* 2話 * 末子王女 バンビランド=ウィッチウェイ *
王都の城壁を南に越えるとすぐに、都会の華やかさも賑やかさも一切無い、持たざる者たちの街がみえる。
裏王都――王国内では王都に次いで2番目に広い面積を有しながらも、地図上は黒く塗りつぶされ、細かな情報が全て伏せられている地区。
その実態は、年間犯罪件数が人口に匹敵するレベルの荒れ方を見せる貧民街だ。
北面は城壁によって王都と隔てられているものの、それ以外の方角は森や岩山で囲われており、旅行者が迷い込むのを防ぐために王都お抱えの魔法使いたちによる特殊な結界を張っている。
俺は悪徳商人の殺害を終え、その裏王都の中心にある、古ぼけた石造りの塔へと帰還していた。
「ご苦労、アスト」
労いの言葉ながら、思わず背筋を正しそうになる冷たい声。
裏王都の女王、オニキス=ハローバックは微笑みながら俺を手招きした。
肩まで伸ばした艶やかな黒髪と前髪だけに入れられた銀色のメッシュ、左目周辺の痛々しい火傷跡と美麗な顔立ちが、美しくもどこか妖しさを感じさせるコントラストを見せている。
俺はオニキスの向かいのソファに腰かけながら、
「チョロい仕事だったわ。月額400万ハク級の護衛もついてたけど、結局全然張り合いなかったし」
「君と張り合える護衛なんて、家3軒分の金額を積んでも用意できないだろうさ」
オニキスが口元だけで微笑む。この女、目は常に笑っていない。
「けどさ、正直不満だわ。あーゆう悪人をひとつひとつ潰すのも大事だけど、俺らの本丸はあくまであれ、だろう?」
俺が窓の外にうっすら見える、水属性・石属性・金属性・光属性の魔法できらびやかな魔法装飾を施された建物の遠景を親指で指した。
この離れた距離からでもその魔力の輝きが分かる、王都で最も強い結界の張られている場所。
「そろそろ、王宮に攻め入れる案件が欲しいぜ、ボス。最終ゴールの『魔王』にたどり着くには、避けて通れない道だろ?」
殺しは目的では無く手段。
俺の目的は、先代の勇者が仕留め損ねた魔王・ネス=オクターヴを打ち倒すこと。
……殺し屋がそんな夢を見るのを可笑しいと思う者もいるだろう。
魔王を倒したい・英雄になりたいのであれば、冒険者ギルドに入り、モンスターたちを狩りながら勲功を上げ、王宮の編成する魔王討伐軍へのピックアップを目指すのがふつうのルート。
この国のほぼ全ての人間が、そう理解している。
だが、それは大きな間違いだ。
最初に倒すべき敵は、人間族の中にいる。
だから俺はオニキスの下につき、殺し屋になった。
「王宮にいる親魔派についての情報を得て、腐った王家の連中を調べ上げて殺す。それが、俺らが目指してる次のステップだろ」
「そうだね」
「そろそろ、王宮まわりの依頼が来ないときついぜ。こうしてる間にも、また魔族が王家の連中を誑かしながら、人間族の領土に攻め入る算段を立ててるかもしれないってのに」
「まさしくその通りだね」
「俺はいつまでしょうもない悪徳商人やら悪徳貴族やらを殺せば良いんだ」
オニキスがふふ、と柔らかく笑った。
「なかなかいいタイミングの問いだよ、アスト」
「?」
俺が訝しげな目線を向けると、オニキスは目以外のパーツで微笑をつくり、
「ちょうど、その話をしようと思っていたところなんだ――王宮に入れる案件が、来た」
思わずオニキスの目を見た。ばっちりと目が合う。口元に反して全く笑っていない目。
「それを先に言ってくれよ。待ってたぜ、王宮案件。で、標的は?」
俺ははやる気持ちをなるべく抑えながら訊ねた。
「現国王の第8子――第4王女のバンビランド=ウィッチウェイだよ」
俺はそこで眉をひそめた。加速していた心臓の鼓動が少しずつ落ち着いていく。
「さすがに第8王子のプロフィールまでは存じ上げてねーんだけど……そのバンビランドってのは、殺すに値する人間なのか? 王宮に侵入するためっつても、俺は殺すべきでない人間は殺さないけど?」
それが俺のこの仕事における信条だった。そのため標的の事前調査はマスト。
「それに関していうと、今回は事前調査がほとんど機能してない。この王女――バンビランドについての人となりや言動に関する情報が、全くと言っていいほど無い。あるのは出自に関する情報が少しと、王宮内における彼女の居住エリアのみだ」
オニキスは殺しの標的が決まると、協力先である”情報屋”を使って事前調査を行う。
その信頼度は折り紙つきで、これまでそんな残念な調査報告を寄越したことはなかった。
俺は驚きつつも、首を振った。
「それじゃあ俺は行けないね、オニキス。殺せるかどうか判断できるまでは無理だ」
だがオニキスは顔色も声色も全く変えず、
「この依頼を受ければ、王宮内への侵入の手引きは彼女がやってくれる。王宮お抱えの魔術師達が何重にも結界を張って、警備兵達が敷地中を固め、飼い慣らされた番竜たちが常に五感で侵入者の気配を探り続ける、あの王宮に入れるんだ。受けないという選択肢は、ないと思うが?」
「……そうだとしても、親魔派かどうかも分からない王女を殺す気にはなれねーよ。かといって、一度依頼を受けたら、完遂しないわけにはいかないし」
そこでオニキスがにこりと笑った。
「そうそう、言い忘れてたけど」
「?」
「この案件には面白いところがあってね――」
***
「あなたが殺し屋さんですか?」
少しだけ緊張を帯びつつも、朗らかな声音で少女はそう言った。
一つの町レベルの広さを誇る、王宮の端っこにそびえ立つ尖塔。
俺はそこで、標的と対面していた。
「ああ。殺し屋、アスト=ウィンドミルだ。あんたが、第8王子――バンビランド=ウィッチウェイか?」
年齢はおそらく十代後半。大きな目の中の茶色の瞳が、濁りを知らない田舎の湖のように澄み切っていて、直視しづらい。
おそらくほとんど日に当たっていないのだろう、透明感あふれる白い肌も、しなやかに伸びた黒髪も、端正な顔が織りなす表情も、幼年期の子供のような純真さを感じさせてまぶしい。
バンビランドは力なく笑いながら、しとやかに頷いた。
「いかにも、わたしがバンビランドです。王子っていっても、継承権をもたない庶子なんですけどね」
バンビランドは両手を広げて言った。
「それでは、私を殺してください、殺し屋さん」
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まだ始まったばかりですが、お楽しみいただけていたら幸いです
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