人の間で
俺はぼんやりと街のネオンを見つめていた。それらは清潔だった。
一年過ごしたキャンプも清潔だったが、ここにはきらびやかな清潔さがあった。
俺は本当に日常に、人間の世界に来ているのだろうか。周囲を見渡し、静かに夜の空気を吸った。ずっと来たいと思っていた楽園がそこにはあった。しかし、何も思い出せなかった。
基地から飛行機に乗り、バスに揺られ、ここまで来たが全くの異世界だ。
アメリカ。その都市はきらびやかで、清潔で、新しかった。俺は通り過ぎる人々を見ながら、ベンチに座り、拡張現実を眺めていた。
何かおかしくはないだろうか。何分かに一回、耳につけられた端末の機能を使い、自分の格好を確かめた。しかし、何もない。何故か、自分の姿が恥ずかしくてたまらなかった。周りが気になって仕方がない。
『できないことを数えるよりも、できることを数えようぜ』透明な低い声が蘇る。人間化訓練の一つである職業訓練でミスをし、叱られた時、シモンはそう言って慰めてくれた。
できることを数えよう。俺は言葉を反芻した。
人間化訓練の実践訓練、それがこれだ。訓練とは言うが、そこでの結果が良ければそのまま合格が言い渡され、自由に行動が許されるようになる。訓練自体は日常生活を淡々と問題を起こさずに行えれば良い。
シモンとは別れて過ごしていた。アメリカに来る前、シモンとはよく話し合って今後の事を決めていた。シモンは記者やCIAやNSA等の情報軍の競合機関から0I機関の情報を探る。非常に危険だとしても真相が知りたい、とシモンは譲らなかった。
俺は0I機関の正体が分からなかった際、自分たちがどれだけどのように正しさを見つけるか、を探る。つまり社会から一度弾かれた身として、どうすれば社会に認められるかを一般人から学ぶということだ。
シモンも大変だろうが、俺も多くの人との関わる必要がある。
脱走できないだろうか。俺は頭に浮かんだ言葉をかき消す。人間になってやる。ふとネオンを見て思う。人間なら何をするのだろう。家に帰るのか、酒を引っかけるのか、女とホテルに行くのか。残念ながら、自分はどうする、という確固たる思いはなかった。
拡張現実で地図を見るとバーが近くにあった。ふっと行ってみようと考え、ルートの案内を頼む。すると、現実に矢印や線が表示される。
酒と金と喧騒に非常に興味があった。訓練所と同じなのだろうか、そんな風に考えながら、歩き始めた。
俺は動きだすと、周囲を自然な動作で眺めた。居ないようだ。そりゃそうか。
監視役として一般人のふりをしているジョンソンに会いたかった。ジョンソンならこれからどうするのだろう。
面倒を起こさないでくれよ。ジョンソンは俺にそう言った。俺は自信がない。
周りを歩く人間たちには全て情報が付随していた。耳に装着されている拡張現実装置が俺の見ていると思われる方向の物に付随する情報を俺の視界に投映しているのだ。SNSのサービスの広がり、ID登録や指紋認証などに付随した大量のサービス、それらの一つが拡張現実である。拡張現実は装置を必要とする物とそうでないものがあるようだ。
俺はあまりの情報量に驚いた。確かに訓練で習っては居たが、こんなにも世界が情報で氾濫しているとは思いもしなかった。
勤めている会社や経歴を表示している者、自分の趣味を表示している者、何かメッセージを表示している者。様々な人間が居り、それぞれ表示する情報は皆違った。仕事を探していると思われる者は学歴や取得資格を、仕事中の社会人は自分の勤めている会社のキャッチコピーや情報のリンク、今会社全体で行っていること等、CMを表示していた。人間たちは情報を服のように着たり脱いだりしているようだ。そうして、自分の気分を変えるのさ、とジョンソンは言っていた。
自分に何が表示されているのか。偽の経歴を見た。俺ははっとした。顔のない男。
俺は興味本位でバーへと足を踏み入れた。一瞬でその凄まじい熱気に卒倒しそうになった。感情の渦がカオスを描き、熱気を孕んでいた。訓練所の通り、静かに座り、周りを見た。もちろん、席の隅でもなく中心でもない席だ。
ハニートラップの類は居ないようだ。俺は馬鹿騒ぎする者や潰れている者を眺め、安堵の息をついた。腰の拳銃も腿と背中のナイフも出番はなさそうだ。
緊急時に動くことが出来るように体調が優れていなければいけない日を確認。明後日がそれであることを確認し、バーテンダーに、「ここで一番、売れているウィスキーを頼む」
バーテンは情報端末を操作し、微笑む。
店には静かな音楽が流れていたが、それは喧騒にかき消されていた。隣を見る。しかし、シモンは居ない。
シモン、お前は今何をしているんだ。俺は孤独だ。
酒が届き、俺はちびちびと飲んでいた。しかし、この行為に全く意味を持てず、周りをさっと見ては人間の動きを見た。ここで人脈を作り、人間の社会を学ぶ必要がある。
男女が微笑みあい、たまに声を上げて笑っている。彼らが恋人同士か、そうでないかなど俺にはわからなかった。結局、居心地が悪くなり、すぐにアパートに向かう。
アパートとは逆のバスに乗り、携帯端末の各種機能をチェックし、情報が漏れていないかをチェックする。これが軍事活動である以上、SNSの使用やネットへの書き込み、GPSマップ機能などは使えない。各種の設定を確認し、帰りの方向のバスに乗る。
比較的、清潔で新しいアパートにつき、入る。
これで……良いのか? 俺は大きな安堵の息をつき、戸締りをした。
〈記録の住所に着きました〉機械音声が響く。〈ここでの記録を開始しますか〉
情報軍から渡された携帯端末を操作し、監視用の蟲を配備し、記録を開始する。同時に蟲による外部から取りついた蟲の検査が始まる。蟲は犯罪にも使われる。
俺は全身にスプレーを吹きかける。再び蟲が全身を調べ、異常はないと報告。
無意識に髪の毛をドアに貼り付け、すぐには入れないように靴を置き、錠剤をわざと落として、そのパターンを記録。諜報機関の手口だけが妙に鮮明に体に刻み込まれていることに気が付いた。俺はやはり情報軍所属だったのか。
疑問だった。酔いなど全然回ってはいなかった。部屋に入るとすぐにベッドを片して、危険物の有無を確かめた。
ジョンソンからはこれが軍事活動である、と強く言われていた。
待ち伏せやブービトラップはない。拳銃を構えながらクローゼットを慎重に開け、中にある銃器の点検をする。皆ぴかぴかで脂がさしてあった。これなら排莢不良―弾丸にはめ込まれている莢が詰まり、銃が機能不全を起こすこと―を起こすことはなさそうだ。ジョンソンは俺の頼んだ通りにしてくれていた。
銃器所持はジョンソンが何とかしてくれたおかげで、蟲の走査で見つかっても警察が来るようなことはない。
ジョンソン曰く、『戦場ではかなり早い対応が行われるが、平時の場所では、よほど過激なことを四六時中考え、その事を調べ、行動しない限り、蟲の走査に引っかかり警察に捕まるようなことはない』らしい。
もしも思想統制が進んでいたらどうしよう、と言うシモンの心配が外れ、俺は安心した。
荷物を出し終え、ベッドに転がると、ため息が出た。
「まだ、何も……できないな」俺はため息をつき、シモンから借りた本をぼんやり読んだ。長い時間が経った気がして、時計を見ても少ししか経っていなかった。
俺は風呂に入る前に拡張現実を利用した銃撃訓練を行った。指定した銃の形に近いグリップと重さにできる優れもので、実験段階の物だ。ガスの噴出やマズルフラッシュまで行ってくれるのでおかしな握り方にはならない。回転式拳銃なら回転式の、自動拳銃なら自動拳銃の構え方をしないと怪我をする事になる。
俺は米軍採用突撃銃を設定し、擬似銃をベッドに置く。擬似銃はかたかた、と音を立て変形していく、俺の指定する擬似銃のグリップと重さに到達するための重りの量を指定した。重りを加え、銃を握る。拡張現実を表示するゴーグルを付ける。すると、眼の前は荒廃した射撃場へと変化した。
時間も忘れて撃つ。光学サイトに入った標的を撃つ―擬似銃は本物と同じレベルの反動を手に伝える。的に弾が穿たれる。蘇る少女のビジョン。撃てない。
息が切れ、激しい動悸を感じ、銃を置く。癖でセーフティーに指をかける。俺は擬似拳銃を抜く。素早く引き金を引く。撃つ、反動を受け流し、撃つ。当たらない、歯噛み。
擬似銃をしまい、ベッドに転がる。
「本当に受け入れられるのだろうか」俺は無意識に発し、はっとした。
俺は体中に刻まれた傷を見つめた。こんなはずじゃない。ルーツを見つけ、社会適応し、人間らしく生きる。抽象的すぎる言葉が並んでいた。何をすればいいのか。否、果たしてこの訓練で高成績を出し、人間になれても何をしたらよいのかまだ分からない。
第一、何故か俺は人前に出るのが恥ずかしくて仕方がなった。非人間だと気づかれては居ないか。そんなことばかり考えた。ふと、考えるのに疲れ、枕に顔をうずめる。電気を消し、瞼をふさぐ。しかし、一向に眠りは訪れない。布団は柔らかく、寝心地は良かった。しかし、妙に地に足が付いていない気がした。
ここは俺の家か? いや、違う。じゃあどこだ? 自分と言う存在がとても希薄に感じられた。
「俺は……人間になりたいのか?」自分に問うが答えなど出ない。俺は必死に眠ろうとしたが、眠れず、小さな光を灯してぼんやりしていた。何かないか、とクローゼットを開け、中を調べた。が、特に期待するような物はなかった。
眠れなかったので、体力テストの向けたフィジカルトレーニングをして時間を潰した。適度に汗をかき、疲労を感じた頃には辺りは明るくなり始めていた。本当にこれで良いのか?
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