11話
ーーニナたちが王都を出発して数日後ーー
通過する町や村では、『聖女様がお通りになる』という噂が広まっていた。沿道から手を振って歓迎してくれる人々へ、ニナは大声で「神の御加護がありますように」と祈りを捧げ、馬車の中から手を振って応えた。
「疲れた……アリス……お水……」
ミント入りの水をグラスで受け取りゴクゴク飲んだ。そして指輪に向かって話しかけた。
「ねえ、ミシェル。ミ・シェ・ル!……いないのかしら?」
馬車の後方から犬が走ってきた。毛の一房が金色の犬だった。
「あ! いたいた! ミシェル!」
ニナは馬車のドアを開けて、ミシェルを中へ入れた。するとアリスは犬を警戒して、ニナを守ろうと前に出た。ニナはアリスに『中に天使が入っている犬』だと紹介した。ミシェルはお座りし、アリスは犬にお辞儀をした。
「……ニナ、指輪に通信機能は無いのですよ。それに私はいつも呼ばれて出てくる訳じゃないのです。これでも色々と忙しいので……呼んでもらえるのは嬉しいのですが……今日も可愛いですねニナ」
ミシェルは尻尾を振っていた。
「でも来てくれたのね。ありがとう」
「いや……その……たまたま地上を見ていて……呼ばれたことにたまたま気がついて……次は指輪に話しかけても来ないかもしれませんよ……」
まだミシェルが話していたが、ニナは自分のタイミングで話し出す。
「私、聖女になってから毎日お祈りしているけれど、特に変化を感じないわ。これでいいの?」
「正確な答えは無いので、その質問には『とても良いと思います』とお答えします。加護は間違いなく国民全員に届いていますよ。受け取った人が幸せだと思えば、その人の『幸せになりたい』という気持ちを加護で後押ししたのでしょう。『闇』や『負』の感情も和らげることができます」
「ふーん、そうなの……聖女の加護って結果が見えないから『やりがい』を感じないわ」
二人が話している間、アリスは馬車が汚れないように、丁寧に犬の足を拭いていた。ミシェルはされるがままだった。
「見える結果もあります。ニナは最近シャルロットを幸せにしましたよ」
「私が婚約者を辞退したからシャルロットは喜んでいたけど……聖女になる前の話でしょう?」
「聖女になったあとに、交渉して成立したことがありますね」
「ああ、ライセンス契約のことね」
確かに、そう言われて思い返すと、シャルロットから「予想以上の反響があり、注文が殺到している」という話を聞いていた。
「ニナのアイディアには加護の力も込められていました」
ニナのデザインした物を着用すると気持ちが前向きになったり、運勢が上がったりするという噂が流れ、口コミの宣伝効果は抜群だった。
結果、シャルロットの事業は右肩上がり。ニナからの『国民への奉仕』も増える。彼女が雇う従業員も仕事が増え給料が上がり、お金を使う。お金が循環すれば国が潤い、国はより良い社会福祉ができ、民へ還元される。
聖女の加護は、人々の人生や生活がうまくいくためのお手伝いでもあり、受けた加護がどのように作用するかは、その人の潜在意識に左右されるとミシェルは言う。
(そんなに言うほど大きなことはしてないけれど……あら? 何かバレてます?)
ニナは嫌な予感がした。ミシェルは軽く咳払いをして続けた。
「でも『代理で奉仕』はちょっと反則のにおいがしますね。まあ、そこは私が何とかしましたが。私が。ですので、そのうちニナへ大きな神の力が与えられるでしょう。これからも毎日祈って、皆に加護をお願いします」
「あ……あら、でも指輪に代理はダメだなんて書いてなかったし……」
「可愛いニナが『やってはいけない』と判断しなかったのですから、ギリギリ大丈夫です。私がいますので、のびのびとやりたいことをやってください」
(すっごく『私』を強調してくるわ……)
だが、ニナもちょっと後ろめたい感じがしたので、ミシェルに感謝しながら犬をなでた。ミシェルは尻尾で喜びを表していた。
「では可愛いニナ、良い旅を」
ドアを開けて、ミシェルを馬車の外に出した。犬はしばらく見送っていたが、金色の毛が消えると、途端に走り去った。
「ニナ様、天使様はいつも犬のお姿なのですか?」
「いいえ、動物とは聞いているけれど、今までは猫と鳥だったわ。どこかが金色、というのを目印にしてあるの」
「そうなのですね……大変失礼ながら、私にはどこも金色には見えませんでしたし、お声も聞こえませんでしたので……すべてニナ様の独り言になっておりました」
「あ……そうだったの? 恥ず……じゃあ見えたり聞こえたりするのって聖女だけなのね……そうそう! 私ね、あの天使様に『ミシェル』と名前を付けたの。これからも地上に来てくれるから、アリスも仲良くしてね」
ニナの近くにいる動物の姿を借りて地上に降りてくるミシェルだが、金色の目印も、話し声も、一般人には見えも聞こえもしない。犬は犬でしかなかったが、アリスは走り去った犬に向けて一礼した。
さらに数日後、ようやくベルレアン帝国の国境を越えた。寂しい村のはずれまで来たところで日が暮れた。開けた場所を探してテントを設営した。
ニナが就寝しようとしたとき、そばにいたアリスが身に付けていた小型ナイフを投げた。投げた先には小さなトカゲがいた。ナイフはトカゲの尻尾に命中し、スパッと切れていた。
よく見ると、うろこが縞模様で金色になってる。
アリスはとどめを刺そうと次のナイフを構えていた。
「キャー! アリスー! 待って待って! ミシェルミシェル!」
トカゲが近づいてきた。アリスはまだ信用しておらず、ナイフを構えたままニナに質問した。
「ニナ様、恐れ入りますが『動物』というお話だったので、私はてっきり『哺乳類』かと……」
ミシェルは近づくのをやめて、テントの柱の影から話しかけた。
「こ……こんばんは可愛いニナ。私のせいで危うくこのトカゲを死に至らしめるところでした……」
ニナはびっくりして問いかけた。
「こんな時間にどうしたの?……っていうか、なぜトカゲ……」
「この近くに『動く物』がトカゲかヘビしかいなかったのです。そのヘビは先ほどテントを守っている近衛隊の方が……その……ヘビは天に召されまして……あ、大変なのです、お伝えがあって来ました」
借りる身体が小さすぎると、ミシェルは地上に少ししか降りていられないため、尻尾が切れて、さらに小さくなったトカゲの身体に動揺していた。そして、慌てているのには別の理由があった。
「今、近隣の村の者たちが徒党を組んで、武器のような物を持ってテントに近づいています。それをお知らせに来たのですが、彼らは貧しい者たちのようです。どうか傷つけずに慈悲を……」
言い終わる前に金色の模様は消えて、トカゲは逃げてしまった。
ニナはネグリジェのまま、すばやく外に出て、近衛隊に指示を出した。
「今から、村の住民たちが私たちを襲いにきます。ですが、決して剣を使ってはなりません。私が説得しますので、向かってくる者のみ素手で対処するように! 他の者にも早く伝えて!」
数分後、暗がりの中から多くの人影が浮かび上がり、徐々にニナたちへと近づいてきた。村人たちは、手に農具や木の棒などを持っている。
ニナの肩にそっとガウンをかけて、アリスはニナの盾となるべく前に立ち、構えた。




