始動
タイマーがなる数秒前に時計を止める。シモンは呻き、目覚める。すぐに拳銃とナイフを確認。罠の有無を確認し、靴を履く。
シモンは昨日、このしょぼいモーテルの一室を取った写真を取りだす。そして、もう一度、部屋を撮る。そして、その二つの写真をAIに解析させる。どうやら、敵が荒らしたり侵入した形跡はないようだ。監視員の監視から逃れて、三日が経っていた。
シモンは革の手袋をはめ、洗面所に行き、鏡を見た。鏡は白く曇っていた。シモンは鏡を乱暴にこすり、見えるようにする。中性的な顔。頬がこけていた。疲れているな、とシモンはため息をつく。鏡はすぐにまた白くなった。
シモンはビニールの手袋を付け、簡素なシャワールームで体を洗い、全身の体毛を剃った。剃り残しがないか確認する。
シモンは荷物を確認。自前のラップトップパソコンを開き、情報を整理する。あのジャーナリストとは会えそうだ、とか、電話番号を誰から聴きだすかなどを考え、メモにまとめる。
一通り一日の計画を立て終えるとストレッチをし、携帯食料と水とサプリメントで朝食を済ませる。サングラスをかけ、ウィッグをし、マウスピースを付けて変装する。これでも不十分だが、仕方ない。
コートを着て、「今日こそ、手がかりを見つける」自分に言い聞かせ、モーテルを出る。早い時間だ。受付嬢は居眠りをしている。古本屋に向かう。個人経営の古い店だ。店に入るとあるジャーナリストの名前を探す。
人間化、それを受ける物には必ず特徴があるはずだ。シモンはレイと話をし、確信していた。シモンと同様にレイもPTSDで外傷性脳損傷だった。その二つが何らかの形で利用されたのではないか、と言うのがシモンの推理だった。
シモンは訓練所では二十三歳であると言われた。その年齢から逆算し、その時期に何か大きな事件がなかったかを探る。すると、ダメ元だったはずが、重要な証拠を発見した。
シモンとレイの症状は対テロ戦争症候群と呼ばれる物の可能性がある。
対テロ戦争症候群―簡易爆弾による外傷性脳損傷、戦闘によるPTSD、ネット依存症やタブレット、拡張現実、スマホ依存症かそれらへの過敏な反応を引き起こす。
湾岸戦争症候群やベトナム戦争での健康被害とは異なるそれらは、PTSDを発症した兵士が過度な情報社会と接触すること、また外傷性脳損傷により脳内にダメージを受けた者が拡張現実などのICT機器抜触れることで起こると言われている。
多くはICT機器の光や起動音などに過度に反応してしまう症状を指す。また、併発して起こる症状として、責任からの逃避や極度の精神への圧迫、その他の精神障害から逃避、または適応するために起きる自我の希薄化や自意識の変化、記憶障害の事を指す。
現在、使用されている拡張現実の多くはブルーライトを放っている。ブルーライト自体が脳内分泌に影響を及ぼし、全身に影響が出ていると言う情報もある。それが外傷性脳損傷によってダメージを受けた脳内と何らかの関わりがあり、ICT機器に触れないようになると言われているが、PTSDで強い光への過度な反応が起きると言った症状も見られているため、実際はそれらの要素の併発が症状を悪化させていると言われている。
俺たちはそれなのではないか。シモンはそう感じ、関連する古本を漁った。すると、面白い事実を知った。シモンやレイが人間化訓練を受けたSOH社と言う会社は対テロ戦争症候群を治療するPMCとしては業界初であり、大手だった。
シモンは古本を漁り、本を買うついでに古本屋の主人に著者を検索してもらう。シモンは自身の推薦機能を通常よりも結果がすぐに現れるようにしていた。より敏感に自分の検索履歴や行動から検索結果がパーソナライズされれば、早く自分がどういう人間か分かると感じたからだ。
だが、同時に自分のパーソナライズされた携帯端末は信用していなかった。
「対テロ戦争症候群なんでね」そう言うと、たいてい携帯端末を付けていないことやサングラスを付けていることも怪しまれない。それどころか、SOH社のジャーナリストや隊員が来た店では、彼らの名前と電話番号を教えてもらうことが出来た。
聞けたのはダリウス・クルーガーと言う男の名前。SOH社の社員や関係者が書いた本には一回は名前が出てくる。偶像的でさえある経歴を持つ男。
シモンは彼らの著書を読み、自分が対テロ戦争症候群であることを強く感じた。そして、彼らが対テロ戦争症候群の社会進出のために尽力していることを知った。
日常訓練を終えた後、早く彼らに接触したかった。だが、今連絡するのは危険だ。シモンは焦る気持ちを抑える。
次の日、俺は酒場に行かなかった。非常時の当番だったこともあるが外に出るのも嫌だった。一日中擬似銃を撃ち、解体しては戻していた。しかし、心の中ではアイリーンや親の事を考えていた。
アイリーンが羨ましい。俺にも親が居たのだろうか。そんな事を考えると胸が苦しかった。
だが、自分がここに居るということは親が居た、と言う事だけは確かだ。だが、何故それを覚えていないのだろう。
図書館で記憶に関する本を読み漁った。だが、何か引っかかるものはない。監視されているのは分かる。それでも止められない。
人間化、つまり俺は前まで非人間だった。そして、その非人間は情動を読み取られず殺人を行った。と言うことは人間的情動がなかったのだろうか。そして、その時の記憶はない。やはり何者かが消したのだろうか。それが軍であることは何となく察しがついたが、俺は疲れてメモをして辞めた。
何日か過ぎた非番の日、アイリーンと初めて会った酒場に行くとバーテンダーが話しかけてきた。
「アイリーンが会いたいと言っていたよ、電話しても良いが……」バーテンダーは禿げあがった頭を所在なさげに掻いていた。
「一から十まで知っている、と言うことですね」
バーテンダーは丸い顔を苦笑で歪め、「まぁそう言うことだ。面倒事や修羅場は好きじゃない」
バーテンダーは、俺のおごりだ、と一杯出してくれた。名前を訊き、端末で調べると高いウィスキーだった。
俺は記録を見て、自分はウィスキーばかり飲んでいるな、とため息をついた。健康アプリは禁酒を勧めてくる。
「ありがとう」俺はバーテンに言い、ウィスキーを飲む。
それを飲む間に、バーテンダーはアイリーンに連絡を取り、俺は腰の拳銃を確かめる。同時に襲撃者の来襲にカウンターに隠れるのを脳内でシュミレーションしていた。しかし、襲撃者は来ず、仕事で疲れたアイリーンが現れた。
「久しぶり、レイモンド」かつかつ音を立て、アイリーンが現れた。
「ああ……でも、君は会いたくなかったって顔をしているね」
アイリーンは俺の隣に座り、「ごめん」
「別に良いよ」
「ありがとう。家まで介抱してくれて」アイリーンはため息を吐きながら言った。仕事ではまとめているのだろう髪をほどき、頭を振った。金色の髪が揺れ、輝いた。
「そんな、わざわざ感謝されることじゃない。どうせ、仕事まで俺は暇だから」
アイリーンは酒を頼まなかった。組まれた脚が緊張で固まっていた。
「ごめんなさい……」
「良いよ、気にするな」俺はバーテンに彼女の分を頼んだ。
「いらないわ」アイリーンは冷たく言い放った。
「何か奢るよ」
俺は前にアイリーンが飲んでいたソフトドリンクバーテンに頼む。アイリーンは幽かに笑い、「ありがとう」出されたそれを舐めた。しかし、二人の間には重い沈黙が流れた。
「どうした、疲れてる」バーテンダーが俺を助けてくれた。
「え、ええ」アイリーンは弱弱しく頷き、「幻滅したでしょ……経歴表示も合わせて、ああ、合致がいくな、って思ったはず」アイリーンは俺を弱弱しく見、目を伏せた。
「いいや、俺は過度な経歴表示が嫌いだし、よっぽどのことじゃない限り経歴なんて気にしてない、そう言っただろ」
アイリーンは儚げに笑い、「嘘でしょ」
「嘘じゃない、第一、君に幻滅したなら―」
「一夜の関係なら事足りるわ」強く言い、アイリーンはため息をつく。
「ごめん……」アイリーンは俯く。
自分は気にしていないと言うふうに、俺はバーテンに目配せをした。
「俺は君を軽蔑したりしてない。君を嫌だとか、思ってもいない。多分、周りの人もそうだよ。あんまり気にする事ないんじゃないかな」
アイリーンは黙っていた。しかし、その顔は俺の言葉に満足しているとは言い難い表情を作っていた。
「一目見ただけのあなたなんかに分かって―」
俺はアイリーンの言葉を遮って、「少なくとも、俺は君の経歴を見たってどうとも思わない。君は魅力的だし、皆そう思っていると思うけど……」
「自信を持たないと、ゲロの件は許さないぜ」
アイリーンは震え、「あたしだって……許してない」
俺はきょとんとしてアイリーンを見た。アイリーンは目を伏せ、「許せない」
俺はバーテンを見た、バーテンは、「どうかしたのか?」
アイリーンは唇を震わせ、「お向かいさんはあんたの事、警備会社ってみんなに言ったの、しかも、妹はあたしの彼氏って言ってね……」
「そんなことを言うもんじゃない。レイは君を送り届けてくれたんだろう」
バーテンは強い口調だった。アイリーンは瞳を上げ、ぼそぼそと謝る。
「感謝はするわ。ありがとう」語尾は弱かった。
アイリーンは俺を涙目で見つめ、去って行った。
「嫌われちゃったかな」俺がバーテンを見ると、バーテンは微笑み、「いや、今までアイリーンにアプローチした男の中では最高だね」
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