雲月賢史
平日。昼休みで賑わう校舎を離れ、僕はお弁当を片手に校庭へ繰り出していた。
というのも。
「いい天気だなぁ」
そりゃもう、見渡す限りの青。
心地よい風に強すぎない陽射しとくれば、校庭はお誂え向きの場所に早変わりである。
まぁ、早い話がお昼を外で食べてみようか、ということだった。
周囲を見渡してみると、同じような考えの生徒の姿がちらほらとある。
それでも、校舎に比べれば集団の規模はかなり小さい。
一人で静かに食べている人もいれば、二人か三人で昼食を楽しむ光景もあった。
正直なところ、目立ちやしないかと不安だったが、これなら取り越し苦労に終わりそうで何よりだ。
「何処で食べようかな」
朝食の残りが綺麗に詰められたお弁当を片手に、僕は少しばかり校庭を散策する。
中心部から少し離れた場所に、丁度よさそうなベンチを見つけ、そこに腰を下ろした。
僕の昼休みはある程度パターン化されており、自クラスで食べるか、神宮寺さんの襲来によって屋上で食べるか、の二択である。
屋上の場合は、高確率で麗華さんも一緒だ。
今日は五分ほどしても神宮寺さんが姿を現わさなかったので、こうして一人気ままなお昼を楽しんでいるというわけである。
「いただきます」
小さく手を合わせて、膝の上に広げたお弁当に舌鼓を打つ。
今日のメニューは、タコさんウィンナーにアスパラベーコン、茹でたブロッコリーにミニトマトと、シンプルながら彩り鮮やかな仕上がりだ。
朝食の残りと侮るなかれ。
シンプルであろうとも、抜群の盛り付けセンスで魅せるのが、美小野坂高校が誇る完璧超人、久遠麗華なのである。
「僕じゃあ、こうはならないなぁ」
穏やかな食事時間は貴重であり、楽しみの一つだ。
クラスで食べるのも悪くはないのだが、席が近いクラスメイト達からはいい話のタネとして、それはもう注目の的である。
最初の頃なんて、あの久遠麗華にお弁当を作ってもらっている、というだけで学校中からギャラリーが集まるという珍事が発生してしまった。
最終的には、黒木先生が収拾をつけてくれたけど、麗華さんのネームバリューというか、もはやトップアイドルばりの存在感には驚きを通り越して、細心の注意が必要なのだと学んだ一件だ。
お弁当自体はさして時間はかからず食べ終わるものの、食後の余韻はまだ続く。
ふと、人とは難しい生き物だなぁ、と達観した老人みたいな考えが浮かび上がった。
誰もいない。そんな孤独に身をやつす一方で。
一人になりたい。そんな穏やかさに焦がれてもしまう。
せめて、どちらか一方に振り切れて生きることが出来たなら、それはそれで幸福なことだろうと思えるほどに。
「でも、やっぱり難しいや」
おそらく、僕が今、心中で考えている事は答えのない話だ。
同じ人間でも、人生のタイミングやその日の体調でさえ、正解が変化してしまう。
これが他人となれば、もはや答えがある前提で考えること自体が過ちである。
だから、考えるだけでいい。
ふと、降って沸いた内容だったな、と思うだけで十分なのである。
「――――お、今日は取り巻きいねぇじゃん、めずらしー」
故に、僕はどこかで聞き覚えのある不穏な口調と足音達に、一人になったことを後悔し始めるのだった。
「よーぅ、久しぶり、一年坊」
いつぞやの四人組と、まさかこんな形で再会しようとは。
まぁ同じ高校の生徒と考えれば可笑しな偶然でもないのだが、二度目があると三度目もありそうで実に不穏である。
「……お、お久しぶりです、先輩方」
一応、それっぽく挨拶をしてみるが、四人の内、三人の表情に苛立ちが浮かんだのが分かった。
うん、これは大失敗です。
「余裕じゃん、クドウミツル君。いいよなぁ、学校じゃ噂だらけで、嫌でも耳に入ってくるよ。……神宮寺のトコとも、えらい仲良いんだってな、オマエ」
「……」
四人の内の一人――茶髪を少し長めに伸ばした二年生が、値踏みするような目を向けながら歩み寄ってくる。
「すげぇよ、あの格闘王も落としちゃうなんてよ。……で、なんで俺らがオマエに突っかかるか分かる?」
勘違いをされているのは、分かった。
分かったけど、それを指摘できるほどの余裕が、残念ながら僕とこの人との間にはない。
一触即発――というやつだ。
問題なのは、それならお互いに距離を置けばいいのだが、向こうから寄ってくる以上、即発が避けられないという点だった。
「……目障り、ですか?」
「へぇ、意外とちゃんとした答えじゃんか。ま、割と正解だわ、うん。……正直よ、面白くねぇんだわ」
……僕も、その人の反応は意外だった。
苛立ちはあるものの、僕の返答が自分の望んだものだったのか、陰険というよりはスッキリとして明確な敵意に変わっていたのだ。
「そういうヤツ、意外と多いと思うぜ。今まで人間に興味ねぇんじゃねぇのかって言われてたのが、急に人間らしい面見せたら、そりゃそんな顔させる相手も気になるだろ、普通。どんなヤロウだってよ」
「ま……まぁ、はい」
強くは言い返せない。
名前も知らない上級生だけど、言っている事の筋道は明解だからだ。
「そしたらどうよ。なんてこたぁねぇ、チビでビビりなヤツだった。……そりゃあ、腹の虫が治まらねぇよなぁ?」
なんで、久遠満なんだ、という目つきを、この人は隠そうとしない。
……きっと、この人の言うことは本当だと思う。
クラスでも、絶対に僕と口を利こうとしない人がいるのは、知っているからだ。
なんらかの腹いせだというのは、それとなく想像はついていた。
「……久遠先輩のこと、好きなんですか?」
「――――あ?」
ふと口を滑らせたことを、後悔する。
胸ぐらを掴まれ、膝の上に置いていた弁当が石畳の上に転がった。
幸い食べ終わって包みに片した後だったからよかったが、こうなるといよいよ自分の身を心配しなければならない。
「おいおい、マサキ。一年に図星つかれてんじゃん」
「うるっせぇ! ――くそ、舐めてんじゃねぇぞ、オマエ」
後ろから飛ぶヤジに、マサキと呼ばれた上級生は怒りの色を濃くしていく。
我ながら迂闊だったと後悔するも、既に手遅れ。
ギリギリと首元を締め上げられていき、小柄な僕では体格差という意味でも、その拘束から逃れるのは至難を極める。
「っ……ご、ごめ、なさ――――」
謝罪の言葉さえ、うまく言えない。
ふと胸元が一瞬解放されたかと思うと、視線の先には拳を引く動作が映った。
――殴られる。
反射的に目を瞑り、歯を食いしばる。
来たるべき衝撃と痛みに震えながらも覚悟していたその時だった。
「――――止めておけ、先輩方」
止めに入った声が一つ、えらく聞き慣れない響きを以て、割って入る。
「ここは学び舎。暴力の類いは、些か度が過ぎているぞ」
「……んだぁ、コイツ?」
声の方へ全員が視線を向けると、そこには一人の男子生徒が立っていた。
背格好は一般的だが、特徴的なのは鋭い切れ長の目。
無言で睨み付けられたら、大の大人でも怯むのでは、という鋭利さが真っ先に飛び込んでくる。
「一年、雲月賢史。年嵩であれば、拳を振り上げる前に、言の葉で諭しては如何か」
「……は? 一年がでしゃばんな、怪我するぞ」
お前に用はない、とばかりに上級生――マサキ先輩は威嚇する。
思わぬ横槍に、他の三人も警戒の色を強めていた。
「怪我、か。……うむ、よかろう。では、多少の怪我は承知する故、その少年を解放はしてもらえないか」
「俺に指図するんじゃねぇよ、大体なんだ、オマエ。時代劇か何かの見過ぎか?」
「的外れ、というほどではないな。時代劇は良い。あれは、この国の歴史を写すものだ。誇るべき文化と言えるな」
一人、納得したように頷く来訪者を、残る三人が距離を詰めて圧をかける。
「一人の癖に、余裕じゃん、お前」
「先輩方、あまり距離は詰めない方がいい」
気がつかなかったが、彼は手に何かを持っていたらしい。
ひゅおん、と風を切る音を立てて、その切っ先が三人の内の一人に、ぴたりと狙いを定めたように向けられる。
よく見れば、それはビニール傘だった。
「此方は得物持参だ。四人相手となると、加減も難しい。おまけに、大義名分はこちらにあり。……勝てば官軍と言うが、さて――どう出る」
まるで、これから斬り合いにでも臨むかのような威圧。
最後の一言を皮切りに、彼――雲月君の目つきが、素人目にも変わるのが分かったはずだ。
ただのはったりではない。
踏み出せば、容赦はせぬ、と。
無言で伝わるほどの雰囲気を、彼は誤魔化すことなく放っている。
「……おい、マサキ」
三人の一人が、校舎の方へ目配せをする。
どうやら、廊下を通りがかった生徒達が、不穏な空気を察知して集まってきたらしい。
こうなると上級生の判断は早い。
僕とは別の意味合いで目立つことを嫌う立場にあるのだろう。
あっさりと僕を解放すると、四人はそそくさとその場から離れていった。
「災難だったな、久遠の」
彼らの後ろ姿が校庭から消える頃、僕の傍まで来た雲月君が、その手に転がったお弁当を持っていた。
慌てて受け取り、頭を下げる。
「あ、ありがとうございますっ」
「うむ、良い良い。何であれ、五体満足手傷もなし。これ以上はない十分な成果だ」
顔を上げて見れば、つい先ほどまでの殺気にも似た雰囲気はどこへやら。
僕がぽかんとしていると、こちらの状況を察したのか、改めて自己紹介をしてくれる。
「同じ一年の雲月賢史だ。組はB。君の噂はこちらの耳にも届いているぞ、久遠の」
「……えっと、そう、なんだ。僕は久遠満。C組……って、言うのはもう知ってるのかな、その感じだと」
「仔細、承知している」
仔細まで承知しているんだ……。
まぁ、僕の噂自体はもとより、初日から注目されるような登校をしてしまったし、こればかりはそういうものと割り切るほかない。
「しかしまぁ、なんだ。……本家当主の傘下とは、想像以上に気苦労の多いものだな。オレであれば、二度目は斬って捨てる。自然、彼奴等に次はないが」
「わわ、そんな物騒なっ。さすがに、それはやり過ぎだよ」
今時、斬って捨てるなんて、それこそ時代劇の中だけだろう。
僕が言葉通りに受け取ったのが面白かったのか、とても同い年とは思えない程に落ち着いた物腰の雲月君は、「はっはっはっ」とこれまた侍みたいな笑いを浮かべた。
「何、ああいった手合いには良い薬だ」
豪快、というよりは掴み所のない風のように語り、雲月君はくるりと踵を返す。
「ではな、久遠の。当主殿に宜しく伝えてくれ」
「あ、ま、待って! せめて何か、お礼させてよ」
呼び止めると、僕の提案が思わぬものだったのか、彼は向き直り、ビニール傘を肩にかける。
「あの程度の露払いであれば、礼に及ばん。校庭の木々で昼寝と洒落込むのが好み故、助太刀致した次第。目も耳も届かぬとあれば助けようもないが、眼下となれば逆に見過ごすのも不作法。もとい、剣士の名が廃るというものよ」
……返答よりも、その口調に絶句する。
古風なのもそうだけど、あまりにも板に付きすぎていて、ブレザー姿が何かの冗談にすら思えてくるほどだ。
がしかし、ここで臆せば、せっかくの恩人に何の恩も返せぬまま終わってしまう。
「じゃ、じゃあ、善意と思って……その、放課後に何かお礼させてください。例えば、甘いもの奢ったり、とか」
初対面で、おまけに学生となれば、お礼と言ってもそのくらいが限度だ。
あんまり高価になれば資本が足りないのは当然として、受け取る側も身構えてしまうだろうし。
当の雲月君は、「むむっ」と表情に真剣さが差し込んでいた。
「甘味処か。……悪くない。些か、オレの家では茶請けに偏りがある」
「かたより?」
「久遠の。口は堅い方かな?」
聞かれ、即答はせずに数秒、腕を組んで考える。
うん、おそらくは堅い方だ。
少なくとも、不死者のことや麗華さん、神宮寺さんに迷惑をかけるような口の滑らせ方はしていない……はず。
「たぶん、大丈夫だと思う」
「うむ、そのようだ。拍子抜けするだろうが、今の覚悟は有難い」
雲月君はそう言い、「では放課後に。寄ってみたい店がある」と。
それだけを残し、今度こそその場を去ってしまった。




