9話
「ニナ様にはいつも驚かされてばかりですわ。もちろんこんなに良いアイディアを持っているデザイナーなら、むしろこちらから契約をお願いしたいくらいですけれど……」
ニナはココアを飲みながら、その理由を語った。そして「シャルロット様を見習って思いついたことです」とも話した。
「聖女として力を集めるのに、奉仕や善行が必要だそうですの。なので、このデザインの商品が売れるたびに、その『売上の一部』を報酬として私が受け取るという契約を結んでいただき、さらにその報酬はすべて施設や学校などへの寄付にあてていただきたいのです。シャルロット様にはお手間を取らせてしまい申し訳ないのですが……」
「まあそんな……友人ですから、手間などと思いませんのに……」
……とはいえ、シャルロットは頭の中ですばやく計算した。これらは必ず社交界で注目される逸品ばかりだと踏んでいる。大きな利益が見込まれ、学校の一つや二つは簡単に建てられる金額になりそうだった。
「シャルロット様の取り計らいのおかげで、私は帝国へ旅立つことができそうですが、帝国に着いてすぐ奉仕活動は難しいと思ったのです。なので、このブラン王国でシャルロット様が私の名で寄付の代行をしてくだされば、私も自動的に奉仕できますし、聖女の力も集まるはずです。シャルロット様には全幅の信頼を置いております。私と契約していただけますか?」
「喜んでお受けいたします! 契約成立ですわね! 寄付の使い道や経理は私にお任せください。学校もすぐ建ってしまうかもしれませんね」
時間が経つのも忘れ、『どんな学校を建てるか』や『今後の展望について』など、色々とお互いに語り合った。
「今日は楽しかったですわ。では私のデザインが商品になるのを心待ちにしております!」
数日後に再度来店する約束をして、ニナとアリスはカフェを出た。外はもう日が暮れていた。
祖母が天に召されて2週間後、国が主催の『お別れのセレモニー』が開かれた。王宮や神殿、町の広場や村の集会所に至るまで、献花台が設けられた。国民たちはそれぞれの場所から感謝を込めて、花を手向けた。
ニナの母親も、それに合わせて辺境伯の居城から帰ってきたが、祖父のガルフィオン辺境伯も一緒にやってきた。祖父はもう80歳を超えており、杖が無くては歩けないほど足腰も弱っている。心の支えだった妻はもういない。国境の不安定な情勢などを鑑みても、これまでのような責務を果たせそうにない。そう思った祖父は、この機会に『辺境伯の称号』の返還を願い出るため、王宮へやってきた。
国王は哀悼の意を表し、祖父の願いを受け入れた。
交代する者が決まるまで、アルヴァレス侯爵が辺境伯を兼務することになった。祖父は新たに称号『侯爵』を授かり、辺境伯領の返還と同時に改めて侯爵の領地を賜る予定だ。
祖父の新しい邸宅の準備が整うまで、アルヴァレス侯爵邸の離れで暮らすことになった。しかし、ニナはすれ違うように旅立ってしまう。
ニナとリュシアンは時間があれば祖父を訪ねた。今まであまり交流がなかった祖父と孫たちは、多少のぎこちなさはありながらも、お茶を飲んだり、庭を散歩したり、ありふれた時間を和やかに過ごした。
ただ、祖母の思い出話はしなかった。祖父にとってはまだ『思い出』になっていないのだろう。
そんな毎日を送っていると、瞬く間に時は過ぎて、使節団として帝国へ出発する日がやってきた。
使節団の構成は、外交官と神官、御者や従者、近衛隊を含む大小の馬車20台での旅となった。馬車すべてにブラン王国の紋章があり、特にニナ専用の馬車には豪華な飾り付けがされている。一般的な使節団より衣装もきらびやかだった。
王宮で出発式を終えたあと、ニナは式典に来てくれた友人たちと別れの挨拶をした。
アルノーとシャルロットも仲良く寄り添いながら見送っていた。アルノーが気を遣いすぎる性格だと知っているニナは、通りすがりにシャルロットへ手を振るだけの挨拶で終わらせた。シャルロットもそれをわかって振り返すだけにしたが、二人とも最高の笑顔だった。
使節団の馬車の奥から人影が現れた。一礼してまた奥に消えたが、お祝いムードの中、一瞬のことで人影には誰も気付いていなかった。
最後にニナが家族のもとへ向かうと、両親と一緒に車椅子の祖父も来ていた。母親と祖父は涙目ながらも笑顔でニナの手を握った。父親は心配な気持ちを隠すように、優しくニナの頭を撫でた。
「ニナ、道中気をつけるんだよ。旅のルートは山越えを避け、穏やかな道を選ぶように頼んでおいたが、治安の不安定な地域もあるだろう。護衛も腕の立つ者たちを付けたが、帝国の首都に着くまでは油断は禁物だよ」
ニナは幼い子供のように抱きついた。
「はい、お父様。アリスが一緒ですので、心配いりませんわ」
馬車の前にアリスが控えている。ニナたちの声は届かない距離にいるが、まるで会話を聞いていたかのように、こちらに向かってお辞儀した。
次はリュシアンが、子供のようにニナへ抱きついた。身長差があるため、ニナは息苦しいと思ったが、我慢した。
「ニナ! 会いに行くよ!……皇太子殿下の顔も直接見ておかねばならないのでな!」
ニナはギュッと抱きつかれたまま身動きが取れなかったので、リュシアンの顔は見れなかったが、おそらく『目が笑っていない』表情だろうと想像した。
やっとリュシアンはニナの体を離して、心配そうに頭を撫でた。
「ニナ、帝国へ行って皇太子殿下の婚約者になるというが、独身は『第二王子』だけだ。第一王子はすでにご結婚されているのに……それでも行くのか?」
ニナは笑顔で即答した。
「ええ! 行くわ! 私の運命を帝国で切り開いてまいります!」
ーー話は変わって、ベルレアン帝国の王宮ーー
「テオドール皇子殿下! お待ちくださいませ! そのようなお召し物で王宮の外にお出になられるのは……」
執事があとを追いながら、引き止めていた。
「いいんだよ、これで。派手にすると市民と気軽に会話できないだろう? これでも下級貴族くらいの服は着ているつもりだ」
「ですが、もし何か危険なことに巻き込まれでもしましたら……」
「大丈夫、大丈夫! 俺も少しは剣の腕に覚えがある。ユーリを連れて行くし、問題ない」
テオドール・レ・ベルレアンは、ベルレアン帝国の第二皇子。
テオドール専属の侍従ユーリは、帝国騎士団と比べてもトップクラスの剣の腕前だ。
「では、出かけてくる。行こう、ユーリ」
「はい、テオ様」
帝国には二人の皇位継承者が存在する。
第一皇子ジェラールは、テオドールより10歳年上の28歳。皇帝の側室を母に持ち、その母の父親の爵位は伯爵。
第二皇子テオドールは18歳。皇帝の正妻を母に持ち、その母の父親の爵位は公爵。
ーー時は今から30年前ーー
ベルレアン帝国では、体のどこかにドラゴンの皮膚を持って生まれてくる子を、『皇帝の座を受け継ぐ者』としている。ドラゴンの皮膚という証が無ければ、たとえ皇子でも跡継ぎにはなれない。
王妃は、当時宰相だった父親からの推薦で、正妻として結婚した。
しかし、王妃は身体が弱くなかなか子を授からなかった。そのため結婚して2年経った頃、側室を迎え入れることとなる。
側室はジェラールを産んだ。その子は右の肩と首の間に『継承者の証』を持って生まれてきた。
「帝国の皇太子となられるお方が誕生された!」
大臣たちは喜び、国中に『皇太子殿下誕生』のお触れを出した。神殿からの祝福も受け、ジェラールは大事に育てられた。
王妃は、第一皇子が誕生しても、おっとりとした性格も手伝って、心を乱されることなく正妻として祝福し、皇帝とも仲睦まじく暮らしていた。
ーーだが、ジェラールが生まれて10年後ーー
「王妃殿下がご懐妊なされました」
そのことを聞いたジェラールは、「僕は兄になるんだ!」と無邪気に喜んでいたが、臣下たちはざわつき、微妙な面持ちでジェラールを見つめていた。
こうして生まれたテオドールには、なんと左手に『継承者の証』があった。王宮に激震が走った。
帝国の歴史上で、証を持った皇子が複数存在した記録は稀だ。だが、その稀な時代の記録には、激しい後継者争いで多数の死者を出すほどだったと記されていた。
テオドールが証を持って生まれたことは、まず王宮内に通達された。長い間ジェラールを皇太子と考えてきた臣下たちは混乱し、広く公表する前に皇帝へ指示を仰いだ。
だが、皇帝は皆の前で笑い、一言で結論づけた。
「今はどちらでも良い」
皇帝は、自分がまだ現役であるため、より優秀でふさわしい者を見極めてから皇太子を決めれば良いと考えていた。
(成長したテオドールがどのように考え行動するのか、ジェラールはそれを見てどう対応するのか……先が楽しみだな)
思案深く、そして心理戦や賭け事も好む皇帝は、二人の皇子の成長を黙って見守ることにした。
臣下たちは困った。議論しても特に良い考えは浮かばなかったが、惨劇を繰り返してはならないという意見だけは一致していた。
結果、苦し紛れの方法として、少し曖昧な内容で国民にお触れを出すことにした。
『テオドール皇子が継承者の証を持って誕生したが、皇太子はジェラール皇子のまま、今は変更なし』
それを読んだ貴族たちは『どういうこと?』となったが、国民は第二皇子の誕生を素直に祝った。そして、特に問題視されず争いも起きなかった。
ーーそして、テオドールが8歳のときーー
隣国のムーラン王国に、外交使節団の大使として数ヶ月滞在していたジェラールが帰国した。
「お兄様! お帰りなさいませ!」
「ただいま、テオ。元気だったか?」
テオドールの頭を撫でるジェラールの後ろから、若葉のような美しいグリーンの髪をなびかせ、肌の露出が多めの、異国の雰囲気あふれるドレスを纏った女性がこちらに歩いてきた。
「紹介しよう。私の婚約者のロザリアだ」
「はじめまして、テオドール皇子。私はムーラン王国第一王女、ロザリア・ドゥ・ムーランと申します。以後、お見知りおきを……」
テオドールはペコリと挨拶をした。突然のことで驚いて、いつものような礼儀正しさを少し欠いてしまった。
ロザリアはテオドールに微笑んではいたが、目の奥はとても冷ややかだった。人を品定めするかのような鋭い視線、そしてそれはチラリとテオドールの左手を捉えた。見られていることに気付いた瞬間、反射的に左手を後ろに隠した。
「では、ロザリア、疲れただろうから部屋で休もう。案内するよ。テオ、またあとでな」
遠ざかる二人の姿を見ながら、テオドールは無意識に左手を隠した自分の感情に違和感を覚えた。
(僕の、この気持ちは何だろう……)
モヤモヤしたテオドールは、母である王妃を訪ね、ありのままを話してみた。王妃はしばらく黙って考え、やっと口を開いた。
「テオはとても繊細で賢いわ。気付くというのが大事なのよ。でも、このことに関して、私からは何も助言できないの。母としての私の言葉は、王妃としての言葉とも成りえてしまう……ただその思いは、あなたの将来への道のりを決める大切な『きっかけ』となるわ。だから、自分の中の気持ちに向き合って、ひとつひとつ考えながら行動してみて。私はいつでもテオの味方よ」
心を軽くするような言葉をかけることができなかった王妃は、彼をそばに抱き寄せ、一つの提案をした。
「あなたのお祖父様のルクリュイーズ公爵家に、同じ8歳の男の子がいるのよ。ルクリュイーズ公爵家に代々仕える執事の息子で、名前は確か……『ユーリ』だったと思うわ。とても賢く、剣の上達も早いそうよ。テオの話し相手にぴったりだと考えていたのだけれど、どうかしら?」
「……お母様がそう仰るのなら……」
「では決まりね! 彼を王宮での、テオ専属の従者として許可を申請するわ。友達になれたらいいわね」
何も解決しなかったが、母に抱きしめられ、真剣に話を聞いてもらえただけでも、『母に話して良かった』と少しだけ気持ちが前を向いた。