幕間 剣士
「不思議な少年だったな」
オレは、柄にもなくつい数時間前の事を思い返していた。
久遠家の親戚と聞くが、その心根にはまるで不死者らしさがない。
時折見せる弱々しさというか、腰の引けた立ち振る舞いは気になるが、性格と言ってしまえばそれまでなのかもしれない――そう、感じる程度だった。
分家筋であれば不死ではない可能性もあるが、それは四月に起こった校舎での一件で、既に否定されている。
久遠の当主はともかく、神宮寺も懇意にしているとは――と興味があったが、実に朧気ながらも分かる気はした。
久遠満は、暖かな人物だったのだ。
一般論で言えば、それは優しいと評価されるものだろう。
決して悪いわけではないが、特筆するほどの特徴ではない。
だと言うのに、あの甘味処での食事中、久遠と神宮寺――その二人は、得難い幸せを噛み締めるような表情をしていた。
それが、彼の証紋なのかどうかは分からないが、全く心当たりがないわけでもない。
「……やはり、不死には沁みるのかもしれんなぁ」
系譜の一族は、臨死を経て証紋に目覚める者とは、違う痕を抱えている。
遺伝による証紋であれば、臨死を経ずとも不死者と成るが、その予後は決して楽なものではない。
詳細を知るわけではないが、久遠家も神宮寺家も「不死者としての力量を突き詰めてきた」一族だ。
雲月の家もそうだが、この手の類いは始まりから外れている。
ふと、夜警の範囲である街並みを、中央区と他を結ぶ橋の上から眺めた。
定まらない焦点は、遠い記憶を覗き見るようだ。
「――――」
不死者と言えど、所詮は人の子。
証紋を鍛錬すればするほど、その有り様は次第に人間の輪郭を崩していく。
時折、自分は何の為にそうしているのか、分からなくなる。
生きる苦しさと死ぬ恐ろしさに耐えきれず、最後の手段として証紋に目覚めた者らとは違う、先の見えない疎外感。
生まれた時から証紋という機能を持つ者らにとって、「必要でも望んだわけでもない、身体の一部」は、あまりにおぞましいモノと感じてもおかしくはない。
かつて、一人の少年がそうだったように。
生まれながらにして異能を持つというのは、他者が思うほど当人にとっても自然ではないのである。
故に、不死者の多くはその心に影を落として生きていく。
どうにか自分という形を保ちながら、一日一日を生き存えていくのだ。
「……まったく、まこと忌々しい力だ」
オレは掌に視線を落とし、更に遠い出来事を見返す。
――少年は、ひたすら、竹刀を振り続けた。
――そうすればいつか、自分も人間に戻れるのだと信じて。
馬鹿な考えだ。
幼くて、思慮に欠けた、夢のような想いの残骸。
彼の暖かさに触れたが故に思い出した、命を振り絞るような幼少期。
「――――」
頭を振り、迷いを払う。
――突然ではあるが、雲月賢史は剣士である。
証紋の名を「剣士」。
その名の通り、オレはそういう生き方を定められた上で、母親の股から取り上げられた。
雲月の家が代々鍛え上げてきた――不死殺しの一人として。
「道を違えれば、その時は斬り合う運命だと言うのにな」
故に、あのような出来事は極力避けるべき、と生きてきたのだが。
気の迷いで割って入ったことを、オレは今になって後悔し始めていた。
甘味処での時間は、どうにもオレには綺麗過ぎる。
まるで、本当の不死が太陽に焼かれるような眩しさと痛みが、あそこには在った。
尊いまでの、奇跡のような時間が、確かに。
だからだろう。
所詮は殺しの業しか振るえない自分が、ひどく惨めに思えたのは。
「…………」
そのせいか、珍しく夜警にも身が入らない。
彼らと別れた後、家にも戻らず、通学鞄と傘一本でオレは行く当てのない犬のように、こうして鉄橋の上から街並みを見下ろしている。
煌びやかな街。命行き交う、人々の世界。
時代遅れの剣士など、どこに居場所があろうか。
そんなオレは、傍から見ればどんな風に見えていたのだろう。
まるで、そんな疑問を持たずにはいられないかのように――。
「おいおい、嘘だろおい。どうしちまったんだよ、アンタ」
――愕然とした男の声に、オレはその方向へ振り向きながら、重心を低く落とした。
「誰だ」
短く問うが、そんな自身の問いかけすら頭から抜け落ちるほど、その男の姿はおかしかった。
侍――そこには、甲冑と具足で身を固めた侍がいる。
右手には一刀。
それだけならば、百歩譲って仮装とも思えるが、刃を伝う朱を視認してはそれも難しい。
近くで悲鳴があがった様子もなければ、夜風に乗って血臭が鼻をつくこともない。
何処か別の場所で、この侍は人を斬ってきたのだろうか。
「不死者か。辻斬りにしては、少し猟奇が過ぎるな」
「辻斬りじゃねぇよ。きちんと、一騎打ちを申し込んで殺ったからな。最初は合わせて、竹刀でやってやったんだぜ。利き腕の骨を折ってやったら泣いて逃げ出して、右足の皿を割ってやったら泣いて謝りやがった」
鬼の面にも見える戦兜を揺らしながら、男は吐き捨てるように続けた。
「――武士の心得もねぇ。潔く死ぬってんなら、介錯の一つもしてやったんだがな。あれじゃあ、気の毒を通り越して間抜けだぜ」
哀れな犠牲者が、無様な姿を晒したことが余程腹に据えかねたのだろう。
侍との関係性は不明だが、竹刀で、と聞くに。
その犠牲者は、もしかすると剣術の心得があったのかもしれない。
「やっと身体も温まって調子が上がって来たと思ったら、アンタが目についてさ。……それが何だよ、腑抜けになっちまいやがって。とんだ無駄足だ」
「……生憎と、殺人鬼に知り合いはいない」
「あ? ――あー……そうか。そりゃそうか、うん。アンタが俺を覚えてるワケがねぇもんな。納得」
侍は頷き、踵を返す。
「じゃ、今日は帰るわ。全力のアンタじゃないと、殺す意味がない」
なるほど、それは助かる、と無言でオレは頷き。
「――――」
地面を蹴り上げ、十メートル程を瞬きほどの間で零にする。
安いビニール傘だが、先端だけは無駄に鋭い。
斬りでも払いでもなく、運動エネルギーと体重を掛け合わせた、突貫力を乗せて無防備な背を息吹と共に貫く。
――反して、両者の間に散ったのは血の華でも、命でもなく、小さな火花だった。
「――なんだ、ちゃんとやれんじゃん」
あっさりとオレの奇襲に対応して見せた侍は、その場で腰を落とし、下段に刀を構える。
弾かれたオレもすぐさま体勢を整え、ビニール傘を持つ手を引き絞った状態で構え直した。
「いいね。傘一本の癖に、ちゃんと自分が殺されるイメージが沸く。やっぱ、アンタすげぇよ――雲月賢史」
こいつ、オレを知っている。
可能性を脳裏で逡巡するが、思い当たる顔はない。
「だから、やっぱダメだな。傘相手に真剣じゃあ、勝っても格好がつかねぇ。その気なところ悪いけどさ、今日はやめだやめ」
「逃がすと思うか」
「いや? じゃあ逆に聞くけどよ――――俺を、ここで仕留められんのか、アンタ」
その問いは、オレが正体不明の侍を明確な敵と認識するに、十分過ぎるものだった。
たったの一合。
先ほどの刹那だけで、この不死者は互いの力量差の大半を見分けている。
「……何者だ、と聞いて答える程、馬鹿ではないか」
隙は生まぬよう、しかしせめて僅かな情報だけでも、と口にするが。
「いや、俺は馬鹿だぜ。でなきゃ、十年近くも無駄にしない。ホンット、ガキの頃の自分に言い聞かせてやりたいね」
「……なに?」
「あぁ、いや、個人的な身の上話。悪い悪い……で、俺が誰かって話か」
そんなことでいいのか、安いねアンタ――などという台詞が聞こえてきそうなど、件の侍はあっさりとその兜を脱ぐ。
その鋼の下から現れたのは――――。
――――おい、ウヅキ。アンタ、また負けたのかよ――――
――――淡い誓い。脆くも確かな日々を重ねた、誰かの面影を残していた。
焦げ茶の短髪に、右頬にだけ横一文字に傷を奔らせた顔は、見覚えのある人物。
しかし、だからこそ、彼が抜き身の刀を片手に、目の前にいる理由が分からなかった。
「ま、さすがに実物を見れば思い出すか」
「……馬鹿な、どうして」
「――はぁ、アンタさ、昔っから変わらねぇな。他人の話聞かねぇし。まぁ、いいけど。俺はどうしてアンタなんかと友達やれてたのかね」
やれやれ、と肩を竦めて侍は再び背を向ける。
「まぁ、また時が来たら会おうぜ。その時は、全力でアンタと殺れたら最高だね」
今のオレに追うだけの準備も、覚悟もない。
不思議と人通りのない鉄橋の上、闇に消える侍の背を見送り、止まっていた何かが動き出すのを予感する。
「……一体、何が起こっている」
ぬるい風が、汗のせいか嫌に冷たく感じた。
頬を撫でるそれは、まるで獲物を誘う怪物の舌のようだった。




