アライバルエンド2
「先ほどの霊薬――さては、羽の薬だな? 通りで足音が軽いわけだ」
戦いの始点だった、グラウンドに着地した後、シェオル・ネハ・レイシュラムは私が飲んだ霊薬を見事に当てて見せた。
悔しいが、正解だ。
いずれバレるとは覚悟していたが、三階部分からあの不安定な体勢で落ちながら、この滞空時間と着地では仕方がない。
そう、私が飲んだ霊薬は、一定時間体重と重力を軽くするもの。
今、私は推定五キログラム以下の重さしかない。
当然動きは素早くなるし、跳躍距離も滞空時間もあがる。
半面、物理的な打撃はその分軽くなってしまうし、何よりもこの霊薬には反動がある。
軽くなる分、効果が切れると逆に重くなってしまうのだ。
そうなれば、私の場合は詰み。そこで、ゲームオーバーだ。
「私も今気づいた・・・・・・あんた、魔法学園に所属してたくせに、錬金分野の方にのめり込んでたでしょ」
「正解だ、不死者。なに、私からすればそう大差はない。ただ、元素を使うか、原子を使うかの違いだけだ」
あぁ、こいつ多分天才タイプだな、と私は心中でうんざりする。
こういう手合いはなまじ脳みそが優秀なだけに、他の部分で馬鹿になっている場合がある。
神は二物を与えず、とはよく言ったものだ。
(・・・・・・さて、どうするか。霊薬の効果は持って数分。活動限界は体感で二分ってとこかな)
思考を全力で廻す。
それだけで、額から汗がつぅ、と伝っていくのが分かった。
果たして、あの怪物をたった一人でどうこうできるのか。
同じ不死者と言えど、辿ってきた経緯はまるで違う。
あれは恵まれなかった側の人間で、その中でも力があったが故に、血生臭い環境を生き抜いてきたタイプだ。
訓練で性能を高めてきた私や先輩とは違い、実戦で能力を培ってきた叩き上げの怪物。
アライバルエンドの名称は伊達ではない。
(奥の手はある。けど・・・・・・)
私は二の足を踏む。
神宮寺薫における奥の手は、使えば後が無い。
条件も悪い上、証紋の相性も悪い。
私の不死としての力は、「破魔」の属性を操るものだ。
けれど、あのシェオルという怪物は、見た目だけ歪んでいるものの魔性と呼ぶには程遠い。
信じ難いが・・・・・・彼女は確かに、人間としての部分が大半を占めている。
あれは魔道に狂っているのではなく、精神が壊れた狂人ということだ。
最初に遭遇した時には無かった属性を、今の彼女は有している。
「何やら秘策がある顔だな」
「まぁね。あんたがやられてくれるっていうなら、それも必要ないんだけど」
「いや? だが、私も一つ、隠し球がある」
此処まで来て、出し惜しみもつまらんからな――と。
シェオルは六本の腕を互いに合わせるような格好を取る。
それは・・・・・・まるで、人が像などで造る、神のような姿に似ていた。
「さぁ――驚け。思う存分な」
巨人が嗤う。
すると、合掌していた手が赤い靄みたいなものを纏い始める。
そこからは、一呼吸の出来事だった。
六本の腕を大きく開くと、そのまま私に向かって直進してくる。
霊薬の効果があるとはいえ、その速度は肉薄を許してしまうほどのもの。
おそらく、ドーピングがなければ反応すら難しいほどの全速力。
そこで、私は一つ、判断を誤った。
思わず、右に大きく跳躍をしてしまう。
羽の薬の効果で軽い分、跳躍距離と滞空時間は延びるが、空中での動きは決して速くはない。
先ほどは壁や天井があったからこそ、蹴り上げる初速で翻弄出来ていただけだったのだ。
ひたり、と青白い掌が私の足首を掴む。
「――――っ!?」
痛みはない。苦しみもない。
ただ、全身の力が抜けていくような、視界が黒く暗転するような感覚に、息も忘れる。
言葉はなく、ただ奥歯を強く噛んで意識を保ち、懐から取り出した符で閃光を掴まれている足首へ飛ばす。
すると、バチィと火花が散るような音と共に、身体の自由が戻るのを感じた。
「はぁっ! ――はぁ、はっ――はぁっ!」
あれは、魔的な力だ。
破魔の威力に感触がある。
だが――――。
「ほぅ、逃れたか。では、次は何秒持つかな」
――――あれに、二度耐えるのは無理だ。
「今、の――は」
「なに、これが私の証紋だ。魂に触れ、取り出したり、あるいは移し入れたり出来る。学園では『魂喰い』という呼び名があったが、私からすれば馬鹿馬鹿しい。私は魂など喰わん。取り出し、貯蔵するのがやっとだ」
「バカ、それだけで・・・・・・っ、十分だっての!」
そもそも、無形に触れる触覚を持つこと自体が希有なのだ。
それを、まるでモノみたいに取り出し、移し替えるなど、それこそ神の業である。
魔法学園が欲しがる理由だけは、何よりも強く理解出来た。
そこで、私は自分の終わりを悟る。
「――――くそっ、時間切れ・・・・・・っ」
全身がまるで鉛のように重たくなる。
想像以上に時間を消費してしまったようで、霊薬の反動が来てしまった。
クドウくんからこの怪物を離すことは出来たものの、それだけ。
相手に手傷らしい手傷は与えられず、神宮寺薫はここで敗北する。
(ごめ、ん・・・・・・ふたり、とも)
心中で謝りながら、私にトドメを刺しに歩み寄る巨人を睨み付けた。
今の私に出来る反撃は、これが精一杯だ。
シェオルの手が伸びる。
「失礼」
その腕を、上から降ってきた久遠先輩が踏み抜いた。
六本の内の一本がひしゃげ、その主が声をあげる。
「久遠、先輩――っ!」
「間一髪ね。・・・・・・ゲホッ、ゴホッ・・・・・・まぁ、私も見ての通りだけど」
振り向かなくとも、背中を丸めて咳き込む姿で、どこかを痛めているのが分かる。
ただ、それでも命を繋いだ感覚が、私を奮い立たせた。
脱力しかかっていた手足に活を入れ、ふらつきながらもなんとか立ち上がる。
走る条件も走る力も残ってはいないが、立つだけならば辛うじて形に出来た。
「今の、貸しにしといてくださいね」
「えぇ、もちろん。ロワ・クレープの新作でどうかしら」
あぁ、それはいい考えだ。さすが、先輩。
甘い物好きの女子の間では知らぬ者のいない、超有名店の新作となれば、喜んで奢らせて頂こう。
いや本当に、あそこのクレープ、めちゃくちゃ美味しいんだよね。
「大人しく寝ていれば、楽に死ねたものを」
シェオルは、赤く濁る双眸をわなわなと震わせ、私達を睨み据える。
二人揃って往生際が悪いのが癪に障るのか、今度は油断らしい油断は期待出来そうになかった。
「先輩、あの手、気をつけてください。魂を持ってかれますから」
「物騒なお手々だこと。嫌になるわね、まったく」
「ですね。赤い靄がかかってる部分は、私の証紋の領分です。極力撃ち落とすんで、決定打はお願いしていいですか」
「ま、そうなるでしょうね。こっちも身体は温まってるわ。おかげで、全霊だと二撃が限界よ」
「ん~、痺れる回数ですねぇ、それ」
お互い、前衛と後衛に別れながら、軽口を叩き合う。
先輩も傷は決して浅くない。
二撃――とは言うが、おそらくは一撃が限界だ。
後先を考えなければ、死ぬ気でもう一撃、というところだろう。
「安心しろ。その肉体は貴重な材料だ。魂だけ抜き取って、すぐに抜け殻にしてやる」
遊びは終わりだ、と怪物が残された五本の腕を広げる。
さぁ、泣いて笑っても、これが最後の一合だ。
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「クドウ君、貴方は逃げなさい」
意識を取り戻した麗華さんは、久遠満にそう告げると、三階から運動場へと飛び降りていった。
それは、勝利を絶対と約束出来ない、現状を物語った台詞だ。
僕は、息を切らしながらも階段を駆け下りている。
一刻も早く、ここを離れなければならない。
僕では、あんな怪物の相手など、到底無理に決まっている。
逃げるなら、ここが最後のチャンスだ。
おそらくはもう、二度とないであろう絶好の機会である。
――そう、頭では分かっているのに、どうしてか身体は言うことを聞かなかった。
恐ろしい。怖い。逃げたい。
そんな気持ちは確かに胸中で渦巻いているのに、実行に移すだけの勇気がない。
僕は、自分が何の役にも立たないと分かっていても、一人逃げることは出来ないと校舎を駆ける。
外で、戦いの音が聞こえた。
麗華さんと神宮寺さんは、戦っているんだ。
あの、途方もない怪物と。
あの、狂気のヒトと。
出会って、ほんの少ししか経っていない僕なんかの為に。
(どうして――どうして――――)
彼女達は、あんなにも強いのだろうか。
その答えを知りたくて、まだこんなところで終わりたくなくて、一階まで下りきったところで、滑りそうになりながらも体勢を立て直し、昇降口へひた走る。
外へ飛び出し、広い運動場で繰り広げられる死闘を、その目でしっかりと受け止める。
「――――」
二人は、劣勢と見ていいのだろうか。
最初と同じ、前衛は麗華さんが、後衛は神宮寺さんが。
違う点は、二人とも目に見えて動きが悪いこと。
おそらく、神宮寺さんも何らかの手傷を負ってしまっているのだろう。
加えて、巨躯の怪物――シェオルの掌が赤い靄のようなものを纏っている。
それは相当マズいものなのか、麗華さんは戦いづらそうに表情を歪めながら、紙一重で迫る腕を避け、避けきれないものを神宮寺さんの光の弾丸が弾き返す。
それは、さながら伝説の一幕のようだった。
圧倒的な怪物を前に、人間は諦めない。
万難を排して挑み、それでも尚、必敗の定めを抱えた一戦。
始めから勝ちのない戦い。
だとしても――人間は、一縷にも満たない奇跡を信じて怪物へ挑んだのではないか。
「――――」
確証などない。
どうして、そんなことを思うのかも、分からない。
それでも、どうしてか、そう――――。
「――――先輩、ダメ!!」
神宮寺さんの悲鳴があがる。
麗華さんは重心を低く、シェオルの腹部に深く踏み込んだ上での拳を放つ。
当然、それは必殺必中を狙ってのものだ。
だから、怪物はそれを受け、にやり、と口の端を吊り上げた。
生命力が、違い過ぎるんだ。
例え手傷を負ったとしても、あの手に捕らえられてしまえば、それで雌雄が決する。
「――――っ!?」
シェオルの腕一つが、麗華さんの細い首を掴み上げた。
苦悶の表情を浮かべながらも、何度か足での反撃を試みるが、怪物にはかすり傷にもならない。
みるみる内に、麗華さんの動きが弱まり、次第に足はだらんと完全に動きを止めてしまう。
「先ぱ――――」
「おっと、動くな、不死者。このまま抜け殻にしてもいいが、首をへし折ってもいいぞ。首から上が無事な身体は、まだ『二つ』あるからな」
シェオルはそう言うと、その赤い瞳を僕へ向ける。
「クドウくん! どうして――逃げて、早く!!」
神宮寺さんの叫びに、怪物は高く嗤う。
「さぁ、どうする? どんな死に方を望む? 私は神だ。神の真似事をする、人間だ。最期の望みを聞こうじゃないか」
「この・・・・・・外道っ!」
完全に手詰まりとなった神宮寺さんは、今までに見たこともないくらい、苦しそうな顔で、今にも泣き出しそうな顔で、動けないでいる。
麗華さんは、首を鷲掴むシェオルの手を引き剥がそうと抵抗するが、ほとんど意味を成していない。
「さぁ、お前達の願いを聞かせてくれ! 私を、神に――してくれ!!」
――――どくん、と心臓が強く鳴った。
――――ぶるり、と脳が強く震えた。
何も、僕は分からない。
理由なんて、知るわけがない。
でも。
「お前は、ダメだ」
そう、思った。
お前は、世界の敵だ、と。
「え、うそ――バカ! 来ちゃダメだって――!!」
ごめん、神宮寺さん。
「は、ははははは! そうか、お前から死に――――」
怪物の顔から、嗤いが消えた。
軌道は直線。
余裕はない。
最短距離を、最速で走り抜ける。
僕からアイツまでの距離は、目測で約五十メートル。
それを、二秒で駆け抜け、怪物の懐に肉薄する。
殴り方は知らない。
ただ、拳を強く引き、思い切り放つだけだ。
「なんだ――なんだ、その魂のカタチは――!?」
下手に急所は狙わない。
そんな時間も、精細さも、技術も僕にはない。
単純な右腕の拳打。
それは鏃を思わせる鋭さで、怪物の腹部を突き刺す。
「――――ガッ!?」
初めて、その巨体が大きく折れた。
実際の衝撃は如何ほどか。
麗華さんを苦しめていた手は彼女を離し、今まで僅かな後退が限界だった足元は、大きく崩れる。
間髪を入れず、今度は逆の拳を顔面めがけて繰り出す。
「――――!?!?」
声に鳴らない叫びをあげ、片膝を折った状態からシェオルはもんどりを打つ。
しかし、それでも完全には倒れなかった。
ギリギリで踏みとどまり、獣の咆哮と共に五本の腕が動き出す。
僕を捕えようと一切の防御を考えず、ただこの身一点を狙って死が迫る。
「させるか!」
それを、神宮寺さんの閃光の弾丸が悉く撃ち払った。
僕の拳撃は効果があったのか、口から血を流しながら、シェオルは怒号を飛ばす。
「この――ガキがぁぁぁあ!!」
手から、赤い靄が消えた。
これでは自分の攻撃は無効化されると悟ったのだろう。
怪物然とした大きな眼を見開き、必至の形相でシェオルは僕を捕えに掛かる。
「クドウくん!」
僕の背に、神宮寺さんの声が向けられた。
だが、僕に避けるだけの猶予はない。
第一――僕は、彼女達をここまでボロボロにした、コイツを許せない。
余程追い込まれているのだろう。
シェオルは、今まで物騒な見た目でありながら、一度として攻撃に使ってはいなかった、その乱杭歯を僕に向ける。
大きな顎門が開く。
僕は二本の腕で鷲掴みにされ、両腕は拘束されていた。
背中を反らし、一度自分の顔を引く。
腕が動かないから、なんだ。
それが、どうしたって言う――――!
「――――ギ」
噛みつこうとしたその相貌に、思い切り頭突きを食らわせた。
別段、石頭だった覚えはない。
けど、額を通じて骨と肉のひしゃげる感覚が分かった。
「ギャァアアアアアアアア!!」
鋭い歯の一部が折れ、怪物は痛覚があるのか、その痛みに喉を震わせる。
だが、それでも僕を拘束する腕の怪力は緩まない。
まるで、この手の力を抜いた時が自らの死だとでも言うように。
その判断自体はおそらく、決して間違いではなかっただろう。
「獲った」
――決定打を持つのが、僕一人だったならば。
声はシェオルの背後から。
間髪を入れず、怪物の巨体が短く微動する。
その光景は、奇妙だった。
胸部から、小さな手が生えている。
それが、背中から心臓めがけて串刺しにする貫手だと理解するのに、僕は数秒を要する。
「驚いたわ。貴女、死んでいるわけではなかったのね」
故に、殺せた。
先入観で生きた身体を捨てた、不死身の怪物だと思っていたがそうではない。
今まで、僕らが戦っていた青白い巨人は、それでも確かに人の身だったのである。
万力を思わせる拘束が緩み、致命傷となった腕が引き抜かれると、シェオルはそのまま横に崩れ落ちた。




