アルマ、打ち明ける
ディートハルトと共に応接室へとやってきたアルマは、室内中央に備え付けられた三人掛けの応接ソファーに座るダグラスの姿を見て目を丸くした。
「……何かに襲われでもしたか?」
ディートハルトの指摘した通り、ダグラスは顔や手の甲などに真新しい傷を作っていたのだ。
見た限りは引っ掻き傷や歯型といったもののようだ。酷い怪我ではないが、痛そうではある。
ダグラスはチラリとアルマに視線を投げた後で、
「……飼い主を取られた番犬に少々。まぁ可愛いもんです」
と、何やら苦笑気味に意味深な発言をする。首を傾げるアルマに対し、どうやらディートハルトには察するものがあったのか、それ以上の言及はされなかった。
そうして入室後、先に着席したディートハルトに横へ来るよう促され、アルマはダグラスの向かい側のソファーに腰を下ろす。
ちなみに少し距離を置いて座ったところ、自然にディートハルトがその距離を埋めてきた。
密着とまでは言わないがかなりの至近距離にアルマはなんだかソワソワしてしまう。
そんなアルマの心情はさておき、着座早々ディートハルトがダグラスに向けて口火を切った。
「では、早速報告を」
「……この子の前で報告していいんですか?」
ダグラスの視線はもちろんアルマに向けられている。
それに対してディートハルトは鷹揚に頷いた。
「問題ない」
「わたしのことはお構いなく」
アルマの幼女らしからぬ物言いに何とも言えない微妙な表情をしながらも、ダグラスは報告を開始した。
「じゃあ手短に。クレア孤児院には俺のできる範囲かつ穏便な形で彼女をしばし公爵家で預かると説明しました。最初は半ば誘拐犯扱いでしたが、俺の騎士としての身分と、ゼムという男の証言でまぁなんとか場を収めた感じです」
「ゼム先生が……?」
アルマの疑問符を含んだ言葉にダグラスが優しい口調で補足する。
「あぁ、君がパレードで団長の馬に乗せられてるのを彼も見ていたんだと。それで誘拐の線は否定してくれたわけだ。……実際には誘拐と然程変わらん気もするが……」
最後の方はやや声を落とし、非難がましい視線をディートハルトへと送るダグラス。
しかしディートハルトは全く意に介するつもりはないようで、面倒くさそうに軽く手を振り払う。
「余計な話はいい。続きを」
「はぁ……ったく。で、なんとか院長さんにも信用して貰えたんで、その子の素性について軽く確認して戻ってきたわけです」
「わたしの素性……」
別に探られても痛い腹はないが、どんなことを聞いてきたのかには興味がある。
そんなニュアンスでダグラスを見れば、彼はアルマの心情を汲み取ったかのように軽い調子で言葉を続けた。
「まぁ本当にたいした話はしてないけどな。君が生まれた直後から孤児院にいることと、あとは2年ほど前から剣術の指導を熱心に受けてることくらいか」
なるほど、本当に大したことは聞いていないのだな。
話の内容についてアルマがそう思っていると、横からディートハルトが口を挟んできた。
彼は目線を落とし、アルマへと問う。
「剣術……誰に師事を?」
「いま話に出てきたゼム先生だよ。普段は貴族の護衛の仕事をしてるんだけど、時間がある時にちょくちょく孤児院に来てくれてるの。いい人だよ」
「……親しいんですか?」
「ん? そりゃあまぁ2年も教えて貰ってれば多少はね。今日のパレードも保護者代わりを買って出てくれたくらいだし」
「…………そうですか」
言葉こそ穏当なものだが、何故かアルマはディートハルトの声音に一瞬、どこか冷たいものを覚えた。
しかし会話の流れは自然なものだったので原因が全く分からず、思い過ごしかなと考えを改める。
ディートハルトはディートハルトで、再び視線をダグラスへと戻していた。
「……ダグラス、他には?」
「あ、ああ……後は数日中に一度その子と共に説明に来て欲しいと院長さんが言ってましたよ。当然だとは思いますが、流石に行きますよね?」
「そうだな。遅くとも明日か、明後日には」
「そうしてください。向こうさんも心配してましたから」
「分かった」
「こちらからの報告はそんなもんですね……で、だ」
言って、ダグラスは背筋を伸ばすとディートハルトに真剣な眼差しを向けた。
「結局、俺はその子について教えてもらえるんですか?」
彼の声からも態度からも、知りたいという欲求が滲み出ていた。
「……アルマ様」
「うん」
ディートハルトの呼びかけに背中を押され、深く頷く。
そして、アルマはダグラスを真っ直ぐに見つめながら、自分の胸に手を当てた。
「信じられないかもしれないけど……わたしは……レスティア・マクミランとしての記憶を持ってるの」
この応接室に来る前に、アルマは自分の正体についてダグラスに開示することをディートハルトに相談していた。荒唐無稽な話ではあるし、言ったところで信じて貰えるとは限らない。だから難色を示されるかと思っていたが、予想に反してディートハルトは反対しなかった。
ダグラスなら信用が出来るから、と。それはアルマも同じ気持ちだった。
「…………レス、ティア……?」
「うん。久しぶりだね、ダグラス」
半ば呆け顔のダグラスに、アルマは申し訳なさと懐かしさを同時に覚えながら微笑みかける。
すると、彼は頭を右手でガシガシと掻きながら、俯きがちに呟いた。
「……とても信じられん。そんな、冗談みたいな話、あるはずが……」
「まぁそれが普通の反応だよねぇ」
やはり呼び名一つであっさり確信に至ったディートハルトがおかしいのであって、ダグラスの混乱こそが正しい姿だとアルマは苦笑いを浮かべる。
しかしこのまま信じて貰えないのも寂しいので、アルマは考え得る限りで一番効果がありそうな証拠を提示することにした。
「ねぇ、ダグラス……酒場のアンジュちゃんへの告白は、うまくいった?」
「なっ……!? なんで、それ……!!!」
「なんでって、ダグラスが教えてくれたんでしょ?」
――酒場のアンジュちゃん。
それはレスティア時代に聞いた、ダグラスの想い人の名前だ。
戦時中ゆえに恋愛など大っぴらに出来ないような風潮ではあったものの、数少ない女性騎士であったレスティアはその手の相談を同僚や後輩の騎士からされることが割と多かった。
特にこのダグラスからの相談は印象深く、浮ついた噂ひとつなかったのにある日突然真剣な面持ちで「酒場のアンジュに告白したいんだが、お前ならどんなプレゼントが欲しい?」と意見を求められた記憶は鮮明に残っている。
そして、それはダグラスも同様だったらしい。
「……本当に、レスティア、なのか……?」
「信じてくれた?」
「信じる……しか、なさそうだなぁ……」
言って、ダグラスは正面のアルマを上から下まで確かめるようにじっくり眺めた。
そして大きくため息を吐いた後に、どこか困ったような、呆れたような笑顔を浮かべる。
「……でもこれで団長の奇行は理解できた。お前がレスティアならまぁ納得だわ」
その言葉から察するに、どうやらダグラスはディートハルトがレスティアに向けていた恋心を知っていたようだ。
それはそれで恥ずかしいと感じたので、アルマは空気を変えるようにわざと明るめな声を上げた。
「あのさ、今のわたしはアルマだから。良かったらこれからはそう呼んで?」
「……了解。よろしくな、アルマ」
そこで、テーブル越しにダグラスが右手を伸ばしてくる。
すぐに意図を察したアルマは、身を乗り出し小さな両手でその大きな手を掴むと、ぎゅっと強く握った。嬉しくて自然と笑みも零れる。
「良かったですね、信じてもらえて」
「うん! ダグラスとは同僚時代から仲良かった方だし、このまま隠し続けるのは嫌だったからね……ふぁあ……」
思っていたよりもすぐに信じて貰えて安心したからだろうか。
急速に眠気が襲ってきて、アルマははしたないと思いつつも小さく欠伸をした。
普段ならとっくに就寝している時間ということもあるだろう。
ダグラスから手を離し、コシコシと眠い目をこすっていると、ディートハルトが優しく声を掛けてきた。
「もう夜も遅いですから、アルマ様は先に休んでください」
「うーん……それは正直助かるけど……ディーとダグラスは?」
「僕らはもう少し話があるので、お気になさらず」
アルマの返事を待たず、ディートハルトは使用人を呼ぶためのベルを手に取って鳴らす。
ほとんど間を置かずに二人ほど侍女がやって来たので、アルマはディートハルトの気遣いに甘えて素直に休むことを選択した。
考えてみればパレードから今日は激動の一日だったので、心身ともに限界は近い。
「おやすみなさい、アルマ様」
「うん、おやすみ……」
退室間際におやすみの挨拶をし、アルマは一足先に寝支度へと向かったのだった。