アルマ、絡まれる
ディートハルトの屋敷で暮らし始めてから、一週間。
専属補佐官となったアルマの日常は、良い意味での充実感をもたらしていた。
やはり孤児院で出来ることは限られていたので、仕方がないとはいえ日々物足りなさは感じていたのだ。
それが今はディートハルトの補佐という名目で様々な便宜が図られている。
特に嬉しかったのは、騎士団庁舎への出入りが可能となったことだった。
「よぉ、アルマ。今日もご苦労さん」
「ダグラス、お疲れさま! 午前の会議は滞りなく?」
「ああ、最近は平和なもんだしなぁ……」
二人が会話をしているのは第二騎士団の団長執務室内である。
第二騎士団長という職務上、騎士団庁舎に詰めていることが多いディートハルトにくっついて、数日前からアルマも騎士団庁舎に通っている。ディートハルトの私設補佐官という立場なので、基本的には執務室で書類の整理を手伝ったり、身の回りの世話をするのが役割だ。
もちろん、重要な会議などには同席出来ないが、ディートハルトがいない間は執務室の窓から訓練する騎士たちを眺めたり、マナーや教養の勉強に励んだりと、アルマなりに忙しく立ち回っている。
ちなみにダグラスも暇を見つけてはアルマの様子を覗きに来ている。ディートハルトはあまりいい顔をしないが、アルマとしてはダグラスの近況を聞くのも楽しい。特に奥さんと娘さんの話を聞くと、自然と会いたい気持ちが膨らんでいった。
「ところで、ディートハルトさまは? 一緒じゃないの?」
普段なら会議後にはすぐに戻ってくるディートハルトの姿が見えないことを不審に思いアルマが尋ねると、勝手知ったる我が家のような気楽さでソファーに腰かけたダグラスが気の抜けた声で答えた。
「あー、団長はグランツ卿に捉まってたな。たぶんまた孫娘との縁談についてだろうけど」
「おお……縁談……!」
「お、やっぱりお前も気になるか?」
「そりゃあ気になるよ。ディートハルトさまは既に爵位を継いでるわけだし、普通だったら結婚してないとおかしいくらいだもの。未だに婚約者がいないことも信じられないくらいだよね」
ちなみにグランツというのは、ここリーンヘイム王国の第一から第三騎士団までを統括する中央司令部のお偉方の一人である。確か辺境伯だったはずだ。
「……てか、お前がそれを言うのか……?」
渋面を作ったダグラスが言いたいのは、ディートハルトの想い人がレスティアであることを知っているからだろう。
しかしアルマからしてみれば、自分だからこそ言えることなのである。
「……別にディートハルトさまの気持ちを否定するつもりはないんだけど。でも、やっぱりほら、ディートハルトさまの中でレスティアは美化されてると思うんだよね。だから他所に目を向ける方が遥かに健全だとは思ってるよ」
まごうことなき本心からの言葉だった。
アルマはレスティアの死がディートハルトにもたらしたものの重さの一端を知った。そのことに責任を感じていないと言えば嘘になる。
当時の彼の恋心を否定するつもりはないが、それをそのままアルマに当てはめるのは、やはり違うとも思うのだ。何より、今のアルマではディートハルトと身分も年齢も何もかも釣り合わない。
なので精神的年長者としては、あくまでも冷静に、もしディートハルトに新たな想い人が出来るのであればそれを応援する心の準備をしておくべきだと、そんな風に考えているのである。
「まぁ美化っていうか、拗らせてんのはその通りだと思うけどよ……お前、それ本人には絶対言うなよ?」
「言わないよ。流石にそこまでデリカシーがない人間じゃないって」
「いやどっちかっていうとお前の身の安全のために言ってるんだからな……あんまりアイツのこと刺激すんなよ……容赦してもらえなくなるぞ、たぶん」
「……? 良く分かんないけど、まぁこの話はここまでってことで」
アルマは苦笑しながら、やや青い顔をしているダグラスにお茶を出した。
さらに時刻を確認してみれば、そろそろ昼休憩の頃合いだ。
グランツ辺境伯に捉まっているとはいえ、昼食の時間までにはディートハルトも戻ってくるだろう。
アルマは屋敷から持参してきたランチバスケットをダグラスの前に置くと、大きめのポットを手に執務室の扉へと向かった。
「ダグラスもここでお昼、食べてくよね? わたしちょっと食堂でお湯とか貰ってくるから、ディートハルトさまが戻ってきたら先に食べてて」
「あ、おい! それなら俺が取ってくるって!」
「いやいや、わたしも一応お仕事で来てるから。このくらいはしないとね」
食堂の人にも早くわたしに慣れてもらいたいし、と言い残して、アルマはダグラスが止める間もなく執務室を飛び出していく。
レスティア時代の経験則上、休憩時間に入れば食堂は芋洗いのようにごった返しになるので、さっさと済ませてしまおうと足早に廊下を進んでいると――
「ちょっと、そこの貴女!」
背後から、キンキンと甲高い少女の声が掛かった。
最初は自分のことではないと思ったが、念のために立ち止まって振り返る。
そうして目に飛び込んできたのは、鮮やかな橙色の髪を美しく結い上げた派手めの令嬢の姿だった。
年齢はおそらく十代後半。若葉を連想させる色味のドレスに身を包んだ彼女は、何故か怒りの形相をアルマへと向けていた。貴族のご令嬢であることは間違いないと、アルマは判断する。
また、その背後には彼女の護衛と思しき若い女性が一人いて、状況に戸惑いながらも口を閉ざして事の推移を見守っていた。
「……わたしに何か御用でしょうか?」
敵意を向けられている事は明らかだったが、そこには敢えて触れずにアルマは姿勢を正すと、礼節を持って問い返した。
すると、謎の令嬢は高いヒール音を廊下に響かせながらアルマの方へと近寄り、数歩の距離で対峙する。その表情からは、アルマを見下しているのがありありと窺えた。
「貴女、今すぐディートハルト様のもとから去りなさい。今なら見逃してあげる」
「…………」
あまりにも想定内すぎて、逆に言葉が出なかった。
今まで誰も寄せ付けなかった美貌の騎士公爵が、初めて傍に置くことを決めた女性。
たとえ子供だとしても、ディートハルトに想いを寄せる女性たちからすれば、捨て置けるほど軽い存在ではない。
故に、その存在を排除する――そう考える者が出てくるのはごく自然な流れだろう。
ということでアルマはご令嬢の目的を正確に理解しつつ、この場をどう切り抜けるべきか頭を悩ませる。
おそらく「分かりました」以外の返答は受け付けないだろうことは分かり切っていたので、余計に。
「……ちょっと、聞いてるの? 貴女がどんな手を使ってディートハルト様に取り入ったか知らないけど、ワタクシはグランツ辺境伯家直系の姫なのよ。そのくらいの身分じゃなきゃ、ディートハルト様と釣り合わないことくらい、その小さな脳みそでも理解出来るわよね?」
グランツ辺境伯家――その言葉で、アルマはなんとなく状況を把握した。
ディートハルトがグランツ卿に呼び止められた理由は、おそらく彼女なのだろう。
同時にアルマのことも把握している辺り、辺境伯家の情報網はなかなか優秀なようだ。
「……ねぇ、もしかして、貴女ってアルマって子じゃないの?」
あまりにもアルマが黙っていたからか、ご令嬢の顔がわずかに曇る。
「いえ、わたしがアルマで間違いありません」
「っそれならそう言いなさいよ! ホント愚図なんだから!」
ぷりぷりと怒る様子が毛を逆立てた猫のように思えてきて、アルマは逆に微笑ましい気分になってきていた。
しかしこのまま付き合っているとあっという間に昼休憩の時間に突入してしまうので、さっさと話を切り上げるべくアルマはぺこりと一礼をする。
「申し訳ありません。先を急いでおりますので失礼させていただきます」
「なっ……!」
本来的にはマナー違反だが、相手から正式に名乗られていないのでセーフということにしよう。
アルマは心の中で言い訳をしつつ、踵を返して食堂の方へ歩き出す。
が、数歩もいかないうちに、
「……悪いけど、もう少し付き合ってください」
背後から伸びてきた護衛の女性に無理やり腕を掴まれ、強制的に制止させられてしまった。
嫌な予感がしてそろりと顔だけで振り返れば、怒りで顔を赤くしたご令嬢が大きく手を振り上げているのがアルマの目に映り――




