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喫茶店すぴか—妖怪と賭け事と幼馴染—

作者: ルーシャオ
掲載日:2022/08/27

 坂道の街の片隅に、小さな喫茶店『すぴか』があった。

 朝は近所の会社に出勤する会社員たちが居座り、昼を過ぎれば地元民の憩いの場と化す。夕暮れとともに一旦看板をしまい、夜には落ち着いた小夜曲を楽しむ静かな場所として密かに知られている。

 『すぴか』の店主、荒木朋紀(あらきとものり)は今年二十六歳になったばかりの青年だ。年齢に似合わず物静かで、聞き上手の彼のもとには、ご近所の猫の話から遠い都会の恋物語まで人々が聞かせようとやってくる。

 黒いエプロンを着けて、きちんとワイシャツにツートンのベスト、黒いズボンを履いた彼は、馴染み客が来るとすぐにいつもの飲み物を注文前に作ってしまう癖があった。意外とそそっかしいところがある、そこが常連たちには可愛らしいと評判で、誰も文句は言わない。たまに違うものが頼みたくなれば、入店と同時に彼へ叫べばいいのだから。

 そうして、ある日のこと。

 夕暮れを前に、朋紀が看板をしまいに店の外へ出ると、坂道の下のほうから一台の原付がゆっくり昇ってきていた。どうやら知り合いだ、と認めた朋紀は、看板をしまう手を止める。

 ライトグリーンの原付は、『すぴか』の前で止まった。後部が頑丈なフレームだけの座席下に、運転手はヘルメットを放り込む。

 ゴーグルを上げた朋紀と同年代の金髪の青年、洞木明(うつぎあきら)へ、朋紀はほんの少し表情を緩めて迎える。明は『すぴか』の常連だ。アロハシャツに膝まで裾をめくったジーンズ姿の明は、ボロボロのスニーカーのつま先で地面を叩く。


「いらっしゃい、明」

「よう朋紀、あちーな! ったく、俺メロンソーダ!」

「少々お待ちくださいませ」


 せかせかとした明に背中を押され、朋紀は客のいない店内へ戻る。

 冷蔵庫からメロンシロップを取り出していた朋紀へ、カウンターに座った明は出されたお冷を飲みながら声をかける。


「やべーよやべー、今日外が三十五度超えててさぁ、マジであちーの何の。魚屋なんか誰が来るってんだよ、誰も来ねーよ」


 明は坂道の下、海のそばにある魚屋の息子だ。あまり真面目に手伝っていないように見えるが、毎朝魚市場に駆り出されていることはご近所の噂話で朋紀も漏れ聞いている。

 からんころんと冷やした背の高いコップに小さめの氷が入る。その様子を、明はじっと見ていた。しかし、コップにメロンシロップが注がれる段になって、思い出したように明は手を叩いた。


「あー、そういやよー、昨日変なことがあったんだわ」

「変なこと?」

「山向こうに配達した帰りに、コンビニ寄ったんだよ。アイスチョコバー買ってさ、当たり出てもう一本もらってやべーって思ってたらカツアゲされそうになった」


 明のいまいち断片的な話に、朋紀も苦笑するしかない。

 明は間違っても、カツアゲされる側ではない。気が短いし、腕っ節も強い。よほど大人数で囲まれでもすれば話は違うが、このあたりでそんな不良集団がいればすぐに朋紀の耳にも入ってくる。

 となれば、何かイレギュラーがあったのだ。それが明の言う『変なこと』なのだろう。

 メロンシロップと氷の入った背の高いコップへ、炭酸水が注がれる。冷凍庫から取り出したバニラアイスを丸く削り取り、マドラーで混ぜたコップの上に乗せる。

 朋紀はスプーンとともに、メロンソーダをカウンターへと差し出した。明が嬉しそうに受け取る。


「おー、暑い日にゃたまんねーな、アイス!」

「それで、どうしたんだ? カツアゲされそうになって?」

「おう、えーと……待て、最初からちゃんと話す。俺もわけ分かんねー」


 明はスプーンでバニラアイスをくり抜いて食べる。うーむ、と分かりやすく悩んでいた。


「まず、昨日の夜、坂上南のコンビニに寄って、アイスチョコバー買って駐車場で食ってたら当たりが出た」


 朋紀には、その様子は鮮明に思い描ける。明のいつもの行動だからだ。小中高と、朋紀は明と同じ学校に通っていたのだが、明は何かとアイスが好きだった。駄菓子屋でもスーパーでもコンビニでも、必ずアイスは買う。たとえ冬でもだ。もっとも、このあたりは冬も暖かく、明の腹の心配はしなくてもいい。

 とにかく、明は昨日の夜、配達の帰りにコンビニに立ち寄った。


「コンビニの中に戻って、当たり棒と引き換えにアイスチョコバーもらって、急いで帰って後で食おうと思って原付乗ったら、何か後ろに白いやつがいたんだよ」


 白いやつ。朋紀は首を傾げる。


「白いって、どういう? 服が白かった?」

「そうそう。作務衣のしっかりした版みてーな。よく分かんねー前垂れ付けて、お面被って法螺貝持ってた」


 明はそのときのことを、自分でも信じがたい、とは思っていないらしい。

 朋紀からすれば、それは明らかに不審人物だ。少なくとも、夜間に外で出会っていい類のものではない。

 明の説明で朋紀の頭に浮かんだ像と、明の思い描いているものを一致させようと、朋紀は尋ねる。


「お面、ひょっとして赤くて鼻が高くなかったか?」

「んー、ああ、そう、それそれ。薄暗かったからよ、初めは無視しようと思って原付ターンさせてたら、めっちゃ自己主張しはじめた」


 朋紀は顔には出さないが、明が出会った白いやつの正体を何となく察していた。

 おそらくそれは、修験者か天狗だ。






 昨夜、午後八時。

 坂下南のひとけのない、四車両が横一列に停まれるコンビニの駐車場で、それは起きた。

 洞木明は原付のハンドルにアイスチョコバー入りのビニール袋を下げて、胡散臭そうに、背後にいる『白いやつ』を見る。白い作務衣のような服に、手足は邪魔にならないようにか袖を絞ってあって、坊主がつけていそうな前垂れを体の前に下げている。顔は窺えない、赤く鼻の高いお面をつけているからだ。その左手には、荒縄を巻きつけた大きな法螺貝があった。よく見れば、一本足の下駄を履いている。

 その『白いやつ』は、明へ話しかけてきた。


「おい、おい。ちょいと待て。お前、そいつをくれんか」

「は? 何を?」

「その袋の中のもんじゃ。いいじゃろ?」

「何言ってんだボケ。俺のアイス取ろうたぁいい度胸じゃねーか」


 明は原付のスタンドを立てる。どうやらこの『白いやつ』はアイスチョコバーが狙いらしい、いきなり見知らぬ不審者にそんなことを言われてはいそうですかと渡せるほど、明は知的ではなかった。

 パキポキと指を鳴らす明へ、『白いやつ』は慌てて取り繕う。


「待て待て! そうじゃ、賭けをしよう! 儂はそれが欲しい、お前さんは」

「何もいらねー。どうしてもってんならてめーの命置いてけや」

「何じゃこの坊主! 話にならん!」

「あ?」


 鋭く、大抵の生き物を凍り付かせる目つきの悪さで明に睨まれた『白いやつ』は、ワタワタと手足を振りながら、何とか条件を出した。


「まあ待て! いいものをやる。しかしじゃ、タダではやらん。賭けじゃ、賭けをしよう。少しばかしだ、時間はそれほどかからん」

「俺にメリットがねーだろ」

「じゃから、勝てばいいものをやる! どうする、やるか? やらんか?」


 明はこのとき、ただひたすらに「めんどくせー」としか思っていなかった。

 しかし、目の前の『白いやつ』は無視してもついてきそうだ、そんな気配を明は感じ取った。野生の勘のようなものだろう、そもそも明は何が起きても拳で片をつけるタイプだ。もしアイスチョコバーを奪い取られそうになれば、即座に殴りかかればいい。その程度に思っていた。

 明はしょうがない、と腕を組んで顎で指示を出した。


「てめーは俺を怒らせた。賭けでも何でもやってやんよ。ぶん殴られたくなきゃさっさとやれや、どうすんだ?」

「まあちょいと待て」


 『白いやつ』はそう言うと、器用にお面の上から法螺貝を吹きはじめた。耳障りな低音が闇夜に響き渡る。何つー迷惑なやつだ、後で殴る、と明が心に決めようとしていた、そのとき。

 ガサガサ、と各所から音が聞こえてきた。衣擦れ、草木を踏みしだく音、風に混じって聞こえてくる話し声。それらがコンビニの駐車場へ向けて、やってくる。

 一方、明はそんな状況でも、イライラしていた。そこかしこから小さいのや大きいの、奇妙な連中がやってきたというのに、明は怯まない。一つ目小僧が目の前に現れようと、唐傘小僧が飛んでこようと、ろくろ首が見越し入道の肩に乗っていようと、今の怒りを抑えるほどのことではない。

 『白いやつ』はそんな明へ、何も分かっていない言葉を投げかけた。


「ひひ、驚いたか? 賭けというのはな、儂らがやるんじゃない。儂らは勝負をする、こやつらがどちらが勝つかを賭ける。その賭け金を、勝ったほうが受け取る。どうじゃ? 今からでも」

「うるせー! アイスが溶けるだろうが! 今すぐ殴り合いだ!」

「待て待て待て! まったく、最近の子供は堪え性がない……おいぬりかべ、勝負は何にする?」


 いつのまにか、『白いやつ』の背後には、白漆喰の壁があった。その壁に口が現れ、喋りはじめる。


「それな、勝負、こういうのはどうだ? 相手が嫌なことを言ったほうが勝ち、落ち込んだら負け」


 『白いやつ』は一本足の下駄で踊る。


「そうか、そうか。ではそれで行こう、お前さんもいいな?」

「何でもいい。てめーを落ち込ませたら勝ちだな?」

「そうじゃ、やってみせよ」

「じゃあ、てめーから言え。すぐにだ、アイスが溶ける」


 こうして、戦いの火蓋は落とされた。

 要するに、明と『白いやつ』は、口喧嘩をするというだけの話だ。しかし奇妙なやつらは喜び飛び跳ね、二本足のたぬきが三度笠をひっくり返した中へと色々なものを投げ込む。硬貨のようなものから、手拭いか何かまで、ポンポンと放り込む。

 ぬっと口の生えた壁が歩み出てきた。どうやって進んできたのかは分からないものの、進んできたのだ。今更、明はどうでもよかった。


「判定は、おいらがする。ほんなら、天狗から」


 天狗と呼ばれた『白いやつ』は、意気揚々と、くるりと回ってビシッと明を指差す。


「お前さん、原付にしか乗れんのか?」

「あ?」

「いやいや、悪かったのう。いやしかしじゃ、その図体でこんな小さな原付に乗ってのう、格好悪くはないか? ああいやいや、分かっとるよ、乗れんのじゃろう? 聞いてしもうて悪かったのう、かっかっか!」


 天狗と呼ばれた『白いやつ』は、どっと沸き上がった奇妙なやつらとともに、馬鹿笑いをする。どう見ても、明を小馬鹿にする笑いだ。

 明の原付を馬鹿にした、天狗と呼ばれた『白いやつ』は知らない。明の原付は、父から譲られたホンダのズーマーだ。はっきり言って、明はかっこいいとすら思っている。ライトグリーンの車体にゴツいフレーム、しっかりした二つのライト、どこを取ってもお気に入りだ。

 ただ、天狗と呼ばれた『白いやつ』は、見誤った。明は、怒れば怒るほどに、冷静になるタチなのだ。


「それで終わりか?」

「むっ」

「じゃあ俺の番だな」


 明はおもむろに、天狗と呼ばれた『白いやつ』のお面を、右手でむしり取った。

 ブチブチ、という音がして、お面の後ろを結んでいた紐が千切れる。そして顕になったお面の下には、明より少し年上の、細面気味の中年の男の顔があった。

 明は鼻で笑う。


「んだよおっさん、いい年こいてお面被って夜遊びかぁ?」

「う、うるさい! 儂は天狗じゃ、天狗になるべくこうして修験道の研鑽も積んでおる!」

「はあ? 天狗ってあれだろ、妖怪だろ? 何、おっさん、妖怪になりたいわけ? はあああ? よ・う・か・い? おいおっさん、仕事しろや。それとも無職か? 早く就職して給料もらって税金払えよ。その年になって親泣かせてんの? あれか、妖怪になったら学校も試験もねーってか? 現実見ろよ、てめーには仕事も家族も家もねーのか? そろそろちゃんとしねーと老後困るぞ、マジで」


 明はペラペラとまくし立てる。

 明は特別饒舌なほうではない。しかし、喧嘩というのは、相手を怒らせるために言葉を使うことから始まる。ときにそれは怯ませるためでもあるし、言葉だけで泣かせることもある。

 残念ながら、天狗と呼ばれた『白いやつ』は、明を甘く見ていたと言っていい。明は次々と、天狗と呼ばれた『白いやつ』の弱点をクリーンヒットさせつづけた。

 明は、天狗と呼ばれた『白いやつ』が無職であることも、家族を泣かせていることも知らない。適当に言葉を選んだだけだ。しかし、オーバーキルもいいところだった。

 一分とかからず、天狗と呼ばれた『白いやつ』は、生温かいアスファルトに両手と膝を突いた。

 しん、となったコンビニの駐車場は、一気にその熱気は失われ、ただただ、哀れみの目線が、天狗と呼ばれた『白いやつ』へと注がれていた。

 そんな中、壁が無慈悲に宣言する。


「勝者、こいつ。天狗、負け」


 どよめきとともに、一匹のたぬきが歩み出てきて、三度笠の中身を明へ見せる。そこには、小銭のほか、明の目から見ればガラクタばかりが詰め込まれていた。

 明はプイッと顔を背けた。


「いらねー。俺、帰る」


 そのまま、明は原付にまたがり、軽やかに去った。

 急ぎ帰らなければ、アイスチョコバーが溶けてしまう。






「そんな感じでよー、あれだ、どっかの演劇部がいたずらしてたとかじゃねーの」


 うんざり、とばかりに、明はメロンソーダを飲み干した。

 朋紀はその話を、相槌を打ちながら聞き終えて、こう思った。

 おそらく、天狗と呼ばれた『白いやつ』は——まだ、人間だ。そしてその周りに集まっていたのは、妖怪ではないか。人間ながら、妖怪へ片足を突っ込もうとしている、天狗になろうとしている『白いやつ』は、妖怪らしく人間をからかおうとした。しかし、その対象が明だったせいで、何ともかわいそうな結果に終わってしまった。

 結局、賭けは成立したのか。それは分からない。とりあえず、明は口喧嘩に勝って、アイスチョコバーを奪われずに済んだ。

 朋紀は、明を労う。


「大変だったね」

「本っ当だよ。暑い中馬鹿に付き合ってやったんだ、お礼の一つくらいあったっていいんじゃね」


 それは明が賭け金を受け取ることを蹴って帰ってきたから受け取れなかっただけで、とは、朋紀は言い出せなかった。妖怪たちが律儀であれば、そのうち、明のもとに賭け金は届けられるだろう。

 明は、メロンソーダのコップに残った氷をバリバリとかじっている。


「そう言えば、明って普通二輪乗れたような」

「ん、乗れるぞ。大型二輪の免許も持ってる」

「なのに、原付?」

「そりゃそうだよ。こんな坂道の多い狭い街で、大型なんか乗れねーだろ」

「それもそうだ」


 考えてみれば、もっともな話だった。魚市場に行くにしても、魚の配達をするにしても、この坂道の街を踏破するには、原付が一番楽なのだ。

 そんなところで原付を馬鹿にするセンスのなさは、さすがに朋紀も、天狗と呼ばれた『白いやつ』を擁護できない。


「まあ何だ、俺のズーマーを馬鹿にするとかマジで頭イカれてんな。かわいそうだったから殴らなかったわ」

「それでいいと思うよ。アイス、食べる?」

「おう、一つくれ」


 朋紀は、冷凍庫にしまったバニラアイスをまた取り出した。

 この坂道の街には、ちょっとした噂話から、おかしな話まで、喫茶店『すぴか』に集まってくる。

 荒木朋紀は相槌を打ちながらそれを聞き、客をスッキリとさせて帰す。

 時々変な話もあるが——それはご愛嬌だ。明の話の続きは、また後日、明本人が話しに来るだろう。


 朋紀は『すぴか』でそれを待つだけだ。

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[一言] 面白かった‼️ 続きがあれば読みたいです‼️
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