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記憶のない男

 現場に到着すると四人の男が倒れていた。俺はその中から仲間を見つけ出し、駆け寄る。


「大丈夫か?」俺は兵士を見て、歯噛み。


 兵士は大量に血を失っていた。濃厚な死の臭い。対して失われていく生気。


「レイ……」血を吐きながら仲間の兵士が俺の名を呼ぶ。闇の中で俺を探しているようだ。


「大丈夫だ、もうすぐ救援が来る」


 兵士の手を握りしめ、突撃銃を兵士に向ける。その下部から黒い触手のような物が現れる。多機能触手だ。それは兵士の身体を探り、トラップの類を検査してから傷を探る。


 明らかに致命傷だった。プロの仕業だ。


「レイ……俺を撃った奴を捕まえてくれ」兵士は血を吐き、むせた。


「しゃべるな、しっかり敵を捕まえてやるから」微笑みかけると、兵士が体を震わせた。多機能触手が傷を圧迫し、血を止めているのだ。


 俺は端末から映像を呼び出す。


 網膜認証、指紋認証、静脈認証を終え、パスワードを呟く。他者や無人兵器の視界情報を見るには情報を扱う資格や生体情報が必要なのだ。米軍の兵士であることを生体情報とデータベースの照合し、作戦中であることを確認された上で、作戦コードと作戦中の情報使用時のパスワードを呟き、やっとスタート地点に立てる。


 今、俺自身は腕時計内に居る高性能の蟲に全身を走査され、情動を読み取られた上で情報を見ている。その情報も資格や立場で個人化され編集された物だ。


 すぐに蟲の記録した映像を見る。まだ傷を負っていない兵士と思われる人物が映っている。兵士の歩く映像を呼び出す。それをさっき取られた映像と合わせ、同一人物であることを確認。


 個人的な生体情報記録は厳重なガードで守られ、一部例外を除き、本人自身のみが見られる。超小型カメラのプライベート映像も本人以外の編集や目視は不可能だ。


 映像の中で、物音がし、三人の男が現れる。倒れていた男たちだ。挙動がおかしい。子供や妻を探すにしては厳しい表情をしている。俺は映像を早送りにする。


〈広告表示による瞳孔確認では興奮しているのが分かる。体温も高く、呼吸も荒い。かつ、発汗が温度と年齢から見ると普通よりも過剰だ。心拍、筋肉の動きからも緊張していると確認〉


 蟲は拡張現実による広告表示を行い、広告を見た物の瞳孔を確認。高い興奮状態にあると判断されると顔などの筋肉の動きを確認する。


 視覚情報から、三人がせわしなく四方を見ていることが判明。そして、その筋肉を動かす脳部位から簡易的な情動判断を行う。


 記録の三人は興奮状態にあると見られたため、蟲による血液採取が行われた。蟲が無痛で微量の血液採取を行い、脳内物質やホルモン、内臓の状態を判断、脳内の状態を擬似的に測るのだ。


 これらが自動的に行われ、顔認証から個人を特定、その人物の端末やネットのログを洗う。同時に以前の蟲の記録と照合し、異常な行動かどうかを探る。


「監視部、この三人が何処に居たかを確認してくれ」俺は倒れている三人の顔を蟲に走査させる。


〈その三人は全員、アリバイがある。囮が殺される前後には、建物近くにはいない。監視の記録と端末のハッキングによる情報だと地元の麻薬売買組織の末端だ。GPSで確認したところ、事務所に居た時に事件の発生を知り、野次馬として出てきたのが全員確認できる〉


 三人の顔と犯罪歴、地元情報屋の情報、記録映像が表示される。なんてことはないチンピラだ。


〈密売がばれたとでも思ったのだろう、歩調が速く、仕草も焦りが見える。三人は広告表示による戦意反応と興奮、銃器反応が見られた。試しにハッキングしたデータを元に端末に電話を掛けると、異常なほどに心拍が上がっている。親分から怒られるとでも思ったのだろう。危険度が低いためナノマシン挿入は行われていない。そして、そのすぐ後に同時に撃たれた〉


 今、眼の前に倒れている隊員が銃器に反応し、銃撃。三人は無力化される。三人は拘束される。映像はすぐに切り替わり、兵士が倒れ、血を流している映像。


「おい、映像が途切れているぞ」俺は息を詰まらせる。


〈いや、記録を早送りにはしていないし、パーソナライズに伴う編集もないはずだ〉


「教えてくれ、お前を撃ったのは誰だ?」俺は手を握り、兵士に呼びかける。


「分からねぇ……外見なんて全然特徴がなかった……記録はないのか」


「くそ、記録を洗え」俺は呻いていた。


「レイ、すまねぇ……思い出せねぇんだ」嗚咽し、涙を流した。


「大丈夫、心配ない。助かるから、お前は休んでろ」血でぬるぬるした手を懸命に握りしめる。


〈ダメだ……改ざんされた痕跡もない……そして―〉


 俺は息をのんだ。


「まさか、さっきの囮と同様に殺人に至る情動が読み取られていなかったのか?」


 米軍を始めとする先進諸国の介入する戦争は全てが完全に記録されている。殺人に至る心理情報は完全に記録されている。そんな場所で人を殺して記録に残らないなんてことは可能のはずがない。殺人事件を起こせば犯人が判明する社会。戦場はその監視がもっと厳重なのだ。人を殺して逃げおおせるのは不可能だ。


 だが、眼の前で記録されない殺人が起きてしまった。特に殺人に至る脳内分泌の監視は最高の精度で記録される。


「周りの体温を監視していたはずだ。隊員が撃ってすぐの人数は?」


〈三人だ。撃たれて、拘束された三人だ。しかも、肘が砕けていて拘束を解いても銃が撃てる状況じゃないし、生体情報は恐怖や怯えを表している〉


 それを聞き、背中を冷たい物が這うのを感じる。


〈0I機関かもしれない……〉


 監視部は神話になっている暗殺部隊の名を口にする。亡霊と呼ばれ、記録に残らない殺人を犯す、と言われている部隊だ。


「方法はあるはずだ、亡霊なんて存在しない」俺は呻き、震えた。



〈記録されずに殺すと言うことは生体情報の記録的には無理だ。だが監視映像としては騙すことが出来る。網膜や指紋の情報を偽造するんだ。骨格や病気の情報を感知する蟲を欺くことが出来れば確かに可能かもしれない〉


「監視映像的には騙すことが出来、生体情報からでも騙せる可能性がある、と言うのなら、0I機関は殺人を起こせるのか」


〈生体的な情報の中でも精神的な面でそれは不可能だ。殺人行為は精神に大きな影響を与える。それが生体情報として記録されれば、殺人はばれる。監視映像を消したとしてもな〉


 つまり、もうすぐ犯人は尻尾を見せるはず。


〈通常、殺人をした時に血液検査を騙せても、殺人と言う行為を行った後にその記憶が蘇ることで特殊な情動が発生し、通常では見られない動きや生体反応を起こしてしまう。殺人的な反応は周囲では見られていない〉


 銃撃犯が逃げたにしては足が速すぎる、と監視部は言う。


 心的外傷後ストレス障害(PTSD)を俺は思い浮かべる。人間の精神構造内には同族を殺すことに対し大きな精神的な枷がある。それを突破するのは容易ではない。


 国によっては兵士のPTSDを起こさないために戦場で戦闘時の生体データを監視し、蟲の生体走査を行う。今、軍で重要とされているそれらの情報を改ざんすることは非常に難しい。


 では、殺人を何とも思わないようなサイコパスが居たのでは、と俺は考えた。しかし、それも隊員は否定した。


 殺人現場近くに居た者の過去を探ってもサイコパスではなかった。殺しをする時だけサイコパスになり、その後は殺しの事を全く考えない人間。そんな性質を持つ人物は少なくとも記録の中にはいない。


〈長期的な改ざんは非常に難しい……もう事件が起こってから十分経ったが。徒歩、車による移動にしても、それでたどり着ける地点まで蟲の監視レベルを上げているが、PTSDや殺しの後の情動反応は一切見られない。この地区で物理的に蟲の監視を阻むことができる建物は存在しない〉


 俺は歯噛みする。


 この地区は、蟲が地下までばらまかれている。見逃しはないはずだ。


 殺しが行われたのは戦場や戦場に隣接した街だ。そのため、死や暴力と言った物を目にする事が多い。


 蟲には殺しや暴力に高い生体反応を発した者を管理者に報告する機能がある。それらの生体反応を発した人物について記録と照合が行われ、テロリストなのか、それとも市民暴動者なのかを確認する。


 軍や諜報機関は何の理由もない―暴力や死の記憶などがなく、それらに関係のない―人物が殺人、暴力の反応を起こした時、必ず動く。火のない所に煙は立たないのだ。記録上は死や暴力に無関係な人物が殺人を見た後、それらの記憶が過剰に増幅され、PTSDが起こるような脳の活性化は普通ではない。そう言う人物はキナ臭い、と言える。それらを全てリアルタイムで改ざんするのは無理だ。


 蟲へのハッキングや攻撃は情報軍の機材に限って言えば不可能に近い。その内部上は最高機密情報であり、戦場ではもっとレベルが高い。


〈だが、超ハイテク技術で精神的な監視を除いた監視の目を騙すことは出来るかも〉


 俺はその答えを否定する。戦場の生体データを記録する蟲の精度はそう欺けるものではない。人間の五感をはるかに超えた情報収集力を持つ蟲を欺くことは不可能だ。もしも最高の機密情報にアクセスできる特殊作戦部隊があったとしても、もしも彼らが敵に寝返れば蟲を欺く方法が広がってしまう。


〈逃走可能地区でPTSD、殺人に関する情動、感知されず……〉


「なぁ……レイ、犯人は見つかったのか」血を吐きながら兵士は言った。


 救援はまだ来ない。


 俺は歯噛みし、「なぁもう一度、思い出してくれ、どんな奴だったんだ」


 亡霊が囮と兵士を殺し、俺のそばで素知らぬ顔でいるのが想像された。思わず、おぞましさで震える。


「分からねぇ、すまねぇ……おかしなことばかり思い出しやがる」


「小さなことでも良い」俺は耳元で呟く。


 兵士はもう息絶えかけている。


「すまねぇ……おかしかなことばかり。くそ、どうしてこんなことに」兵士は虚ろな瞳をして、「俺の生まれた街は何もなかった……」


 兵士は深い息を吸い、「くそ、おふくろは元気かな……ニッキーの奴、高校はきちんと行っているかな」

 

 俺は肌を伝う涙を拭うことしかできない。


「なぁ俺は……立派に戦ったと伝えてくれ、二人の事をひとときも忘れたことがないって」


「ああ……」俺は兵士の手を強く握り、震えた。兵士の指から力が抜けていく。


「愛してるって……家族に伝え……俺は家に帰り―」息が絶え、指が抜ける。多機能触手が心肺停止を伝えてくる。


〈少女のテロリストがそちらに向かっている。反応しろ〉


 俺は遺骸から手を離し、突撃銃を構える。涙が止まらなかった。


〈レイ、そっちに少女が向かっている〉


 闇から突然、少女が現れる。民族衣装を揺らし、走っている。その手には簡易爆弾。


 脳天を狙い、俺は引き金を引こうとする。しかし、指が引きつる。


「なっ……」俺は焦り、突撃銃を見る。


〈レイ!〉ジョンソンの声。


 前を見る。少女が俺にぶつかろうとしている。歯噛みし、そのまま銃撃。高く鋭い銃声と光が散り、少女の片腕が吹っ飛ぶ。


 世界から音が消え、周りがゆっくりと見える。少女がゆっくりと迫ってくる。腕から流れ出る血がゆらゆらと宙を舞っている。その茶色く細い腕が頬に触れる。柔らかい感触。


 時が戻る。鈍い痛み。何かが転がる音。俺は起き上がり、周囲を見回す。周りがぐにゃぐにゃと歪んで見える。歯噛みし、多機能触手に医療ステータスを表示させる。


 肺が潰れたような感触。息の塊が喉に詰まった。


 自分を客観視する映像を開くと、俺は顔がなかった。透明になり、後ろが見えていた。まるでティーンエイジャーになった時に自分の陰部に生えた毛を必死に否認したように脳がそれを受け付けなかった。

いや、思い出せない―ティーンエイジャーの頃の事も、今までの事も。何もかも。家族、生まれた場所の風景、何も思い出せない。


 誰かが叫んでいる。俺の顔は存在しなかった。まるでそこだけ空間が切り取られたかのようにぽっかりと穴が開き、その後ろの壁を映していた。


 レイ、落ち着け、と言うジョンソンの声。ようやく自分が叫んでいることに気が付き、我に返る。


〈光学……迷彩〉監視部の声が詰まる。


 俺は何をされたのか分からず、顔をひっかいた。何かがボロボロと零れ落ちた。すぐに多機能触手に洗浄を命じ、顔に水と風が吹き当てられる。


 傷はないと言う表示を見て、自分の顔を監視映像で見る。知らない顔がそこにあった。白人、金髪でごつごつとした顔。微かに垂れ目なその男を俺は知らない。


〈レイ、少女が!〉


 俺は突撃銃を取る。片腕をもぎ取られた少女が不器用に起き上がろうとしている。少女は片の頬が破れ、血が流れていた。空洞と言うほかない瞳がこちらを見つめていた。


「お前は……なにものだ」ふっと英語で少女が呟く。


 俺は息を吐く。俺は何者なのか。


〈レイ、0I機関がいるのか?〉


 その声に俺は呻き声を漏らした。


 頭に見慣れぬ光景が走る。大量に積み上げられた少女少年の死体。犯人のわからない殺人のニュースクリップ。なんだこれは。そう思いながらも、俺はその光景を自分が作りだしたことを思い出していた。


 撃てない。少女を前に指が硬直する。息が塊となって肺を圧迫する。


 さっきの兵士の今際を思い出す。


 自分の家族の顔が思い出せない。


 自分が何処から来たのか。


 思い出せるのはおびただしい死骸だけ。


 ―俺は誰なのか。


「撃て!」誰かの野太い声。


 銃声。


 少女の額に小さな穴が開き、少女は倒れる。俺はそれをただ茫然と見つめていた。


「バカ野郎!」鋭い罵倒。俺の頬を硬い物が打つ。


 痛みからではない涙を流しながら、俺は隊員を見上げた。


「あいつを殺さなきゃどうなるかくらいわかるだろう、何年兵士やっているんだ!」隊員は俺を怒鳴りつけた。


「す……すまん」俺は腫れた頬など気にせず、少女の躯を見つめた。


 怒鳴る隊員をジョンソンが止める。


「心的外傷後ストレス障害の兆候が見られているんだ」


「作戦終了後、SOH社のセラピーに行け」隊員はそれだけ言い、去って行く。


 俺の顔は緊急の拡張現実で偽装されている。さっき見たごつごつとした顔の白人の顔はない。


「レイ、お前に再訓練を言い渡す。良いな」ジョンソンは俺にそう告げた。


 俺は思い出す。ジョンソンは0I機関隊員が人間になるための訓練の監視員だった。泥のような記憶が溢れ出し、頭痛がする。


「非常事態だ。レイモンドの安定は妨害された」ジョンソンが小声で言うのが聞こえる。


 レイモンドの安定。そうだ、俺は人間になるための訓練の最終段階でここに来たのだ。


「気にするな」ジョンソンは俺の肩を軽くぽんぽんと叩いた。


 微かに思い出したのは自分が0I機関と言う組織に所属していたことだけ。


 そして、今のように少年兵を殺戮し、テロリストを虐殺していたことだけだ。



 0I機関は何らかの問題によって人間性を失っていた。だからこそ常軌を逸した暗殺や虐殺が出来たのだ。やっと気が付いた。何故、不思議に思わなかったのだろう。少女の言葉で俺は目覚めたのかもしれない。


 0I機関が米情報軍所属の組織かどうかは分からないが、俺が人間性を失った後、情報軍主導で0I機関を人間らしくするプログラムが始まった。俺はそれに参加した。


 漠然とした記憶の中、ジョンソンを始めとする者たちによって、人間になるための訓練を受けていた。そして、一般生活を送れるくらいにはなっていたはずだった。自分の過去を何も考えないまま。


 俺はわからなくなった。


 何のために生きているか。


 なんのために殺したのか。


 どうやって見えない殺しをしたのか。


 何故、殺せたのか。


 そして、自分は何者なのかが。


 ジョンソンが俺の肩に手を置き、ゆっくりと、「レイ、お前に再訓練を言い渡す。良いな」

 

 俺は頷き、うつむく。


 0I機関隊員の人間化訓練に戻ることになる。そして、結果が悪ければ軍から蹴りだされるか、存在を抹消される。そんな噂を聞いた。何故、自分は0I機関に居たのか分からない。


 俺は自分が何者か分からない。だが、おかしなことに生きたかった。何のためにかはわからなかったが、ただ人間として自由に生きてみたかった。レイなんて言う情報の付随物として死ぬのではなく、生きたかった。


 「俺」を探さねばならない。

 

 見えない殺し。それを俺は行えたのだ。普通、人はなんらかの形で蟲の走査に映るはずなのだ。それなのに。


 俺は本当に人間なのか。疑問が浮かんでは消える。


 中東の闇が濃くなっていく。


 読んで頂き、ありがとうございます。

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