5話
アルヴァレス侯爵邸への帰路の馬車の中で、ニナは父親たちと今後の話について切り出した。
「先日もお話ししたように、ベルレアン帝国の聖女様も間もなく天よりお迎えが来られるでしょう……お父様、ベルレアン帝国の情報が欲しいのですが、手に入りますか? 私は噂ばかりであまり存じませんし、行ったこともありませんので……」
父親は大臣たちと何度か外交訪問したことがある。
「ベルレアン皇帝陛下は、戦や交渉などの駆け引きで優位に立つことに長けたお方だと聞いている。今も積極的に国土を広げていらっしゃるようだが……そうだな、帝国内の情勢にもっと詳しい者から情報を集めておこう」
外務大臣とも親しい父親は、帰ったら早速手配をすると約束してくれた。
「それから、神殿の大神官様へ書簡をしたためますので、至急届けていただきたいのです」
ニナには考えがあった。それを成功させるためには、貴族会議までに下準備が必要だった。父親やリュシアンに計画内容を伝えると、驚かれたが納得し、協力すると約束してくれた。
「……ということでお兄様、少し調べていただきたいことがあります。メモにまとめてありますので、貴族会議に間に合うようにお願いしたいのですが……」
ニナはリュシアンに『キュルン顔』でメモを渡した。メモの内容を見たリュシアンは「多っ!」と声を上げたが、引きつった笑顔で引き受けてくれた。
ーー貴族会議当日ーー
いよいよ決戦の日。アルノー王太子の婚約者が正式に決定し、選ばれれば、それは同時に次期王妃ということになる。
国王、王妃、アルノー王太子、そして王族や子爵以上の貴族も会議に出席していた。
国王や王妃は優柔不断で、流されやすい性格と噂されている。アルノーはそれを受け継いでいた。まわりの顔色を見て、皆に良く思われる態度をとってしまう。気が弱く、優しい人柄だ。
そのため、まずは婚約者にどちらがふさわしいかという貴族たちの意見を聞くことから始まった。ニナとシャルロットは会議室の中央に並び立った。
「ニナ・フォン・アルバレス侯爵令嬢は社交界でも人望があり、礼儀正しく、最近では正妃教育も進んで学んでいらっしゃるそうですわ」
「パーティーでも毎回、王太子殿下が、最初のダンスのパートナーに選んでおられた」
「年齢も今年で成人の18歳となられ、王太子殿下は20歳、ちょうど良い頃合いかと思われます」
次々にニナを推挙する声が上がる。
シャルロットは、何か発言したいような、でも下を向いてみたり、アルノーを見つめたりしていた。
「シャルロット・ル・マーティン侯爵令嬢は王太子殿下と幼なじみであるため、心を許しあえる良き夫婦となられるでしょう」
「マーティン侯爵は国内で一二を争う資産家ですので、申し分ないかと……」
シャルロットを推挙する声も上がってきているが、まだまだ劣勢の空気が流れていた。
意見が飛び交う中、突然会議場の扉が開いた。
「会議中、失礼いたします」
「これは、リュシアン・フォン・アルヴァレス侯爵令息、いかがされましたかな?」
会議を静観していた貴族が声をかけた。
「お兄様! お待ちしておりました!」
ニナは『ここにいます』と知らせるように手を上げた。
入り口に立つリュシアンの後ろに人影が見えた。それに気付いたニナは、わざと聞いた。
「事故の原因を作った犯人は見つかりましたの?」
「証拠を突き付けたら自白したよ。本人も連れてきている」
後ろで両手を縛った、一人の使用人を前に出した。
「えっ! ロイ……どうして……」
シャルロットは信じられず声をかけたが、不機嫌な貴族の声にかき消されてしまった。
「これは一体どういうことだね? この会議に関係ないのならあとにしてくれたまえ」
先ほど声をかけた貴族が無視されたことに機嫌を損ね、怪訝な表情で声を荒げた。しかしリュシアンは意に介さない。
「いいえ、大きく関係しておりますので、不躾ながら参上いたしました。国王陛下、少し申し開きのお時間をいただけますでしょうか?」
国王の了承を得てロイとともに移動し、ニナの隣に並んでリュシアンは一礼した。
「先日の晩餐会の夜、何者かが我がアルヴァレス侯爵家の馬車に細工をし、車輪の付け根のビスを破損させるという事件が起きました。そのため馬車は転倒し、父のアルヴァレス侯爵は頭と腕を負傷いたしました」
皆がアルヴァレス侯爵のほうを向いた。
アルヴァレス侯爵は堂々としながらも、咳払いと同時に、包帯が目立って見えるよう腕を組みかえた。
「そのときに馬車に乗っていたのは父と妹ですが、幸いにも父は軽傷、妹は無傷でした」
(……本当は死んでしまいましたけれど)
苦笑いするニナ。
「この事故を調べたところ、車輪のビスの破損は故意によるものと判明しました。この目立たないビスを狙うということは、馬車の構造に詳しい者の犯行ではないかと疑い、内密に調査を行ったところ、この犯人に辿り着きました」
「その犯人は何者なのか?」
「どこの貴族の使用人だ?」
ざわざわする中、リュシアンの声が会場に響いた。
「マーティン侯爵家の御者ロイの犯行です」
そう告げると、今度は皆がシャルロットのほうを向いた。彼女は慌てる様子もなく黙っていた。
そこでロイは声を上げた。
「お嬢様! 申し訳ありません!」
シャルロットを推挙していた貴族たちの中では、怒り出す者や失望する者が現れ、次々に騒ぎ始めた。
「皆様、お静かにお願いいたします。御者には釈明があるようです」
ニナは皆を制して、優しい笑顔でロイに続けるように促した。
シャルロットを見つめ、自分の罪に震えながら、彼は犯行に及んだ経緯を話した。
ロイは、アルノーのいる王宮へシャルロットをいつも送り迎えしている彼女専属の御者だった。仲睦まじい二人の姿を見て、『本当にお似合いだ』と微笑ましく思っていた。
シャルロットは人柄も良く、マーティン侯爵家の使用人すべてに心を配り、使用人の家族にも配慮がある。そのため、使用人たちも忠義を尽くして仕えていた。ロイもその一人だ。
ある日、ロイは仲の良いメイドから、婚約者争いの話を聞いた。
シャルロットは婚約者候補となり喜んでいるが、アルノーより年上であることを気にしているうえに、控えめな性格ということもあり、なかなか目立った行動に出なかった。
それどころかシャルロットは、『パーティーで王太子殿下とダンスを踊るチャンスがなかなか掴めなくて……』と、点数稼ぎができていないことを焦りもせずメイドへ和やかに話していた。
このままでは候補者として遅れをとってしまう……とメイドたちは心中穏やかではなかった。
シャルロットに対する貴族たちの心象を少しでも良くするため、メイドたちはドレスの選び方やメイクや効果的なマッサージの方法など、日々勉強して腕を磨き、自分たちにできるすべてを彼女に捧げていた。
皆、シャルロットの幸せな結婚を心から願っていた。
ロイは、『お嬢様に目立ってもらうにはどうすれば良いのか』と考えた。そして思いついたのが、『アルヴァレス侯爵令嬢がパーティに遅れて来てくれれば……』という考えだった。
あるパーティーの夜、警備の隙をみて、アルヴァレス侯爵家の馬車に近づき、御者の通常の点検では見えにくい車輪のビスに、見た目は小さいが深い傷を入れた。
次のパーティーで馬車を使用したときに、車輪が安定せずにガタガタすれば、部品の交換などで手間取るだろう。その間にシャルロットがニナより早く到着すれば、アルノーのダンスの相手に選ばれると思ったのだ。
しかし、晩餐会の会場へ到着するまでは、特に支障がなかった。
細工されたアルヴァレス侯爵家の家紋入り馬車は、特別仕様で装飾が多く、デザイン重視のため、大きなパーティーのときだけ使用し、通常の馬車よりもゆっくり馬に引かせている。そのため、今回は問題なく無事に会場へ到着した。
事故は、その帰り道で起きた。祖母の危篤の知らせが入り、普段ではあり得ない速度を出してしまったのだ。
「お嬢様……私は罪を犯しました。いかなる処分もお受けいたします。ここまでの大きな事故になってしまうなんて思っておりませんでした……ただ……ただお嬢様にお幸せになっていただくために、何かできることはないかとの一心で……何と愚かなことをしてしまったのか」
震え、恐れおののき、その場に崩れ落ちた。
「この事故にお嬢様はまったく関係しておりません。私一人の独断での行動です。どうか、お咎めは愚かな私だけに……どうか……」
声を絞り出しながら、ロイはニナにすがりついた。
「そうですわね……もちろん罪は償っていただきますけれど……」
ニナがつぶやいたとき、シャルロットが初めて発言した。
「ロイは私の御者です。教育不十分で私にも責任があります。私も罪を償います! どうかロイの罪の減軽を!」
今まで見たこともない、気迫のあるシャルロットの姿だった。凛としていて、他を圧倒する強さを感じた。
(やはり、シャルロット様は私の思った通りの方だわ……)
ニナは一歩前に踏み出し、呼吸を整える。そして会場のざわめきの中、国王に向かって手を上げた。
「国王陛下! 私、ニナ・フォン・アルヴァレスは婚約者候補を辞退し、マーティン侯爵令嬢を王太子殿下の婚約者に推薦いたします」
せっかく収まりかけた貴賓たちの声が驚愕に変わり、会場に響いた。シャルロットも驚きを隠せなかった。