アルマ、跪かれる
「ようやく二人きりになれましたね」
家具や壁紙など、全体的に品良く落ち着いた風合いのディートハルトの私室で。
座り心地の良いソファーにちょこんと腰掛け、供された紅茶のカップに口をつけていたアルマは、向かって左側の至近距離に座し、こちらの様子を観察するように眺めてくるディートハルトのその発言に、思わず目を胡乱げに細めた。
「さっきから誤解を招くような言い方しかしてないけど、わざとなの?」
「誤解? とんでもない。すべて本心ですよ」
「それはそれでやっぱり拙いような……」
「いいえ、問題は何もありません……レスティア様」
甘さを多分に含んだ美丈夫の声音がアルマの耳朶を打つ。
まるで恋い焦がれる相手に向けるような、もしくは神聖な何かに祈るような、そんな声。
しかし、アルマはそれをそのまま受け取ることは出来ない。
丁寧にカップをソーサーへと戻し、姿勢を正してディートハルトに身体ごと向き直った。
「……今のわたしはアルマだよ。レスティアは死んだの」
「ですが、貴女は確かに僕のレスティア様だ。年齢や立場が変わってしまっても、僕が貴女を慕う気持ちは変わらない」
切なげに目を細めて手を伸ばしてきたディートハルトが、テーブルの上に置かれたアルマの小さな指先にそっと触れる。まるで存在を確かめるように指の腹をなぞられて、背筋がぞくりと粟立つ。
なんだかおかしな雰囲気を本能的に察し、アルマは強引に手を引っ込めた。
「さっきからスキンシップ多くない!?」
「触れている方が安心するので。これでもだいぶ我慢しているのですが」
「全然そんな風に見えないけど!?」
驚愕しつつも、アルマは改めてディートハルトを正視する。
あの可愛らしい面影はどこへやら、立派な美青年へと成長をしたディートハルト。騎士として恵まれた長身に鍛えられた体躯。そして貴族として、上に立つ者としての物言いや振る舞いも実に堂に入っている。
だけど、その瞳から感じるのは……不安と焦りと、寂しさ。
それを感じ取ってしまったアルマの口から零れたのは、
「……ディー、ごめんね」
謝罪の言葉だった。
唐突なアルマの物言いに対して、ディートハルトは表情に疑問符を浮かべる。
「それは、何に対しての謝罪ですか?」
「貴方をおいて死んでしまったこと。生きて帰れなかったこと。……まぁ、騎士としては職務を全うしたわけだし行動自体は後悔してないんだけど」
「…………非常に複雑な気持ちですが、こうして僕のもとに戻ってきてくれたのですから、それで十分と思うことにします」
たっぷり間をおいた後に、ディートハルトはほろ苦く微笑みながらそう口にした。
まるで自分に言い聞かせるように。
それを目の当たりにしてアルマは内心ではより一層、動揺する。
まさか自分の存在がここまでディートハルトに根付いていたとは、正直思ってもみなかった。
あの戦場での日々が濃密な二年間であったことは確かだが、それでもたった二年だ。
しかも今から九年以上も前の事。忘れてしまっている方が自然なのだ。
だから時折、命日近くにでも思い出して懐かしく思ってくれれば御の字くらいに考えていた。
しかし、現実はそんなレベルではなかった。いくら鈍いアルマでもその程度は理解出来る。
自分は、ディートハルトに執着されている。間違いない。
「……ねぇ、ディーは、どうしてわたしのこと、すぐに気づけたの?」
普通、生まれ変わりなんて荒唐無稽なこと、簡単に信じられるわけがない。当事者であるアルマ自身、ベッドの上で数日間、事態を呑み込むまで時間を有したのだ。
アルマの純粋な問いかけに、ディートハルトは淀みなく答える。
「僕をディーと呼ぶ人は、貴女だけです。他の誰にも赦したことはない。あのパレードの中で貴女が僕の名を呼んだ時に、違和感が一切なかった。それで確信しました。何より、僕が貴女を間違うなどあり得ない」
「そ、そっか……なんというか、その……気づいて貰えて嬉しくはあるんだけど……」
「けど?」
「なんだか無性に恥ずかしいというか……いま、もの凄く口説かれている気分というか……」
「なら、このまま口説かれてくれるんですか?」
軽口の割に声音は真剣だった。
旗色の悪さを敏感に察知し、アルマは苦し紛れに再び紅茶に口をつける。
喉を潤し、一呼吸をおき。
少し迷ったあとで、アルマは避けて通れない話を切り出した。
「……ディーは、これからどうしたい?」
「貴女と共にいるために全身全霊を尽くします」
即答だった。アルマは思わず頭を抱える。
「いや、常識的に考えようよ……わたし、ただの平民の、しかも孤児だよ? 由緒正しき名門公爵家の御当主様とは本来、口を利くことも出来ない存在なんだよ……」
「そんな常識、覆せばいいんです。幸い、僕にはその力があります」
「うっ……実際その通りのような気がするから怖い……! あ、でもディーだって恋人とか婚約者とかいるんじゃないの? わたしが傍に居たらその人に勘違いさせちゃうでしょ?」
「そんな相手はいませんのでご安心を。とにかく、僕はこの点については引く気はありません」
言って、ディートハルトは椅子から立ち上がるとアルマの足元になんの躊躇もなく跪いた。
あまりにも自然な動きに反応が遅れたアルマが目を見開くのと、ディートハルトが彼女の手を掬い取ったのは、ほぼ同時。
そのまま彼は、アルマの手の甲に口づけを落とした。
「ちなみに、僕がこんなことをするのも貴女にだけですよ?」
「~~~~~~っっ!!!」
言葉にならない悲鳴を上げながら、アルマは九年間という月日の残酷さを思い知ったのだった。