アルマ、お節介を焼く
その悲鳴が聞こえてきたのは、ちょうど屋敷の裏手の方だった。アルマが訓練していた場所からは非常に近い。ものの数十秒ほどで、アルマは現場の目視に成功した。
広い道路に停められた大型の馬車が二台と、それを背景にして言い争う男女と、二人の間に入る女性。
男の顔は見たことがなかったが、女性二人の顔をアルマはバッチリと記憶していた。
そう、先日盛大に喧嘩を吹っ掛けてきた辺境伯家令嬢エリーチカと、その護衛の女性だった。
本日も貴族令嬢らしい派手な装いのエリーチカは、護衛の女性に庇われる形で相手の男性を睨みつけている。一方、相手の男性はエリーチカとの壁になっている護衛女性の腕を掴みながら、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべていた。お嬢様に睨まれたところで痛くも痒くもない、といった風情だ。
その態度に我慢できないといった様子で、エリーチカが全身をワナワナと震わせながら口を開いた。
「無礼者! 即刻ワタクシの護衛から手を放しなさい!!」
しかし男の方はエリーチカの怒声に微塵も怯むことなく、毛を逆立てた猫を宥めるような余裕のある甘い声で返す。一見すると甘い顔立ちの優男のようでもあるが、護衛の女性をなんなく片腕で制していることから、それなりに腕に覚えがある人種だということは遠目にも分かった。
「おいおい、せっかくこのオレが直々に口説きに来てるのに、つれないなぁエリーは。まぁそんなところも可愛いんだけどなぁ?」
「ワタクシを愛称で呼ぶなど許した覚えはなくてよ! 汚らわしいその口を今すぐ閉じて立ち去るのであれば見逃しますわ、ネッケ侯爵令息」
「おや? ヨルダンとは呼んでくれないのかいエリー?」
「呼ぶわけないでしょう気持ち悪い! ちょっと顔が良くて侯爵家の者だからってワタクシに迫ろうなど身の程を知りなさい!!」
男性相手でも一歩も引かないエリーチカだが、その顔には隠し切れない焦燥感が浮かんでいる。本当は怖いのだろう。当たり前だ。いくら強がったところで、貴族女性が若い男性に力で勝てる道理はない。
頼みの護衛も身動きを封じられていることから、形勢は明らかに不利と思えた。
本来的には黙って見過ごすべきなのかもしれない。だが、アルマは騎士としての本能が、困っている女性を放置することを赦さなかった。咄嗟に草陰に持っていた木剣を隠し、
「エリーチカ・グランツ様!」
気づけば、アルマは裏門付近を囲う柵越しに、声を上げていた。
それに反応して三人の視線が一気にこちらへと集まる。特に男性の驚きようは顕著で、突如乱入してきたアルマに目を丸くしている。
アルマは努めて笑顔を維持しながら、エリーチカへと再び話しかけた。
「まさか裏門の方に来ていらっしゃるとは思っておりませんでした。気づかずに申し訳ありません。今、門を開けますのでどうぞお入りくださいませ」
「え……? え、ちょっと、貴女……」
非常に友好的かつ自分を屋敷に招き入れようとするアルマに困惑を深めるエリーチカ。一方、護衛の女性はアルマの意図を素早く汲み取ったのか、
「……こちらこそ、無作法をいたしました。さぁ、お嬢様、お言葉に甘えましょう」
背後で呆けるエリーチカに言葉でアルマに従うよう促す。
しかし、それを阻止しようとする者がいた。当然ながら、この場の展開を良く思わない男性――確かエリーチカからネッケ侯爵令息と呼ばれていた――は、アルマに対して若干頬を引きつらせながら話しかけてくる。
「君……アメルハウザー公爵の屋敷の者かな? 私はネッケ侯爵家のヨルダンだが、エリーは私が先約なんだ。差し出口は控えて貰おうか」
口調こそ穏やかだが、内心では自分の行動を阻害されたことへの苛立ちが見て取るように分かった。しかし、その程度で怯むアルマではない。数々の戦場と男社会の厳しさを乗り越えてきたアルマにとって、男性からの威圧など慣れたものだ。
アルマは少しだけ困った笑みを浮かべながら、
「発言をお許しくださいませ、ネッケ侯爵令息様。わたしも主人よりエリーチカ様を丁重にお迎えするよう申しつかっておりますので……主人の命に背くことはいたしかねます」
「……へぇ? あのアメルハウザー公爵が、エリーチカを? 本当に?」
その言動から、アルマはこの男がディートハルトとエリーチカの関係を正確に把握していることを悟った。が、ここで引くことは出来ないし、するべきではない。
アルマは内心でディートハルトに思いっきり謝罪しながら、
「はい。そのように承っております」
と、さも当然のごとく宣った。
アルマのあまりに淀みない返しに、ネッケ侯爵令息が息を呑む。
ここまで言い切られては流石にこれ以上の追及は難しいだろう。さらにそこへダメ押しのように、援軍が到着した。
「……アルマ様」
門の向こうには聞こえないほどに小さな声。背後を振り向けば、そこには執事長のゴードンがいた。他にも数名の男性使用人の姿がある。どうやら訓練中自分についていてくれた若い侍女が空気を読んで動いてくれたようだ。流石は優秀なアメルハウザー邸の使用人である。
どこまでの会話を彼が拾っているかは分からないが、アルマの視線に彼は柔和な笑みを浮かべて僅かに首を縦にする。話を合わせてくれる、ということだろう。
アルマは心の中で深く感謝しながら、大げさにゴードンへと話しかけた。
「ゴードン様! 大変申し訳ございません! エリーチカ様のお出迎えに手間取ってしまい……!」
「……分かった。お前はもう下がりなさい。あとは私が引き受けましょう」
「はい、申し訳ありません」
アルマはスッと後ろへ下がった。
それからゴードンがネッケ侯爵令息やエリーチカの護衛女性に改めて状況を聞き始める。ここから先は任せる方が良いだろう。そう判断してアルマは隠しておいた木剣を速やかに回収すると、自分に注目を集めないように気配を殺しながらその場を後にしようとした。
が、そこで予想外の事態が発生する。
「あ! アルマ! ちょっと待ちなさいよ!!!」
誰あろうエリーチカに呼び止められ、アルマは思わず硬直する。しかし無言で立ち去るような無礼は出来ないため、なんとか笑顔を張り付けて振り返った。
「……お呼びでしょうか、エリーチカ様」
そこで目に飛び込んでいたのは、満面の笑みを浮かべながらこちらに右手を差し出しているエリーチカの姿で。彼女はさも当然のように声高にアルマへと命じた。
「お前、思ったよりも悪くないわ! 褒美としてワタクシをエスコートする栄誉をあげる! さぁ、早くこっちにいらっしゃいな!!」
一瞬、助けるのは早まった行ないだったのではないかという悲しい疑念が脳裏を過ったが。
ここまで来たら乗りかかった船。そう自分をなんとか説得し。
「……光栄に存じます、エリーチカ様」
近くに居た使用人の一人に木剣を預けると、アルマは小走りに裏門から外に出てエリーチカへと近寄り、その手を恭しく取った。前世の知識から、女性のエスコートの仕方もある程度は頭に入っている。
なるべく失礼のないように心がけながら、エリーチカを門の中へと誘導し始めようとしたその時――
「……っ!」
ほとんど反射で、エリーチカへと伸びてきた腕を空いていた左手でいなすように払ってしまった。
腕の主は勿論ネッケ侯爵令息である。彼はまさか女子供に易く弾かれるとは思っていなかったのだろう。その整った顔を呆けさせながら、アルマを凝視している。
思考を極限まで回転――結果、アルマは自分の容姿を最大限利用することにした。
「……ああ! も、申し訳ございませんでした、令息様。 偶然にも手が当たってしまったようですが、お怪我は御座いませんでしたか?」
「は? あ、ああ……大したことはない、が……」
「本当に申し訳ございませんでした! エリーチカ様も、申し訳ございません! それでは、改めてご案内の栄誉に預からせていただきますね」
言って、アルマはエリーチカの手を引く。一刻も早くこの場を離れたい。その一心だった。
背中に痛いほどの視線を感じる。
だが、決して振り返ってはいけないと本能が叫んでいた。
その直感を信じてアルマはエリーチカの方だけを見つめながら、にこやかにエスコートを続ける。
どうか自分のことなど取るに足らない使用人だと思ってすぐに忘れてくれるよう願いながら。
しかし物理的な距離での視認が出来なくなるまで。
――アルマの背中から、そのねっとりとした気配が途絶えることは、残念ながらなかった。
前回から連載が中断してしまい申し訳ありませんでした。本日より再開します。
出来るだけ毎日更新できればと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。




