第5話 魔力が回復しない体質になってしまったんだとさ
「今期をもって魔術学院を退学しました。皆様のご期待に沿えず、申し訳ございませんでした」
学期終わりに王都からクレアが帰省すると開催されるシートン家とヘイルズ家の懇親会は、乾杯の後に、そんなクレアの第一声から始まった。畏まった謝罪の言葉ほどにはクレアに陰りはないように思える。どちらかと言えば、悪戯がばれてバツが悪くなった時に出す昔馴染みの表情で、アトリはひとまず安堵する。
今回の懇親会はヘイルズ家の屋敷が会場になる番で、招待された側のシートン家からはアトリの他に父親のカトル・シートン、カレン、エリカが出席しており、主催のヘイルズ家側は当主のカトル・ヘイルズ、妻のリリア、娘のクレア、ティアナ姉妹がいる。
懇親会の日は使用人たちには一時の休暇を与えるのが通例となっていて、カレンとリリアが腕によりをかけた肉料理や野菜の煮込み、新鮮な青果と大量の酒が用意される。使用人の手前、普段はみっともない姿を晒すことが許されない大人たちにとっては羽を伸ばす良い機会になっているらしく、普段はそれほど飲酒をしないアトリの父のエリオでさえ、カトルと一緒にワインのボトルを次々に空にしてしまう。
例年とは異なり、始めに乾杯した以外は料理にも酒にも手を付けず、皆で神妙な面持ちのまま、クレアの次の発言を待つ。
「魔力が回復しない体質になってしまったんだとさ」
次に口を開いたのはクレアの父親のカトルだった。ノータイの細身のカッターシャツ、ベストという一歩間違えば王都の若者のような気軽な服装だったが、仕立て自体は職人の丁寧な仕事ぶりが感じとれる。細部の落ち着いたステッチが映える上等なものに見え、不思議と年不相応に若作りをしている印象はない。
一瞬大きく目を見開いたエリカがちらりとカレンとアトリの方を見てくる。カレンはうーん、と頬に掌を当てて困ったような顔をし、アトリの方も小さく首を振った。
「ごめんな。あまり心配をかけたくなかったからな。エリオにしか、まだきちんと話していなかったんだよ」
整った口髭をさすりつつ、心底申し訳なさそうな表情をするカトルの次に、今度はエリオに皆の注目が集まる。エリオは普段と変わらぬ厳しい表情で腕を組んだまま、静かに頷く。
「ひとまずではあるけれど、私としても、クレア本人も落ち着いたといえる状態にはなった。この機会に私から状況を皆に説明しようと思う」
スラックスの長い足を組み合え、カトルがゆっくりと語り始めた。
魔力とは生物が体内に保有する力のひとつで、魔術を行使するために使用する源である。生まれつきの体質によって個々人で保有できる魔力の限界は異なっており、その保有量が生まれつき多いことが所謂魔術師の才能と呼ばれるものの一つだった。魔力が多ければそれだけ行使できる魔術の幅が広くなるし、訓練の面でも常人ができない数の鍛錬をこなすことできる故、有利といえる。
魔術を行使するために体内に保有する魔力を消費するが、通常であれば使用した魔力は、休息を取ることで回復するものだが、クレアの場合は使用した魔力が回復しない体質に変わってしまったのだという。
「魔力が回復しないから下手に魔術を使うと、身体の中の魔力を使い切ってしまうかもしれないということだ」
カトルは椅子の背にもたれ、ふっと鼻で笑うように息をつく。
「本来、生命維持に必要な分の魔力まで使い切ってしまったら、もうおしまい。そのまま昏睡状態になって二度と目を覚まさないかもしれないだとさ。そんなこと言われたらお前、辞めるしかないよなあ」
説明の最後の辺り、カトルは独特の捲し立てる口調で話した。この頃は魔道具の販売の打合わせでカトルとの交流が頻繁にあるから理解し始めたことだが、カトルがこのような口調になる時は、大層憤慨している。
「しょうがない。私だって、まだ死にたくないもの」
表情には出さないが憮然としているカトルを見て、クレアが苦笑いをする。クレアは片手で前髪を梳くようにして横に撫でつけたのち、腕組みをして大きく頷いた。
「私としてもできる限り手を尽くしたんだがな。結局、役に立てなかった。申し訳ない」
アトリの父親のエリオが口を開く。大柄でがっしりとした体躯で貴族というよりも、屈強な兵士のように見える。元々シートン家は武闘派の家系で、戦争で武功を挙げた功績によって今の領地を賜ったというから、きっとその血筋のせいなのだろう。
気の許せる者しかいない集いだが、カトルとは異なり、エリオは年相応のきっちりとした正装とはいかないが、それに準拠した程度のジャケットは身に付けている。エリオとカトルは幼馴染であり、どちらも近年の地元領地の発展に尽力する名士たちではあるが、趣味嗜好や雰囲気がエリオとカトルは正反対。それでも不思議と二人はなかなか気が合うらしい。
「いえ、エリオさんから良いお医者様をご紹介して頂けました。東方由来の貴重なお薬までご融通して頂きまして。今回は残念な結果にはなりましたが、やれる限りのことをすることができたので、娘も踏ん切りがついたようですわ」とリリアがクレアに目線を送りながら言う。
「はい。エリオおじ様、ありがとうございました」
クレアがエリオにしっかりと頭を下げる。エリオの険しげな目尻が少し下がり、無念の表情で目を閉じると、クレアに向けて無言で頷いた。
「クレアお姉さま、死んじゃうの」
クレアの隣の席に座り、これまで黙って静かに皆の話を聞いていた妹のティアナが鼻声交じりの声をついに漏らす。瞳には既に大粒の涙が溜まり始めており、アトリの背筋がひやりとする。
「お話を伺う限りでは、魔術を使わなければ日常生活には問題ないですよね」とエリカが冷静に助け船を出す。
「あっ、うん、そう、そんな深刻な問題じゃないのよ。あー、もう、泣かないで。魔力をいっぱい使わなければ大丈夫だからね」とクレアが慌てて隣の席に座るティアナの頭を優しく撫でつつ、ハンカチでティアナの涙を拭ってやる。
「普通に暮らしていく分には問題はないんです。だから、とりあえずは大丈夫なんです」
皆を見渡すようにしてクレアが微笑んだ。
「ただ、魔術をもう二度と、使わないようにすれば良いだけなんですから」
クレアの優し気な色素の薄いブラウンの瞳が一瞬大きく揺れたようにアトリには感じた。喉元まで登りかけていたどうしようもない不安感を押し流すため、手元に用意されたグラスのワインを一気に飲み干した。