アルマ、留守番をする
昨日は更新できずにすみませんでした……ということで本編再開です。アルマ視点です。
「へー……お前、酒好きだったのに残念だなぁ」
「そうなんだよ……自分でもすごくがっかり……」
ディートハルトの屋敷の中では比較的小さい、麗かな午後の日差しをたっぷり取り込んだ応接室にて。
アルマはダグラスと二人きりで、なんてことはない世間話に興じていた。
ちなみに何故、酒の話になったのかと言えば、先日眠れない夜に飲んだホットミルクに端を発する。
あの日に侍女が用意してくれたホットミルク。そこには少しのはちみつと、数滴のラム酒が入っていた。
良く眠れるようにという粋な計らいだったわけだが、これがアルマには効果覿面過ぎたわけで。
「数滴で寝落ちって、もう体質的にダメな感じだよねぇ」
「というかディートハルトが絶対飲ませないだろ」
「うん、そう言われた」
ちなみに良かれと思ってしてくれた侍女さんが咎められそうになったのは全力で阻止した。
その代わりに屋敷の使用人全員に「アルマに酒類はほんの僅かでも厳禁」と知れ渡ってしまい、料理や飲み物には細心の注意が配られるようになってしまった。申し訳ない限りである。
「せっかく、成人したらダグラスとも酒盛りしようと思ってたのに……」
前世のレスティアは、実はかなりの酒好きであった。しかもかなりの酒豪だった。
いくら飲んでも酔い潰れないため、戦勝会等でたまに催された酒宴の席などでは、挑んでくる男性騎士たちを漏れなく全員沈めることに定評があったくらいである。
ダグラスも覚えがあるのか、何やら複雑そうな顔で「あー……」とぼやきのような、呻き声のようなものを上げた。
「お前口説かれてんのに全く気づかず酒とつまみに夢中だったからな。あれで涙を呑んだ騎士の連中も多かったんだぞ」
「……は? うっそだぁ、わたし全然モテなかったよ? むしろ出世してた分結構嫌われてた自覚あるし」
「いやそれはお前が鈍感だったからだよ……」
ダグラスが心底呆れた風に言うので、アルマは「え、ホントに?」と困惑顔になる。
「まぁ、戦時下だったし真っ向から告白する輩はいなかったけどな。酒の席では結構露骨にアピールしてた奴もいたのに、お前スルーしまくってたぞ」
「…………全然気づかなかった」
「大丈夫だ。それは十分、伝わってた。……ちなみに、今だから言うけどな」
一拍置いて、ダグラスが苦笑気味に告げる。
「あの頃、俺も結構お前のこといいなーって思ってたんだぜ? ほんのちょっとだけどな」
それを聞いて、アルマは目を丸くした。まったくもって想定外である。
しかしダグラスはこんなことで嘘をつく男ではないことは確かなので、当時の自分の恋愛分野におけるあまりの鈍感さに軽く眩暈を覚えた。
だが、今更過去を振り返っても仕方がない。重要なのは今後なのである。
それに現在目の前にいる男は既婚者。つまりは恋愛面における先達のようなもの。
ならばと、アルマはここぞとばかりに普段は少し聞きづらい類の話――恋愛話を持ち出すことにした。
「……ダグラスは、今の奥さんとどうやって出会ったの?」
「ん? あー、簡単に言えば騎士団関係者からの紹介で。うちの嫁さん、実は元子爵令嬢なんだよ」
「え! そうなんだ……ということは、もしかしてダグラスって子爵家の婿に入ったの?」
レスティア時代の記憶が正しければ、ダグラスは平民出身だったはずだ。
そんな彼が貴族と婚姻したのならば、婿養子に入って爵位を継ぐか、令嬢の方が平民になるかのどちらかになる。しかし、返ってきた答えは全く別のものだった。
「あ、そういえば言ってなかったな。俺、結婚前に騎士爵を賜ったんだよ」
「そうだったんだ! うわー! 凄いね! おめでとう!!」
この国の騎士爵は一代爵位で準貴族位に当たる。基本的に領地などは持たない名誉爵と呼べるものだが、一応貴族としての俸禄も出る立派な爵位だ。
ちなみに平民出身の者が騎士爵を賜るには相応の功績と上層部からの複数人からの推薦が必要になるため、かなり狭き門だが、その分、叙勲すると騎士団内部からは一目置かれる存在となる。
アルマの純粋な言祝ぎに対し、ダグラスはやや照れくさそうに頬を掻いた。
「ありがとな……まぁ嫁さんの父親である子爵様も推薦人の一人でさ……俺のこと高く買ってくれてたんだ。それが縁で結婚した感じだな」
「おお……! 良いご縁に恵まれて良かったね、ダグラス」
「……ああ、俺も嫁さんみたいなイイ女と可愛い娘が出来るなんて、あの頃は想像もしてなかったからな。もちろん死ぬまで大事にするよ」
そう語った瞳の色がとても優しくて、アルマも思わずほっこりした気分になる。
と同時に、こんなところでダグラスを長時間拘束しているのが申し訳なくなってきた。
「……ねぇ、ダグラス。わたしのことは気にしないでもう家に帰ったほうが良いよ? せっかくの休暇なんだから、奥さんや娘さんたちと一緒に居てあげなよ」
「つっても、団長からはお前のこと一応気に掛けるよう頼まれてるしなぁ……」
そう、ダグラスがわざわざアメルハウザー邸に来ているのにはちょっとした理由がある。
実は現在、ディートハルトはアメルハウザー公爵として王家からの呼び出しを受け登城中につき、不在なのである。最初は専属補佐官であるアルマも城まで同伴する予定だったのだが、
『……登城させた場合はまず間違いなく王家の連中に紹介を強要されますので、今日は大人しく留守番していてください』
というディートハルトの苦渋の選択により、本日は大人しく屋敷で過ごすことになったのだ。
先日のグランツ辺境伯とその孫娘であるエリーチカとの一件以降、ディートハルトはアルマの周囲に対して警戒心を強めている。
なので気軽に孤児院へと遊びに行くことも残念ながら叶わず。
必然的に一日中暇を持て余すことになったアルマを気遣って、不憫に思ったダグラスが顔を出してくれたわけなのだが――
「正直、ディーは過保護すぎると思うんだよね」
アルマはきっぱりと言い切った。
実年齢はともかく、精神年齢は自分の方が上であると認識しているアルマとしては、そこまで気を回さなくても一人で時間くらい潰せるのだ。もちろん、ダグラスが話相手になってくれること自体は非常にありがたいのだが、その所為で可愛い妻子に寂しい想いをさせるのは本意ではない。
そんなアルマの主張に対し、
「そう言うなって……アイツは、もう絶対に喪えないって気ぃ張ってんだよ」
至極真面目なトーンでダグラスが言葉を返した。
そう言われるとアルマとしても弱い。だが、アルマ自身の希望はまた別なのだ。
何もかもディートハルトに甘え庇護されるだけの人生なんて絶対にごめんだし、自分のことは自分で決めたい。
今は年齢的にも身分的にも、どうしようもない部分は確かにある。
しかしそこで立ち止まるつもりは毛頭なかった。そして、そのために自分がすべきこともぼんやりとではあるが、見え始めている。
「……まぁ、とりあえず今日のところはお暇するか。確かにそろそろ日も傾く時間だしな」
アルマがしばらく黙って考え込んでいる間に、ダグラスが空気を読んで帰宅を宣言した。
こういうところがディートハルトからも重宝されるところなのだろう。
アルマは立ち上がると、手元のベルを鳴らして侍女を呼んだ。
ほどなく、侍女長であるサマンサが現れる。
「今日はありがとね、ダグラス。奥さんや娘さんにもよろしく」
「ああ、伝えておくよ。そのうち会えるだろうから、そん時は娘と遊んでやってくれ」
穏やかに笑ったダグラスにアルマも同じく笑みを返す。
そうして玄関先までダグラスを見送ったアルマは、背後に控えるサマンサに対して申し訳ない気持ちになりながらもある要望を口にした。
「……ちょっと庭に出ても良いですか? 出来れば夕食までの間に剣の鍛錬でもしようかなと」
「ええ、承知いたしました。ただ暗くなると危のうございますので、日が完全に傾く前には屋敷内に戻るようにしていただけますか?」
「分かりました、ありがとうございます!」
サマンサからのお許しが出たところで、アルマは自室に戻って運動に適した服へと着替え、孤児院からの唯一の私物である練習用の木剣を持ち出すと庭へと出た。
本当なら一人で訓練したいところだが、この屋敷内でアルマが完全に一人きりになれるのは自室にいる時くらいである。当然のように後ろには侍女一名が控えていた。サマンサの指示である。
「……わがまま言って付き合わせてしまってすみません……」
忙しい使用人の手を自分に割かせてしまうことにアルマが罪悪感を覚えていると、まだ年若い侍女はにっこりと笑顔で首を大きく横に振った。
「とんでもございません! お嬢様はどうぞ、好きなことをしてお過ごしくださいませ。それが当主様のご希望でもありますから」
「……では、お言葉に甘えます。ありがとうございます」
言って、アルマはそこからは集中して鍛錬を開始する。日暮れまでという約束のため、一時間も猶予はない。軽い準備運動の後にまずは素振り。百を数えたところで、今度は仮想敵を脳内にイメージしての一人手合わせをしようかと一度動きを止めた時だった。
「きゃあああああああ!!!!!!」
広大なアメルハウザー邸の庭先にまで届いた声。
その特徴的な甲高い声に聞き覚えのあったアルマは、
「ア、アルマお嬢様!!?!?」
侍女を置き去りにして、声の方へと反射的に走り出していた。




