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Case1 大逃走

 久しぶりに立ち上がったせいで起立性低血圧でも起こしたかと心配したが、幸いそんなことはなかったらしい。

 しかし、俺の身に起こったことはそれ以上に不可解であった。

 先程の溢れるような光が幻であったかのように、俺は薄暗い部屋に立っていた。

 とは言っても元々自分が居た部屋ではない。和室っぽいワンルームに居たはずだったのだが、今居るのは田舎のコテージのような、木製の小屋だった。

普通はこういった小屋であっても電気が備え付けてあるものだと思うが、どこにもそういったものは見当たらない。

 薄暗い光を入れている窓から見えるのは、ジャングルを彷彿とさせるような樹海だった。都会育ちの俺にはテレビ以外で見覚えのないものだった。いや、昔学校行事で登山した時に見たことはあるか?いずれにせよその程度の経験だった。

 目の前に居るのはいかにも体格の良い二人の男。素材はよくわからないが、二人とも薄汚れた白いシャツによれよれの緑のズボンを履いている。あまりファッションには詳しい方ではないが、あまり見慣れたものではない。いかにも簡素で安そうな印象であった。

 そんな二人から威嚇するように見下ろされ、思わずひるむ。

「成功した……」

 後ろから聞こえてきた声に振り替えると、そこに居たのは十代半ばくらいの少女であった。流れるような金髪に、緑を基調とした服とマント、そして長い耳。こちらも馴染みがない……はずなのだが……。

「エルフ……?」

 ファンタジー系のゲームやアニメではお馴染みのエルフにしか見えない。俺はたしなむ程度にしかやっていないが、間違いないように思う。

 そして、子供の腕くらいの太さの紐でミノムシのように全身をグルグル巻きにされていることを見ると、誘拐されたのだろうか。

「召喚獣?」

「人型?そんな召喚獣は聞いたこともないが……」

「そもそもステラ姫は四大魔術師が少し使えるだけのはずだろう?召喚術を使えるなんて聞いていないぞ。」

「クライエの野郎!」

 俺が突然の状況の変化に混乱しているのと同じように、相手にとっても俺が現れたことは予想外なのだろう。男達が警戒を強めながら手にしたナイフを握り直す。

 そこで初めて俺は相手がナイフを握っていることに気が付いた。

「ねえ、あなたは私の声に応えてくれた召喚獣なんでしょう?お願い!助けて!」

 その声は沙羅のものではなかった。

 だからと言って見過ごすわけにはいかない……とは言っても、どうすればいい?俺はただの救急医であって、格闘家でも何でもない。

 医者の中には変わった経歴を持つ人もいて、某格闘技の元チャンピオンなんていうのもいないわけではないが、残念ながら俺は現役合格のストレート卒業だ。部活もサッカーだけだし、格闘技と言えば中学高校時代に学校の授業で習った柔道くらいしか経験がない。

基本の基の字も覚えていないし、仮に覚えていてもそんな付け焼刃がナイフを持った相手に通じるはずもない。

 とはいえ、ごめんなさい、助けられません、と口にできる状況でもない。

仮にそう口にしたところで、まずは自分が刺されそうな気がする。

 今更死ぬことなど惜しくもないが、ナイフで刺されたいとは思わなかった。

(……どうしたものか)

 ふと以前麻酔科研修をしていた時に上級医から言われたことを思い出した。


「セボの瓶を持っているとね。なんかテロリストとか来た時、キャップを開けて相手に投げつけたら鎮圧できるんじゃないかと妄想することがあるんだ。」

 

……今思い出しても変わり者の先生だった。当然研修生活でテロリストに襲われることはなく、その妄想は現実にならないままになったのだが……。

そんなことを考えていると、俺は手の中に茶褐色の瓶があることに気が付いた。

(これは……セボ?)

 それは見慣れたセボフルランの瓶だった。

 セボフルランは麻酔科医が最もよく使用する吸入麻酔だ。

全身麻酔をする際、人工呼吸器から患者に送られる空気に、このセボフルランを混ぜる。すると患者は手術中、ずっとこのガスを吸い続けることになる。

このガスには強い鎮静作用があり、この薬が効いている間は患者は目覚めることはない。

当然俺もこの薬を患者に使ったことがあったし、その効果も実感していた。

 なんでこれがここにあるのかは知らないがこれを使えばこの危機を脱出できるかもしれない。

……とはいえ、やはり不安は拭えない。この薬を使うときは、普通だと気化器が必要だ。セボルフランは常温でも揮発するので、蒔くだけでも効果はあるかもしれいが、この量で足りるのだろうか?

 どれくらいあれば足りるのだろう?十本くらいでこの部屋を満たせば足りるのだろうか?

 そう想像した時、気が付けば空中から十本、茶褐色の瓶が沸いた。そのキャップはすでに空いていて、床に落ちると同時に中身が一斉にこぼれだす。

(……まずい!)

思わず大きく息を吸って止めた。微かに名状しがたい匂いがする。患者を麻酔から醒ますときに否応なく嗅いだことがある匂い。間違いない、セボフルランのものだ。

もはや考える時間はない。

床に落ちた瓶を訝しげに見つめていた二人の男は、やがて部屋に妙なにおいがすることに気が付いたのだろう。

「なんだこの匂いは?」

「ひどい臭いだ……。何かの薬……!」

 それが一種の毒ガスのようなものだと思い当たったのか、男たちは慌てて手を口元にもっていこうとした。

だが、すでに遅い。

 高濃度のセボフルランを吸入すると、十秒もしないうちに睡魔に襲われる。その状態になるともう呼吸を止めるなどの動作をすることはできない。ただ、眠りに落ちるだけだ。男達は膝から崩れ落ち、二人ともうつぶせに倒れる。

持っていたナイフで自傷しないかは少し心配だったが、幸いそのようなことはなったみたいだ。カランと音を立てて、ナイフは二人の手から離れたところに転がり落ちた。

 俺の後ろからもバタバタと音がしたが、すぐに静かになる。

 男達が崩れ落ちるのを見て取って、俺は息を止めたまま手の中に残ったセボフルランの瓶をポケットに押し込み、すっかり眠ってしまったエルフの少女を背負って小屋から飛び出した。

 もし小屋のドアを開けるのに手間取ってしまったら俺まで一緒に眠ってしまうところだったが、幸いただの閂錠であり、戸惑うことはなかった。


 小屋から十メートルばかり離れてから、荒い息をつく。樹木の甘い香りがする。

 窓から見える光景はあたかも密林のようであったが、小屋の出口はさすがに道が拓いていた。とはいっても、獣道に毛が生えたようなもので、左右の密林が今にも道を飲み込もうとしているかのように見える。いかにもどこかから獣が飛び出してきそうだ。その想像に俺は身震いした。

 命など惜しくはないと思っていたが、獣に襲われ、生きたまま食い散らかされたりしたらたまらない。体は頑丈な方だとは思うが、獣なんて猫でも怖いくらいだ。できればかかわりたくない。

 とはいっても、その場でじっとしていれば、いつさっきの男達が起きてきて襲い掛かってこないとも限らない。俺にできることと言えば、少女を背負ったまま獣道を歩き続けることだけだった。

 ただ歩くだけでも枝が肌をひっかき小さな痛みを感じさせる。背中の少女に傷がついていないかと少し心配になり、意識を向けた。

 少女からは小さな寝息をしている。それ聞いて安心した。

 セボフルランは臨床で使用する場合には安全性の高い薬だ。使えない患者がほぼいないといってもよいくらい汎用性が広く、効果も強い。

 投与をやめると呼気から吐き出されていき、最終的には体内からなくなってしまう。慣れた麻酔科医がやると、醒まそうとした瞬間に患者が動き出し、感動さえ覚えたものだった。

俺が使っていてもせいぜい数分程度で覚めることが多く、高齢者や肥満など、薬の効果が残りやすい患者でも十分程度あれば大抵醒ますことができたように思う。

 とはいえ、それは呼吸管理がしっかりとできている前提だ。

 逆に言うなら、セボフルランによって呼吸が止まってしまうと、肺から排出することができなくなり呼吸が止まったまま死に至る可能性もある。

 とはいえ、寝息が聞こえる以上呼吸ができているということだ。それならすぐに意識が戻るだろう。

「ねえ、降ろしてもらっていいかな?」

 そう思った刹那、背中から声が聞こえてきた。さすがに切れるのが早い。

 そしてその声に何だか違和感を覚える。

 さっきと声が違うような……。

 背中に目を向けてみると、そこに居たのは金髪のエルフとは似ても似つかない、茶髪でどこか儚げな、しかし意志の強そうな顔をした人間の少女だった。

(えっ?何?取り違え?)

 いや、そもそもあの場所には取り違えるような相手はいなかったはずだ。執刀をしていたら途中で患者が違うことに気が付いた、そんな感じだった。

まあ、俺は患者を取り違えたこともなければ、一般的に言う手術なんてしたことがないからわからないが。

 そんな俺の様子に気が付いたのか、少女は悪戯そうに笑う。

「ああ、そうか。ごめんごめん、私は……ちょっ!」

 少女が何かを言う前に俺は思い切り走り出した。

 振り返った時にちょうど先ほどの男達が小屋から走り出してくるのが見えたからだ。

 彼女がどうとかエルフの少女がどうとか疑問に思う暇はない。とにかくわかっていることは、今捕まればろくな目に合わないということだ。

(くそっ、なんなんだ、これは?)

 全く状況がつかめないまま理不尽にも追われる立場になる。

 恐らくあの小屋は気密性が非常に低かったのだろう。せっかくのセボフルランはすぐに隙間風に流されてしまい、わずかばかりの時間を稼いでくれたに過ぎなかった。

 小屋で追い詰められている状況から広い空間を自由に走り回れる状態へと変化したのはプラスかもしれないが、背中に居る未だにミノムシ状態の少女を降ろすわけにもいかない。

人一人を背負いながら体格の良い二人の男に追いかけられるのは良い状況とは言えなかった。

 高校時代は運動部に居たとはいえ医学部に入って以来、心臓マッサージ以外の運動をろくにしていない。そんな俺がいかにも体力自慢の二人を相手に肉体で渡り合えるはずもない。

 ふと少女が背中で何かを呟いているのに気が付いた。

「光よ!在れ!」

 叫ぶのと同時に光の玉が空に向かって飛んでいく。虹色の、いかにも趣味の悪い色の玉だ。

「閃光よ!走れ!」

 続けて後ろの男達に眩い光が向かっていく。

 それは恐らくただの目くらましなのだろう。一瞬後ろからうめき声みたいなのが聞こえた。少しだけ速度が落ちたものの、駆けてくる音は変わらない。

 それらの現象は俺の理解を超えていた。しかし、こうなると嫌でも頭に浮かぶものがある。

 魔法だ。

 多分一般よりは少ないものの、俺も少しはファンタジーのゲームをやったことがあるし、基本的な知識もある……と思う。

 それを特徴付けるのはやはり剣と、それに魔法だった。

 ゲームに出てくるほど派手ではないが、超常現象であることには変わりはない。

 思えば先程から起こっていることは理解を超えるものばかりだ。今は難しく考える余裕はない。そういうものだと理解するしかないだろう。

 少しだけ男達から距離が離れたような気がする。

 ただ、男たちの視力が回復してから逃げられるほどの余裕はないだろう。今でも速度を落としながらも走り続けているところを見ると、男達も完全に視力を失ったわけではないようだ。今のうちにどこかに隠れるたとしても意味がないように思う。

「振動よ!揺らげ!」

 次なる少女の言葉で木々がざわめきを増す。後ろに流れる落ち葉や木の実の量が増えたような気がするが、この程度でどれだけ足止めになるかわからない。

 恐らく背中の少女はこうやって追われることにある程度慣れているのかもしれない。少なくとも俺よりは。

 ただ、先程からの行動を見ていると、男達をどうにかできるような決定打を持っていないことは予想が付く。

 もしかしたら少女を拘束する縄さえ何とかすれば他にも手を打てるのかもしれないが、道具もなければ時間もない。

 俺自身、救急の現場である程度の修羅場をくぐっているし、どんな状況でもある程度冷静に思考する自信はある。

 だが、時間稼ぎはできても現状を打破できるような妙案は浮かばない。俺の体力もそろそろ限界が近い。

「大地よ、我に力を貸し給え!留め給え!」

 次に聞こえたのは男の声。

「足元!気を付けて!」

 背中の少女から忠告が入るが、遅かった。

 突然盛り上がった土に足を取られ、無様に転倒してしまう。

 その拍子に背中に乗っていた少女は俺の頭側に大きく投げ出された。ふおわっ、と名状しがたい悲鳴が聞こえ、草だか小枝だかに突っ込む、パキパキという音が聞こえた。

受け身もろくに取れない状態だ。怪我をしていないことを祈るしかない。

 俺は俺で左肘をかなり強くぶつけた。指先にするどい痺れが走る。

 偶然ながら少女と男達の間にちょうど俺が入り込んだ状態だ。

慌てて立ち上がった時にはわずかばかり引きはがした男との距離はすでに縮まっている。

相手がその気なら一息にナイフで刺しに来られるだろう。

ただ、先程のことがあってか、相手は警戒しているらしく。足を肩幅に広げ、ナイフを構えている。武術のことはわからないが、もし俺が飛び道具か何かを使えばよけられるような大勢を取っているのだろう。

「随分と舐めた真似をしてくれたな。」

 睨みつけるようにしながら、男の片方が口を開く。もう一人の男は俺から円弧状に距離を取るように左側に動いている。

 そこで気が付いたが、いつの間にか先程の獣道からすると随分と開けた場所になっているようだ。地面は芝生のように背の低い草が密集して生えている。

ただ、広いと言っても人が三人並べるほどではない。

男達は後ろに回り込もうとしているのではなく、散開することで一網打尽にされるリスクを少しでも減らそうという考えなのだろう。片方に気を取られたらもう片方にやられるということだ。

 相手は随分と荒事に慣れていて、連携も巧いらしい。

「お前は召喚獣か?人型というのは聞いたことがないが、神獣の類か?」

 まずい。こいつの話に下手に耳を傾けて集中と切らすと、そのままもう片方にやられる。

ただ、仮に耳を傾けなくても、十分に散開できたと判断されたら、そのまま連携攻撃でやられてしまうだろう。

その瞬間はもう遠くない。完全に詰んだ。

「閃光よ!走れ!」

 少女が再び男達に閃光を放つが、予想されていたのだろう。男達は一瞬だけ目を閉じただけで、あまり意味があったようには見えなかった。

 そして男達が腰を落とし、俺に飛びかかろうとした瞬間のことだった。

「風よ、我に力を貸し給え!流れ給え!」

 やや高めの女性の声と共に矢が飛来し、目の前の男の胸の真ん中を正確に貫いた。男は矢の慣性力に乗せられてそのまま仰向けにどっと倒れた。

一目でわかる。もう助からない。

 それを見て取ってか、もう一人の男はすぐさま踵を返し、獣道を走っていった。

「風よ、我に力を貸し給え!流れ給え!」

 先程と同じ声が響き、矢が飛来するが、男はそのまま密林の中に飛び込み、矢は木に突き刺さって止まった。

 がさごそという音は響いているので、追いかければもしかしたら追いつけるかもしれなかったが、仮に追いついても反撃されてやられるだけなのはわかっていたし、ただただ立ちすくむだけで何もしない。

「サラ!無事だったか?」

 矢を放った人物なのだろう。弓を抱えた一人の女性がこちらに走ってくる。年のころは二十歳を超えたくらいだろうか。年の割にはどこか落ち着きがある雰囲気だ。身にまとっているのは皮鎧というやつだろうか。ジャケットと違って動いても形が崩れることはないが、革製なのは何となくわかる。

合成皮革の可能性もあるが、今までの流れからそれはないだろう?

「サラ?」

 それが少女の名前なのだろうか。

 その少女は応援に駆け付けた女性に縄から解き放たれ、自分の足で立ち上がっていた。

 確かに雰囲気は沙羅と似ているような気はする。しかし、明らかに別人であった。

「ありがとう、ネフィル。危ないところだったよ。

 そっちの方は上手くいったのかな?」

「ああ、ばっちりだ。ステラ姫は無事エルフの森に帰したし、あとは報告するだけだな。」

「そっか……まあ、命懸けになったけど、結果オーライかな。レティシアは?」

「ドクターのところだ。怪我は深かったが命に別状はないらしい。」

「そっか……良かったよ。派手に血が出てたから、心配してた。」

 サラと呼ばれた少女はそう口にして、注意深く回りを観察した。

「……多分もういないかな。逃げられた。」

「形勢不利だと悟ったのもあるだろうが、お前がステラ姫の偽物だと気付いたからだろう。影武者は普通肝心な情報を持たされていないし、戦うメリットはそれほど多くない。」

 影武者……そう言われて俺にもようやく理解できる。恐らくこのサラという少女はステラ姫――エルフの姫に姿を変えて影武者の役をしていたのだろう。相手はそれに騙されて少女を攫った。

 どうやって姿を変えたのかはわからないが――今となっては魔法を使っていたのではないかと想像できる。恐らく一回眠ったことで術が解けてしまったのだろう。

「ところでサラ、そこの男は誰だ?」

「うーん……私もよくわかっていないんだけど、とにかくここを離れようか。移動しながら話すよ。」

 もちろんついてくるよね、と俺にアイコンタクトをしてくる。

 右も左もわからないままでこんなところに放り出されてはたまらない。俺に選択肢はなかった。


「召喚獣ねえ。」

 疑わしげ、というわけでもないが、イマイチ信じ切れないのだろう。ネフィルは細目で俺のことをじっくりと観察してくる。

 それに動じたわけでもないが、されるがままに座っていた。

 あの密林を見て、てっきり辺鄙なところだと思っていたが、案外あの小屋は町から離れていなかったらしい。一時間程度も歩くと森の姿はなくなり、さらに三〇分も歩くと恐らくそれなりの規模があると思われる街に到着した。

 門番はやや不審そうに声をかけてきたが、サラとネフィルが要救助者だと説明したらそれ以上は何も言わなかった。何らかの協定や取り決めのようなものがあるのだろうか?

 そのまま連れてこられたのは酒場のような場所。木造だが全体に広く、しっかりとした構造をしているのがわかる。店の所々に太い柱があるのは建築上仕方なかったのだろう。

 サラが言うには、ここは冒険者の店というらしい。町の人からの依頼を受けたり森や洞窟を探索したり……まあ、つまりは好き勝手に仕事をする何でも屋が仕事を探したり情報を交換するために集まる店といったところだろうか。食堂やら宿屋としても機能しているようだ。

(なんだかゲームにでもありそうなところだな……)

 そこで指定席と言わんばかりに隅っこの席に俺を引っ張り込み、料理を注文しながらネフィルが放った第一声が冒頭のそれだった。

 運ばれてきた料理は普通の定食屋の料理といった感じだった。

 何の肉かはわからないが、恐らくチキンのような鳥類を焼いたものだろう。それにサラダ。コンソメに似た感じのスープ。

 一つ印象的だったのは果実のジュースについていたストローだ。

実際に見たことはないが、恐らくは葦のような中空の植物を利用しているのだろう。わずかに香る木のような香りと果実の味がよく合っていた。

底に沈んだ果実を一緒に飲めるようにするためのものなのだろうか。日本で言うとタピオカ用のストローに近い印象だ。恐らくプラスチックを加工する技術なんてないだろうから、このようなストローしか存在しないのだろう。

しかし、こういうのも悪くないと思う。怪我をしないように両端も綺麗に形成されているのも好印象だ。

ちなみに、俺に関する事情は道中サラからネフィルにすでに説明されているが、納得はされていないようだ。

「何から聞けばいいのかわからないが……君の名前は?」

「森須啓人」

「モーリス?ケイト?どちらがファーストネームなのかわからないな。

 では、ケイト。君は本当に召喚獣なのか?」

 普通に名乗ったつもりだったが、ネフィルはモリスではなくケイトの方を採用したらしかった。

「正直俺も状況がよくわかっていないんだけど……そもそも召喚獣って何?」

「あー……ええっと……改めて言われるとよくわからないな。

 召喚魔術によってどこかから呼び出された何かとしか……。

 そもそも召喚魔術自体が希少というか、一般人の目に触れないものだし……。」

 ネフィルは考えるように拳を額に当てている。

「つまり、俺はその……サラの使った召喚魔術によってどこかから呼び出されてここに来たっていうこと?」

「多分……」

 返答をしたのはサラだが、どこか自信がなさそうだ。

「多分って」

「だって、召喚魔術を使えるのはわかっていたけれど、使ったのは今回が初めてだし。」

 今よくわからないことを言われたような気がする。

「使ったことがないのに使えることがわかっていたってどういうこと?」

 俺としてはごく当たり前のことを言ったつもりだったが、サラとネフィルは何を言われたかわからない、とでも言わんばかりに顔を見合わせた。

「えっと……スキル鑑定師に見てもらったんだよ。君はやったことがないの?」

「スキル鑑定師?」

 俺の言葉にネフィルは小さく首を振った。

「わかった、わかった。全部説明してやるよ。

 ええっと……何から説明すればいいのかな?

 人族は生まれてから、あるいは何かのきっかけによって、何らかの才能が目覚めることがある。それがスキルの才能ってやつさ。

 スキルの才能はその人の持つ固有の特技のようなもので、ほぼ何もトレーニングすることなく、あるいはほんのわずかなトレーニングでスキルを使えるようになる。

例えば私は精霊魔術のスキルがあることがわかっていたから、精霊魔術のトレーニングをして、使えるようになった。まあ、精霊魔術くらいならスキルがなくても使えるようになるけど、通常二、三年の修業が必要なところを、私はたった一カ月で身に付けている。

 それぞれがどのようなスキルの才能を持っているのかは、スキル鑑定師に依頼することで知ることができる。

 サラは以前、スキルの鑑定をした際に召喚魔術のスキルの才能があることが判明していたのさ。

召喚魔術はかなり特殊なスキルで、修行で身に付けられるものではない。そういったものは、いつか自ら発現させることができるようになるのが普通なんだよ。

だから、『使えることはわかっていた』ってことさ。」

「さっき攫われた時、ふとわかったの。どうすれば良いのか、どうやれば助けを呼べるのか。

 それに気が付いて助けを求めたらあなたが現れた。

 つまり、あなたが私の呼んだ召喚獣って考えるのが普通じゃないの?」

 なるほど、何となく状況がつかめてきた。

 つまり、よくわからずサラが助けを呼んだせいで俺が呼び出されて、恐らく異世界に転移してしまったというわけだ。

 そう考えると少し腹が立った。

 俺は沙羅を助けるつもりで呼び出しの声に応じた。それなのに呼ばれて来てみたらとんだサラ違いだ。

「……もしかして怒っているのかな?」

 感情が顔に出ていたらしい。俺は軽く首を振った。

「いいよ、多分サラのせいじゃない。」

 話を聞く限り、俺が呼ばれたのはサラを助けるためだ。そしてその目的はすでに達成されたと見てよいだろう。

「それで?俺は……」

 どうやって帰ればいいのか、そんなことを聞こうとして言葉が止まった。

 帰ってどうする?

 先程と同じように屍のようにベッドに横たわるのか?

 完全に自覚していたわけではないが、恐らく俺はあのまま死ぬのを待つだけだった。

 それでも俺は帰りたいのだろうか?

「……その、ね。

 言いにくいんだけど、普通召喚獣っていうのは召喚されたら普通は自然と帰還するの。

 早くて数分、長くても数時間程度には。でも……。」

 俺の顔は今どう見えているのだろう。サラはそれ以上言葉を続けることを逡巡しているようだ。

「理由はわからないけどケイトは未だに帰還する様子はない。

 これは普通の召喚獣では考えられないことなのさ。

 もしかしたらサラのやった召喚術が普通のものとは違ったのかもしれない。召喚術についてはまだすべてわかっているとは言い難いからね。

 スキルの才能は天から与えられる才能。同じように見えても、神の気まぐれで少し違うところがあるかもしれない。

 あるいは、ケイトの方に問題があるのかもしれない。

 君はもしかして帰ることを望んでいないのではないか?あるいは帰ることできない事情があるのではないか?」

「どうしてそう思う?」

「さあ?

何となく君は生きたいと思っていない。死ぬなら死んでも構わない。そんな風に感じたからかな。」

 驚いた。もしかしたらネフィルはカウンセリングの才能があるのかもしれない。

 生きるための技術のようなものなのかもしれないが、ここまでくると読心術のようなものだ。

「そもそもケイト、君は何なんだ?

 この世界で常識的とも言えるスキルを知らない。まあ、そもそも人間が召喚獣として呼び出されるなんてことは聞いたこともない。かと言って神獣や神の類にも見えない。」

「何と言われても……ただの医者だよ。」

「えっ!お医者さんなの⁉」

 恐らく予想外の答えだったのだろう。サラは目を丸くしてじいっと俺を見た。

「……医者と来たか……。」

 ネフィルも反応は変わらない。

 日本では医者の地位は比較的高いものと認識されているように思う。

 ただ、世界的には医者が不浄なものを扱う賤業として扱われていることもある。

この世界ではそのどちらなのかがわからなかったので、一瞬迷ったが、俺は医者を仕事としており、それ以外の自分というものがない。だからそう名乗る以外の術はなかった。

 二人の反応を見る限りはこの世界で医者の地位が低いというわけではないようだ。ただ、合コンで初対面の相手に医者と名乗った時のような奇妙な疑いの感情は見て取れる。

 ……もっとも、俺は合コンに参加したことがないが。

「まあ、正体が人間とするなら、私達の知らない別大陸から来たのか、あるいはまた違う場所なのか……。

 参った。これは召喚術師の学会で発表できるくらいのものではないか?」

 ……どうやら召喚術師の間でも学会はあるらしい。

 当然か。ある不思議な事象がある以上、それに対する好奇心を持つ人は少なからずいる。当然それについて研究しようという勢力は存在する。

「ねえ、とりあえずスキル鑑定師にお願いしてみるのはどうかな?」

 サラは突然そんなことを口にした。

「一応鑑定の段階で種族とかもわかるし、もしかしたらケイトの知らない情報が入ってくるかもしれないし。

 それにほら、ケイトも興味ないかな?

スキル鑑定師、見たことないんでしょう?」

 サラは現状に対して半信半疑らしい。

 初めて行ったと思われる召喚術によって、たまたま学会発表クラスのことが起こったら当然かもしれない。

俺もよく、例えば腹痛を訴える患者の訴えがはっきりしない場合、採血やエコーなどの客観的な指標を用いた検査に頼ったものだ。

自分に自信を持てないときは客観的な指標に頼りたくなる。恐らくはそんな心情なのだろう。

 そして、サラの言う通り、俺も少しばかりそのスキル鑑定師というものに興味を持った。

 最近すっかりとオカルトブームは鳴りを潜めたものの、素手で岩を砕く拳士やら火の燃え盛る薪の上を走る部族やら、そんな不思議映像は見たことがある。そんな社会の中に放り込まれた時の好奇心に近いだろうか。

 そしてすでにあり得ない現象は目撃している。

 サラの、そして恐らくネフィルや襲撃してきた男達が使っていたと思われる魔法。

 ファンタジーの小説やゲームなどではお馴染みのものだが、実際目の前でそれを見せられたら信じざるを得ない。

 もちろん何らかのトリックという可能性もあるが、それがわからないうちはそのようなものがあると思っておいた方が良いだろう。

「そうだな……せっかくだし見てもらおうか。」

 どこかホッとしたようにサラは息をついた。


沙羅 「今回のメインはセボフルランかな。」

啓人 「あれ?今回も沙羅なんだ?」

沙羅 「まあ、あと2章までくらいは私が担当かな。対話形式でやろうと言っているのに、医学の話をしても『へぇー』とか『ほぇー』とかしか言えない人しか登場していないから。」

啓人 「別に今回の話なら魔法について説明してもいいような気がするけど。」

沙羅 「作品のメインは魔法ではなく医学です。」

啓人 「そりゃそうだ。」

沙羅 「さて、セボフルランですね。セボフルランは現在最も多く医療用に使用されている吸入麻酔薬です。その特性は色々とありますが、選ばれる理由は覚醒の早さと万能性ですね。一部の例外を除いて使用できない患者はいないと言っても良いでしょう。」

啓人 「一部の例外?」

沙羅 「セボフルランは軽い筋弛緩作用があるので、筋肉がしっかりと動く必要がある場合には使えません。例えば脳外科や脊椎の手術で、『運動神経に異常がない』ことを確認するために脳の運動野に電気を流して、手足が動くことを確認する場合があります。これをMEPと言います。MEPを使用する時は吸入麻酔を避けることになっています。あとは、心臓手術で人工心肺を使う時とか、かな。人工心肺を使う時は機械によって心臓と肺の血流がなくしてしまうので、吸入麻酔は使えません。吸入麻酔は肺から吸入されるものだからね。肺に血流がないと効果が出ない。」

啓人 「へぇー。」

沙羅 「その他、セボフルランは血圧を下げる傾向はあるものの、心臓の冠動脈を開いて血流をよくしたりとか、喘息の発症を押さえたりとか、麻酔をするのに非常に都合のいい性質を数多く持っています。血圧を下げるのも、手術による出血を減らせるので、都合がいいし。」

啓人 「手術中は血圧を下げるのがいい、とは聞くね。」

沙羅 「例外はあるけどね。腎移植とかだと血圧が高い方が腎臓の形がはっきりとわかるし、移植した腎臓に十分な血液が通っている必要があるので高めの血圧の方がいい。胸部大動脈のステントグラフト内挿術でも、脊髄の血流を悪くすることがあるので、血圧は高めの方がいいとは言われているし。逆に低く保たないといけない時、というのもあるんだけど、あまり細かく話すと……」

啓人 「うん、もうお腹一杯だと思う。」

沙羅 「さて、今回は恐らく誰も検証したことがないと思われる、セボフルランを部屋に蒔いたら相手を寝かせることができるか、だね。」

啓人 「この章では俺がセボフルランを蒔いて、相手が上手く眠ったけど、これって本当にうまくいくの?」

沙羅 「わかりません」

啓人 「えー。」

沙羅 「一応動物実験とかで、小さい箱にマウスを入れて、セボフルランを1mlくらい加えてやるときちんと眠ってくれるよ。セボフルランは強い揮発性があるからね。麻酔器についているセボフルランの気化器も、その性質を利用してセボフルランを希釈して投与する機械なので、原液を蒔いて効果がないことはなずないよ。ただ、十分な量がないといけないし、気密性が悪いと簡単に流されて、相手を寝かせられる濃度にならないんだよね。」

啓人 「今回はどうなのさ?」

沙羅 「セボフルランの1時間当たりの使用量は一般的に3.3×空気の流量(L/min)×セボフルラン濃度(%)で計算されるからね。相手をすぐに寝かすために必要な濃度を5%くらいと仮定して、100mlあれば3.3×空気の流量(L/min)×5=100、つまり6L/minで1時間流した量、360リットル分の5%セボフルラン入り空気ができるわけだね。ケイトが使ったのは10本分で、1本240mlだから、2400ml。つまり、360×24=8640リットルできたわけだ。一方、2畳で、高さ2.5mの部屋を満たすと仮定すると、180×180×250=8100000cm2=8100リットル必要ということになる。」

啓人 「つまり、大体2畳分の量しかなかったってことになるのか……。」

沙羅 「小さな小屋と仮定して、10畳くらいとすると濃度が1%だから、持続的に吸っていると寝てしまうくらいだね。麻酔管理をする時はそれくらいか、もう少し上くらいの濃度だし。もう少し広い小屋と考えるなら、もっと濃度が下がることになる。つまり部屋を満たすことはできなかっただろうね。今回の場合は目の前でセボフルランが蒔かれたことで、一時的に濃度の高い位置ができて、それを吸って眠ったという感じになるのかな。すぐに起きるのも当たり前。部屋に拡散したらすぐに濃度が下がるし、啓人がドアを開けていたと考えると、さらに抜けるのも早いでしょ。」

啓人 「そんなにうまくいくものかなあ。」

沙羅 「だから知らないって。気になる人が居たら是非実験してください。お金もかかるし、多分許可下りないけど。」

啓人 「今後も『もしかしたらできるかもしれないけど、実証してみたらわからない』ということがありそうだなあ。」

沙羅 「仕方ないよ。異世界に転移すること自体有り得ないことだし。一応論理的に検証されていても、実証もできなければ思考の穴や思い違いもあることばかりだしね。それに関してはフィクションだからと許してもらうしかないよ。」

啓人 「身も蓋もないな……。」

沙羅 「さて、以上、セボフルランについての補足でした。皆様、是非また明日も見てくださいね!」

啓人 「明日じゃないでしょ!また次の章を見てもらえたら幸いです。よろしくお願いします。」

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