アルマ十七歳、結婚式まであと数日
予告より1週間ほど遅れてしまい申し訳ありませんでした。
後日談その3、アルマ十七歳です。
「よぉ、今から帰りか?」
「ダグラス副団長――お疲れ様です」
騎士団庁舎から正門までを繋ぐ通路を歩いていたアルマは、ちょうど外回りから庁舎へと戻ってきたと思われるダグラスに対して立ち止まり、騎士の礼を執った。
ダグラスは一緒に戻ってきた部下たちに「先に戻っててくれ」と指示を出す。次いで、
「お前、明日から長期休暇だよな。正門まで送るわ」
「……ありがとうございます」
意外と過保護な申し出に思わず笑みが零れそうになるのを堪えながら、アルマはぺこりと頭を下げた。
ダグラスは部下が去ったのを確認すると「誰もいないし普段の口調で良いぞ」とアルマの頭をポンポン叩く。そうして改めて二人並んで歩き出した。
「五日後の結婚式も招待ありがとな。嫁も子供たちも楽しみにしてる」
「ううん、こっちこそ来てくれて嬉しい。私もディーも、個人的な交友関係は広くないから」
「いや団長はともかく、お前はそれなりに友達とか招待したい奴いるだろ?」
「と言っても、孤児院のみんなにゼム師匠くらいだよ? 後はだいたい高位貴族の方々だから……」
「もしかしてお前、グランツ女辺境伯とかも呼んでんのか?」
「うん、お呼びしてるけど? かなりお世話になってるし」
実際、騎士爵のアルマが女性同士の社交場で爪はじきにならなかったのはエリーチカの存在が大きい。ディートハルト・アメルハウザー公爵の婚約者という肩書から露骨な嫌がらせはされにくいが、逆に無視や陰口などは当然のように行われる。中には貴族的なやり口でアルマに恥を掻かせようとする未婚の高位貴族女性などもいたが、ちょうどその場に居合わせたエリーチカがアルマが手を出す隙もなくやり込めてしまったのだ。それ以来、直接的な嫌がらせは一切なくなり、少なからず貴族の友人も出来た。
簡単にそう説明すれば、ダグラスは感心したように口笛を吹く。
「あのキャンキャン吼えまくってたお嬢様がねぇ……人ってのは良いようにも悪いようにも変わるもんだな」
「うん、私もそう思う。若いうちは特に周囲の影響も大きいしね」
「だなぁ……うちのお姫さんも『もうパパとは寝ない!』ってさぁ……成長は嬉しいけど、同時に複雑にはなるぜ……」
がっくりと肩を落とすダグラス。愛妻家であり子煩悩な彼は健在で、アルマもたまにダグラス家に遊びに行くが、その温かさは心底羨ましいと感じる。
「下のは下ので『アルマねぇねに会いたい! 抱っこ!』って毎日煩いくらいだぜ? お前、ホント子供に好かれるよなぁ」
「そうかなぁ? でも、私もダグラスジュニアに会いたいな。流石に結婚式で抱っこは難しいけど、今度遊びに行った時にならいくらでも抱っこしてあげるって伝えておいてくれる?」
アルマがダグラスの下の子――可愛い盛りの五歳の男の子の姿を脳裏に描きながら笑みを浮かべる。
が、逆にダグラスはとんでもないと言わんばかりに顔を青くしながら大きく首を横に振った。
「駄目だ駄目だ! うちのジュニアはもう五歳だぞ! ディートハルトに知られてたら子供だろうがうちのジュニアの身が危ないだろうが!」
「……何言ってるのダグラス。流石にディーもそんなに大人げなくないよ」
「いやアイツ死ぬほど大人げねぇからな!?!? ……あーもーとにかく! 明日から三週間、こっちのことは気にせずに旦那の手綱でも握っといてくれよ!」
気づけば正門まで辿り着いていた。
既に迎えに来てくれていたアメルハウザー公爵家の馬車に乗り込みながら、アルマは何故かどっと疲れたような表情をしているダグラスに「じゃあ、後はよろしくね」と手を振った。
そうして馬車の座席でひとり会話を反芻しながら、
「……子ども、かぁ」
アルマは少しずつ夕暮れに染まっていく街をぼんやりと眺めていた。
正式に婚約してからは、夕食後にディートハルトの部屋で寛ぐことが常態化している。
結婚式を五日後に控えていてもそれは変わらない。
そんなわけで今日もアルマはディートハルトの部屋のソファーに座り、既に退室している侍女により供された紅茶をちびちびと飲んでいた。
しばらくするとノック音の後に、部屋の主が入室してくる。
「ディー、お疲れ様。執務のほう、大丈夫?」
ティーカップをソーサーに戻しながら声を掛ければ、ディートハルトが柔らかく目元を細める。
「ええ、問題ありません。長期休暇に備えた指示も出し終えましたので」
「……私ももっと手伝えることがあればいいんだけど」
「そのお気持ちだけで充分ですよ」
実質的に国を裏から牛耳っているアメルハウザー公爵家の執務である。いくら勉学に励んだからといって、アルマがおいそれと手を出せる領分ではない。
また、ディートハルト自身があまりアルマに家のことをさせたがらないのも手伝って、結局アルマは公爵家の執務についてはよく知らないままだった。
普段の流れならばこれで会話は打ち止めとなる。
が、今日のアルマは敢えて話題の変更をしなかった。
「……でも、五日後にはもう結婚式でしょう? 私も正式に公爵夫人になるんだし、もう少し家のことを把握しておくべきなのかなって……」
俯きながら零したアルマの呟きに、ディートハルトは少しだけ意外そうな顔をする。
「ああ……気にされていたんですか?」
「気にするよ、そりゃあ。ただでさえ異例尽くめな婚姻だし……」
アルマの言葉を聞きながら、ディートハルトがソファーに深く腰かける。場所は定位置――つまり、アルマのすぐ真横だ。腕同士が軽く密着するほどの距離だが、この一年で完全に慣らされたアルマはそれを自然と受け入れており、少し上向けば至近距離に迫るディートハルトの美しい顔を自ら覗き込む。
「……ねぇ、ディー」
「はい、なんでしょうか?」
当然のようにこちらの腰に片手を回し、ディートハルトが実に甘やかな表情を浮かべる。
優しく溶けたタンザナイトの瞳に映る自分を確かめながら、アルマは意を決して問いかけた。
「ディーは、私との子ども、欲しい?」
「…………っ!?」
ここ数年でアルマですらほとんど見たことがないくらい、ディートハルトが激しく動揺した。
飲み物でも口に含んでいたらおそらく咳き込んでいただろう。
常に冷静沈着と謳われる彼がここまで取り乱すのは新鮮だが、質問内容が質問内容なだけあってアルマは僅かに身体を強張らせる。もしかしたら、ディートハルトにとっては不愉快な質問だったのかもしれないと思って。
そんなこちらの心の機微を察したのか、ディートハルトが慌てて口を開いた。
「すみませんっ! 突然のことだったので、その、言葉に詰まってしまって……!」
「……う、ううん、平気。こっちこそごめんね突然……その、答えづらい話しちゃって」
あはは……と気まずそうに微笑むアルマ。すると、ディートハルトはおもむろにアルマの腰に回した手を自らの方へと強く引き寄せた。そのまま彼はやや強引にアルマを自分の膝の上に乗せてしまう。
膝の上に乗せられること自体は珍しいことではない。が、こうまで突然なのは珍しく。恥ずかしさよりも驚きが勝ったアルマが目を白黒させていると、
「……アルマ、もしや何か勘違いしていませんか?」
どこか咎めるような声音のディートハルトが耳元で囁いてくる。
距離が近すぎて身じろぎもままならないアルマがそれでも精一杯その意図を汲もうと彼の顔へと視線を向ければ、
「――欲しいに決まってるじゃないですか。貴女との子なら何人でも」
おもいのほか熱っぽい視線を浴びてしまい、今度はアルマの方が言葉に詰まってしまった。
そのまま何故か流れるように頬や前髪に口づけを落としてくるディートハルトに困惑しながらも、アルマは視線はそのままに両掌をぎゅうっと握り締めながら言葉を返す。
「ほっ……ほんとに?」
「勿論です」
瞬間、アルマの全身から一気にこわばりが抜けていった。同時に「そっかぁ」と呟きながらへらりと笑えば、逆に眉間に皺を寄せたディートハルトに強く抱き込まれてしまう。
もしや怒らせてしまったのかと焦るアルマだったが、直後に零された彼の「僕のアルマが可愛すぎる……」という言葉で、すぐに不安は払しょくされた。
代わりに込み上げてくる途方もない恥ずかしさは甘んじて受け入れる。
そうしてしばらく無言のまま、お互いの肌の熱にどこか浮かされていたアルマたちだが。
だいぶ気分が落ち着いたらしいディートハルトがゆっくりと顔を上げ、至極真剣な表情で言った。
「アルマ、分かってると思いますが、子供に関しては神からの授かりものですから。出来ないなら出来ないでも構いませんよ」
「えっ……!? それは……公爵家当主としては非常に拙いのでは……?」
「何度も言っているでしょう? 僕は、貴女さえいればそれでいい」
断固として譲らないという雰囲気に、アルマは嬉しさと切なさで胸が疼く。
再会してから何度も聞いた言葉。事実ディートハルトは未だに、アルマ以外のものに対する興味や執着心が希薄だ。それが悪いことだと断じれるほどアルマは傲慢ではないが、この頑なさを時折危ういと感じてしまうのも仕方のないことで。
「この家の後継は、然るべき時に然るべき者に継がせればいいだけのことです」
さらりと告げるその姿は、二十九歳という年齢以上の威厳と――彼が歩んできた人生の過酷さが滲み出ていた。
そもそもディートハルトは、公爵家当主であることを目的ではなく手段としている。
誰にも害されないほどの強さを持つことで、大切なものを――つまり自分を守ろうとしてくれている。
そんなディートハルトの想いが分かっているからこそ、アルマはこの言葉を贈る。
「……でも、私はディーとの子ども、欲しいな」
恥ずかしくて目が合わせられず、アルマは自分の腹の上に回されていたディートハルトの指先を弄んだ。絡めた指先が想像よりも熱くて、骨張った手の甲を撫でるたびに彼が大人の男性であることを強く意識する。
もうディートハルトは庇護を必要とするような子どもではない――けれど。
「孤児の私は勿論だけど、ディーもその……あまり血縁には恵まれていないでしょう?」
「……まぁ、否定はしませんが」
「別に血の繋がりがすべてだなんて思わないし、言わないけど……私は純粋に、ディーの血を引く子どもを、この手で抱きしめたい」
そこまで言ってから、アルマはゆっくりとディートハルトの首に両腕を回し。ぎゅうっと、抱きしめる。
本当は、彼が子どもの時に……ひとりぼっちで寂しく泣いていた時に、こうしてあげたかった。
それは永遠に叶うことはない。過去は変えられない。けれど、現在は、そして未来はいくらでも紡いでいける。
貴方が得られなかった優しい時間を。
貴方と、私と、子どもたちと、
「大好きなディートハルトに、私以外にも大切なものを、もっともっと増やしてあげたい」
――家族みんなで分かち合えたら。そう願ってやまないのだ。
「……だから、その……っ……だ、だいぶ、はしたないことを言っている自覚はあるのだけれどっ! 私たち、もうすぐ結婚式を迎えるから、その……っ」
アルマはディートハルトの首筋に顔を埋める。羞恥心は限界まで達し、顔が上げられない。
そう、もう、五日後には自分はこの人の妻になれるのだ。
執務のことも、子どものことも、それ以外のことも……一緒に背負っていく権利がようやく手に入る。
平民だから、孤児だから、他人だから……そんな言い訳はもう必要ない。
「――アルマ」
その掠れた声からは、顔を見せて、という抗いがたいおねだりが含まれているように思えた。
アルマはおずおずと首筋から顔を上げて、瞑っていた瞼をゆっくりと開いていく。
そして目が合う。愛おしい人が、泣きそうな顔で笑っている。
「……貴女だけが、僕を幸せにすることが出来る。だから決して――離れないで」
「っ……うん。約束」
つられて笑顔になったアルマは、下りてきた唇を真っ赤な顔で受け止めた。くすぐったさと幸福感で泣きたくなる。指の隙間から零れる柔らかな金糸の髪を撫でれば、ディートハルトが熱の籠った息を吐いた。その艶めかしさに心臓の鼓動がどんどん早まっていく。
と同時に、アルマは本能的な危機感から冷静さを取り戻しつつあった。
いくら婚約者同士とはいえ、これ以上の接触は拙い気がする。どちらにせよ数日後には最後まで肌を合わせることになる筈だが、それはやはり結婚式の夜に然るべき手順でもってことを為すべきだろう。
そんなわけでアルマがどう切り出したものかと内心で思案していると、
「はぁ……僅か数日がこれほど疎ましくなるとは思わなかった」
突如、ディートハルトらしからぬ疲れたような、どこか恨みがましさの混じった声が耳朶を打った。
意味が分からないアルマはキョトンと目を瞬かせる。
するとディートハルトは無防備なアルマの背中を優しく撫でながら――ひどく蠱惑的な笑みを浮かべた。
「今すぐ貴女を抱き潰したい」
「だっ!?」
「グズグズに溶かして僕しか見られない姿で一日中ベッドの上に」
「わあああああ!!!??!」
次々と投げつけられる睦言にも似た言葉の数々に、アルマは全身を火照らせながら叫ぶ。反射的にディートハルトの膝の上から退こうとするも、がっちりと回された腕の力でそれは叶わず。
逆に強く腰を引き寄せられてしまい、アルマの心拍数は上昇の一途を辿っていく。もはや爆発寸前だ。
まともに顔を見られず恥ずかしさからぎゅっと目を瞑ったまま、アルマは反撃の言葉を探す。
すると頭上からクスクスと機嫌の良さそうな笑い声が降ってきた。
そこに色めいたものがないことに気づき、アルマは思わずホッとしてしまう。
「冗談――」
ですよ、と。そう言葉が繋がることを期待して目を開けたのがアルマの敗因だった。
「では、ありませんよ勿論」
「ッ!?!?」
「そのための長期休暇です。……もう、絶対に逃がしてあげません」
――僕がどれだけ待ったと思うんですか?
そう耳元で囁かれてしまっては、アルマにもはや打つ手はない。
自覚はあるのだ。待たせた。なんせ彼はもう二十九歳だ。アルマとしてはかなり最短ルートを通ったつもりだが、それでも貴族の結婚としては晩婚である。
何より、前世から数えれば二十年近い歳月が経っているのである。
「……に、逃げたりなんか、しないよ……」
「本当に?」
彼の問い返しに、アルマはコクリと頷く。
ディートハルトが子どもではなくなったように、アルマももう、子どもではない。
立派な成人女性であり、今の自分ならばディートハルトのすべてを受け止めることが出来るだろう。
「その言葉、信じてもいいですか?」
「……騎士に二言はな――んっ……ふ、ぅ……っ!」
何故か最後まで言わせてくれない相手を、思わず涙目になって睨めつけてみれば。
「……っは……アルマ……ッ……」
余裕なんて欠片もなく、息を乱して自分の名前を呼んでくるから。
アルマは心の中で白旗を上げた。完敗である。
結局のところアルマはディートハルトに弱くて、それはもう前世だろうが今世だろうが、きっと来世だって変わらないだろう。
それでいい――いや、それがいい。
「――ディー、だいすき」
言って、アルマは五日後まではお預けが決まっている大切な人へ、優しく優しく微笑んでみせた。
これにて後日談も終了となります。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
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また別の作品でもお会いできることを願って。ありがとうございました。




