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エルマーのぼうけん:髪は乙女の命

「先輩、絵本を読み聞かせしてあげましょうか」

「いきなりナメられた気がするよ? 月森さん」


 まぁまぁと柔らかい笑顔で雑になだめられる。

 放課後。部室にやって来るなり今日も月森さんは快調だ。

 彼女は通学カバンを部室中央のテーブルに置くと、僕の向かい側でなく隣にちょこんと座り、カバンの中に手を突っ込んだ。


 月森さんが取り出したのはまたも絵本。横に広くやや小さめ、表紙には白黒の鉛筆画でこちらを振り向いた犬が一匹だけ描いてある。

 題は『アンジュール』。果たして犬の名前だろうか。


「どうです? 気になってきましたか? きましたね? では席につきましょう、私の分のお茶はお砂糖多目でお願いします」

「自然に先輩をお茶汲みに使うよね、月森さん」


 まぁいいさ。シンプルな表紙と謎めいたタイトルに心惹かれたのも確かだ。

 素直に持ち込みの電気ポットでパックの紅茶を淹れて供する。

 良いダージリンですねなどと優雅ぶってるが、残念ジャワだ月森さん。


 さて月森さん曰くの読み聞かせが始まった。

 最初のページは文字の一つもなく、走る車から一匹の犬が捨てられる絵から始まっていた。なるほど捨て犬というわけだ。

 やはり表紙と同じ鉛筆画で、粗い中にも躍動感と寂寥感が同居している。なかなか悪くない雰囲気だ。


 ここから犬の心情を追って物語が始まるのかと思えば、次のページがめくられてもやはり文字は一切書かれていない。

 その次も、そのまた次も。


 ただひたすらに捨て犬が彷徨い、時に悪意なく道路に飛び出して炎上沙汰の交通事故を引き起こしたり、時に誰もいない砂浜をさ迷ったり、街から追い出されたり。

 そんな様子が延々と無音で綴られている。

 

 最後にはその犬と、一人寂しそうにしていたとある少年が運命的に出会い、嬉しそうになつくところで物語は終わっている。

 ハッピーエンドなのは良かったが、なんとも静寂に満ちた作品だ。


「はい、おしまい。どうです先輩、私の見事な読み聞かせ」

「ああすごいすごい。まるで無声映画みたいな迫力だったよ」


 何故か睨まれた。

 今のを褒めて駄目なら、もはやどうしろと言うのだこの子は。

 月森さんはふぅと溜息をつくと、気を取り直して語り始めた。


「子供の頃に読んだときは何も語らず淡々と進むのが怖くて、アテレコして描いてある絵に定義付けをしてたんですよね。『あちゃー事故らせちゃったけどまぁいいや!』とか『ほーら僕を拾ってみる? くゅーんくゅーん』とか」

「台無し感甚だしいね」


 くゅーんて。

 月森さんは手を口元に当てて笑う。


「でもそういうものですよ子供って。文字が多いのも難しいですけど、文字が一切なくて、理解を与えられないのも不安です。無言を無言として楽しめるのは、私達がそれだけ頭の中で世界を作れるようになったってことですよ、多分」

「じゃあ楽しめるかどうか無言で見つめ合ってみる?」

「にらめっこをしてどうしようと言うんですか」


 言われてみればにらめっこだ。やめとこう。

 僕は頭を掻くと、本題に移ることにした。今日の再現のお題担当は僕の側だ。

 偶然だけれど、先程の『アンジュール』との対比にもなる。



「そういうわけで今日の課題はその逆、文字多目でも言葉を覚えたての子供に大人気な児童文学の金字塔だよ」

「お、やる気ですね先輩」


 前回の『おしいれのぼうけん』がなかなかにエキサイティングだったので、僕としても半端なものは出せない。用意していた選りすぐりの一冊を取り出す。


 『エルマーのぼうけん』。国語の教科書にも載り誰もが知る一冊だ。

 月森さんは目を弓にして笑むと、早口にまくしたてた。


「私もそれ好きです! 一冊目『エルマーのぼうけん』がどうぶつ島に捕らえられてたりゅうを、エルマー君がどこにでもある道具と知恵を駆使して猛獣達から救いだす話。二冊目『エルマーとりゅう』がスカンクキャベツとダチョウシダとみかんの皮を食べる話。三冊目『エルマーと16ぴきのりゅう』が再開したりゅうと一緒に、洞窟に追い込まれた彼の親兄弟を悪い人間から解放する話、ですよね」

「今二冊目が滅茶苦茶雑に流されなかった?」


 敢えて用意した突っ込みどころかと指摘したら、意外なことに彼女は甚だ心外だとばかりに目を見開いた。


「えっ……だって一番子供が食いつくの絶対そこですって」

「そう言われるとぐうの音もでない」


 りゅうがとても美味しそうに食べていたスカンクキャベツが有毒だと知り、少しブルーになった僕だ。まぁスカンクな時点で今なら察しはつくけど。



 ともかく、今日用意したのはその前、一冊目だ。この時点では救出対象であり最終目標であることから、りゅうの出番は実は少ない。

 パラパラとめくり、可愛らしい挿絵を眺めながら月森さんは首を傾げた。


「どうせ先輩ったら『僕のももいろぼうつきキャンデーを舐めたまえ』とかそういうこと言うんでしょう? 恥を知ってください」

「いやぁそんな発想をラグなしに出せる君こそ恥を知ろうよ」


 人のを細くて糖尿みたいに言わないで欲しい。

 それなら、と月森さんは唇に指を当てて考え込む。


「サイの角みたいに、私の体の一部を歯ブラシで丁寧に丁寧に磨くとか?」

「だからなんでエロ方面に創造力豊かなんだ君は」

「おっと、今のをエロに繋げるのは語るに落ちましたね先輩。磨くにしても肘の角質とか、足の指の爪とかかもしれないじゃないですか」

「エロ方面じゃないか」

「あれー?」


 心底意外そうに月森さんが首を傾げるが、それがノットエロ判定なら歯ブラシ用意してくるんだったと後悔を感じる。足の爪とかすごく磨きたい。


 しかし残念ながら今回本書に見立てて用意したのは別のものだ。

 ガサガサとカバンから取り出したのは、色とりどりのリボンと、桃の木製という触れ込みの髪櫛だ。どちらも百円ショップで買ってきた。


「……なるほど」


 月森さんは神妙な顔で『エルマーのぼうけん』を閉じると、表紙を示した。

 そこに描かれていたのは主人公のエルマーと、立派なたてがみをいくつもの三つ編みにされて、可愛らしいリボンで飾られたライオン。

 小枝がたてがみに絡みついて苛立ち、エルマーを食べようとしたが、櫛で梳かされリボンで飾られることで怒りを収めてやり過ごされた。そんな猛獣だ。

 僕は無言で頷いた。


「ということは私が飾られるんですか?」

「そのつもりだよ」


 三つ編みは無理だけどリボンを蝶結びにするぐらい僕にもできるだろう。

 リボンと櫛の包装を解きながら、その経緯を説明する。


「この前のロッカーで月森さんの髪が当たってくすぐったかったんだよね」

「はぁ」

「で、滅茶苦茶柔らかいしいい匂いで気になったけど、女の子の髪に気安く触るのはどうかと思い、本の再現にかこつけて合法的に触れないかと」

「先輩は時々怖気が走るほど正直ですね」

「美徳だろ?」

「悪徳です」


 月森さんはため息を付いて姿勢を正し、こちらに向き直った。

 肩ほどまで伸びたボブカットが清流のようにさらさらと揺らぐ。


「まぁ、確かに表紙になるぐらい有名な、間違いなくエルマー君がやってた行為ですし。部活動ですし。断る理由は……ないです」

「よし、じゃあ再現と行こう」


 僕は櫛を手に持つと、月森さんの背後に立った。

 座ってる彼女を見下ろす形になる。黒い髪の中心が緩く渦を巻いていた。


「痛かったら言ってね」

「なんだか歯医者さんみたいですね」


 笑みを含んだ声で月森さんは言った。理髪店なら痒いところはありませんか、だろうか。切るわけではないけど。



 僕は桃の櫛の歯を月森さんの黒髪へ斜めに突き立てた。抵抗なく、櫛が髪の中へとスッと沈んでいく。なかなか気分がいい。

 それをゆっくり引き下ろしていくと、絡みついた髪の毛の僅かな感触を伴いながら、歯が滑らかに通る。ふわりとシャンプーのいい香りがした。

 そうそうこれこれ、この匂い。


「すいません先輩、何かすごく鼻息を吸う音が聴こえた気がするんですが」

「大丈夫大丈夫、その分口から吐いたから僕は健康だよ」

「誰も先輩の酸素交換の心配なんてしてませんよ!?」


 吠える月森さんをスルーして、何度も丁寧に櫛を入れていく。

 一日過ごした分の多少の乱れはあるけど、実に素直で柔らかな直毛だ。梳かしていて気持ちいいほどに、櫛は滑らかに髪の隙間を通っていった。

 彼女の周囲を回りながら横髪も整えていく。


 月森さんは背筋こそピンとしていたが、眉を下げ、唇をふにゃっと歪ませ、何かくすぐったいのでも我慢しているようなむず痒そうな表情だ。


「どこか痒い?」

「痒くはないです……」


 じゃあくしゃみでも出そうなんだろうか。

 まぁ、はさみを扱っているわけでもなし、くしゃみぐらい大丈夫だろう。

 正面に回り、切り揃えられた前髪も梳かしていく。

 さらり、さらりと先日僕の顎をくすぐった前髪が柔らかくほぐれる。

 

「ぅ……」


 と、月森さんが喉の奥から小さく声を漏らし、ぷるっと一回震えた。


「どうかした? 月森さんマナーモード?」

「なんでもないですってば!」


 そんな怒らなくても。


 さらに回り、反対の横髪へ。

 梳かした髪自体が耳を撫でると、月森さんはもう一度震えた。


「よし、こんなもんかな。元々綺麗な髪だからそんな要らなかったかな」

「それはどうも……」


 何か疲れてるなぁ。まぁ放課後だしね。

 枝が絡みついてたライオンのたてがみとは違い、つやつやと輪のような光沢すら浮かび、なんとも綺麗なものだ。

 これに安物のリボンは余計かなと思ったけど、そこは再現だ。


 しかし当然ながら髪にリボンを結わえたことなんてない。

 赤い布の両端を持って、月森さんの髪に乗せてみる。


「靴紐みたいな感じでいいのかな」

「間違いではないですけど趣がないですね、評価はマイナス三十です」


 おおっと何かが下がったぞ。維持していこう。

 とりあえず後ろ髪か。真後ろの髪を一束手に取る。


「しかしなんでエルマーは旅にリボンなんて用意していったのかな」

「女装癖があったのでは?」

「嫌だよ。うーん、綺麗と評判のりゅうを自分色にデコレーションするため?」

「それはそれで何か業が深いですよ先輩」


 僕もそう思う。

 勇気あるエルマー君を獣趣味だとは思いたくない。


 恐ろしく手触りがよく、水のようにこぼれてしまいそうな髪をリボンで束ねる。軽く結び、輪を作って蝶結びに整えれば、ひとまず完成だ。

 黒髪に赤いリボンが映えてなかなかの見栄えだ。


「うん、我ながら結構いい出来栄えだ」

「ほんとですか? 素材がいいからでは?」

「そこは否定しないけどね」

「……」


 そこで黙るのかよ。

 どうも今日の月森さんは攻撃力が足りない。いつもならもっとビシビシと言い返してくるはずだ。

 女性の髪には魔力が宿るという。そこを下賤な僕に触れられて魔力を失ったか。


 などと夢想しながら次に青いリボンを結わえる。

 横髪を多めに取り、サイドテール風味。髪の長さが足りなくてぴょこっとした感じになってしまったが、これはこれでなんとなく可愛らしい。

 

 月森さんはスカートからコンパクトを取り出すと、内側の鏡で自分の様子を見た。


「うわ」

「うわとは何だい。美容師エルマーの仕事ぶりに」

「いや下手なのはいいですけど、何か子供っぽいなって……変じゃないですか?」

「僕は可愛らしいと思うけど」

「ならいいです」


 いいのかよ。月森さんチェック結構緩いな。


 しかしれっきとした部活動とはいえ、放課後の部室で女の子の髪を自由にいじっているというのも不思議な感じだ。

 手の中で髪の毛が流れ踊るたびにほのかな芳香が漂い、実にいい。


 今度は逆サイドの髪を手に取る。

 シュルッとピンクのリボンを巻くと、束ね方がまずかったか、うっかり上の方の髪を少し引っ張ってしまった。


「んゃっ……! 痛いです先輩、もうちょっと丁寧にしてください!」

「ああごめ……」

 

 妙に色っぽい声出さないでほしいと思うのと同時、外から声が響いた。 


「カナちゃ……うわぁお邪魔しましたー!」


 部室の外から聞き覚えのある声がしたかと思うと、扉を開けるまでもなく謝って、廊下を退散する足音だけ残していった。

 あれは確か月森さんの友達のモカちゃんさん。


「……? モカちゃんどうかしたんでしょうか」

「さぁ。月森さんの声がなんかエロかったし変な勘違いしたんじゃないかな」


 月森さんがゆらりと振り向く。

 その眉はハの字に垂れて捨て犬のようだ。ナイスアンジュール。


「……私、今なんて言いましたっけ」

「えーと、『あぁん痛いです先輩、奏子は初めてなんですからもっと優しくシてください!』とかそんな感じのことを」

「言ってないですよ!? 初めてとか絶対言ってないです!」

「でもあの慌てぶりは多分そっち方面に聴こえたんだと僕は思うね」


 さすがの僕もちょっとムラっとくる声音だったし。


「そっちですかー……」


 月森さんは頭を抱えてうなだれた。手をどけてもらわないとリボンが結べないんだけどなー。

 

「どうする? とりあえずリボンは結んだしこの辺にしとく?」


 顔を覗き込むと、月森さんは溜息をついて首を横に振った。

 前髪をいじり、少し控えめに微笑む。


「いえ。エルマー君はライオンに七色のリボン結んだんですから、そこはちゃんとしましょう。ただし、優しくお願いしますね」

「合点」


 なんだかんだ、月森さんも楽しんでいるらしかった。

 そして前面の髪を四苦八苦しながら手でアレンジしてあげると、またもむず痒そうな表情でぷるぷると震えるのだった。




【出典】

・エルマーのぼうけん / エルマーとりゅう / エルマーと16ぴきのりゅう

 作:ルース・スタイルス・ガネット 絵:ルース・クリスマン・ガネット 訳: 渡辺 茂男 / 福音館書店刊


・アンジュール ある犬の物語

 作:ガブリエル・バンサン / BL出版刊



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