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ダグラス、遠い目をする


 侍女に連れられ退室する幼女の背中に熱い視線を送っていた美貌の青年へ。

 予定外の残業に一刻も早く家に帰りたいダグラスは、ため息交じりの声を投げた。


「……で、居残りの理由はなんですかね?」

「――何故、あっさり信じた?」


 ディートハルトの言葉は実に簡潔だった。

 常人であれば逃げ出したくなるか、はたまた許しを請いたくなるか。

 そんな尋問めいた視線を浴びせられるダグラスだが、特に動じることなく飄々とした態度で応じる。


「信じない方が良かったんですか?」

「正直どちらでも構わなかったが……予想ではもっと時間が掛かると思っていた」

「でも団長だってアイツの正体にすぐ気づいたんでしょう?」

「私が気づくのは当然のことだ。だが、お前はそうではないだろう」


 当然かどうかはさておき、確かに荒唐無稽な話をすんなり信じたのにはそれなりの理由がある。

 それを話さない限りは帰してくれないのは目に見えていたので、ダグラスはあっさり種明かしを始めた。


「……まぁ、髪の色も目の色も一緒で、顔もどことなく面影があるような気がしたのがひとつ。なかなか珍しい容姿ですからね、特にあの目は」


 あまり手入れがされているとは思えない、しかしそれでもなお眩く輝く銀糸の髪。

 そして強い意志を感じさせるシャンパンガーネットの瞳。

 思えばパレードで最初に見た際にも、脳裏にレスティアの影がチラついたくらいだ。

 このまま順調に成長していけば、より強くレスティアを感じさせる容姿になることは想像に難くない。

 しかし、外見についてはあくまでも副次的な要素だ。


「そしてこっちが本命ですが……酒場のアンジュ」

「私は聞いたことがない名だが」

「ええ、それはそうでしょう。だって酒場のアンジュなんて女は()()()()()()()()()()

「……どういうことだ」

「酒場のアンジュってのは、全部俺の作り話ってことです」


 ダグラスは自嘲気味に笑みを漏らす。そして思い出す。

 もう十年以上前だ。長く続く戦争に誰もが疲弊していた時代。

 数少ない女騎士の中でも見目麗しく、しかもとびきり優秀で、けれどそれを鼻に掛けない気さくな性格の持ち主。

 死と隣り合わせの戦場で背中を預けるに足る、同時に心も預けるに足る、そんな女が傍にいて。

 彼女を特別視しない理由など、なかった。


「あの時、俺はアイツに――レスティアに惚れていた。だが、長く同僚をやりすぎていたから、関係を変えるのに臆病になった。それで思いついたのが、アイツに対しての揺さぶりだったってことです」


 今にして思えば、自分も相当青かったのだと冷静に判断できる。

 彼女はダグラスの持ち掛けた相談に対し、実に真摯に、そして残酷にアドバイスをしてくれた。

 それはもう、どう考えても脈がないことが伝わる程度には。


「ちなみに俺が酒場のアンジュという名前を告げた人間は、レスティア以外に一人もいません。男も女もね。だからこそ信じられたわけですけど、納得していただけましたか?」


 出来れば墓場まで持っていきたい類の恥ずかしい話を披露したつもりのダグラスに対し、しかしディートハルトは真剣な面持ちで顎を引いた。


「そうだな……確かに、当時のお前が別の女に懸想していたという話には違和感があった」

「おや、当時の俺の気持ちに気づいていたと?」

「それこそ愚問だな。あの方に惚れてる男は騎士団内に溢れ返っていた。目を光らせるのは当然だろう」

「ああ、あからさまな奴らには分かりやすく牽制してましたっけね……」


 当時のことを振り返りながら、ダグラスは眼前の青年を静かに見返す。

 今では想像するのも難しいほどだが、ディートハルトもレスティアが生きていた時には人並みに笑ったり怒ったりしていたのだ。しかし彼女が戦死してからはまるで何かに憑りつかれたかのような、人としての感情を全て削ぎ落したような顔しかしなくなった。

 九年以上その姿を傍で見てきたダグラスだからこそ、ディートハルトにこの言葉を投げかけることが出来る。


「あの頃から、アイツへの気持ちは全く変わってないんですか?」

「……いや? あの頃はまだ可愛げがあったはずだ。今と違ってな」


 じゃあ今は、という質問がダグラスの口から零れることはなかった。それこそ愚問だったからだ。

 きっとこの青年は二度と彼女を手離したりはしないだろう。誰に何を言われようとも。

 だから代わりにダグラスは年長者としてせめてものアドバイスを贈ることにする。


「……あんまり、アイツのこと追い詰めないでくださいよ?」

「分かっている。だからこそお前に正体を明かすことにも同意したんだ。彼女の過去を知るのが私だけでは、不測の事態があった時に取れる選択肢が減る」


 その返答をダグラスは意外に思った。

 この独占欲の塊みたいな男が自分以外の人間に彼女を委ねるとは到底信じられない。

 しかもダグラスは男で、かつてはレスティアに恋情を抱いていたのだ。


「……団長は、俺だったら絶対に安全って思える根拠があるんですか?」


 ダグラスの純粋な疑問に、ディートハルトが目を細めて――微かに笑った。


()()()()()()()()()()()、少なくともこの場で打ち明けさせはしなかっただろうな」


 思わず息を呑む。

 ダグラスが妻と結婚したのは五年ほど前。子宝にも恵まれ、三歳になる娘もいる。

 そう、ダグラスの中でレスティアは既に過去の女性だ。ダグラスは妻と娘を心から愛しているし、他の女に目移りすることなど決してあり得ない。

 それを分かっているからこその決断、ということなのだろう。

 裏を返せば、少しでも可能性があると判断すれば、たとえダグラスのような長年付き合いのある人間ですらも不用意には近づけさせないという意思表示でもある。


「……束縛が強い男は嫌われますよ」

「気づかれなければいいんだろう。問題はない」

「いや絶対に気づかれてますから。というか隠す気ないでしょアンタ」

「彼女を小さな檻に閉じ込める気はない。檻の方を、彼女が気づかないくらい大きくするだけだ」


 凡人が口にすれば噴飯ものの発言だが、この男ならば確実にやる。

 地位も名誉も実力も財力もすべてを兼ね備えているのだ。

 そしてそれを一人の少女のために惜しみなく使うことに一切の躊躇はない。


「あの番犬君じゃあ勝ち目はなさそうだなぁ……」


 真新しい噛み痕が出来た己の手の甲を摩りながら、ダグラスは遠い目をしながらポツリと呟いた。


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