの背後の壁に遅れて斬撃が奔った。

 コンクリートに深く痕を残し、罅を入れるそれは、もはや人体に向ける威力を大きく超えていたことが、容易に分かる。

 化け物だ。剣士あいつは、本物の化け物だ。

 僕は痛みも忘れて身体を起こし、周囲を見渡す。

 何か、何か助けになるものはないか。


 ――逃げなければ。


 脳に響く声に頭を振り、懸命に考える。

 ここで逃げて、どうする。

 そもそも、逃げられる保証があるのか。

 あの時だってそうだった。

 逃げられたはずだった。

 でも、僕は逃げなかったじゃないか。

 なら――――。


「面白い。なれば、あくまでも魔性を以て引導を渡してみせよう」


 ――――そんな想いを、魔剣使いが打ち砕く。

 空気が薄くなる。

 大気が重くなる。

 世界が歪み、命が軋みをあげる。


「こいつ――! 本当に魔剣使いか――!!」

「如何にも。悠久とも思える時を流れての今だ、我が証紋ちから、その身で受けてみよ――同胞アンデッド!」


 なんの変哲も無い長剣が、剣士の言葉を合図に青黒い気配オーラを帯びていく。

 そのまま後方へ飛び退くと、魔剣を上段に構え、深く腰を落とす。

 ズン、と剣士の足が地に沈むのが分かった。

 生温い風が逆巻き、不吉な予感が形となって全身を撫でていく。

 剣身を軸として、嵐のように青黒い殺意が渦を巻いて唸りを上げる。

 まるで、地の底から轟くような魔剣の聲は、久方ぶりの獲物を前にしての歓喜なのかもしれない。

 へたり込む僕の前に、滑り込む様な勢いで神宮寺さんが背を向けて立ち塞がった。

 そうか、魔剣使いが距離を取ったのは、タメの時間を稼ぐだけじゃない。

 「次の一撃」は、きっと通常の斬撃よりも範囲が大きく、僕と彼女を一網打尽にする為の――。


「――――む」


 ――だというのに、絶好の機会にありながら、魔剣使いは必殺の構えを解いた。

 ほぼ同時に、僕と神宮寺さんの後ろを人影が飛び越え、魔剣の剣士へ真っ直ぐに駆けていく。

 響く剣戟の音。

 素人目にも洗練されていると分かるほど、凄惨な太刀筋同士が交わり、幾度か火花を散らすと、両者は再び跳躍を以て距離を置く。

 乱入してきた人影は、まるで魔剣使いとは対照的な――一人の侍だった。


「見境がねぇな、魔剣使い。いくら街中の人間の生存本能が働いてるとはいえ、こんなとこで魔剣をぶっ放せば大事だぜ」

「それがどうした。連中には良い目覚めだろうさ」

「ハッ――ぬかせ。まぁ、いいや。お前が夢中だったおかげで、駒の女は始末出来たしな」

「ぬ、貴様……狙いは典子だったか」

「さぁね、名前で覚える必要がねぇから、知らねぇよ。これで三人目だ。そろそろ駒数も少なくなってきたんじゃねぇか? ったく、剣士の癖に魔法使いみてぇなことしやがって……」


 甲冑具足の金具が擦れる音を立てて、侍が手にした一振りを構える。


「お互い、本領に入ろうぜ」


 声からでも分かる程、侍の声音には戦意が漲っている。

 まるで、ようやく食事にありつく獰猛な獣のようだ。

 しかし、思わぬ事態とは続くもので。


「……まったくだ、本領故に些か思慮に欠けた。回収が目的だったが、これでは先生に合わせる顔もない」

「……あ?」

「悪く思うな、国士。此度の斬り合いは、そちらに預ける」

「――――はぁ!? あ、おい! 魔剣使い、待てコラ!!」


 魔剣使いは愛剣を鞘に戻すと、驚くほどあっさりと身を引いていく。

 跳躍から建物の壁を蹴り、まるでどこぞのアメコミヒーローみたいに、あっという間に闇夜へ姿を消してしまった。

 残されたのは、未だ尻もちをついたままの僕と、神宮寺さん、そして割って入った侍の三人だった。


「どういうこと? 戮士りくしが出張ってるとは聞いてない」


 再び静寂が戻ったホテル街で、切り出したのは神宮寺さんだった。

 その口調にはどこか責めるような風があり――あれ、そういえば、ポニーテールが――。


「ちっ、別にいいだろ。神宮寺の当主様にゃ、関係ねぇよ」

「聞き捨てならないわね。誰が戮士の権限を保つ為に、尽力しているとでも?」

「はいはい、大家様のおかげですよ。んだよ、俺が間に合わなきゃ、アンタ死んでたかもしれねーんだぜ。そんな突っかかってくんなよな」

「口の利き方には気をつけなさい。あなたの刃は、世間に晒せないものよ。どうして内密に行動をしていたの。喋らないなら、本舎で会議にかけてもいいけど。尤も、『喋れない』なら自然とそうはなるでしょうが」


 兜の上からでも察するほど、侍の人の怒気が見て取れる。

 僕は呆気にとられながらも、神宮寺さんの雰囲気がいつもと違うことに、驚きを隠せないでいた。


「大家ってだけで、随分と偉そうにすんじゃねぇか、アンタ」

「はぁ、躾のなっていない刀ね。偉そうではなく、偉いの間違い。大家の後ろ盾がなければ、自分達の立場さえ危ういと分からないとは驚きね」

「……マジで、ここで切り捨ててやろうか」

「やってみれば? こんな粗末なものを斬る為に磨き上げたのであれば、早々に戮士をやめなさい。大家の当主として、命の代わりにあなたを人間に戻してあげる」


 言葉の応酬は、半分以上が僕には分からないものだった。

 けど、二人の間の剣呑さは、誰が見ても危ういほど張り詰めている。

 数秒ほどの睨み合い。

 それが、僕には何分にも思えるほど長く感じる。

 息が詰るような中、緊張の糸に耐えられなくなったのは侍の方だった。


「――深淵ふかふちのトコの爺さんの采配だ。言っておくけどな、あの爺さんを責めるなら、それこそ相手になるぜ、ご当主様よ」


 抜き身の刀を鞘に収めながら、兜の奥に光る双眸は未だ戦意を収めてはいない様子だ。

 しかし、それでも納得のいく返答だったのか、神宮寺さんは腰に片手をあてながら、「よろしい」と頷いた。


「大家の采配であれば、内密であろうと一定の理解は示すわ。まして、彼以上の視界はそうそうない。問題は、事態をどこまで把握しているか、だけど」

「相手も暗躍が上手い。面白くねぇが、先導役がいる。そいつは、相当なキレ者だよ。深淵の爺さんだけじゃなく、御紋会全体の監視をうまいこと潜り抜けてやがる」

「つまり、あなたが助けに入ったのは、偶然ということね」

「まぁな。助けるつもりはなかった。知っての通り、戮士は殺しが生業だ。奥で呆けてた女を追っかけてたら、アンタらがいたってだけさ」

「そう。――国士よ、大義です。助太刀には感謝をしましょう」


 責める姿勢から一転、神宮寺さんは真っ直ぐに感謝の意を侍へ向ける。

 これには、流石の相手もやりづらいというか、ついていけないのだろうか。

 ばつが悪そうに背を向けると、「助けるつもりじゃねぇって言っただろ」と吐き捨てる。


「じゃあ、俺は行くぜ。あの魔剣使いの駒を潰すのが仕事なんでね」

「家名を。もし深淵家だけで後押しが足りなければ、神宮寺家も肩を持ちます」

「――――南雲だ」


 それだけを言い残すと、侍もまた風のような速さで駆けていく。

 ほんの二、三秒でその姿は見えなくなってしまった。

 話が終わり、神宮寺さんがくるり、と僕の方へ向き直る。

 解かれた髪はその見事なストレートヘアを揺らしており、その長さたるや見事なものだった。

 だからだろう、僕は未だ立ち上がれず、そんな彼女の姿に見惚れていた。

 太ももまで隠れるほどの黒い長髪は、手入れが行き届いているのが不思議なほどの毛量であり、男女関係なく目を奪われてしまうくらいの艶を帯びている。

 それこそ、その髪の合間に指を通してみたくなるほどに。


「いつまでそうしているつもり」

「――――え」

「立って。怪我をしているなら別だけど」

「あ、うんっ、ごめん」


 口調が、刺さるような鋭利さを帯びている。

 僕を真っ直ぐに捉える視線も、いつものようなからかう素振りさえない。

 直感で、怒っているんだな、と僕は思った。


「…………」


 沈黙が、痛い。

 もの凄く居心地が悪いが、今の僕にはそれに耐えるしか出来る事がなかった。

 図らずも、その静寂を破いたのは、遠くから聞こえる誰かの悲鳴だった。


「はぁ……先に警察に連絡しないとか」


 ため息を吐くと、神宮寺さんは携帯を取り出して、やり取りを始める。

 ホテル街はいつの間にか、入った時の死に体が嘘のように、息を吹き返しているようだった。

 人の往来が少しずつ復活し、それ故に、ここで起こった戦いの傷痕が世間を賑わせていく。

 電話を終えた神宮寺さんが横目で僕を見やりながら、制服の内ポケットに手を入れ、ヘアゴムを取り出した。


「警察が来るまで、ここで待機。いいわね」

「は、はい」


 周囲が騒然としていく中、彼女は手早く髪をまとめると、いつものポニーテールに結っていく。

 見慣れた髪型に戻った頃には、先ほどまでの鋭さはもう、なくなっていた。

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