11ぴきのねこふくろのなか:僕は後輩の尻の下
「あれ?」
放課後部室に入っても、月森さんの姿はなかった。
それだけならば僕が先に来たと考えるのが普通だが、テーブルには彼女の鞄が置いてあるのだ。あんな薄気味の悪い太刀魚のキーホルダーをつけてる生徒なんて、月森さんを置いて他にはいまい。僕の修学旅行のお土産だけど。
よく見ればテーブルに書き置きが置いてあった。
彼女特有の、かっちりした丸文字という反属性的な不思議な字体でこう書いてある。
『16時過ぎに戻ります カナコ』
誰かと思ったがそういえば奏子だ月森さん。
そして下には更にこう続いていた。
『P.S.袋の中は見ないでください ツキモリ』
なんで追伸でサインを変えたよ月森さん。
袋とは?と見回せばなるほど、鞄の陰にはビニール袋が置いてある。この中身を見てはならないらしい。了解了解。
今は15時45分。月森さんが戻るまではまだ結構ある。
僕は一人頷くと、袋の向きを記憶した上でガサッと中身を見た。
こんなこと書かれたら見るよね当然。
その結果。
「クッキー?」
ビニール袋の中には、ラッピングされたクッキーが入っていた。
ひょっとしてサプライズでお祝いにくれるのかとも思ったけれど、祝われるような出来事は思い付かない。誕生日もまだ遠い。
何か手掛かりはとよくよく見れば、その袋の中には紙片も入っていた。
もちろん取り出して見ます。
『当然先輩なら見ると思っていました。さすが先輩、見損ないました。このお手製クッキーは予想通りに動いてくれたご褒美です。めしあがれ。 K・T』
おっと今度はイニシャルだ月森さん。
ちょっとゾクッとしたけど褒められて悪い気はしない。
クッキーの包装を解き、シンプルな小さい円型の一枚を頬張る。サクッと歯触りよく口の中で砕け、優しい甘味がじわりと広がる。うん、おいしい。
女の子のお手製となれば何倍も美味しく感じるものだけど、それを差し引いても十分に美味といえる、よくできたクッキーだった。
はてさて、結局これは何の遊びかなと紙片をもう一度見れば、裏側に別の言葉が書いてあった。マメな子だな彼女も。
『P.S.ここまでは許しますが、私のロッカーに入れた袋の中を見るのは本当にやめてください。ましてや入るのはさすがに難しいと思います』
入る?
何のことやら分からないけど、まだ帰ってくるまでに時間はある。
そこまで言うのであれば僕としても見るにやぶさかではない。見よう。
月森さんのロッカーは左から二番目。前にも言ったとおり使用頻度はさほどといったところだけど、一応名前も貼ってあるので間違いない。
この前一緒に密着したのは真ん中の未使用ロッカーだ。いい匂いでした。
さて、あまり悠長にもしていられない。
僕は月森さんのロッカーの扉に手をかけた。御開帳。
「……なんだこれ」
入っていたのは、青い布製の巨大な袋だった。引っ張り出してみると、大きさ的には掛け布団ぐらいといったところか。なるほど、確かに入ろうと思えば入れそうだ。
――ましてや入るのはさすがに難しいと思います。
先程の紙片のメッセージを思い出す。素直に考えればこれは挑発であり誘導だ。
つまり月森さんはこれに入れと促している。ここまで来てじゃあやめとこう、なんて思っては彼女に失礼だ。
僕は大袋の口を手で開く。口には紐が通してあり、引っ張れば閉められるようになっている。
それを部室の床に置くと、僕は身を伏せて中へと侵入した。
生地は意外としっかりして、中は薄暗い。
ひょっとすると中には更に次の月森さんの誘導指示が隠してあるかもしれない。僕は全身をすっぽり袋の中に納めると、目を細めて体を転がし、内部を照査した。
その時だ。
外でガタンと大きな音がしたと思うと、至近距離に誰かの足音が突如現れ、そして足元側に位置する袋の口が勝手に閉まった。
閉じ込められたのだ。
「うわー何者ー」
「『分かってるけど付き合ってやるかー』的な声はやめてくれませんか先輩」
袋の中からではシルエットすら掴めないが、声の主は当然ながら月森さんだ。うん知ってた。
彼女は袋越しに僕の体へ体重を掛け、僕を完全に制圧した。
どうやら袋とは別に未使用ロッカーに身を潜め、僕がまんまと袋に侵入したのを見計らって飛び出てきたようだ。
まんまとハメられたわ。
「月森さん、人に入れと命令しといてこの仕打ちはひどくない?」
「誰が命令しましたか。どころか見るな入るなと警告しましたが」
「あれ?」
言われてみればそんな気もする。
まぁ大して違いはないよね。入らなければきっと怒られたし。
「あ、お手製クッキーありがと。美味しかったよ」
「それは良かったです。作った母も喜ぶと思います」
「なんでメモでは製作者をぼかしてちょっと見栄張ったの月森さん」
あれ完全に自分で作ったと読ませるミスリードだったよね。
その問いに月森さんは完全な黙秘をもって回答とした。
「まぁいいや、この袋は?」
「捨てる予定の布団カバーを利用したものです」
「ああ、じゃあ月森さんの寝汗が染み付いてるわけだ」
「先輩って時々びっくりするぐらい下衆な考えしますよね」
そんなに褒められると照れてしまう。
というか、袋の出自ではなくこの状況を問いたかったのだけど。程なくして月森さんの方からそれは示された。
「というわけで、今日のお題はこれです」
「まるで見えないよ月森さん」
すると一拍置いてから足元の口が開き、何か固いものが入れられ、すぐにまた閉められた。足で引き寄せて掴むと、固さや薄さから絵本のようだと知れた。
スマホを取り出して照らすと、表紙が浮かび上がる。
そこには縞模様の一匹を先頭に、二足歩行の擬人化した猫達が並んで道を歩いている絵が描いてあった。
『11ぴきのねこふくろのなか』
なるほどそのものズバリだ。
しかもこの一冊ではないけど、絵柄とタイトルには見覚えがあった。
「僕、このシリーズで猫達がコロッケ屋やってるやつ読んだことあるんだけど」
「『11ぴきのねことあほうどり』ですね。来る日も来る日も余ったコロッケばかり夕飯になって、鳥の丸焼きが食べたいにゃーってなった猫達の所に、コロッケ屋の客としてアホウドリがやってきてさぁ大変というお話です」
「そうそうそんなの。今の食べたいにゃーって可愛いね」
体重が強めにかけられた。くそぅ、部員を自由に褒め称えることすらできない虜囚の身が憎い。
僕を確保するため袋越しに強く押しつけられる何かは、重たいことは重たいけど、ふにっとした柔らかさも感じる。踏みつけか膝立ちかなと思ったけどそれにしちゃ肉付きがいい。
「ていうかこれ月森さんの何が乗ってんの」
「お尻ですが」
イエス! 天使かこの子!
僕は全意識を体重の掛けられた一点へと集中した。
柔らかさと体温は二重三重の布に阻まれてもじわじわ伝わる。いい感じだ。
人類のオスは直立することで欲情の対象を胸へと移したが、原始の本能は尻もまた求めているのだ……!
そうして僕がフィーバーしていると、月森さんの冷徹な声が響く。
「さて、先輩には二つの罪があります」
それはさながら裁判官による宣告だ。
僕はごくりと唾を飲んだ。体小さいのにお尻結構大きいなぁ月森さん。
「一つは私のことごとくの警告を無視してこの袋に入ったこと」
「もう一つは?」
「なんとなくノリで二つの罪とか言いましたけど、特にないですね。えっと、ロッカーで待機してるのが辛かったのでそれが罪で」
「考えて喋ろうよ月森さん!」
司法の暴走は苛烈を極めている。
裁判官は苦笑しながら袋の僕をぽんぽんと撫でた。
「まぁ、そういうお話なんです。とらねこ大将率いる猫達は、花を摘むなという看板を見て一人一輪花を摘み、橋を渡るなという看板を見てぞろぞろと橋を渡り、木に登るなという看板を見て木の上でランチを食べます」
「客をカリッと丸焼こうとしたときといい、ろくでもないなこの猫達!」
教訓系の絵本のいたずらっ子ポジションならば仕方のないことか。
月森さんは諭すような声で後を続ける。
「その後『袋に入るな』という看板を無視して、置いてあった大きな袋にみんなで入り、ウヒアハという化け物に連れ去られてしまいます。悪いことをしたら罰が当たるという、そういう教訓ですね」
「言っちゃなんだけど自業自得じゃないか。なんで書かれたことと全部逆のことするんだ」
「先輩? 先輩だけはそんなこと言う資格は一切ありませんよ?」
はっはっは、言われてみればまったくそうだ。
月森さんはため息をつくと、その後の展開にも触れた。
「そうして猫達はウヒアハの居城に連れ帰られ、奴隷の如くこき使われてしまいます。この辺、当時ちょっといやらしさを感じて興奮して読んでいましたね」
「幼児時代の月森さんは一体何なのさ」
若干性欲の強い子供だったのだろうか。
しかし、となれば今の僕のこの状態はというと。
「さて、絵本に則り再現するなら先輩は私の奴隷になるわけですが」
「OK! 何でもやるよ」
「なんだか気持ち悪いのでやめておきます」
なんだいつまらない。
と思ったが絵本をめくっていると猫達はローラーを引かされる肉体労働を課せられており、これを再現はちょっと嫌だ。
そのまま読み進めると、鬱エンドということはなく猫達はちゃんとウヒアハへの反撃に出ていた。
それを待ってたかのように、月森さんはとても可愛らしい声で言った。
「ちなみにもう一つのルートとして、猫達に出し抜かれたウヒアハは『入るな』と書かれた樽に入ったところを断崖から投げ落とされるんですが、そっちにします?」
この猫ども殺意が高すぎる。
そのまま、月森さんのケツに潰されながら絵本の内容や、あほうどりの巻のコロッケが滅茶苦茶美味しそうだったよねなどということを和やかに話した。
食べ物が美味しそうな絵本というものはいつまでも覚えてるものだ。
しかし顔も見えないままというのも何だか寂しい。
「月森さんも一緒に入らない? 意外と住み心地いいよここ」
「やです。さすがに二人は狭すぎます」
広ければ入ったのかよ。大丈夫かこの子。
僕が心配していると、今更ふと月森さんは尋ねてきた。
「ところで私が座ってるここは先輩のどこの部位ですか」
「股間」
月森さんは思いきり体重を掛けてきた。
「うぐあああ!」
「あのね、本当に今度こそ訴えますよ先輩」
「位置に関しちゃ僕悪くないよね!?」
仰向けか、仰向けでいたのが悪徳だったというのか。
そう自問してる間にも月森さんの柔らかいケツ圧による破壊力は徐々に高まり、嬉しさより辛さが上回ってきた。
「ていうか折れる折れる! ギブギブ!」
「大袈裟な。骨折するほどの負荷は掛けてませんよ」
そういうこっちゃないのだ。
【出典】
・11ぴきのねこふくろのなか / 11ぴきのねことあほうどり
作:馬場 のぼる / こぐま社刊