閑話 可愛い猫と君
大遅刻猫の日ネタ。本編とはあまり関係がないほのぼの話になります。
前半は10歳のディートハルト(前話の一か月後くらいを想定)視点、後半はアルマ視点です。
本編再開は明日からの予定ですので、興味のない方は読み飛ばしても大丈夫です。
午後の剣術訓練の休憩時間のことだった。
日差しの強さに辟易しながら、ディートハルトが木陰で休息を取っていると、視界の端に、見慣れた銀の尻尾が飛び込んできた。
吸い寄せられるように目線を動かせば、そこには珍しいものを抱いているレスティア・マクミランの笑顔がある。
「……どうしたんですか、それ」
「うん、勝手に入ってきたみたいだから連れてきちゃった」
普段よりも幾分かテンションの高い彼女がそう言って差し出したのは、毛足の短いオレンジ色の毛をした成猫だった。もっちりと太っているところを見ると、野良ではなく、どこぞの飼い猫なのかもしれない。
非常にふてぶてしい顔をしたその猫はお世辞にも美猫とは呼びづらかったが、独特の味わい深さがあった。
「ほら、ディートハルトも触って大丈夫だよ。この子、凄く大人しくて人懐っこいから」
「え……いや、僕は別に動物はそれほど好きではないので……」
というよりも、実は少々苦手だった。意思の疎通が図れない生き物が全般的に得意ではないディートハルトとしては、もちろん猫もその例に漏れない。
レスティアは少し残念そうに「そっかー……」と呟くと、こちらへ伸ばしていた腕を自分の方へと引き寄せ、猫を胸元に軽く当てるようにして優しく抱きしめた。
「はあぁぁぁ……癒されるなぁ」
大人しく抱かれている猫の後ろ頭に頬擦りをするレスティアの表情は、どこか恍惚としていた。
それがほんの少し、面白くなくて。ディートハルトはどことなく不遜な顔をしているように見えてきた猫を凝視しながら、ぽつりと零す。
「そんなに可愛いものですか、猫」
「ん? まぁ、私は大好きだけど……」
「……少し、触ってみてもいいですか?」
「! はい、どうぞ! あ、おすすめは首筋というか、顎の下あたりだよ」
パッと表情を明るくしたレスティアが、ディートハルトの手が届きやすいように猫をゆっくりと動かす。気だるげな猫が尻尾をパタパタするのに誘われるように、ディートハルトはそっと猫の顎に指先を沿わせた。ふわりと柔らかい毛の感触。軽く上下に撫で上げれば、猫はゴロゴロと喉を鳴らした。
「ディートハルト、撫でるの上手だね。抱っこもしてみる?」
「いえ、それは良いです……こうしてみると、猫も悪くないですね」
「ふふっ……そうだね、とっても可愛い」
それからしばらく二人で猫を構っていたが、突然、猫はレスティアの腕からするりと抜け出し、巨体に見合わぬ素早さで駆けていってしまった。おそらく構われ続けるのに飽きたのだろう。
「あー……行っちゃった」
寂しそうに猫の背を目で追いかけるレスティアだったが、その姿が見えなくなると、今度はディートハルトへと向き直る。
そして、何を思ったのか唐突にディートハルトの金の髪を猫を愛でるように撫で始めた。
「……突然、なんですか……これは」
レスティア相手では振り払うことも出来ず、ディートハルトは気恥ずかしさに赤面しながらも説明を求める。すると、レスティアはどこか悪戯っ子のように目を細めながら、
「だってほら、ディーも可愛いから撫でたいなぁって……ダメ?」
そんなことを恥ずかしげもなく訊いてくる。本音を言えば子ども扱いされているのもあってごめん被りたかったが、ディートハルトはレスティアにはとことん弱かった。なので結局、
「……ちょっとだけですよ」
されるがまま、許してしまうのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
その日、アルマは騎士団庁舎の裏手で猫を見つけた。まだ成猫になりきれていないような、やや小さめの猫だった。オレンジ色の短い毛足に白い縞模様が特徴的な、可愛い顔立ちの猫である。
アルマは思わず撫でたい衝動に駆られ、猫を驚かさないようにしゃがんで、ゆっくりと近寄っていった。
幸いにして猫は地面にゴロリと横たわっており、実に堂々とした態度で日向ぼっこをしている。
かなり至近距離まで来ても逃げる様子がないことを確認し、アルマはそっと手を伸ばした。ちょうどお腹の辺りの白い毛に指を沈める。
「……うぅ、可愛い……」
逃げないのをいいことに、アルマは丁寧な手つきで猫の腹を毛の流れに沿って撫でていく。
まさに至福の時。撫でる度にフリフリと揺れる尻尾は少し短くて、それもまた可愛らしい。
そうしてアルマが猫を堪能していたところへ、突然、大きな影が差し――
「――アルマ、こんなところに居たんですか?」
振り返れば、穏やかに微笑むディートハルトの瞳とかち合った。
「……ああ、猫ですか。そういえば好きでしたよね」
「うん。この子、全然逃げないけど野良かなぁ?」
「さぁ……少なくとも、庁舎では猫は飼っていませんので迷い込んだのは確かですね」
「なるほど。じゃあ、今のうちにもう少し撫でさせてもらおう……うーん、やっぱり猫は可愛いなぁ」
自分でも締まりのない顔をしている自覚はあったが、特に繕うこともなく猫との触れ合いを再開する。
そんなアルマの横でディートハルトはおもむろに膝を折ると、
「……ええ、とても可愛いですね」
と言い、右手から着用していた手袋を抜き取った。
もしかしてディーも触りたいのかな、とアルマが伸ばされた素手の行き先を見守っていると――
「…………んんっ?」
その着地点は、他ならぬ自分の頭の上であった。そしてそのままディートハルトは慎重な手つきでアルマの頭を撫で始めてしまう。
突然の事態に困惑するアルマは、猫を驚かさないようになるべく小声でディートハルトに問う。
「なんで猫じゃなくてわたしを撫でるの? ここは素直に猫撫でようよ?」
するとディートハルトは猫そっちのけでアルマに対して綺麗に微笑んでみせた。
「……いえ、僕は僕にとっての一番可愛いものを撫でていたいので」
臆面もなくそう口にしたディートハルトの姿に。
思わず赤面したアルマがそれ以上、猫を愛でる余裕など持てるはずもなかった。




