第2話 まったく、このままでは本当に魔道具師になってしまう
「まったく、このままでは本当に魔道具師になってしまう」
兄のアトリが行ってしまった後、妹のエリカ・シートンはため息をつく。
「あら、いいじゃないの魔道具師。きちんとしたお仕事ですよ」
チョコチップクッキーを口にし、母親のカレンが「うーん、良い味だわ。腕を上げたわねえ」と目を細くする。カレンは先ほどのアトリを真似しているのか、アリッサに向けてぐっと拳を掲げる。誇らしげな顔のアリッサも同じく、カレンに向けてぐぐっと拳を固くする。
「エリカ様、さっきの妙なモノの前作品『枯葉自動拾い機』は評判らしいですよ。カトル様から伺いましたわ」と、掲げた拳を戻し、姿勢を正してからアリッサが言った。
ティーカップに口を付けた後、エリカはもう一度ふうと一息つく。確かにアトリの作る「妙なモノ」はシートン家と長年懇ろな関係にある商家ヘイルズ家の当主カトルの勧めにて販売を行っていて、目新しもの好きの富裕層に意外にも反響があり、結構な額で売れているらしい。「枯葉自動拾い機」については、カトル主導で近々工場での量産化まで構想されているという。
ええい、この呑気な雰囲気に飲まれてたまるものか。エリカは何故か楽し気なアリッサの青紫色の瞳に一瞥をくれてやってから、心底不満そうな表情をつくり、こくりと頷く。
「それはわかっています。でもそうではなくて、アトリ兄さんには他の……もっと、その、別に活躍の場があると私は思うのです」
エリカはティーカップをテーブルへ静かに置き、自身の背筋を正してからカレンの表情をちらりと伺う。
「アトリ兄さんは魔術の才能があるのだから、ローグのように魔術学院に入れるべきなのではないでしょうか。領家であるシートン家の長男が部屋に引き籠って魔道具を作っているか、その辺をぶらついているかの状態は良くないと思うのです。アトリ兄さんも来年は十六になるのですから」
ローグとは、シートン家の次男でアトリとエリカの弟にあたる。生真面目なエリカから見ても、至極真面目で勤勉な性格であり、年端も行かぬ頃から碌に普通の子供がするような遊びもせずに学術書を読みふける生活をし、一年前に王都の魔術学院に入学した。現在は一人家族から離れ、学院の寮で生活をしている。
「エリカ、まあ貴方の言うことも、もっともだとは思うのよ」
「でしたら」
「でも、あの子、面倒くさがるじゃないの」
「それは私たちで、なんとかアトリ兄さんを説得しましょう」
エリカがこのように熱心になるのも理由があった。時には魔術で外敵や侵略者から国土を守護し、またある時には魔術の応用により農、工業問わず国の生産力を向上させる基幹技術を生み出す。魔術師は国の宝と呼べる存在だった。
兄のアトリと同い年の幼馴染で、エリカにとっては姉のような存在であるクレア・ヘイルズが魔術師志望だったこともあり、エリカも幼少期に魔術師に憧れていたことがあった。
クレアが兄のアトリを引っ張り回して魔術の練習をしているのについて回ったり、父に頼んで特別に家庭教師を招いたりしたこともある。しかし、魔術師の資質は決して万人にそなわっているものではなかった。熱心に練習に取り組んだが、結局エリカはクレアとアトリが遊びがてらに行使していた魔術ですらエリカは満足に使いこなすことができなかった。エリカ自身酷く悔しい思いをしたが、それ以上に、巷で神童と呼ばれていたクレアと同等に渡り合う兄の才能が身内として誇らしかった。
だから魔術の才能があるのに活かそうとせず、それを燻らせ気ままに暮らしている現状の兄の状態が気に入らず、それに何も苦言を呈さない父と母にも苛立ちを感じていたのだった。急に悔しさやら、情けなさやらが入り混じった感情がこみ上げ、エリカの目頭が熱くなる。
エリカの発言を聞いたカレンはうーんと呟く。手の平で右頬をさするようにし、一瞬真剣な目つきになる。
「エリカ」カレンが落ち着いた声で言った。
普段の柔和で大らかな雰囲気とは異なる声が響き、エリカがぎゅっと身を固くする。
「はい」
エリカがそう返答をすると、不自然なすまし顔で控えていたアリッサも、ついに耐え切れなかったのか、喉をごくりと鳴らした。
「お父様も私もね、アトリの好きにさせようと思ってるの」とカレンが言った。カレンの表情は自嘲気味、もどかしげにエリカに見える。
「どうしてですか」
母の態度の意味が理解できず、エリカの口調が自然と強くなる。
「これは、私たちが強制すべきことではないのよ。彼が自分の判断で決めるべきことだわ」
エリカが少し薄めの唇を真一文字に結び、むむむと声に出して唸りそうになった時だった。
「奥様、エリカ様」と、慌てふためいた様子のアリッサの声が鋭く通る。
「西の森にはこの頃魔物が徘徊している痕跡があるから立ち入り禁止、と今朝がた自警団から通知があったのをアトリ様に伝え忘れてしまいましたわ」
「えっ、お母様……」エリカが大きく目を見開き、カレンを見る。
「ああ、そんな話もあったわねえ」
呑気な口調のカレンが言い切る前に「急いでアトリ兄さんに知らせないと!」と、がたっと椅子を鳴らし、勢いよくエリカが立ち上がる。
「まあ、アトリなら問題ないんじゃないかしら。クレアさんに鍛えられていたし、しょっちゅう西の森には入り浸っていたようだから、この辺りに出る魔物くらい自分でどうにかするでしょう」
母の言葉を聞いて、我に返ったエリカが小さくうーんと唸る。
「うーん、確かに……大丈夫、かもしれませんね」エリカは位置がずれてしまった椅子を元に戻すために立ち上がったアリッサを右手で制止する。
「失礼いたしました」エリカは椅子を自分で元に戻して、背筋を伸ばして姿勢良く座りなおす。
「念のため、自警団の方にご連絡して貰えるかしら」
「エリカ様、承知いたしましたわ」
「そう言えば、今日でしたね。クレア様が王都からそろそろ帰ってくる頃ですねえ」
エリカに軽く会釈したのち、アリッサが言った。