アルマ、止める
嫌な予感がしてそろりと顔だけで振り返れば、怒りで顔を赤くしたご令嬢が大きく手を振り上げているのがアルマの目に映り――咄嗟に、叫んだ。
「ディー!! 待って!!!」
その大音声に眼前の女性二人がひるむ。その瞬間、ご令嬢の首筋に鞘に入ったままの西洋片手剣がピタリと当てられた。アルマが制止していなければ、おそらくそのまま振り下ろされていただろう。華奢な体つきのご令嬢なら骨の何本かを持っていかれかねない膂力で、だ。
アルマはすぐさま腕を捻って護衛の女性の拘束から逃れ、二歩分の距離を取る。そして、彼女たちの背後にいる人物に――ディートハルトに視線を向けた。
女性陣二人は完全に硬直している。無理もない。動いたら死ぬと本能的に理解しているのだろう。
そのくらいの圧力が場を支配している。戦場のひりつく空気を何度も体験してきたアルマですら、気を抜けば呑まれそうになるほどだった。しかし、この場で自分以外に状況を変えられる人間はいない。
「……ディートハルト様、剣をお納めください」
「――何故ですか?」
「必要ないからです。騎士団長ともあろう方が、この程度のことで女性に危害を加えるなどあってはなりません」
「この程度、ではないでしょう。貴女を害そうとしたのだから」
声が落ち着いていることが何よりも恐ろしい。
ディートハルトの静かなる怒りに触れ、アルマは困ったように眉を寄せた。
「わたしのためと仰るのであれば、なおさら手出しは無用です。それとも、この程度のことをわたしが対処できないとでも?」
敢えて挑発的な言葉を投げかけながら、アルマは周囲に視線を巡らす。この状況を他者に見られるのはマズい。人が集まってくる前に収拾をつけなければ。
と、そこで声を震わせながら護衛の女性がディートハルトへ話しかけた。
「ア、アメルハウザー閣下……こちらはグランツ辺境伯家のエリーチカ様にございます……! このような仕打ち、グランツ辺境伯家を敵に回すおつもりですか……!!」
何とか持ち直したらしい護衛の女性はディートハルトの剣の鞘を掴み、ご令嬢を守るべく身を挺して一歩前へ出る。
だが、ディートハルトはそんな彼女の勇気を踏み躙るかの如く、苛烈な視線を浴びせた。
「グランツ卿の孫娘だろうが関係はない。そちらが先に私の身内に手を出した以上、こちらに引く道理はない。違うか?」
「身内……この、平民のことを仰られてますの……?」
そこへ青褪めながらも口を挟んだのは、未だに首元に剣を向けられたままのご令嬢――エリーチカだった。しかしその発言は悪手と言わざるを得ない。ディートハルトはその柳眉を明確にひそめた。
「そうだと言ったら、貴様はどうするというんだ?」
「っ……そのような者は高貴なディートハルト様に相応しくありませんわ! 貴方様のお傍に侍るのであれば、それ相応の身分が必要でしょう!」
「――くだらない。何故そのようなことを他者に指図されなければならないんだ。口を閉じろ、不愉快だ」
「ひっ……!?」
あまりの恐怖からか悲鳴を漏らしたエリーチカだったが、彼女がディートハルトに背を向けたままで本当に良かったとアルマは心底思った。今振り返れば、視線だけで人を殺せそうなディートハルトとかち合うことになるから。護衛の女性などすっかりその眼光に当てられ、歯を食いしばりながら涙目で必死に耐えている状況だ。
アルマは一度目を閉じて深呼吸をしてから、再びディートハルトに敢えて昔の口調で話しかける。
「……これ以上ことを荒立てるなら、もう二人きりのときに呼び名を変えないから」
その発言はたった一人に対して絶大な力を発揮した。
数秒の間を置き、ディートハルトは渋々といった様子で剣を引いた。同時に場を制圧していた空気が若干マシになり、護衛の女性がエリーチカの肩を抱き寄せ、ディートハルトから距離を取る。
逆にアルマはディートハルトの方に歩いていくと、精一杯彼を見上げながら小さく抗議した。
「気持ちは嬉しいけど、流石にやりすぎだと思います」
「僕はそうは思いません。貴女は他者に甘すぎます」
「いやいや、これくらいのことでいちいち目くじら立ててたら、周りから人がいなくなるでしょう?」
「では、貴女が理不尽な暴力に苛まれていても黙ってみていろとでも?」
「それは時と場合によるでしょう。どちらにせよ、まだ若い女性に対してやりすぎだって自覚は持ってください!」
これはいわゆる過保護というやつなのかもしれないと頭を痛めつつ、アルマは腹いせにディートハルトへ持っていたポットを押し付ける。彼はキョトンとしながらも素直に受け取った。
「ちょっと持ってて。話を付けてくるから」
言って、アルマは未だに恐怖から立ち直れていない様子の二人に向き直って声を掛ける。
「大丈夫ですか? もし具合が悪ければ医務室にご案内するか、誰か迎えを寄越しますが――」
「なっ……なんなのよ、もう! 貴女、貴女なんか! なんで……っ!」
「お嬢様、落ち着いてください……!」
「だって、おかしいわこんなの! こんな子供のせいで、ワタクシがなんでディートハルト様に……っ!」
半べそを掻きながらも、エリーチカはアルマを睨みつけてくる。護衛の女性が宥めても怒りが収まらない辺り、元来の性格から気が強いのだろう。そして、蝶よ花よと育てられてきたに違いない。
前世から数えてもあまりこういった相手と交流した経験はないが、とりあえず自分がディートハルトの傍にいることに明確な理由が示せれば良いかなと安直に考え、アルマはひとつ提案をすることにした。
「お言葉ですが、わたしはただの子供ではありません。いずれはディートハルト様の片腕となるべく、日々研鑽を積んでおります。ディートハルト様もわたしの才能を買ってくださっているのです」
「才能って……なんなのよそれ……」
「剣術の才能です。もしよろしければ、そちらの女性――護衛職の方とお見受けしますが、わたしの実力を確かめてみませんか?」
「試すって……まさか」
「はい。ご想像の通り、そちらの方と一度お手合わせをさせていただきたく思います」
背後でディートハルトが呆れたような、それでいてどこか楽しそうな息を漏らすのを感じながら。
アルマは驚きで目を瞬かせる二人に対して、子供らしくにっこりと微笑んで見せた。
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