アルマ、忠告を受ける
ディートハルトと再会してから、そろそろ一か月。
すっかりこの生活にも慣れてきたアルマは、今日も今日とて騎士団庁舎内の団長執務室で、書類の整理に勤しんでいた。
現在、ディートハルトはダグラスを伴って定例の会議に出席している。
よって部屋にはアルマ一人であるため、お気に入りの茶葉で淹れた紅茶をお供に、のびのびと作業を進めていた。そんな中、ふいに部屋をノックする音がアルマの耳に届いた。
しかし扉の外からはそれ以上のリアクションがなく、アルマは小首を傾げる。通常であれば入室前に名乗ったり用件を告げてくるはずなのだが、それがないのだ。
「どちら様でしょうか?」
そう誰何して少し待っていると、また控えめに二度、ノックの音が聞こえてくる。かなり不審に思いながらも、無視することも出来ずアルマは自分の席から立ち上がった。
万が一に備えて慎重に扉を開ける。するとそこに立っていたのは思いがけない人物だった。
「……エリーチカ様?」
「――邪魔するわよ」
言って、エリーチカはアルマが止める間もなく室内へと入ってしまう。
護衛のミーシャがそれに続きながら「すみません」と謝るのを聞き、アルマはそこでようやく我に返った。
「あの! 困ります! 今この部屋の主は出払っておりますので、勝手に入られては……!」
「すぐ済むから。部屋の物にも一切触らないわ。グランツ辺境伯家の名に掛けて」
淡々とそう口にしながら、エリーチカは部屋の応接用ソファーにストンと腰を下ろす。
その背後にミーシャが気まずそうに立つのを見ながら、アルマは大きくため息をついた。これはもう話を聞く以外にないだろう。
「その……一体どういったご用件でしょうか?」
「忠告があるのよ、お前に」
「わたしに?」
「そう。だからわざわざお祖父様に会議日程まで確認して、ディートハルト様がご不在の時に来たのよ」
座りなさいよ、とエリーチカに言われて、アルマは困惑しつつも彼女と向かい側のソファーに腰かける。敢えてディートハルトの不在時を狙ってきたということは、彼の耳には入れたくない類の話なのだろうか?
アルマは姿勢を正し気を引き締めながら口を開いた。
「それで、忠告というのは……?」
「ヨルダン・ネッケ侯爵令息のことよ。アイツには気を付けなさい」
「気を付けなさいと言われましても、そもそも接点がありませんが……?」
「お前のこと、色々と嗅ぎ回ってるみたいなのよ。何が目的かは今一つ分からないけれど」
その言葉に、アルマは目を丸くする。ネッケ侯爵令息に周辺を探られていることもそうだが、それ以上にエリーチカがそれをわざわざ伝えにきたことに驚いていた。今までのやりとりから恨まれこそすれ、エリーチカから親切にされる理由が全く思いつかない。
「用件はそれだけ。じゃあ、失礼するわ」
言うだけ言って、エリーチカは立ち上がると迷いなく扉の方へと向かう。
アルマはそれを慌てて引き留めた。
「お待ちください! どうして、わたしにそんな忠告を?」
「……ネッケ侯爵令息がお前に目を付けるきっかけを作ったのはワタクシだと思ったから。それで何か起こったら後味が悪いじゃない」
「つまり、ネッケ侯爵令息はそれほどに警戒すべき相手だということですか?」
アルマの問いに、扉の方へ顔を向けたままだったエリーチカが思わずといった様子で振り返る。
その瞳からは驚きと感心の色が見て取れた。
「お前……子供のくせになかなか鋭いわね。実はネッケ侯爵令息からのアプローチが、あの日から途絶えたの。ワタクシとしては羽虫がいなくなって清々していたのだけれど、代わりにお前が標的にされているかもしれないと。ねぇ、ミーシャ?」
「はい。あの男が急にお嬢様に付きまとわなくなったことを不審に思いまして、私が調べました。間違いありません」
さらに続けて、真剣な顔をしたミーシャはアルマへと補足説明を始めた。
「ご存知かもしれませんが、ネッケ侯爵令息は第一騎士団に所属しています。高位貴族として顔も利きますし、当然、この庁舎にも容易に出入りが可能ですので、注意されるに越したことはありません」
「……ご忠告、感謝いたします」
有益な情報に感謝し、アルマは二人に対して丁寧に頭を下げた。
何故ネッケ侯爵令息が自分を嗅ぎ回っているのか分からない以上、確かに警戒は必要だ。予想としてはやはりディートハルトの弱みを探る上でアルマという存在が浮上した線が濃厚だが、何か別の意図があるかもしれない。
そんな風にアルマが脳内で情報を整理していると、エリーチカがポツリと声を漏らした。
「……ディートハルト様のことがなければ、お前を本当に引き抜いても良かったかもしれないわね」
ワタクシ、優秀な子は好きなの。
エリーチカはそう言って少しだけ寂しそうに笑う。普段の気の強さからすると、よほど先日の一件が尾を引いているのだろう。無理もない。それほどまでにあの瞬間のディートハルトは恐ろしいものだった。
「失礼を承知の上でお聞きしますが……もう、ディートハルト様のことはよろしいのでしょうか?」
「……あれほど拒絶されたら、流石に今は追いかける気にはならないわ。というよりも、これ以上付きまとったりしたら今度はグランツ辺境伯家に対して何かしらの報復を行ないかねないでしょう、あの方」
「それは……流石に無いとは思いますが」
「少なくともお前に対する執着心は異常よ。それが分かったから、わざわざ面倒でもお前が一人の時を狙って来たんじゃない」
ツンとそっぽを向きながら、エリーチカが嘯く。確かにこの場にディートハルトがいれば、エリーチカとこうして穏やかに話をすることは叶わなかっただろう。そう考えると、面倒な手段を取ってまでわざわざ忠告に来てくれたエリーチカはかなり義理堅い性質なのかもしれない。
「心配してくださってありがとうございます、エリーチカ様」
「は? ……はぁ!? 別にお前のことなんて心配してないわよ! 勘違いしないでちょうだい!」
心なしか動揺から顔が赤くなっているような気がする。
なんだか微笑ましくなってきて、アルマはエリーチカに対して年下の子を見るような目になった。
幸いにもそれに気づいた様子はなく、エリーチカはアルマに対して人差し指をぴしっと向けた。
「とにかく! 忠告したのだから、これでネッケ侯爵令息がお前に何かしたとしてもワタクシには関係ないわ! よろしくて!?」
「はい、勿論です。教えてくださり、ありがとうございました」
アルマが笑顔で一礼すると、それに満足した様子のエリーチカは今度こそ部屋を後にした。
当然、その後ろをミーシャが付いていくのだが――
「……すみません」
何故か彼女は、去り際にごく小さな声で謝罪の言葉を口にしたのだった。




