アライバルエンド
何が起こっているのか、僕にはさっぱり分からなかった。
死霊術師の男は倒したのに、使役していたはずの巨人は動いている。
踊り場から姿を現わしたと思えば、そのまま麗華さんを殴り飛ばし、彼女は長い廊下の一番奥まで吹き飛んでしまった。
倒れ伏したまま動かないところを見ると、生死さえ確認出来ない。
「よくも、私を人間に戻してくれたな」
その巨人は、血溜まりに倒れる術師から僕らへ向き直ると、隠すまでもなく殺気を漲らせた。
「人間? 冗談キツいね・・・・・・そのナリで言う?」
「無論。肉体が多少歪んでいようと、この心は人間に相応しいものだ。尤も、お前らの死生観では理解が出来んだろうがな」
「あーはいはい――ホント、怪物に限ってそう言うんだよね」
巨人は一瞬、ぴたりと身体の動きを止めたかと思うと、何かを思いついたかのように、顔を僅かにあげる。
「確かにな。人の姿を捨てると、より『人間』というものを客観視出来る。そういう意味では、お前の発言に一定の理はあるか。失って初めて、その尊さを知るのは、実に人間的だろう」
巨人は一組の腕を組むと、顎を指先で撫でながら続ける。
妙に人間臭い仕草が、より一層不気味さを増していく。
「ならば、より人間に近づけるとしようか。魂だけでも分かるが、やはり肉眼がないのは少々不便だな」
「・・・・・・――――ちょっと」
初めて、神宮寺さんが後退る。
巨人は主であった術師の男の顔に触れると、触れた先から目が無くなるのを見た。
――は? 何が、どうしてそうなる?
理解が追いつかないまま、巨人はその指で自身の顔面に触れた。
嫌な想像が浮かぶ。
青白い肉を掻き分けて、気づけば現れた二つの眼球が僕らを捉えていた。
赤く濁ったその瞳は、およそ人のものとは思えないほど禍々しい。
「アーヴァ、お前の目はよく見えるな。うん、やはりお前がいると落ち着く。・・・・・・そうだ、いいことを考えた。お前が死んでしまっても、お前も私になればいい。苦労して用意した器だ、お前一人を受け入れるくらいの隙間はある」
ギョロギョロと眼球を動かしながら、巨人はもう死んだはずの術師へ楽しげに語る。
それは、熱と狂気に浮かされているようで、静かながら息を呑むような迫力があった。
「私は、ずっとお前に手を引かれて来た。次は、私が手を引く番だ。お前を失って初めて気がついたよ――そう、私は人間なんだ」
――――どれほど狂おうと、どれほど理解されなかろうと、関係はない。
これは、私とお前の人生なのだから。
そう、巨人は今度こそハッキリと、その鋭い歯が並ぶ口の端を吊り上げた。
「ここは、いい。お前が連れてきてくれた、この国はいいぞ。目の前の材料を見てみろ。いずれも活きも良く、質も良い。この国は栄養価が高いな。お前の魂は散ってしまったが、安心しろ。私が直してやる。私は神だ。私は人間だ。私は神の真似をする人間だ。私は神になれなかった人間だ。私は――――」
――――神になることを決めた、ただの人間だ。
そう言って、僕らを再びその目で捉えた。
嫌だ。いやだ。こわい、こわいこわい。
見た目もそうだ。けど、それ以上に。
僕の中の何かが、この巨人の「中身」をひどく恐れている。
もう、人間か怪物か、そんな問題じゃない。
――――何よりも、まともではない、と。
それだけが、僕らを追い詰める最大の敵だと、警告を発しているのだ。
「そういえば、人間は自己紹介をするのだったな」
巨人は六本の腕を大きく広げ、仰々しくお辞儀をする。
思い出したような自己紹介はもう、狂気に支配され、その動きだけで吐き気がしてくる。
「シェオル・ネハ・レイシュラム。生憎と追われる身ゆえ、学名は持ち合わせていなくてね。箔の付いた字は――あぁ、一つあった。私にはなんの価値もなかったが、アライバルエンドという存在らしいぞ、私は」
「学名――魔法学園の出身!?」
「如何にも。しかし、一般的な魔法学論に興味はない。連中が私の希少性に目をつけたから、私も地下で色々とやらせてもらった。それだけの関係さ」
「あんたみたいな分かりやすい怪物を、野放しにするようには思えないけど」
「ご明察。いや、賢いな君。是非、その頭蓋を開いてみたい。私はこれからアーヴァを蘇らせなければならない。命は専門だが、肉体はそうもいかないから、丁度君らを材料にしようかと考えている。――こんな風に、学園でも殺っていたら、あっという間にお尋ね者さ」
ひどい話だろう?――と、巨人――シェオルと名乗った怪物は肩をすくめた。
「イカれてる・・・・・・さっきの術師の方が、遥かにマトモだったよ」
「当然だ。アーヴァは私を人間に戻した、唯一の人だ。彼だけが私を支えてくれる。彼だけが私を導いてくれる。彼だけが私の救いだ。彼だけが――私を抑える、最愛の個人だった」
それを、お前らが奪ったのだ、とシェオルは狂気の原因を明らかにした。
「八つ当たりどうも。だからごめんなさいとは、いかないね。こっちだって、友達を狙われて黙ってられるほど、穏やかじゃないからさ」
「ほぅ、そうか。まぁ、納得はしよう。では、私を止めるか。無理だな。私を止める唯一の方法を、お前達はたった今、殺したばかりだ」
「・・・・・・成る程ね。操っているのは、男の方じゃなかったってわけ。まぁ、今も女の見た目じゃないけど、声からしてあんたが本体か」
「そうだ。私は魂を分け与えることが出来る。それにより、不死でなくとも証紋の力を行使することが可能だ」
「そりゃ便利。で、当のあんたはどうして?」
「なに、面倒な連中に目をつけられてね。学園側が私をタナトスに売ったのさ。最初は手綱をつけられると踏んでいたのだろうが、私はアーヴァ以外に興味はない。むしろ、私の付属品程度にしか彼を見ていない学園に、思い知らせてやった。ほら、魔法使いというのはどうにも、自分を高く見積もりすぎだろう? 前々からあの鼻をへし折ってみたくてね」
シェオルの話は要領を得ない。
しかし、それを遮るほどの勇気は、その場の誰にもなかった。
「そしたら、学園の幹部共はカンカンさ! それで、タナトスに追われる身、ということ。情けないが、連中と生涯戦い続けるのは難儀だ。それなら、全てを捨てて、今度こそ新たな真っ当な人生を送ろう、と。そう夢を抱え、この地に来た」
「・・・・・・ふぅん。そんな気の利いたサービスは、日本にはないと思うけど」
「私もそう思う。だが、アーヴァが見つけてきた。なんでも、証紋を摘出出来る者がいると。私のこの力は、自分自身を殺した代償だ。望んで手にしたものではないからね。手放せるなら、それに越したことはない。そう、思っていた」
「・・・・・・――クドウくん、動ける準備だけしといてね」
僅かな緊張の変化を見逃さなかった神宮寺さんが、シェオルと対峙したまま御札を構える。
「だが、それももう、やめだ。アーヴァが死んだ世界に、意味はない」
「ちょっと、さっき蘇らせるとか言ってなかった?」
「ああ、蘇らせるさ。だがね、死とは境だ。過去をなかったことには出来ないように、一度通り過ぎた死も同じだ。蘇らせることと、死んだ事実を消すことは全く別の話だ」
さぁ、つまらない談義もここまでにしよう、と多腕の怪物は重心を落とす。
「私はアーヴァにようにはいかないぞ、不死者。これまでも彼に害を成した相手は、例外なく殺してきている。――例外なく、だ」
ぞわっと全身の毛が逆立つ。
本当にそうなった気がするほどだ。
鳥肌も止まらない。
あの男――アーヴァの時もそうだったが、それ以上の殺気だ。
なんというか・・・・・・濃度がまるで違う。
「逃げて! クドウくん!」
先に動いたのは、神宮寺さん。
叫びながら、シェオルへ向けて閃光を放つ。
しかし、閃光は届くことなく怪物の目の前で霧散していく。
「――魔力障壁!? 媒介もなしで!?」
「惜しい。抗魔構造だ。魔力での障壁とは、少しばかり構造体が違う」
「あっそう! どっちにしてもふざけた躰ってことじゃん!」
ぐぐ、と怪物の身が一瞬縮こまる。
それを見て、逃げるタイミングを見失った僕は、神宮寺さんへと駆け出した。
あれは、溜めだ。
力を爆発させる前の前兆だと考えれば、その後の動きはなんとなく想像がつく。
例え不可視の速度だとしても、どうせ場所は廊下。
直線上に並ぶ僕らは、前後に逃げる選択肢がない。
「神宮寺さん!」
声を上げ、彼女が踊り場で僕をそうしてくれたように、ほとんど体当たりに近い形で、横っ飛びに避ける。
肩口から窓際の壁にぶつかり、加減なく飛んだせいで、そこから鈍痛が広がっていく。
「クドウくん!?」
「だ、大丈夫・・・・・・だから、早く――」
逃げなきゃ、と言う前に、痛みで咳き込んでしまった。
くそ、なんの訓練もしてない僕じゃあ、これが精一杯だ。
シェオルは、気づけば廊下の真ん中くらいで、緩慢な動きのままこちらに向き直っているところだ。
その足元の廊下は、ひび割れ、僅かに陥没している。
「見た目通りのバケモンじゃん、あれじゃあ。・・・・・・先輩でもなきゃ、あんな体当たり、食らったらバラバラだっつーの」
神宮寺さんのボヤキにも似た発言は、まったくもってその通り。
法定速度などあざ笑うかのような豪速。
あの巨躯で高速ともなれば、普通の人間が巻き込まれれば、それこそミンチになってしまう。
「反動あるから、あんまコレは使いたくないんだけど」
と、神宮寺さんはブレザーの内側から何かを取り出す。
それは、小さな――薬瓶?
コルクの蓋を指で開けると、そのまま中身を一気に飲み干してしまう。
「そ、それ――大丈夫なの!?」
見るからに怪しい薬なせいか、僕は思わず倒れたまま声を張ってしまう。
「大丈夫じゃないよ。けど、それは生き残れたらの話でしょ」
死んでしまえば元も子もない、と。
彼女は当然のことを口にして、一人立ち上がる。
「霊薬の類いか。流石に準備が良い」
「言っとくけど、安くないんだから。後で絶対に請求してやる」
右の袖口で口元を拭うと、髪の尾を揺らしながら初めて、神宮寺さんは自分から相手へ駆けていく。
「――――は、早い!?」
僕の驚きは当然だ。
だって、その速度は麗華さんもかくや、という程だったからだ。
まるで風か羽にでもなったようで、足音さえ聞こえてこない。
巨人――シェオルが捕らえようと四本の腕を伸ばすと、それを神宮寺さんは床と壁を順番に蹴り上げながら、相手の頭上を飛び越えてしまう。
まるで、彼女だけ重力がないかのような、不思議な動きだった。
そして、着地と同時に、向き直るシェオルの懐へ一気に飛び込んだ。
「――――!?」
衝撃は一瞬。
ズドン、と重い音を鳴らして、巨躯が何歩か後退る。
「へぇ、やっぱ物理を介せば通るんだ」
神宮寺さんの、あの構えは――中国拳法?
詳しくは分からないけど、空手やボクシングでないことは確かだ。
けど、彼女も何らかの格闘技を修めているのだろうか。
「さっきの札は触媒か。まさか、直接撃ち込んでくるとは」
「化け物相手に格闘戦なんて、冗談でもやらない派だったんだけどなぁ――ま、追い詰められれば鼠でも噛みつくからね」
「はっ――ほざけ、小娘がっ!」
そこからは、一進一退の攻防だった。
リーチとパワーで勝るシェオルは、神宮寺さんを追い詰めはするものの、すんでの所でスルリと躱され、反撃を受けている。
かといって、神宮寺さんも無理な攻めには転ずることが出来ず、あくまで攻撃の機会は隙を見ての反撃のみ。
「ちっ――あんた、生命力底なしなの?」
中々倒れないどころか、怯みこそするが、そこから先が見えない巨人に神宮寺さんが苦言を呈する。
僕からすれば、そもそもあれに死という観念があるのかすら不安だけど。
「デカい図体は飾りではないからな。今の私に生身で接近戦を挑む度胸は驚嘆に値するが、その無謀、どこまで続くかな」
「・・・・・・さぁ、そう長くはないんじゃない?」
遠目から見る神宮寺さんの表情には、余裕の色はない。
だが同時に、まだ秘策があるような、「今に見てろよ」とでも言いたげな闘志が宿っている。
駆け出すのは同時。
怪物と人間の交錯は、何度目かで終わりを迎える。
今の今まで間一髪で潜り抜けてきた神宮寺さんの足が、頭上を飛び越える際に腕の一本に捉えられてしまう。
そこからは、思わず目を覆ってしまうような光景だった。
一回ぐるりと腕を回すと、そのまま神宮寺さんは窓ガラスを突き破り、外へと放り投げられる。
宙に浮く身体は、当然重力に引っ張られて墜ちていく。
「神宮寺さん!」
思わず、僕は窓枠にかじりつくように顔を近づけ、その行く末を見届けた。
思いの外・・・・・・あれ、なんか着地まで妙に時間があったような。
そんな疑問の間に、神宮寺さんは着地し、シェオルは三階廊下から自ら飛び降り、運動場へと地響きじみた音をあげて降り立っていた。
三階に取り残された僕は、一人このまま両者の戦闘を見守ることも出来たが、せっかくフリーになったのに少しでも戦力にならねば、という思いが身体を突き動かす。
廊下の奥。
壁に背中から打ち付けられた麗華さんの元へ駆け寄る。
「れ、麗華さん!」
口元には、僅かに血の痕がある。
そりゃ、全身の骨がバラバラでもおかしくないくらい、見た目は派手に吹き飛んでしまったし・・・・・・。
恐る恐る頬に触れると、すべすべの肌から熱が伝わってくる。
(って、こんな時にすべすべとか、どうでもいい――!)
とにかく、生きていることは確かだ。
なんとか目を覚ましてもらい、神宮寺さんに加勢してもらわないと――!




