アルマ、お持ち帰りされる
再会の衝撃も冷めやらぬ中。
結局、ディートハルトの腕から解放されることを赦されなかったアルマは、パレードが終わるまで好奇の衆目に晒され続けることになった。
アルマとしては謎の平民幼女と白馬に乗った美貌の騎士公爵という取り合わせに頭痛を覚えたが、当のディートハルトは終始優雅な微笑みを絶やさず、パレードの統率者として立派に任務をこなしていた。
しかも時折こちらに視線を落とし、
「寒くないですか?」
「お腹は空いていませんか?」
「気分が悪くなったら遠慮なく言ってくださいね?」
「もっと僕に身体を預けてくださいね。そう、落ちないように」
などと、気を遣う余裕まで見せてくる。
その成長ぶりに喜ぶべきなのか、過去にはなかった押しの強さを嘆くべきなのか判断がつかないまま、アルマは心を出来る限り無にしてその場をやり過ごした。
そうしているうちに、一行はパレードの終了地点である騎士団庁舎へと辿り着いた。
アルマとしては実に九年以上ぶりの騎士団庁舎である。
本来ならじっくり懐かしさに浸りたいところだが、今は疲労感の方が強く周囲に関心を割く余裕はあまりなかった。
「お疲れさまでした、レスティア様」
庁舎内の敷地に馬ごと乗り入れたディートハルトの声に、アルマは大きく息をついた。
幼女なのに今日だけでやけに肩が凝ったように感じてしまう。
早く馬を降りて肩を思いきり回したい衝動に駆られながら、アルマはディートハルトを仰いだ。
「ディー、お疲れさま。流石にもういいよね? 降ろしてくれる?」
「はい、お疲れさまでした。ですがすみません、馬を降りるのはもう少し待ってくださいね」
「え? なんで?」
「なんでって……決まってるじゃないですか」
何故か問われたディートハルトの方がキョトンとした顔をする。
まったく意図が掴めないアルマがさらに質問を重ねようとしたところで――
「あの~……だ、団長? 我々はこの後はどうすれば……?」
意を決したように一人の若い青年騎士が馬を寄せ、ディートハルトへと声を掛けた。彼の視線はディートハルトはもちろん、その腰にぴったり寄り添っているアルマにもチラチラと向けられている。
瞬間、ほのぼのとしていた空気は霧散し、ディートハルトの表情が一変した。
すっと細められた怜悧な瞳が青年騎士を容赦なく射抜く。
「――ケイン、彼女を見るな、減る」
「ひぃっ……!? は、はい! 失礼いたしましたッ!!」
「分かったらダグラスを呼んで来い。それ以外の者は今日は解散。明日はいつも通りに」
決して声を荒げているわけではないのに、従わなくてはならない気持ちにさせられる威圧感。
騎士団長としては大変有用なスキルではあるものの、いまいち褒める気にならないのは、使い方が間違っていると感じるからだろうか。
場はディートハルトの指示に従い、近くにいた団員たちは訝し気な様子を見せつつも解散して方々へと足を向けていく。
そんな中、一目散にダグラスのもとへと駆けていく哀れな青年の背を見送るアルマは、
「……ディー、あまり部下を威圧しすぎるのもどうかと思うよ」
少しだけ咎めるような口調で呟いた。
途端にディートハルトが焦ったようにアルマを覗き込んでくる。先ほど青年騎士に向けた視線とは真逆の、冷たさの一切ない、深いタンザナイトの瞳。
前世で見てきた、あの愛らしい少年騎士と同じ色だ。
「……レスティア様、怒ってますか?」
主人に叱られた子犬よろしく、ディートハルトの声は明らかにしょぼくれていた。
なんだか可哀想に思えてきて、アルマは思わず慰めるようにポンポンと腹に回されたディートハルトの手をあやすように叩く。
「別に怒ってはないよ。どっちかというと心配なだけ。ディーが必要以上に嫌われたり怖がられたりするのは、わたしが悲しいから……わっ!?」
心からそう口にすれば、何故か感激した様子のディートハルトに無言で強く抱きしめられる。
体勢的にはかなり苦しいが、水を差すのもどうかと思い、アルマはされるがままになっていた。
と、そこへようやく真っ当に話が出来そうな相手が馬と共にやって来た。
「…………なぁ、団長。お前ホント頭大丈夫か?」
ダグラスからの開口一番に、アルマは苦笑を禁じえなかった。
自分が同じ立場だったとしてもそう思っただろうから。
「まさかこの期に及んで幼女趣味に目覚めたとか――」
「くだらないことを言うな」
ダグラスの妄想を一蹴し、ディートハルトは姿勢を正すと同時に乱れたアルマの髪をそっと撫でた。
その優しい手つきは、彼女をダグラスの視線から遮る意味合いも含んでいたが、当然アルマは何も気づいていない。逆にディートハルトの意図に気づいたダグラスは、その滲み出る独占欲の強さに戦慄した。
「いや明らかにお前そんなキャラじゃねぇだろ!? てかホントこの子はなんなんだ!?」
「それを今からお前に調べさせてやる」
「「……え?」」
ディートハルトの言葉に、ダグラスとアルマは同時に反応した。
するとディートハルトはアルマへと慈しむような視線を落とし、
「……今のお名前を、お聞きしても?」
囁くように、柔らかく問いかける。
言い知れぬこそばゆさを感じながらも、アルマはダグラスの手前、慎重に口を開いた。
「……アルマ、です。孤児なので家名はありません」
「お住まいは?」
「貧民街にあるクレア孤児院……」
もしかして、孤児院まで送ってくれるのだろうか?
アルマがそんなことを考えていると、
「聞いた通りだ。ダグラス、今からクレア孤児院に赴きアルマ様はアメルハウザー公爵家が引き取ると伝えろ」
ディートハルトがとんでもないことを、さも当然のように口にした。
「お、お前!? 正気か!?」
「? 十分正気だが」
「本気で不思議そうな顔すんじゃねぇ!! 言ってること無茶苦茶だぞ!?!」
「そ、そうだよディー! わたしも早く帰らないと! ゼム先生もガルムも置いてきちゃったし……!」
ダグラスの声で我に返ったアルマが言葉を取り繕うのもすっぽ抜けて必死に訴えると、ディートハルトはどこか釈然としない表情で言う。
「だって、ちゃんと言いましたよね? 今日から一緒に暮らすって」
確かにパレードの最中にそのような会話はした。
が、まさか本気とは思っていなかった。アルマは愕然としてディートハルトを見返す。
「そ、そんなの本気だなんて思わないよ! とにかくわたし一度は孤児院に帰らないといけないから! 話ならまた後日でもいいでしょう!?」
既に互いのことを奇跡的に認識したのだ。今更、数日離れたところで絆が消えるわけではない。
アルマはそう理解していたのだが、ディートハルトはまるで迷子の子供のような、酷く悲し気な顔をこちらへと向けてくる。
「…………そんなに、僕と一緒にいるのは嫌なんですか……?」
「うっ……そ、そういうわけじゃ、ないけど……っ!」
この場合、どちらかと言えばディートハルトの名誉のためだった。
素性も良く分からない幼女をいきなり連れ帰る名門騎士公爵など、ゴシップ記者垂涎のネタだ。
今回のパレードのことをネタにされるのは諦めているが、さらなる餌を与える必要はない。
一体どうしたら穏便に説得できるのだろうか、と頭を悩ませていたアルマだったが――
「――――僕は、もう貴女と一秒たりとも離れたくありません」
血を吐くようなその言葉に、思わず呼吸を止めた。
そして自分が大いなる思い違いをしていたことに気づく。
自分は、置いていった側で。
彼は、置いていかれた側なのだ。
ディートハルトは、一度目の喪失を経験し、二度目の喪失を極度に恐れているのだろう。
そうさせてしまったのは他でもない、アルマ自身だった。
「…………分かった。今日はディーと一緒にいる」
結局、アルマは折れた。折れざるを得なかった。
それと同時に、アルマは困惑が隠し切れないダグラスへと視線を向ける。
「……あの、本当に申し訳ないんですが、孤児院にご伝言をお願いできますか?」
「あ、ああ……?」
「数日中には戻りますので心配しないでください、と。あ、公爵家で引き取る引き取らないの話は無しで」
伝言内容に不服そうな顔をするディートハルトだったが、口を挟んでくることはなかった。
ここが双方の落としどころだと、彼も分かったのだろう。
とにかく今はこの不安定なディートハルトを安心させてあげたい。
それが、アルマの偽らざる本心だった。
一方、事態の蚊帳の外に置かれたダグラスは改めて謎の幼女ことアルマを観察した。
パレードで名乗りもしない自分の名前を言い当てた彼女。
その色彩は、否応にも一人の女性を思い起こさせる。そう、目の前の青年が唯一固執し続けている、だけど既にこの世から喪われた、女性騎士を。
だからだろうか。
本来ならばとても承服できない命令を、ダグラスは受け入れてしまった。
「……団長。では、俺はクレア孤児院に今の伝言を伝えるということで良いですか?」
「ああ、頼む。それと、可能な限り調べて戻ってこい」
「――了解」
ディートハルトとの付き合いは長い。それこそ、十年以上の付き合いだ。
だからこそダグラスは半ば確信していた。この幼女には絶対に何かがある。
手綱を器用に操りながら、ダグラスは一礼の後に騎士団庁舎から飛び出していった。
――こうして、アルマはディートハルトのお屋敷に自主的に持ち帰りされたのだった。