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0 猫と主人の朝

 ――ドン、と夜の静寂の中、何かがぶつかるような音が鳴り、女は音のした方へ走った。

 小さな路地を抜けて大通りに出ると、そこには荒々しく走り抜けていく馬車の後ろ姿と、誰もいない夜道にひとり取り残された小さな猫の躰。

 踏みつぶした命を振り返ることもなく遠ざかっていく馬車に手を翳した後、女は横たわって動かない子猫を両手で掬い上げた。


「痛かったでしょう…。ごめんね、私がもう少し早く来れていれば…」

 奇跡的にまだその命はこの腕の中にあった。

「強い子ね。大丈夫、家に帰ればすぐにうちの子達が助けてくれるからね」

 もう少しだけ頑張ってね。そう呟いて首元の黒いストールを外すと、それは女の体を包み込むように広がって全身を覆いつくした。

 黒のストールは闇夜に溶け、そこにはもう誰の姿も無く、遠くでガシャリと硬いものの壊れた音と男の叫び声が響いた。






 カーテンの隙間から差し込む光が朝を告げた。

 外は少しだけ騒がしくなってきた頃だが、昨夜夜更かしをしていたこの家の主はまだ起き上がる気配はない。

 未だベッドの中にいる女が毛布を肩まで引っ張り上げ、寝返りをうって微睡んでいると、

 ――てしっ


 ――てしっ、てしっ


 その頬を叩く毛むくじゃらの手。

「ボス……私まだ眠いんだけど……」

 枕元に立つ黒い塊が女の顔を見下ろしていた。


「起きなさーーーい!!!」

 ボスン、と体の上に落ちてくる四つの肉球。三毛柄の猫が主人を下敷きにしているのを、黒い猫は咎めるでもなく静かに見守っている。

「スイレン!昨日連れてきた子猫が目を覚ましたわよ!」

 三毛猫の良く通る声でこの家の主、スイレンはバチリと勢いよく目を開けた。

「起きます!」

 体の上に乗っていた三毛猫を抱きかかえながら体を起こす。


「おはよう~!今日もかわいいわね私のスイートレディ」

 頬ずりされ露骨に嫌な顔になった三毛猫は、肉球で主であるスイレンの顔をぶにっと押し返した。

「ちょっと、頬ずりするなら顔洗ってからにして」

 するんと主の腕から抜け出し、毛が汚れるじゃない…と呟いて三毛猫は不機嫌そうに毛づくろいをはじめた。

(いつも通りヒスイは塩対応ね……)

 だがそれがいい…!とスイレンは心の中で拳を突き上げる。


「スイレン、ひたっている場合ではないぞ」

 枕元に座っていた黒猫が宝石のような青い眼を向ける。

「そうでした…!ありがとう、ボス。それから、おはよう」

 ふかふかの長い毛を撫でて、スイレンはベッドから出た。

 スイレンは寝巻のまま1階に下りる。ボスとヒスイも後に続いて軽快に階段を下りた。


 作業場の奥へ行くと猫用ベッドの上に大きな真っ白の長毛猫と、その体に埋もれるように灰色の子猫がいた。

「コンゴウさん、看病お疲れ様」

「一緒に寝ていただけだ…。特に苦労はしていないさ」

 コンゴウが子猫の毛づくろいをすると、子猫はよろよろとおぼつかない足取りで立ち上がり、スイレンの顔を見上げてビャーン、と鳴いた。


「だいぶ元気になったようだな」

「間に合って本当によかった。けど…、この子どうして一人であんな所にいたのかしら」

 昨夜スイレンは外出中に馬車に轢かれた子猫を保護した。

 早急な治療を要する状況だったので、スイレンは自身の所持していた特別な魔道具を使用し、瞬時に子猫を連れて帰宅した。

 移動する前に、近くに親の姿がないか探ってはみたが、それらしい気配は見つからなかった。

「親猫も飼い主らしき人間もいなかったと思うのよね……」

 スイレンが腕組をしてうーん、と頭を悩ませていると猫用の小窓がぱかりと開き、外から二匹の猫がするんと家の中に入ってきた。


「スイレン~。街の猫に聞いてみたけど、やっぱりこの子を知ってる猫は見つからなかったよ~」

 スイレンの肩に乗ってガシガシと頭を擦り付けてくるのはキジ白柄のゲッチョーさんと呼ばれる猫。

「ただ、街の猫の話によると、最近街に出入りしている商人で様々な生き物を販売しようとしている者がいたとのことですよ」

 行儀よくスイレンの足元にちょこんと座ったのはゲッチョーさんの弟でサバ白猫のニッチョーさん。

 二匹は昨夜から子猫の身内がいないか街を捜し歩いていたが、良い情報は持ち帰ってこられなかった。


「ありがとう、ゲッチョーさん、ニッチョーさん。ご飯の準備ができるまで休んでいてね」

「スイレン!スイレン!僕、今日はお魚が食べたーい」

「むむ、私はお肉の気分だったのですが……」

「昨日からみんな働きづめだから、今日は好きなものを食べましょう」

 キッチンに向かうスイレンの後をゲッチョーさんとニッチョーさんが追う。休んでいろと言われたもののご飯が待ちきれず、二匹はスイレンの足元をくるくると歩き回っている。


「結局あの子どうするの?スイレン」

 スイレンの肩ほどの高さの冷蔵庫の上に飛び乗ったヒスイがちらりと作業場の方に視線を向けながら尋ねてくる。

「そうね…。身寄りがない以上、しばらくはうちでお世話させてもらおうかと思ってるけど……」

 スイレンは冷蔵庫から魚を1匹取り出してまな板の上に乗せる。

「けど?」

「とりあえずは……」


 ヒスイと会話しながらスイレンは、ドンッ、と勢いよく魚の頭を切り落とし、

「……生き物でお金を儲けようなんていう不届き者をどうにかしないとね」

 と、それはそれは美しい笑みを浮かべたのだった。


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