1 魔女の営む仕立て屋には猫がたくさんいる
スイレン・ツキオリは自宅を兼ねた店で仕立て屋を営んでいる。
訳あって故郷から遠く離れた土地に家族と離れ単身移住して一年ほど経ったが、故郷からついてきてくれた猫たちがいるので特に寂しさは感じていない。
建物の二階はスイレンの寝室で、一階は店と作業場がある。
店のカウンターには黒猫のボスが鎮座し店番を行い、スイレンと他の猫たちは作業場で朝の業務を行っていた。
「実家から持ってきたストールを使ってしまったから、新しいものを準備したほうが良いかしらね…」
緊急用にいつも身に着けていた瞬間移動の魔術が込められたストールを昨夜使用してしまったので、どうしたものかと頭を悩ませる。
というのも瞬間移動の魔術は高度な魔術であり、そう簡単に付与できるものではないのだ。
女性にしては珍しくスイレンは生活していくのに困らないだけの魔力を有し、魔術師、いわゆる魔女と呼ばれるものではあるのだが、そのスイレンが子供のころから十年魔力を込め続けて作ったのが瞬間移動の魔道具だった。
「子供の時と比べたら魔術も上達してるし、今なら三年位で作れそうだけれど、出来れば早く作りたいものよね…」
「でも別に瞬間移動なんてそんなに頻繁に使うものでもなくない?」
スイレンの魔力で動く織機にヒスイが元となる繊維の塊を押し込みながら聞くと、スイレンがカッと眼を見開いた。
「そうかもしれないけど!今回みたいにまた瀕死の猫が落ちてたらどうするのよ!拾うしすぐ連れてくるじゃない!一秒でも早く!」
恐ろしい眼力で力説され、ああ…そういえばスイレンは残念な子なんだった…と、ヒスイは主の猫バカっぷりを再認識していた。
瞬間移動の魔道具などという、家を一軒軽く買えてしまうほどの価値のものを惜しげもなく見知らぬ猫のために使ってしまう程の猫バカなのだ…。
「ほんと、スイレンはバカねえ」
ヒスイは知っている。多くの人間はそれだけの財を軽く投げうって人間以外のものの命を救ったりしないことを。
「誉め言葉として受け取っておくわ」
何故か誇らしげに胸を張るスイレンの膝に飛び乗って、ヒスイは丸くなる。
「ハァッ!!ヒスイがデレてる!!」
ヒスイは猫の為なら全てを捨ててしまうこの愚かしい主が心配で、同時にそれを愛しくも思う。
絶対に、口に出したりはしないけれど。
「アッ!ヒスイ仕事さぼってる!ずるい~!僕もスイレンの膝に乗る!」
スイレンの膝の上にゲッチョーさんが無理やり飛び乗ってくる。
「アンタちょっとは空気を読みなさいよ!」
「ハァッ!ラブリーキャット達が二人も!私の膝に!」
スイレンは膝の上で少し険悪な空気になっていることなど気にもせずに、二匹の猫をまとめて撫でまわしてご満悦な様子だ。
「二人とも…スイレンのIQが急降下して仕事が進まないので、解散してください。スイレンは早く機械を動かしてください」
「はい…」
ニッチョーさんに窘められ、スイレンは渋々織機に魔力を通す。
ヒスイが詰めていた繊維が糸状になり織機に張り巡らされると、機械はカタカタと動き出し自動で布が紡がれていく。
「まあ…すぐにストールの代わりは作れないけど、とりあえず今日の分の魔力を編んでおきましょうか」
スイレンの日課は自分の魔力を繊維と混ぜて布編みこんでいくこと。
その魔力の付与された布を売ったり、それから作り出した衣類を売ったりもしている。
オーダーメイドの依頼を受けることもあるが、条件が特殊なため依頼を受けることは極稀である。
「スイレン~、今日の分収穫したよぉ~」
まったりとした トーンで庭へ続く扉を開けて入ってきたのは茶トラの猫のコハク。
コハクの後ろに白毛に黒のポイントカラーのルリがいる。
二匹とも綿や麻などの素材が入った籠を頭の上に乗せている。
「コハク、ルリ姉、畑作業お疲れ様。他の子たちは?」
「他の者たちは庭で遊び始めたから置いてきたぞ」
ルリがずいっと頭の上の籠を差し出しながら「もう仕事は終わっているから良いかと思ってな」と付け加えた。
庭には布を作るための植物が植えてある畑と蚕などの虫の飼育場の他に、走り回れるだけの広場もあり猫たちが遊ぶにはもってこいの場所なのだ。
「昨日子猫を助けるためにみんなの力も借りたから疲れてると思ったんだけど、元気みたいね」
スイレンは受け取った籠の中身を先ほどとは別の織機にセットしていく。
「若いから体力が余っているのだろう」
そう言いながらルリはくわぁ~と大きな欠伸をして、猫ベッドがたくさん置かれている作業場の奥に引っ込んでいった。
「僕もお昼寝してこようかなあ~。ついでに子猫も見たいしねぇ~」
寝ることが好きなコハクは、ひとしきりスイレンの足に体を擦り付け、満足した様子でルリの後について行った。
全ての織機に素材を設置し作業もひと段落したので、スイレンはお昼寝組に添い寝しようか、庭で遊んでいる組に合流しようか悩んでいると、店の方からボスの声が届いた。
「スイレン、客だ」