レスティア、アルマとして生まれ変わる
孤児の少女アルマがレスティア・マクミランとしての前世を思い出したのは、七歳の誕生日の時だった。
貧民街の中にある孤児院で育ったアルマは誕生日(とは言っても孤児院に捨てられていた日を便宜上そう呼んでいるだけだが)の当日、この日にしか与えられない特別な焼き菓子を食べた途端に割れるような頭の痛みに襲われ、そのまま失神した。
そうして丸一日意識を失った後、目が覚めたアルマは悟った。
自分の前世が女騎士レスティアであったことも、この国がかつて自分が仕えた愛すべきリーンヘイム王国であることも、何もかもを。
自覚した際に最初に思ったのは、当然のごとく己の最期を看取ったであろう少年のことだった。
「ディー……ディートハルト」
王国の誉れある第二騎士団。そこに最年少で入団した若き公爵令息。
それがレスティアがもっとも気に掛けていた少年、ディートハルト・アメルハウザーであった。
当時、十二歳という年齢だった彼はどうしているだろうか?
アルマは体調を心配する院長に甘えて数日間、療養(という名目の記憶の整理)に努めた。
そして気づく。
今の自分は幼少期のレスティアにそっくりだ。
顔立ちも目の色も髪の色も何もかも。
レスティアが七歳だった頃の記憶は曖昧なので正確なところは分からないが、身体能力も前世に準拠しているかもしれない。この辺りは要検証だな、とアルマはベッドの中で一人頷いた。
しばらくして完全に体調が元に戻ったのを確認すると、アルマはさっそく現状把握に乗り出した。
まずはお手伝いの合間を縫って街中を駆けずり回り拾った新聞や、院長室の書物をこっそり漁って片っ端から目を通した。幸い、前世の知識により読み書きに不自由はない。だが、誰かに見つかると説明が面倒だったため、すべて一人で秘密裏に事を進めた。
「……ああ、やっぱり戦争は終わってたんだ。良かった」
ある程度は予想していたが、今はレスティアが死んでから七年ほど経っているようだ。
終戦はレスティアの死後半年ほど経った頃らしい。無事に勝利できたようで何よりである。
つまりレスティアは死んですぐに生まれ変わったことになるが、そのことをアルマは僥倖だと感じた。
数百年後であればディートハルトも死んでいるだろうが、七年であれば存命である可能性は非常に高い。
「っ! あった!」
やがてアルマは新聞の中から、ディートハルトの名前を見つけ出した。
現在は爵位を継いで公爵家の当主になっているようだ。生きていたことに安堵し、思わず涙が頬を伝う。
他の新聞記事などとも照らし合わせた結果、彼は現在レスティアも所属していたあの第二騎士団の団長も務めているらしい。
当初は公爵家当主との両立が疑問視されていたようだが、前騎士団長が補佐に就いたことで丸く収まったようだ。
「しかし十九歳で公爵家を継ぐなんて、ディーはやはり優秀だなぁ……」
思い返すのは騎士団での輝かしい日々のことだった。
初対面は彼が十歳の頃のこと。
利発な笑みを浮かべる少年の姿をアルマは昨日のことのように思い描けた。
ディートハルトは大変礼儀正しく、勤勉で、そして何よりも可愛らしかった。
そう、顔が。
「最初、女の子かと思ったもんなぁ……」
正直、女であるレスティアよりも顔立ちが美人のそれだった。
切れ長の美しいタンザナイトの瞳に、柔らかな金糸の髪。その外見はまるで絵画に登場する天使のようだった。
子供ながらに骨格はしっかりしており、幼少期から鍛錬をしていたことが最初から見て取れた。
だが、それでも所詮、子供は子供である。
レスティアをはじめ、女性騎士も多少は存在するが圧倒的に男性社会である騎士団に飛び込んできた、見目麗しき子羊。
公爵令息であるがゆえに不埒なことをする輩は滅多なことでは出ないだろうが、それでも万が一は存在する。
「だから私が教育係を仰せつかったわけだしね」
うんうんと、アルマはひとり腕組みをして納得した。
当時のレスティアは二十二歳という年齢で異例の出世をしており、その実力は騎士団内でも有名だった。
特に剣技においては第二騎士団の中でも一二を争うほどで、剣筋の鋭さと回避からの反撃の的確さには定評があった。
まだ身体が出来上がっていない少年の指導役として、力ではなく技術面を指南するという意味でも適役だったのだ。おまけに没落したとはいえ元貴族の令嬢。これほど打って付けの人材はいなかった。
「もともと基礎がしっかりしてたのもあるけど、呑み込みも早くて教えるの楽しかったな~」
当時のことを思い出すと、自然と口もとがほころんでしまう。
同じ訓練メニューをこなし、同じ食事をとり、時には夜遅くまで話し合いに興じた。
辛く厳しい指導にも一切の弱音を吐かないディートハルトが誇らしかった。
非番の日には二人だけで街に出て、戦時には貴重な甘味を一つ買い求め、分け合って食べたりもした。
弟にするように頭をなでると、嬉しそうな、でも少し複雑そうな顔をするのが、可愛かった。
また当時は書類仕事が大の苦手だったレスティアに対して、根気よく付き合ってくれたのもディートハルトだった。
おかげで書類の処理能力は劇的に向上し、ディートハルト自身も助手として優秀な働きをしてくれた。
十二歳になる頃には、百六十の身長であったレスティアに並ぶ勢いで背が伸びていた。
もう少しでレスティア様を追い越せますね、と無邪気に笑った顔が忘れられない。
レスティアという女性が過酷な人生を生きてきたのは間違いない。戦争の最初期に猫の額のような規模の領地と屋敷を不運にも焼かれ、命からがら逃げ延びた先で泥水を啜る生活を送り、なんとか辿り着いた王都で騎士団の門を叩いた。
戦争がなければ、きっとレスティアは剣を握ることもなく、あの小さな、それでも長閑で秋になると一面の小麦畑が美しい領地で、親が薦めた誰かと結婚して子供を産み育て、生涯を閉じただろう。
それはそれで幸せだったかもしれないが、もしもを語ることに意味はない。
大事なのは現実であり、レスティアはディートハルトと共に過ごした約二年間を何よりの宝物と思っていた。
「……会いたい、な」
思わず、声に出ていた。
あの可愛らしかった少年はきっと、立派な大人になったことだろう。
対して、今の自分は何もできないただの幼女である。
しかも貧民街の孤児院に暮らす孤児である。公爵家当主となったディートハルトと対面することなど、普通に考えればほぼ不可能だ。しかし、アルマは決意した。
「……うん、そうだ。会いに行こう」
アルマはレスティアの頃から変わらない自分の銀色の髪を払うと、勇ましく立ち上がった。
ちょうどその時、アルマを呼びに来たらしい一つ年上の少年ガルムが部屋に入ってくる。
「おいアルマ! サボってないで夕飯の準備手伝えよ! お前も七歳になったんなら戦力なんだぞ!」
「うん、わかってるよガルム! 芋の皮むきでも皿洗いでも煮込みの火の番でもなんでもやる!」
「……お、おう? なんだよ無駄に元気で気持ちわりぃな……」
「その代わり、お願いがあるんだけど」
不審そうにこちらを窺うガルムに対し、アルマは満面の笑みで言った。
「わたし、将来は騎士団に入ることにしたから、稽古に付き合って!」
「…………はぁああああ!?!? 騎士ぃ!? お前が!!??!」
ガルムが素っ頓狂な大声を挙げるのを横目に、アルマは今後の予定を頭に描きながら炊事場へと向かったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
アルマの意志は固かった。それはもう、金剛石よりも硬かった。
七歳での決意表明から二年――
「アルマ……どうして貴女は騎士になりたいの……?」
朝の日課である素振り五百回を続けるアルマに、孤児院の院長が声を掛けた。
心配性の彼女は女であるアルマが剣を握ることを良しとせず、時折こうして様子を見に来ては、アルマに騎士を諦めさせようと話しかけてくる。
アルマは素振りを止め、院長にニッコリと笑いかけた。
「院長先生、何度も言ってるけど、わたしには才能があるんだよ! その証拠に、ゼム先生からの太鼓判も貰ったし!」
ゼム先生とは、この孤児院へ定期的に慰問にやってくる貴族の護衛を務める男である。
ガルムを巻き込んで地道な基礎体力作りを行なう一風変わった幼女のことを知ったゼムは、興味本位でアルマに木剣を与えた。
するとアルマが子供ながらに見事な剣筋を披露したものだから、彼の方もつい指導に熱が入り、今では師弟関係を結ぶ間柄となっている。なお、負けず嫌いのガルムも一緒に稽古を受けており、こちらもアルマほどではないが、筋は悪くないとゼムから将来性を見込まれていた。
「それは分かってるわ……けどね、もう戦争も終わったし、何も女の子の貴女が身体に傷を作ってまで騎士を目指すのは勧められないわ。それに、身分のこともあるのよ……」
「身分については、まぁ実力で何とかするよ! この国、実力至上主義だもん!」
アルマの言葉には確信めいたものがあった。というよりも、前世の経験から確信していた。
何せあの八年の戦争の終盤まで生き残り、敵将を討ち取った実績もある。
一般市民が騎士団の入団試験を受けられるのは十二歳から。
あと三年もあれば、前世の全盛期とまではいかなくとも、十分合格圏内の実力が示せるはず。
それに騎士になれば当然俸禄も出る。孤児院には大変お世話になったので、少しでも早くひとり立ちをして恩返しがしたいという希望もあった。
「試験を受けられるのは三年後だよ! だから心配しないで、院長先生! わたし頑張るから!」
「……はぁ、くれぐれも怪我には気をつけるのですよ」
「はーい!」
元気いっぱいに返事をしたアルマは知らなかった。
三年どころか一週間も経たないうちに、アルマの運命が大きくねじ曲がってしまうことを。
そのきっかけをもたらしたのは、アルマとガルムの稽古を付けに来てくれたゼムだった。
「お前ら、本物の騎士団見てみたくねぇか?」
「み、見たい!!!」
休憩中に突然話を振ってきたゼムに、アルマは即座に飛びついた。
もしかしたらかつての仲間の誰かしらと会えるかもしれない。そう思ったのだ。
ガルムはそんなアルマの隣で「俺は別に……」と言いつつ、チラチラとゼムを窺っている。
相当興味があることは傍目からでも十分に分かり、アルマは十歳の頃のディートハルトを思い出してニヤニヤしてしまった。そんな中、ゼムが話を続ける。
「明日、この貧民街の外で騎士団のパレードがあるんだよ。お前らが行きたいって言うなら連れてってやろうかと思ってな」
「~~~~!!!! ゼム先生最高!!!! ぜったい行く!!!!」
アルマは大はしゃぎでゼムに飛びついた。
若干汗臭かったがそれでも嬉しさが勝った。
「……アルマ一人じゃ心配だから、オレも行く」
「よし! じゃあ明日の朝に迎えに来るから遅れるなよ! 院長先生には俺から話付けといてやるから」
「わーい! ありがとうゼム先生!!」
アルマはこの時、聞きそびれていた。
パレードを担当する騎士団がどの騎士団であるかを。