ディートハルトの追憶(4)
一部女性蔑視発言や不快な言動をするキャラが出てきます。ご注意ください。
静かに故人を悼むことすら、この国の戦況は容易に赦してはくれなかった。
城塞から帰還した第二騎士団は主に先行部隊として派遣された三騎兵小隊において看過出来ない被害を被ったが、それもすぐに人員補充と再編が為され、あっという間に表向きは日常へと回帰していく。第五騎兵隊も例外ではない。
帰還から数日後。
ディートハルトは此度の遠征の報告書を手に、庁舎一階の廊下を一人歩いていた。
圧倒的に人手が足りない今は、幼いディートハルトですら貴重な戦力である。
訓練も少しずつ再開され、ディートハルトも先日から本格的な乗馬訓練を始めている。レスティアの見立てでは、一年以内には隊としての連携訓練にも手が届くだろうとのこと。
その期待に応えるためにも、ディートハルトは早く大人になりたかった。
今ディートハルトが手にしている報告書には、今回の戦死者がすべて記載されている。当然ながら見知った顔も複数存在する。まだ三ヶ月ほどの付き合いしかなかったが、ディートハルトにとっては血縁の死よりもよほど胸が痛んだ。
そして同時に思う。
一歩間違えば、このリストに記載されていたのはレスティアだったかもしれない。
戦場へ向かう彼女の背中をただ黙って見送るのは嫌だ。たとえ命の危険があったとしても、待つのではなく、ともに傷つきながら道を切り拓いていきたい。
そのために強くならなければいけない。一日も早く。
ディートハルトが改めてそう自らの意思を固めていた時――
「…………おい! やめろって!!」
突然外から切羽詰まったような男の声が耳に飛び込んできて、咄嗟に視線をそちらへと向けた。
窓越しの視界が捉えたのは三人の男女。男性が二人に女性が一人。
そしてその女性とは、他でもないレスティアだった。
驚いたディートハルトは思わず窓辺に駆け寄る。外はちょうど庁舎の裏手に位置する人気の少ない場所であり、周囲には三人以外の人影はない。
よくよく状況を見れば、二十歳半ばと思しき男性騎士が、もう片方の年若い男性騎士を腕を掴んで押さえている状況だった。
押さえられている方の男は怒りの形相をレスティアへと無遠慮にぶつけている。
対するレスティアは、まるで苦痛に耐えるような表情で立ち尽くしていた。
そんな彼女の態度が気に食わないのか、今にも飛びかかろうという剣幕で男が叫んだ。
「お前の……ッ! お前の所為でクリスは……弟は死んだんだ!!! お前なんかが指揮官だった所為でッ!!!」
クリス――その名前にはディートハルトも当然、覚えがあった。第五騎兵隊の一員だった青年。第五騎兵隊の中ではディートハルトに次いで若かったと記憶している。確か十七歳だったか。
そして、今回の作戦で命を落とした一人でもある。
また男の口から出た弟という言葉から、ディートハルトは現状をほぼ把握した。
つまりこれは――
「……クロード、気持ちは分かるがレスティアに当たるな。俺はお前がクリスのことを直接聞きたいというから、わざわざレスティアをここに呼んだんだぞ。一方的に罵るつもりなら俺が許さない」
「煩いダグラス!!! オレの気持ちがお前なんかに分かって堪るか!! もうオレにはクリスしか家族がいなかったんだ……! それを、この女の隊にいたばかりに……!!!」
「いい加減にしろ!! お前の弟が死んだのはレスティアの所為じゃない! 恨むなら敵国を恨むのが筋だろうが!!!」
――行き場のない感情を爆発させた八つ当たりだ。
ダグラスと呼ばれた男が、クロードを羽交い絞めにしながら一喝する。が、怒りの収まらないクロードは真っ赤な顔でレスティアを睨みつけ続けた。
そしてレスティアは、その視線と罵声を真正面から受け止めた後、
「――私の力が及ばず、クリスを帰還させられなかったこと……心より謝罪します」
深々と腰を折って謝罪の言葉を口にした。
しかしそれさえも気に食わないのか、クロードが再び拳を振り上げながらレスティアへと接近しようとする。ダグラスが止めていなければ、おそらくは容赦なくその拳で彼女を打ちのめしていただろう。
「ふざけるな偽善者!!! どうせ自分は安全地帯から指揮していたんだろう!? お前みたいな女があの戦場で生き残ってるのがいい証拠だ!! 返せよ!! 弟を返せ!!!!」
言っていることが滅茶苦茶だった。
理不尽すぎる罵倒の不愉快さに、ディートハルトは奥歯を強く噛みしめる。
「……ダグラス、放してあげてくれる? 殴って気が済むのであれば、私は……」
「――馬鹿野郎! そんなことさせられるわけねぇだろうが……ッ!!」
「ハッッ!! そうやってダグラスまで誑し込もうって魂胆かよ!!! 薄汚ねぇ反吐が出る!!!」
三人の声を聞きながら、ディートハルトはその場に飛び出したい気持ちをグッと堪えて、静観に徹した。
自分が今出て行っても事態が改善する見込みはない。ならばもしもの時にはすぐ上役を呼ぶことを考えるべきだ。理性を総動員しながら、ディートハルトは固唾を呑んで息をひそめる。
状況が変化したのは、クロードが散々罵詈雑言を浴びせた後。
肩で息をしながらそれでもまだレスティアを傷つけようと言葉を探す彼に、ダグラスが憐みの目を向けながら言った。
「……クロード、もうやめろ。それ以上はお前が後悔するだけだ。本当は分かってるんだろう……クリスはレスティアのことを、自分を安全地帯に置く卑怯者だとでも言っていたか?」
「ッッ……!!! な、んで……なんでなんだよぉ……ああああああぁぁぁ!!!!!」
泣き叫ぶクロードの悲痛な声が辺りに木霊する。ダグラスはそんなクロードの肩を強く押し、促すようにして彼と共にその場を後にした。
途中、顔だけ振り返ったダグラスが「すまなかった」と口にしたが、レスティアは悲しそうに首を僅かに横に振るだけだった。
ひとり取り残されたレスティアは、しばらくぼんやりとその場に佇んでいた。
城塞で彼女を見つけた時と同じ顔をしている。それは、きっと彼女が深く傷ついている時の顔なのだと、ディートハルトは今になって理解した。
「…………レスティア様」
だからだろうか。思わず声を掛けてしまったのは。
レスティアは弾かれたように息を呑み、声の出どころであるディートハルトの方へ顔を向ける。
そしてディートハルトを認識した瞬間に、彼女は、
「……うん? どうしたの、ディートハルト」
すべての痛みを押し殺すようにして、なんてことない風を装って、綺麗に微笑んでみせた。
それを目の当たりにしたディートハルトは、反射的に報告書を放り、窓を大きく開けると外へと飛び出していた。
こんなにも衝動的に動いたのは初めてだった。だが、そうせずにはいられなかった。
すぐに唖然とするレスティアのもとまで駆け寄ったディートハルトは、まるで体当たりでもするかのような勢いで――彼女を抱きしめた。
「ちょっ……ディ、ディートハルト!? どうしたの!?」
「どうして……どうして、無理して笑うんですか? 悲しいなら、悲しめばいいじゃないですか……!」
「……そっか、さっきの見てたんだね。ごめんね、驚かせちゃったよね?」
レスティアはディートハルトを突き放すことなく、むしろその頭を優しく撫でる。
ディートハルトには、そんな彼女の気遣いが堪らなく切なくて、そして悲しかった。
「僕の前では無理して笑わないでください……お願いですから、もっと自分を大切にしてください……」
「……別に無理はしてないよ。さっきのことだって、副隊長である私が遺族から罵倒されるのは当然のことだから」
「そうやって何もかも呑み込むんですか……! じゃあ、貴女は自分の悲しみを誰にぶつけるんですか!」
「……あのね、ディートハルト。私は本当に大丈夫だから――」
「僕では頼りにならないのは分かってます……! でも、僕はレスティア様が……ひとりで傷つくのは、嫌だ」
ありきたりな慰めの言葉しか出てこない自分に腹が立つ。もっと、自分が大人であれば。力があれば。彼女の悲しみを少しでも分けて貰えるかもしれないのに。
大人になりたかった。早く、大人になりたかった。
このひとを、守れる自分になりたかった。
「ねぇ……ディートハルト」
彼女が自分を呼ぶ。その声は柔らかだったけれど、少し濡れてもいた。
導かれるように顔を上げると、頬に水滴がパタリ、と落ちた。
「そこまで言うなら、どうか、お願い……」
次々と彼女の両目から溢れ出る雫が、雨のように降りそそぐ。
「私よりも、先に、死なないで――……」
そのまま彼女はディートハルトの肩に顔を埋めた。決して泣き声はあげなかった。
ただ静かに、静かに。彼女から零れた感情が涙となってディートハルトの肩を濡らしていく。
その細い背中に手を回しながら、ディートハルトはしばらく黙って空を見上げていた。
憎らしいほどに晴れやかな青空。その鮮やかさに目を細めながら、
「……はい、約束します。僕は死にません」
ディートハルトはレスティアと、そして自分自身に誓った。
すると、どこか安堵したような息を漏らした彼女がゆっくりと顔を上げる。
その表情は、涙でぐちゃぐちゃで。決して綺麗なものではなかったけれど。
「……ありがとう、ディー」
そう言って泣きながら笑った彼女が、あまりにも愛おしくて。
ディートハルトは生まれて初めて、ただ純粋に。
――この人が好きだ、と思った。
過去編(ディートハルト自覚編)はここで一旦おしまいです。
明日からは通常時間軸に戻ります。ちなみに過去編はまたタイミングをみて挿入予定です。




