3話
ーーパチッ
目を開けるとすぐ父親と目が合った。ニナを見つめたまま、時間が止まったかのように固まっている。
それもそのはず。数時間前に医者によって死亡の確認が行われたばかりで、まだ現実を受け止められずにいたところだった。
「ごきげんよう、お父様」
ニナはニッコリと挨拶した。
ありえない光景を目の当たりにして、その場にいる全員が驚き、慌てふためいた。
「奇跡だ! すぐに医師を呼び戻しなさい! 神よ! 感謝いたします!」
父親は声を震わせながら、娘の手を大切そうに握る。そのニナの手には美しい虹色の宝石の指輪がはめられていた。
(お父様、感謝は神様だけじゃなく、ミシェルにもお願いね)
ミシェルの陰の努力を知っているニナは、クスッと笑った。
「お父様、ご心配をおかけしたようですわね……もう大丈夫ですので、悲しまないでくださいませ」
兄のリュシアンもしばらく固まっていたが、やっとニナが生き返ったことを認識すると、駆け寄って思いっきり抱きしめた。
「ニナ! ニナ! 良かった! さっきまで氷のように身体が冷たかったのに、こんなに温かくなって……」
喜んで、さらに号泣した。
(お兄様は私のことを可愛がりすぎなのよね……でも、鬱陶しく思わずに笑顔、笑顔)
リュシアンは25歳、ニナより七つ年上だ。社交界でも好感度が高く、イケメンで未婚のため、女性から注目を浴びる人気ぶりだが、可愛い妹の存在が他の女性への関心を吹き飛ばしていた。
「お兄様にもご心配かけました」
「あのヤブ医者め! 許さん! ニナが死んだなどと騙したな!」
今度は怒りながら、泣き止んだ。
(死んでいたのは間違いないから、誤診ではないのに……お医者様も今回のことで処罰されたら可哀想……生き返った経緯をどう説明しようかしら……面倒ね、あとで考えよう)
ニナは現状を何となくごまかして、医師にも穏便に対応するようにリュシアンをうまくなだめ、昨晩からのことを聞いた。
まず母親が先に一人で、祖母の居城へとすでに出発していた。リュシアンは父親たちと合流したらすぐ出られるように、留守中の指示を執事に伝えながら、バタバタと準備を進めていた。
すると、血だらけ状態の御者が助けを呼びに侯爵邸へ走り込んできた。リュシアンと執事たちがすぐに現場へ駆けつけ、応急手当をして父親とニナを邸宅まで運んだ。父親は頭と腕にすり傷や打撲があったが、軽傷だった。
「そのときにはもう……ニナはぐったりしていて、お父様の呼びかけにも反応しない状態だったんだ……」
また泣き始めたリュシアン。ニナは「ほら、もう何ともありませんから」と慰めた。
ニナは部屋で控えていた侍女のアリスを呼び、鏡を持ってくるように伝えた。
アリスはニナ専属の侍女の中でも特にお気に入りのメイドで、強く美しく勘が良い。ニナは自分のことを名前で呼ぶことも許可している。
「……おかえりなさいませ、ニナ様。鏡でございます」と、涙ながらに差し出した。
「ありがとう、アリス」と受け取りながら、今までと変わらぬ微笑みを見せた。その鏡で自分の首や顔を確認しつつ、事故について調べが進んでいるのかどうかリュシアンに尋ねた。
「すでに騎士団が動き出して調査してる最中だが、明らかに不自然な箇所が見つかったそうだ。こちらの怪我の状況はまだ内密にしてあるよ。ニナが……死んでしまったみたいになっていたから……」
リュシアンはまた涙目になった。
「騎士団への報告ですけれど、私のことは『意識が戻って、無傷だった』と報告していただけませんか? 幸いにも私はこの通り、傷ひとつありませんし」
ミシェルの言った通り、怪我も痛みもまったく無かった。
ニナの提案を受け、父親はガルフィオン辺境伯の居城へ、『到着が遅れる』旨を急いで知らせることにした。
「今は辺境伯夫人が危篤の状況だ。こちらの心配をさせないような内容で書簡を送っておこう」
父親は名残惜しそうにニナのそばを離れると、先に辺境伯の居城に向かっている妻キャロルへ手紙をしたためるため、書斎へ向かった。
ニナは笑顔で見送ったあと、リュシアンと事故の話を続けた。
「この事故が意図的だった可能性もある……そういうことですわね、お兄様。ならば、何が狙いなのでしょう?」
「貴族の中で最も格式高い、我がアルヴァレス侯爵家を狙うような大胆不敵な者がいるとは考えにくいが……」
すると扉をノックする音が聞こえた。
ニナは、「事故の調査結果がわかり次第、私にも教えてください」とリュシアンに頼み、この話に区切りを付けた。
「失礼いたします」
執事とともに、先ほど診察した医師が入ってきた。医師はニナを見て死ぬほど驚いていた。その医師をリュシアンは殺す勢いで睨んでいる。
気の毒な医師はオロオロしながら診察した。
「今、診たところ……あの……特に問題ないようでございます……」と言い、気まずそうにしている。
「お医者様、お願いがあるのです。今回私を診察した状況や詳細は口外無用にしていただけますか?」
「はい! も、もちろんでございます!」
リュシアンの視線に震えながら一礼して、あっという間に帰っていった。
(さて、聖女に選ばれたことをいつ話そうかしら……)
ニナは自分が生き返った経緯について、夕食のときに伝えることにした。
「お兄様、今日の夕食はもちろんご一緒できるのでしょう?」
「ああ、当然だ。今日の奇跡を祝うために、特別なメニューを用意させよう! それまでゆっくり過ごすといい」
リュシアンはニナの頭を優しく撫で、部屋をあとにした。そしてニナとアリスの二人だけになった。
アリスがカーテンを開けると、まだ外は明るく、夕食まで時間がありそうだった。
ニナは外を眺めながら、危篤の祖母のことを案じた。
ガルフィオン辺境伯に嫁いだ祖母のルイーズは、アルヴァレス侯爵邸から馬車で三日はかかる国境近くの居城に住んでいる。隣国との折り合いがあまり良くないらしく、ほとんど領地から離れない生活を送っていた。
ニナの母キャロルはルイーズの実子であるため、さぞかし心を痛めているだろうと、ニナは母親のことも心配した。
それと同時に、祖母と交代して、自分が聖女として神のお告げを受けることにも思いを巡らせていた。
「アリス、お祖母様のところに行く準備をお願いするわ。お祖母様がご危篤なの」
「はい、ニナ様、かしこまりました。では早速ご用意致します」
「……いえ……やっぱりそれはあとでいいわ。先にお茶と……何か温かいスイーツをお願い」
しばらくして、ミルクティーとクレープシュゼットが運ばれてきた。ワゴンの上で見事にフランベされるクレープを見ながらニナは考え込んでいた。
(帝国の聖女になる……帝国全土の……)
黙って食べ終え、アリスからマッサージを受けながらさらに熟考し、ある程度考えがまとまったところで試しに聞いてみた。
「ねえ、アリス。あなたにはこれが見えるのかしら?」
そう言って、ミシェルからもらった指輪を開けた。
空中に輝く文字が浮かび上がり、天井を覆い尽くした。それを見たアリスは驚いて、マッサージの手が止まった。
「ニナ様……これは……」
「ああ、見えるのね。ということは、お父様たちにも見えるってことね」
「はい、はっきり見えます。これは聖女様に関する詳細のようですが……ガルフィオン辺境伯夫人のご容態を考えると……つまり、次の聖女様にニナ様が選ばれたということなのでしょうか?」
「さすがアリスね! 鋭いわ。さっき私、死んでいたでしょう? そのときに、天使様と聖女になる約束をすることで生き返れたの」
魂が抜けそうなくらい驚いていたアリスだが、何とか理性で制御した。そしてマッサージを再開しながら、頭脳をフル回転させ状況を整理する。
「ニナ様、その天使様とのお約束について、もう少し詳しくお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「あとで夕食のときにお父様とお兄様にお話しするから、アリスもそばで聞くといいわ」
ニナは天井を見上げて、聖女の説明書を読み始めた。
アリスはマッサージを終え、淡々と明日の出発の準備をしながら考えを巡らせていたが、しばらくするとハッとなった。
「これはもしかすると、ニナ様の今後の展望が大きく変わってくるのではないでしょうか?」
「ふふふ……やっぱりアリスもそう思う?」
納得いく結論が出たところでニナは眠くなり、指輪を閉じて気持ちよくウトウトした。