34.天より舞い降りし天使
「魔王……スレイス……ポートミル……そうか、俺が最初に空から感じた魔力はお前だったか……」
「あらぁ、フルネームで覚えてくれているなんて光栄ねぇ、大英雄さん」
独特の口調でスレイスはディルハンブレットに目を向ける。
「おい……何しにきやがった」
「あら、そんな邪険にしないでよ、2代目。わざわざこの私が助けに来てあげたっていうのにひどいわねぇ」
「助けはいらない。こいつは今から俺が殺す」
「ふーん。力はあってもやっぱりまだまだ魔王としては未熟ねぇ」
邪魔しやがって……
「お前から殺してやろうか」
「威勢がいいわねぇ……でもそれはきっと無理。もっと自分の力を勉強した方がいいわよぉ」
こいつ……殺してやる……
俺はスレイスに標的を変え、終夜の虚矢を作り出すため力を込める。
その時、プツンと何かが俺の中で切れる音がした。
「なっ──」
途端に体に力が入らなくなり、地面に膝を落としてしまう。
「……何をした」
どんなに力を込めようが体はピクリとも動かない。
それどころか、塞がっていた脇腹の傷から血が流れ始め、段々と自分の中の力が消えていくのを感じる。
「何を? フフ、私は何もしてないわ。それはあなたの体と魔力が限界ってこと。あれだけの力を何も考えずに使えばこうなるのも当然ねぇ」
限界……だと……?
「そもそもあなた何のためにここで戦ってるのよ。仲間を守るためじゃなかったのかしらぁ?」
「守る──?」
「そうそう。必死で逃げてるあなたの妹も、そこに倒れてる瀕死の人狼族も無視して自分勝手に楽しんじゃって」
逃げている妹……瀕死の人狼族……
「希沙良……ロウガ……」
そうだ、俺は一体何をして──
「まったく、自分の力にいいように支配されちゃって。それじゃああの転生勇者となんら変わらないわよぉ」
気づけば先程までの全てを壊してしまいたいという、破壊衝動のようなものはもうなかった。
どうして俺はさっさとこの場からロウガを連れて逃げ出さなかった。
あれだけ弱っているディルハンブレットからなら充分可能だったはず──
「まぁ自己中心的って意味では私も人の事言えないんだけど……さて、とりあえずは今やるべきことをさっさと済ましてしましょう……待たせちゃって悪いわねぇ大英雄さん」
そう言うとディルハンブレットを見下ろすスイレスの周囲に無数の光の球体が浮かびだした。
「何か最後に言いたいことはあるかしらぁ?」
「……最後? 笑わせるなよ……最後はお前の方だろ? 神に見放され、魔族にまで身を堕とした天使風情が」
「フン、口の減らない人間ね」
瞬間、数十個ある光の球体から一斉に光線のようなものがディルハンブレット目掛けて発射された。
光線は目にも留まらぬ速さでディルハンブレットの体を飲み込み、そのまま森を突き抜け、遥か彼方で眩い光を放つ。
光線の通った痕には廃すら残らず、全てが消滅していた。
「抵抗もなし……4大英雄と呼ばれた男も最期はあっけないもねぇ……さて、後は残った奴らに止めを刺してあなた達を──」
そこまで言ってスレイスは首を傾げた。
「あらぁ? あのエルフの子がいないわねぇ」
スレイスはエルフの女が倒れていたはずの場所へと降り立つと、地面に手を伸ばして何かを拾い上げた。
「これは……まさかあのエルフ……」
そう言って顔を顰めるスレイス。
「……まぁいいわぁ、今はとにかくここから離れましょ」
スレイスはその場でボー然と座り込む転生勇者フォルスを先程の光線で消滅させると、俺とロウガを交互に見て口を開いた。
「時空間魔法、空間転移」
すると俺の視界がこの世界に来た時と同様にグニャリと歪む。
視界に映る景色が周囲と混ざり合い、俺の意識は段々と遠のいていった。
次に目を開けた時に俺の視界に飛び込んだのは、見慣れた城の大広間で地図を広げて三つ目ネズミ達に話をしているラミアの姿だった。
なんだ……これは夢か?
あまりに唐突に眼前に広がるその光景に、そんな事を思ってしまう。
「ですからこのまま穴を掘り進めてしまえばあの岩山にぶつかってしまう恐れがありますので、こちらのルートを──って、へっ? ノ、ノノ様?」
こちらを見て目を丸くするラミアだったが、慌てた様子ですぐに俺の元へ駆けつける。
「な、なぜノノ様が突然、それにスレイス様まで……い、いえ、そんな事よりもその怪我──! 急いで治療の用意を──」
「悪いラミア……俺は平気だ……だから先にあいつを頼む……」
そう言って俺は傍に横たわるロウガを指差した。
ラミアは一瞬戸惑いを見せたが、すぐに頷いてロウガの元へと駆け寄った。
見慣れた俺の城にラミアの顔。
それを見て安心したからだろうか。
突然俺は眠気に襲われ、そのまま倒れるように眠りについた。
◇
目を覚ますとそこは俺の部屋のベッドの上だった。
混乱する頭の中で、この状況にどことなく既視感を覚える。
「やっとお目覚めかしらぁ」
声のする方へ首を動かすと、椅子に腰掛けるスレイスの姿があった。
それを見て、あの森での記憶が段々と思い出されていく。
「希沙良と人狼族達は無事か……?」
「起きて最初の一声が他人の心配だなんてあの時とはまるで別人ねぇ。もちろん無事よ。あの子達には私の仲間を護衛につけてこのお城まで送らせたから」
良かった。
それを聞けただけで俺は心の底から安堵した。
「あれからどれくらい経った?」
「そうねぇ、大体半日ってところかしらぁ」
「そうか……もう一つ聞いていいか」
「なにかしらぁ」
「どうして俺達を助けた?」
今回のスレイスの行動は、魔王会議での一件を思えば到底考えられないことだった。
「……そうねぇ、私達天使族が暮らしている雲の上、そこからたまたまあなたの魔力を感じてねぇ。気になって見に行ったらあなたが死にそうだったから助けてあげないとって思った……これでいいかしらぁ?」
「……嘘だな」
「あらぁ? どうしてそう思うのかしらぁ」
「あの時のあんたの口ぶりからして、たまたま通りがかったようにはとても思えない。それに悪いが俺にはあんたが死にかけの俺達をそんな理由で助けてくれるような高尚な魔族には見えないんでな」
「うふふ……ご名答」
スイレスは不気味に微笑む。
「正直言うと私の目的は最初からディルハンブレットの抹殺、ただそれだけだったわぁ。だからあなたがあの森に来た時は本当に驚いた。でもね、同時にこれはチャンスだと思ったのよ。この意味分かるかしらぁ?」
「……俺とディルハンブレットを戦わせ、ディルハンブレットが力を消耗したところをあんたが殺す。そんなところか……」
「その通り。魔王会議でのあなたのままならディルハンブレットに勝てないのは分かっていたし、少しでも力を削いでくれればそれでよかったんだけどあの姿を見て考えが変わったの。あのまま戦っていても充分あなたに勝機はあっただろうけど、その後は力を使い果たして最悪死んでいただろうし」
あの姿……それはつまりディルハンブレットが言っていた魔王第二形態とかいう姿のことだろう。
「あの禍々しい姿……うふふ、あれはまさに先代そのもの」
まるで愛しい者を思い出すかのようにスレイスは頬を赤く染め、恍惚とした表情を見せる。
「先代そのもの……あの力が……」
「そうよ、あなたきっといい男になるわぁ。この私が保証してあげる」
「そうか……まぁどんな理由にしろ俺を──皆を助けてくれたことには感謝してる。ありがとうスレイス」
どういたしましてと言って、スレイスは席を立った。
「あ、でもあなたに謝らないといけないわねぇ」
「──?」
「ディルハンブレットはおそらくまだ生きている」
「なっ──!?」
ありえない。
いくらディルハンブレットであろうと、あの瀕死の状態でスレイスの攻撃を受けて生きているとは到底思えなかった。
「あなた達をここに送った空間転移の魔法。あれは本来この世界の構造を完全に理解していなければ扱うことができないもの……つまり神クラスの者でなければ習得なんてのはまず不可能なの。でもね、それを一時的に可能にしちゃう道具も存在するの」
「道具?」
「何百年もの間神に祈りを捧げ続け、その際のもたらされる僅かな恩恵を一つの石に込めた国宝級の魔法石。それをあの時使われたってわけ。おそらくあのエルフの仕業ね……」
スレイスの口調に明らかに怒気が混じる。
そうか……あの時スレイスが拾っていたのはその魔法石。
「待てよ……ならあんたは神クラスの者だって言うのか?」
「元……だけどね。私あんまり昔話しをするのって好きじゃないのよぉ。だから気になるなら勝手に調べてちょうだい」
そう言うとスレイスの足元が光を放ち始める。
「さて、あなたの無事も分かったことだし、私はそろそろ帰らせてもらうわねぇ。私に助けられたってこと忘れちゃいやよぉ」
「……あぁ、いずれ借りは返すさ」
「うふふ、期待してるわねぇ」
ゆっくりと体が消えていくスレイス。
その間際、思い出したようにスレイスは口を開いた。
「あっ、そういえば王都から4大英雄を始めとする名のある勇者達に召集がかけられてるらしいわよ。近いうちに大規模な争いがあると見て間違いなさそうだし、あなた達も気を付けてねぇ、ばいばーい」
そう言い残して完全に消え去ったスレイス。
一人きりになった部屋で俺は静かに拳を握った。
「俺は……あの時から何も変わってない……」
ルサレクスでの一件で自分の未熟さは理解したはずだった。
しかし俺は力に支配され、自分を見失った。
今回ディルハンブレットを撃退できたのも結局はただ運が良かっただけだ。
このままではいずれ死ぬ。
俺だけじゃなく、ラミアや希沙良、そして他の仲間達も。
もっと力がいる。
仲間を守れるだけの力が──
 




