アルマ、向かう
激動の夜会から、おおよそ十数日後のこと。
首の痣もすっかり癒え医師からも全快の太鼓判を押されたアルマは、今回の件の事後処理が一段落したところを見計らい、ディートハルトに意を決してあることを願い出た。
「ねぇ、ディー。わたしを……レスティア・マクミランの墓に一度連れて行ってくれないかな? たぶん騎士団の共同墓地だよね?」
それは前世の記憶が甦った際に確かめておきたかったことの一つだった。
死後、自分の遺体がどのようになったか知らないアルマだが、騎士団には引き取り手のない殉職者を弔う共同墓地が存在する。身寄りのなかったレスティアが葬られているとすれば其処だろう。仮に戦場から遺体が回収されていなくても、慰霊碑に名前くらいは刻まれているはず。そう思っての発言だった。
しかし、返ってきた答えはアルマの予想とは異なるものだった。
「お連れするのは構いませんが……泊りがけになりますね」
「ん? え? 共同墓地って王都の端じゃなかった? 確か半日も掛からないよね?」
「共同墓地についてはその通りですが、レスティア様は僕の権限で別の場所に埋葬させていただきました。当然お墓もそこに」
「……なる、ほど……?」
レスティアの身内でもなんでもないディートハルトに何故それが可能だったのかという疑問が当然浮かぶも、話が脱線するのを避けるためにアルマは深く突っ込むことを止めた。代わりに質問を重ねる。
「ちなみにその場所って何処なの?」
「レスティア様の故郷である旧マクミラン領です。今は僕が管理しています」
「ええぇ!? そ、そうだったの!?」
アルマは思わず目を見張った。旧マクミラン領は大自然に囲まれたと言えば聞こえはいいが、実態は国境沿いにある片田舎の一角である。誇れるものは秋の収穫時に見られる小麦畑くらいで、大貴族であるアメルハウザー公爵がわざわざ治めるような土地ではない。つまり――
「ディー、もしかしなくてもわたしの故郷だから管理下に置いたの?」
「はい」
平然と首肯するディートハルトに、アルマはもはや引きつった笑いしか出てこなかった。
彼に執着されていることに関しては既に十分理解しているつもりだが、それにしたってやることの規模がいちいち大きすぎる。
ともかく旧マクミラン領は少なくとも馬の足で三日は掛かる辺境だ。
忙しいディートハルトに同行を頼むのはやや気が引ける。しかし、今回に関してはディートハルトが一緒でないと意味がなかった。故に、日程を改めるべきかと思案するアルマだったが、
「お連れするのは来週でもいいでしょうか? 今週中に急ぎの案件を片付けますので」
ディートハルトの方が当たり前のように提案してくる。
アルマは一瞬遠慮しようかとも考えたが、
「……うん、ディーの都合がつくならお願いできると嬉しい」
素直に彼の好意に甘えることにした。
かくして数日後にはディートハルトと共に馬車に乗り、アルマは懐かしき旧マクミラン領へと向かった。最高級の馬車の乗り心地を思う存分堪能しつつ、移り変わる風景からちょっとした旅行気分も味わえたのは、アルマとしては嬉しい誤算でもあった。冷静に考えるとディートハルトと再会してから怒涛の日々を送っていたので、たまにはこういう息抜きがあってもいいだろう。
そんな風に思いがけず旅を満喫するアルマだったが、ふと聞きそびれていたことを思い出してディートハルトへと話しかけた。
「そういえばヨルダンの裁判ってどのくらい掛かりそうなの?」
ヨルダンの名前に反応して、ディートハルトが目を眇めた。彼にしては珍しく露骨に不快感を表している。なんなら首を絞められ殺されかけたアルマよりもよほどヨルダンに思うところがありそうだ。
「……余罪の多さから想像以上に時間が掛かっているようですね。加えて、ネッケ侯爵家に対する責任問題の追及もありますし」
「ああ、やっぱりネッケ侯爵家もお咎めなしとはならないよね」
「勿論です。よくて子爵辺りへの降爵、最悪の場合は連座で極刑の可能性もあり得ます」
「ということは、ヨルダン自身は極刑でほぼ確定?」
「十中八九は。しかし場合によっては終身苦役になるかもしれません」
終身苦役とは死ぬまで過酷な肉体労働に従事させられる懲罰のことだ。高位貴族として育ったヨルダンには、極刑よりもこちらの方が罰としては重いかもしれない。
どちらにせよ彼の身柄は司法に委ねられているので、アルマが関与する余地はない。
なのでアルマとしてはこちらが本題だった。
「あのさ……ミーシャさんについては、どうなったか知ってる? 怪我の具合とか……」
そろりと窺うようにディートハルトの顔を上目遣いに見やりながら問う。すると彼はアルマの態度から言いたいことをなんとなく察したのだろう。どこか呆れを孕んだ溜め息とともに、彼にしては行儀悪く馬車の窓枠に肘を置いて頬杖をついた。
「お人好しは貴女の美点ですが、仮にも自分を囮に使おうとした相手にまで心を砕くのは感心しません」
「うっ……そ、それはそうかもしれないけど……!」
アルマが最後に見たミーシャの姿は、ヨルダンによって昏倒させられた時のものだ。命の危険はなさそうだったが、それでもやはり心配ではある。
そんなアルマの心境とは逆に、続くディートハルトの言葉は非情だった。
「そもそも僕としては彼女をヨルダン側の実行犯の一人として裁いても良かったのですが」
「え、そんな!! だってミーシャさんはグランツ卿の指示でヨルダンに接触してたんでしょ? 潜入捜査みたいなものだよね?」
「内情を知っていればその通りですが、表向きは間違いなくアルマを拉致した犯人ですから」
そう言い捨てるディートハルトからは確かな怒りを感じる。どうにも自分が絡むと彼の沸点が驚くほど低くなるようだ。大切にされている裏返しでもあるので強くは言いにくい。が、あまり過保護なのもアルマの精神年齢上、微妙な気持ちにさせられるのも事実。
言葉に詰まったアルマが思い悩んで無意識のうちに俯いていると、ディートハルトがおもむろに右手をこちらへと伸ばしてきた。大きな掌によってポンポンと優しく頭を撫でられる。
「そう気落ちしないでください。僕は貴女のそういう態度にはめっぽう弱いので」
「……ごめん」
「謝る必要もありません。それに白状しますが、ミーシャの身柄については僕が預かっていますので悪いようにはしませんよ」
「あ、そうなんだ……って、ええええ!?」
素っ頓狂な悲鳴が大自然に木霊した。
思わず頭を上げてディートハルトを凝視するアルマに、彼は苦笑交じりな声で応じる。
「グランツ卿のもとにそのまま返すのも癪でしたので、彼女には少々働いて貰おうかなと」
「ど、どこで!? それに何をさせるつもりなの!?」
「それはここで説明しなくても、どうせすぐに分かりますよ」
意味深なディートハルトの言葉に、アルマは大きく首を捻る。教えてくれないかとじっと見つめてみても、彼の口は閉ざされたままだった。
そんな二人を乗せた馬車は快調に歩を進め。
ほどなく目的地である旧マクミラン領へと到着したのだが――確かにディートハルトの言う通り、ミーシャの所在はすぐに明らかとなった。
「お待ちしておりました。アメルハウザー閣下、アルマ様」
「は? え、ええ!? ミ、ミーシャさん!?!?」
旧マクミラン領に新たに設けられた立派な領主館の玄関先にて。
にこりと微笑んで出迎えてくれたミーシャの姿に、アルマはひっくり返りそうなぐらい驚きを露わにする。そんなアルマの背を支えるように手を添えながら、ディートハルトが柔らかな声で笑った。
「驚かせてすみません。というわけで、彼女にはしばらくこの地で雑用をして貰うことにしました。予定では二年ほど」
「に、二年も!? 長くない!?」
「たった二年ですよ。こんなもの罰にもなりません」
しれっと言い放つディートハルトに追従するように、ミーシャが眉を下げつつも微笑む。
「アルマ様、閣下の仰る通りです。本来であればもっと重い処罰が下っていてもおかしくはありませんでした。ですので閣下の温情に心から感謝しております」
「別に僕が温情を掛けたわけじゃない。勘違いするな」
「はい、承知しております」
アルマ様がそう望まれたからですよね、とミーシャが口にすると、ディートハルトが無言でそれを肯定する。そんな二人のやりとりをしばし唖然と見ていたアルマだったが、
「なんというか、その……ミーシャさんが納得してるなら良かった」
穏やかな表情のミーシャに安心して、ホッと胸を撫で下ろした。
よくよく考えれば、すぐさまグランツ卿のもとへ戻るよりもほとぼりが冷めるまで身を隠していた方が、ミーシャも表舞台に戻りやすいはず。
それに気づいたアルマがディートハルトを振り仰ぎ見て小さくお礼を言うと、彼は薄く微笑み返してくれた。
その後はミーシャに案内して貰い、アルマたちはそのまま領主館で一泊することとなった。
そして、次の日。
ディートハルトと朝食を摂ったアルマは彼と連れ立って領主館を後にした。
向かう先は勿論、今回の旅の目的地。
仕立てのいいキャメル色のワンピースと黒のブーツを身に纏い、一方でその装いにはいささか不釣り合いなある物を腕に抱えながら。
遂にアルマは小高い丘の上に建てられたレスティア・マクミランの墓の前に――立った。




