人斬り
雲月君と出会った次の日、僕らは昼休みの時間を利用して、懐かしい作戦会議を開いていた。
とはいえ、今回は僕自身が狙われてるわけではないので、メンタルケアはすっ飛ばし、サクッとお昼は済ませて本題へ。
「殺されたのは、東区にある片山第一高校の剣道部員だそうよ。……首なしとは、また派手なことをするものね」
のっけから、不穏すぎる内容が麗華さんの口から飛び出す。
「遺族への対応に苦慮しますね」
「まぁ、そこは警察に任せましょう。いずれにせよ、こうしてまた似たような事件が起こった。まずはこれの解決が最優先事項です」
麗華さんの方針に、神宮寺さんも強く頷く。
今朝のニュースで、ある凄惨な事件が報道された。
民家が建ち並ぶ住宅地から少し離れた、工業地帯との狭間のような地区の路上で、若い男性の首なし遺体が発見されたのである。
頭部が紛失している、という点だけでもおかしいのだが、世間を賑わす問題点はそれだけに尽きなかった。
「……普通、外で剣道ってしないですよね?」
僕の疑問に、二人とも「野外競技としての認識はない」と共通の答えを返してくれる。
そう、その遺体は剣道着を身につけており、ご丁寧に防具である胴と篭手までつけた状態だったそうな。
摩訶不思議な格好だが、幾つか憶測が浮かぶ。
「殺された後に運ばれたんでしょうか?」
「不自然ではあるけど、そうでもしないと一般論での推測は限界ね」
「ってことは、何らかの理由で剣道の姿でいて、そこを殺害されたって感じですかね」
「えぇ、不死者的にはその推論が正しいでしょう。証紋での直接的な殺害か、あるいは間接的かは不明だけど、犯人と被害者は接点がある気がするわ」
麗華さんの考えは、証紋の存在を考慮すると、決して突飛な話ではないことに気づくはずだ。
これは僕の所感だから、なんの根拠も信憑性もないが……剣道というイメージ的に、一方的に殺されたというよりは試合に負けた結果、なような気もする。
「……確か、幾つか損傷もあるって」
「えぇ、右腕と右足の骨折。打撲痕があると言っていたから、鈍器のようなもので殴られたか、あるいは……」
腕を組みながら口元に片手を添える麗華さんが、考え込みながら言葉を濁す。
まぁ、剣道というワードから想像がつくのは、竹刀と木刀くらいだ。
ただし、それらでは頭部を切り離すような真似は出来ない。
「しかし、犠牲者が高校生かぁ……むぅ、怨恨にしてはちょっと……」
神宮寺さんが、その整った顔の眉間に皺を寄せ、口を尖らせる。
「さすがに命を奪われるほどのトラブルって、あんまり想像つかないなぁ、僕も」
「だよね。でも、わざわざ剣道部員が剣道着姿でってのは、ちょっと無視出来ないというか、状況的にメッセージ性を勘ぐっちゃうなぁ、と」
確かに。
ただの通り魔事件とするにも、理由付けが難しい点が散見される。
現状で導き出される結論があるとすれば。
「これで終わりじゃない。おそらく、犯人にその気があれば次も――」
と、神宮寺さんが厳しい表情で口にする。
それを麗華さんは無言で頷き、続けた。
「みすみす次の凶行を許すつもりはないけれど、動きがあるなら捕まえられる可能性も生まれるものね」
「はい。夜の巡回、どうしましょうか。東区だと鷲目先輩の管轄ですよね」
「彼女だと……私から話しておきましょう。少なくとも、狙撃の危険性がない程度には」
聞き慣れない名前が出て来たけど、狙撃という言葉の方がインパクトは上だ。
なんだろう。
東区には、通行人を射抜くスナイパーでもいるのだろうか。
なんだか、いよいよ美小野坂市が人外魔境じみてくるなぁ。
「ただ、次が必ず東区って断定出来ないのが、不気味なところですよね」
「えぇ、本当に。警察の目もあるでしょうけど、なんせ犯人に関する外見的な情報がない。……東区は、私が警戒しておきます。貴女とクドウ君は、いつもの管轄を入念に」
麗華さんの提案に、神宮寺さんは素直に頷いた。
そうか、こんな状況でも僕の同行を許してくれていて、万が一、犯人と遭遇した際を考えて、慣れた地区での巡回を優先してくれたのだろう。
それでも、一応は聞いておかないといけない気がする。
「僕、神宮寺さんに付いていってもいいんですか?」
申し訳なさそうな顔でもしていたのだろうか。
神宮寺さんは、「当然でしょ」とばかりに小さくため息を吐きながら、僕の鼻先に人差し指をずびし、と立てた。
「むしろ、付いてこないとダメ。危険だけど、そうしないと訓練の意味がないし。けど、間違っても好戦的にはならないでね。あくまで生存最優先だから」
「は、はいっ」
不死者としての先輩であり、師匠でもある神宮寺さんの言葉に、自然と背筋が伸びる。
それを見て、麗華さんは満足そうに頷いていた。
「意外と形になっているじゃない、薫」
「え――そ、そうですか?」
「えぇ。本当は私も手を貸したいけれど、こうなると御紋会の方も忙しくなるから。……久遠の人間を、よろしく頼みます」
「――――はい。神宮寺の当主として、責任を持ってお預かりします」
二人とも、表情も声音も真剣であり、そこに一切の含みはないように見える。
なんだろう……二人が時折見せる、当主としての一面は、すごく大人びていて自分が一層ちっぽけに見えるほどだ。
「一応、緊急時は携帯に連絡を。……思い出した、クドウ君」
「え、あ、はいっ」
「連絡先、教えてくれるかしら」
あ――――そういえば、すっかり忘れていた。
死霊術師の男に襲われた夜も、なんで連絡先知らないんだって飛び出したのが原因だったっけ。
懐かしいような、でも思えば、あの夜から――僕たち三人は、少しずつお互いの距離を縮めていった気がする。
事の起こりから終わりまで、たった二日の戦い。
それでも、過ごした時間はあまりに濃密で――。
――まるで、ついさっきのことかのように、鮮明に思い出せる。
「えぇっ!? ま、まだ連絡先交換してなかったんですか!?」
「っ……しょうがないでしょう。一緒に暮らしていると、うっかり忘れるのよ」
いや、これが本当にそうなのだ。
お互い顔を見ると安心してしまって、その隙にぽっかりとその事を落としてしまう。
おまけに、僕も麗華さんも、日常生活における携帯の使用時間が短い方なのか、切欠がないと中々思い出せないのである。
「まぁ、私も知らないしなぁ。丁度いいから、私とも交換しよ、クドウくん」
こうして、僕はようやく、二人の連絡先を知ることが出来た。
うん、これで何かあっても、救いの手を受けやすくなったぞ。
数少ない僕の連絡帳に、二人の名前が映し出される。
不思議と、ほんのちょっぴりだけ、いつもより携帯が重みを増した気がして、嬉しくなった。
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時間は進んで、放課後。
僕は神宮寺さんと一緒に御紋会本部へ顔を出すと、すぐに街へ繰り出した。
制服姿なのは変わらないが、本人曰く、色々と準備を済ませてきた、とのこと。
ついでに、街へは二人で走って移動が訓練メニューになっている。
移動も出来て、体力もついて、まさしく一石二鳥だ。
なのだが……こう、制服じゃなくて運動服に着替えたい、です。
「あの、神宮寺さん……どうしても、制服じゃなきゃダメ?」
走りながら、隣を涼しい顔で、同じ速度で合わせてくれている彼女にそう聞く。
「気持ちは分かるけど、制服の方がいいよ。どこの生徒か一発で分かるし、周囲に助けを求める時は、学生って分かった方がいいよ絶対」
心理的に、学生服の方が注目を集めるから、とのこと。
まぁ確かに、言われてみればその通りではある。
僕なんかは別かもだけど、最近の若者はよく私服が大人っぽくて、見分けがつかないというから。
助けに入るのが大人であれば、学生の姿をしていれば、それこそ瞬間的に庇護の対象と認識する――そんな感じだろうか。
「それにね、万が一戦闘になった際、私服がボロボロになると嫌でしょ。お気に入りの服だったりしたら、それはもう最悪。その点、制服なら費用は御紋会持ちで直して貰えるし」
「え、そこまでしてくれるの?」
「勿論。言ったじゃん、社会貢献と等価交換だって。制服って最近、中々売上立てるのが大変なんだって。私もよくは知らないけど、地元の商店さんの良い稼ぎになるから、ちゃんと使ってやってくれってさ」
そうか、それもそうだ。
子供の数が減っていて、少子高齢化が社会問題視されて久しい。
制服なんて、一人がそう何着も買うものじゃない。
その点で言えば、これは一種の経済活動に寄与している。
「だから、私は断然、制服推し。あと、美小野坂高校の制服、好きなんだよね」
あぁ、そういえばクラスの男子が、女子の制服は他校から評価が高いって言っていた気がする。
ブレザー故に、男子の場合は着る人間の背格好が随分影響しそうだけど……。
「そっか。ブレザーなのって、結構珍しいもんね」
「そうそう。まぁ、制服だけで言えば、ホタルも可愛いんだよなぁ」
「ホタル?」
ホタルって、あのホタルだろうか。
お尻が光る、あの昆虫。
「蛍雪女子学園。美小野坂市唯一の女子校で、校則が厳しいのと、全国からやんごとなき身分のご令嬢が集まるって噂で、有名な超級女子校」
得意げに語る神宮寺さんの瞳は、きらきらと輝いている。
ゴールデンウィークの時もそうだったけど、神宮寺さんって本当は可愛いもの大好きなんだろうなぁ。
私服はスタイリッシュだったけど、動きやすさとかを考えてだろうし、本当は完全にファッション寄りの格好をしたいのかもしれない。
その点を考えると、麗華さんは凄いな。
精神が完成しているというか、好きだから着る。以上。――そんな感じだ。
「って、超級女子校?」
「うん。全国の女子校の中でも、色々な意味で有名だからね、あそこ。入るのも出るのも一苦労で、毎年一割は留年か退学っていう、まさに超スペック女子養成学校だから」
「な、なんか……久遠先輩向きな場所だね」
「それね! 私、ホタルじゃなくてなんで美小野坂に入学したんだろうって、結構不思議なんだよねぇ」
話を聞く限りでは、その蛍雪女子学園であれば目立つことも少なそうだ。
要は麗華さんのような人達が通う、男子禁制の園なわけだし。
そんな他愛もない話をしながら、僕と神宮寺さんは住宅地から地元商店街を抜け、工業地帯を突っ切っていくと、人工光で彩られたビル群・中央区に行き着く。
その頃には、僕は息が上がっており、ブレザーがやけに重く感じるほど、体力を消耗していた。
「大丈夫?」
「だ、だい……じょう、ぶ」
「ちょっと公園で休憩しようか」
これ、体力つくけど、しんどいぞぉ。
特に会話しながらだと、疲労も二割増しである。
神宮寺さんの先導を受け、何度か出入りしている中央区の自然公園で身体を休める。
たまらず脱いだ上着をベンチの背もたれにかけて、腰を下ろす。
肺から送られる熱のこもった息を吐いて、冷却の為に外気を吸い込んで、を繰り返す。
しばらくすると、体力は戻らないが、身体の熱は治まっていくのが分かった。
「あんまり脱力し過ぎないようにね。この後、まだ動くんだから、はい」
「あ、わ、ありがとう」
気づかない間に自販機で買ってきてくれたのか、スポーツドリンクのペットボトルが差し出され、ありがたく受け取る。
息もつかないまま半分ほど飲みきると、火照った内側を冷たいスポーツドリンクがなぞっていく感覚に、思わず息を漏らした。
「こ、これで後半持つかなぁ」
「まぁ、逃げる体力さえ残しておいてもらえれば大丈夫。もし戦闘になったら、基本は私が受け持つし。本当はゆっくり訓練してあげたいんだけどね」
スパルタだよねぇ、と神宮寺さんは気の毒そうに話す。
とはいえ、これは僕も承知の上だった。
狙われている以上、自衛の手段を備えないという選択肢はない、というのが麗華さんと神宮寺さん、二人の見解だったのだ。
おまけに命が掛かっている以上は、あまり甘やかすことも出来ない、とは麗華さんの談。
尤も、一度実際に襲われた身としては、これくらい根性で乗り切らねば、という気になるので精神上は問題ない。
ついていけるか、という不安はあるものの、方針自体には概ね僕も同意しているのだから。
「でも、体力ある方だと思うよ。中央区まででも、結構距離あるからさ」
「そうかな。まぁ、夏休みとか裏山なんかを駆け回ってたからかなぁ」
「へぇ、意外。もっとインドアっぽいのに、クドウくん」
忌憚のない意見をありがとうございます。
インドアはインドアなのだけど、美小野坂に来る前は本当にド田舎だったから、裏山程度なら家も同然だったのだ。
それこそ私有地というのもあって、外部から山に入る人はごく一握りだし、一人で遊ぶには持って来いの場所だった。
「インドアもあってるけどね。アニメとかマンガとか、よく見るし読むから」
「ふぅん。アニメは見ないけど、マンガは幾つかあるなぁ、うちも」
「神宮寺さんも何か読むの?」
「私は嗜む程度。どっちかって言うと、身内のを読ませてもらってる感じかな。あ、任侠映画とかはよく見るよ。あれもファンタジーみたいなもんじゃん?」
に、任侠映画!――まさかのチョイスに言葉を失うが、思い当たる節はある。
「そういえば、私服でスカジャン着てたけど……そういうの好きなんだ?」
「お爺ちゃんの影響だけどね、完全に。あと、神宮寺の家も表向きはそういう職業の人達って思われてるから、ご近所さんからは」
「……えぇ!?」
「いやほら、本舎にイカツイ面々とかが出入りするし、枢軸会議に出席するお歴々は、人相悪いの多めだし。ぶっちゃけ、触らぬ神に祟りなしって感じで周囲が勝手に距離置いてくれるから、不死者としては便利なんだよね」
……通りで、学校だと有名な割に声をかける人が少ないわけだ。
麗華さんほどではないにしろ、神宮寺さんも意外なほどに人付き合いが少ないことを、僕はようやく把握し始めたところである。
相変わらず僕以外の男子には、自分から挨拶することはないようで、神宮寺さんに進んで挨拶する人も、見ていると昔からの顔見知りばかりだった。
もちろん、声をかけられればニコニコと対応するのだが……なるほど。
そりゃ極道の一人娘となれば、一般家庭の人間は交流を持つにも二の足を踏んだとしても、おかしくはない。
「さ、休憩はここまで。今日はちょっと色々と足伸ばすから、ちゃちゃっと行こう」
言われ、僕はペットボトルの残りを飲みきると、道中のゴミ箱に空のそれを捨てていく。
夜の公園は、人気こそ少ないが、やはり完全な無人というわけではなく、犯罪防止の為か街灯もしっかり点っていて、視界も良好だ。
何事もなく夜警は進み、僕と神宮寺さんの二人は同じように、人気の少ない場所を重点的に回っていく。
駅の裏やオフィス街、賑わう繁華街の路地など、とってもディープな場所の巡回に、僕も身が固くなる。
特についさっき通り過ぎた繁華街の路地は、明らかに堅気じゃない人達がこっちを見てて、生きた心地がしなかった。
第一、制服姿で歩いちゃダメな場所だと思うのだけど、神宮寺さんは涼しい顔でズンズンと進むものだから、満足に怯んでいるだけの余裕がない。
「お、女子高生」
「やめとけ。この時間帯にここらを歩いてるJKで、まともなのはいねぇ」
「なんスかそれ。そういや、近藤さんもそんなこと言ってたッスね」
「興味があるなら声かけてみろ。何があっても、助けられねぇからなこっちは」
物騒な会話を、遠巻きに耳が捉える。
見るに夜の世界の方々な気はするが、あまりじろじろと見て因縁をつけられてはたまらないので、半分くらいは想像だ。
ただし、会話の内容は本物で、神宮寺さんくらい顔立ちの良い女子が歩いているにも関わらず、ほとんどの人達は近寄ろうとさえしない。
「お、おい」
「げっ、美小野坂の格闘王じゃねぇかあれ」
コンビニの前で、ヤンキー座りしていた柄の悪い男二人組は、その台詞の十五秒後には青い顔でコンビニの中へ批難していく。
繁華街はどちらかというと警察の目が光る場所らしく、普段は夜警に来ないこともあり、目の前で次々と起こる光景に僕はただただ冷や汗をかくばかりである。
……神宮寺さん、一体何をしたというのだろう。
中学の頃に喧嘩ばかりしてたとは聞いたけど、それにしたって周囲のビビり方は尋常ではない。
ほとんど畏怖とか恐怖の領域だ。
「あ、あの、神宮寺さん?」
声を掛けると、珍しくその背中がぎくり、とぎこちない反応を見せた。
「な……何かな、クドウくん?」
ぎぎぎ、と錆び付いた人形みたいな動きで振り返る、格闘王さん。
「一体、何したの?」
「うっ……別に、何も」
「いや! 繁華街に入ってから、明らかに避けられまくってるよ!?」
そりゃあ、絡まれるよりはいいけど、それにしたって程度というものがある。
さすがに誤魔化しきれないと思ったのか、神宮寺さんは身体の前で腕を組むと、がっくりと肩を落としながらため息を吐いた。
「しょうがないじゃん。当時は目につく限り、倒せそうなヤツは倒していったんだから」
世紀末か何かの出来事だろうか。
行動原理が戦闘民族じみていて、現実味が薄くなってくる。
「た、倒すって……」
「だからっ! そのままの意味! ヤンキーとか暴走族とか、あと暴力団っぽいのとか、素手でボコれるヤツは大体ボコしたから、以上!」
はいこの話やめ!――と、神宮寺さんは強制的に話を切り上げてしまう。
断片的かつあまりにも簡潔とはいえ、内容に嘘がないなら、それは御紋会で問題視されてもおかしくはない内容だった。
多分だけど、元々お家がヤクザって思われてることもあり、怖れられる存在になってしまったのではないだろうか。
ほぼ競歩みたいな速度で繁華街を駆け抜けると、最後に辿り着いたのは寂れたホテル街だった。
「……っ」
人気がない故に、僕は思わず神宮寺さんと二人だけ、という事に意識してしまう。
なんせ、どれだけ寂れていようと場所はホテル街。
男女が連れ立って歩くには、些か意味深ではないだろうか。
「クドウくん」
「は、はいっ!?」
思わず声がうわずってしまうが、続ける神宮寺さんの声音は、そんな僕の慌てぶりを鎮めるほど、低いものだった。
「気をつけて。嫌な感じがする」
一瞬で脳が上から下へ転落する。
それくらい、自分でも緊張が全身に巡るのが分かった。
改めて見渡してみれば、そこはまるで呼吸のない街角。
人の往来を前提とした場所でありながら、そこには人の息づかいがない。
夜の帳が降りた都会の一角は、古ぼけてはいるが確かに、電光掲示板やネオンが存在を主張している。
けど、それだけだ。
漂う空気は冷たく、人工の明りがまるで蛾を誘う罠のように見えてくる。
道の両脇に並ぶホテルの入り口は、さしずめ怪物の大口か。
足を踏み入れれば二度と、生きて帰ることは出来ないと予感させる。
「……」
制服の懐から、神宮寺さんが御札のようなもの――というか、御札か――を、取り出し、ゆっくりと歩を進め始めた。
通り過ぎる際、ホテルの中へ視線をやってみるが、やはり人の気配はなかった。
そう、そこがおかしいのだ。
そもそも、こういう場所は入るにしろ出るにしろ、目立つ事は良しとしない。
けども、そこには必ず人の気配というか、残滓のようなものがある。
業者の出入りや、偶然居合わせた他人同士、もしくは大人の関係で足を向ける二人組、など。
必ず、偶然的な人流というものが、ホテルに限らず街にはあるものだ。
――――それが、無い、と予感させるほど、この通りは止まっている。
言い換えれば、このホテル街は息をしていない――街として、死んでいるのだ。
「――――」
神宮寺さんが足を止め、僕も自然と、それに倣い立ち止まる。
汗が浮き出るほどの無音。
本当に街頭にいるのかと思わせるほどの静けさに、思わず拳を固く握りしめていた時だった。
建物分で二件ほど先のホテルから、ふと人影が現れた。
それは本当に、なんてことはない足取りで、ひょっこりと顔を出したみたいに。
折れた木刀を手にして、朱を浴びた袴と胴着がこちらを向いた。
「……っ」
ぞわっと全身に鳥肌が立つ。
それは、若い女の子――それこそ僕や神宮寺さんと変わらない子だった。
黒髪短髪。
前髪を横一文字に切り揃えた髪型は、胴着姿も相俟ってどこか和を思わせる。
なんでそんな子が、しかも剣道着姿で、とは思うが、それ以上に異様なのはその表情。
まるで友達を誘うかのように。
「ねぇ、キミ。楽しいことしない?」
ちろり、と蛇みたいに舌を出しながら、その子は真っ直ぐに僕を射抜いてくる。
目的も意図も不明。
男であればその手の誘いは、僅かでも邪な気持ちが生まれそうなものだが、僕は知らず後退ってしまった。
足が震える。
彼女は狂っている。
それは本能か別の理由があるのかは分からないけど、僕はとにかく、この目の前の知らない女の子が別の生き物に見えて仕方がなかった。
「ほら、ここなら場所にも困らないし。キミの言うこと、何でも聞いてあげるよ?」
ゆらり、と蠱惑的な瞳と唇が一歩踏み出す。
「……あれ、もしかしてダメ? おかしいなぁ、さっきの男の人は、これでイチコロだったのに」
その子は、さも楽しそうに語る。
どれほど残虐な過程で、その哀れな犠牲者を殺したのかを。
「今まで、あんなに興奮したこと、なかったよ。骨を折る度に身体が火照って、肉を割る度に末端が敏感になるんだ」
ほぅ、と恍惚の表情を浮かべる女の子。
「でも、おじさんだとイマイチだね。……その点、キミはいいな。本当にエッチなこと、してあげようか? 代わりに殺させてくれたら――――」
「――――発情ってんじゃないっての、このメスが」
バチン、と神宮寺さんが片腕を振るうと同時に、大気が揺らいだ。
「誘惑なんて、どこで覚えたの? 洗練されてない所を見ると、魔法使いってわけじゃなさそうだけど。……とっちめて、色々と吐いてもらおっかな」
「……だれ、あなた?」
女の子の表情が一変する。
なんて冷たい目だ。
およそ、人間に向けるものではないソレで、胴着姿のその子は舐めるように神宮寺さんを見やる。
「ダメね、あなた。綺麗過ぎて殺すには向かない。血で映える姿じゃなくて、血で汚れる姿がいいの」
「ド変態じゃん。……そういう特殊な性癖を、私の弟子に教えないでくれる?」
「別に、理解なんてしてもらわなくていいよ。ただ、ちゃんと悲鳴をあげて、苦しんで、死んでもらえればそれでいいの」
興味を無くしたのか、再び僕に嫌な視線を向けられる。
「じ、じんぐうじ、さん」
「分かってる。なるべく、アイツの言葉や目を『受け止めないで』。下手くそな誘惑だから効きは悪いけど、たぶんそれが主力じゃない」
「へぇ、分かるんだ。……あぁ、そうか。あなたが、ツヨシ君の言っていた『不死者』って人達?」
その子の言葉に、後ろ姿だけでも分かるほど、神宮寺さんの雰囲気が研ぎ澄まされていく。
「……どういう意味、それ」
「どうもこうも、私達みたいなのを捕まえるお仕事の人達がいるんでしょう? あぁ、私達も不死者なんだっけ。ややこしいなぁ。ま、いっか。あなたを殺して、後ろの男の子で楽しませてもらおうかな」
「ちっ、完全にイカれてる。最近この手のばっかだけど、話の通じないレベルなら上をいってるねこりゃ」
嫌でも、神宮寺さんの言っている意味が分かってしまう。
殺意や敵意以上に、目の前の子から向けられるものはおぞましい。
もし、快楽殺人者がいるならば、それは彼女のような者のことを言うのかもしれない。
「あ、しまった。これは捨ててっと」
折れた木刀をぽいっとその場に捨てると、女の子は袴の後ろに手を回し、何かを取り出す。
短い刃が、鈍く光る。
短刀、と言えばいいのか、この日本でよく見かけるタイプの刃物でないことは確かだ。
「悪いけど、あなたは楽しめないから、さっさと死んでね」
「クドウくん、側を離れないで」
都心の一角。
助けの望めない昏い街頭で、静かに戦いが始まった。
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剣道着姿の女の子は、驚くほどの低姿勢で距離を詰める。
何よりも驚愕すべきは、その動作の速度。
無駄のない洗練された動きというよりは、まるで狩り慣れた獣を思わせる流れ。
例え、武道の経験者であろうと、人間の枠から外れた運動軌道は驚異となる。
閃く紫電。
地を這うような動きから、掬い上げるようにして振るわれる逆手。
それを、神宮寺さんは地面を短く蹴り上げる、ステップだけで避ける。
「――――!?」
相手の女の子が、短刀を空ぶった瞬間、素早く後方に跳躍し距離を離す。
「……あなた、やっぱりただの人じゃないでしょ」
「さぁね。たまたまじゃない?」
「嘘。ちゃんと見て避けたもの。……私だって、遊びでこれに袖を通してるわけじゃないの」
今のやり取りだけで、女の子は神宮寺さんが、並の相手ではないと見抜いたらしい。
僕からすれば、すごい高度な戦いだ。
神宮寺さんは、あくまで迎撃に専念する。
相手は獣じみた動きで攪乱し、一瞬の隙を見逃さない難敵と考えてだろうか、刃物相手にも関わらず動きは最小限に抑え、迫る凶刃を一つまた一つと避けていく。
しかし、それは相手の女の子も同じなのか。
神宮寺さんの回避行動に順応してきたのか、低く薙ぎ払われた一閃の切っ先が太ももを掠る。
「神宮寺さん!」
思わず後ろで叫ぶ。
しかし、当の本人は僕の声に、背中越しから手をひらひらとさせて「なんともないよ」と、そう答えた。
「……どういう体してるの?」
相手の子は、初めて表情を歪めながら狼狽する。
無理もない。
美小野坂高校の制服――そのスカート部分は、刃の軌道をしっかりと残し、そこから肌の色が見えていた。
つまり、避けたのではなく当たったのは確かなのだ。
だというのに、痛がるそぶりどころか、血の一筋すら流れていない。
「それはこっちの台詞。武器に魔力を込めるなんて芸当、久しぶりに見た。言っておくけど、精度はともかく、魔性を宿す術はそこらで参考書が売ってるような代物じゃない。……そういう証紋か、あるいは誰かからそういう力を付与されない限り、偶然でも扱えるようなものじゃないよ」
「どうして、それをっ」
「今更驚くことじゃないでしょ。さっき自分で言ってたくせに。そう、私は『アンタみたいなのを捕まえるため』にいる人間ってこと」
「……っ!」
女の子は、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。
僕には事の原理は分からないけど、どうやら神宮寺さんに形勢が傾いているようだ。
「ひどい。あなた、意地悪ね。……たかが人殺しくらいで、そんなムキになることないでしょう」
「……はぁ? 冗談にしちゃ質が悪すぎるでしょ。ちょっと、頭イカれ過ぎじゃないの」
「私はただ、殺したいだけなのに。楽しみたいだけなのに。……こんなことなら、ツヨシ君についてきてもらえばよかった」
「さっきから、そのツヨシ君って誰? その人が、あなたを不死にしたの?」
「分からない。でも、ツヨシ君が教えてくれた。全部、彼のおかげよ。私だけじゃない。……みんな、本当の自分を見つけられる」
……本当の自分?
さっきから、この子の発言はどこか……支離滅裂だ。
「嘘くっさー……誰かからって時点で、本当も何もないでしょ」
その違和感は神宮寺さんも同じなのか、重心を低く保ち、いつでも動き出せる姿勢はそのままに、軽く肩を落とす。
「そんな簡単に、自分なんて見つかるワケないよ。目を覚ましたらどう?」
「……あなたに、何が分かるっていうの」
「分かるよ。不死者なら、『自分』とは嫌でも向き合わなきゃならない。それをしないで、まるで貰った玩具で遊ぶみたいなのは、半端者以前。なんとなく想像ついてきた。それ、洗脳の一種でしょ」
「…………」
「可哀相だからもう一度言ってあげる。目を覚ましな。自分なんて他人が教えられるほど、確かなものじゃない。――自分でさえ、見失う時があるんだから」
刹那――――「黙れ!」と逆鱗に触れたように、女の子が駆け出す。
勢い、速度は今までの比ではない。
十メートルはあろう距離が、僅か瞬きの間に半分は走破している。
それを。
神宮寺さんは、正面から光の弾丸で撃ち抜いた。
奔る閃光は三つ。
一つは相手が手にする短刀で斬り払われ、もう一つは身を屈めることで避けられる。
そして――もう一つは、すれ違い様に花火よろしく、炸裂弾にように弾け飛んだ。
閃光と衝撃を意図しない方向から受けた女の子は、突進の勢いも殺され、小さく跳ねながらアスファルトの上に転がる。
「……普通の人なら、こうはならない。あなた、全身から魔力を流して肉体も手にした武器も強化してるでしょ。そして、その魔力はあなたのものじゃない」
「っ……い、いた、い」
「だから何? 骨も折れてなければ、せいぜい擦り傷程度でしょ。運が悪ければ打撲もだけど、威力は抑えたしね」
「う、うっ……いたい、よぉ……ツヨシくぅん」
「はぁ、話す気なし、か。ここまで会話が成立しないのも、珍しいなぁ。……ごめん、クドウくん。ちょっと先輩に電話で報告してくれない?」
急にふられ、「へ?」と間抜けな声を出してしまう。
「貴重な情報源だし、身柄を確保したいから応援要請ってやつ。本舎の待機組よりも先輩の方が、足も速いしね」
「あ……そ、そっか、うん! 待ってて、今電話するから」
そうだ。神宮寺さんは、僕っていうハンデも負ってるんだ。
前だってちゃんと相手を観察しろって言われてたのに、戦いぶりに目を奪われててどうする。
急いで携帯電話を取り出すと、電話帳から「麗華さん」の名前を選ぶ。
呼び出し中の聞き慣れた電子音が続く中――。
「ここまでか。やはり馴染むには相応の時間が必要だな」
――第三の声が、黒い空から降り注いだ。




