【零 壹】
僕の住むホテルには、一階にビュッフェ形式のレストランがある。
壁も床も焦げた茶色をしていて、あまり明るくないオレンジの照明もあり、店内はとても薄暗い。
薄暗いが、その代わりにかなり広く、沢山の人が入店できるようになっている。
また、店内に設置されているテーブルとイスは、シックな茶色で中々小洒落ていると個人的には思う。
メニューは日によって様々だけど、毎回決まってよく分からない料理が一品並ぶ(ちなみに僕はゲテモノ料理と呼んでいる)。
今日は『水餃子風味の熊の手ステーキ・エスカルゴソース仕立て 〜不気味なラズベリーの葉を添えて〜』だ。やっぱりよく分からない。
「先輩、こんなの誰が食べるんでしょうね」
と、そこで右手にパスタと唐揚げが載せられた皿を持った後輩が首を傾げながら質問してきたが、『ちょっと食べてみてください』と言いたげな目でこちらを見ながら質問してきたが、僕はあえて無視した。
その手には乗らない。前に言葉に乗せられて食べた『ピータンとドリアンの初恋シャーベット 失恋風味の胡椒の量はお好みで』以来、僕はゲテモノ料理は一切口にしないと決めたのだ。
「えー、つまらないです先輩。一口でいいんで、ちょっと味見してみてくださいよ」
そう言いながら、彼女は僕が持っていたまだ何も盛り付けられていない皿に、一口どころか十口はあるだろう量の熊の手ステーキを載せた。
言葉には乗せられてないのに勝手に皿に載せられた……。
「あ、春巻きありますよ先輩!春巻きは私の好物なので先輩は遠慮してくださいね」
自分の皿に春巻きを三つも四つも盛り付けていくマイペースな後輩。
彼女は【静樹 雫】。
僕がこの島に来た時から何かと絡んでくる、小説家を目指す一つ歳下の女の子である。
肩甲骨の辺りまで伸びている黒い髪はいつものようにポニーテールに束ねられており、今は出身校のものだと思われる青色のブレザーを着用していた。
ていうかスカートが短い。
なんでこんなに短くする必要があるんだろう。
それで下着を見られたら見た奴を非難してくる癖に。
女の子は、よく分からない。
「……これでよしっと。さ、先輩早く食べましょう、席は既に確保していますから。私、お腹空きました」
ようやく春巻きを盛り付け終えたのか、彼女がこちらを向いてそう言ってきた。
って、いつの間にか左手にも皿を持ってる……。
しかもその皿には春巻きしか盛り付けられてない。
そんなに春巻き好きだったんだ……。
「あっちです。あの窓側の席。テーブルに私のパソコンが置いてあるでしょう?あそこです」
言われた所へ僕は移動する。
移動する際、何人かの人にぶつかりそうになってしまったが、なんとか事なきを得た。
まだ午前の八時だけれど、結構人がいるものだなあ。
しかし、この中に熊の手ステーキを食べる奴はどれだけいるんだろうか、少し気になる。
「よいしょっと、じゃあいただきます」
席に座り、ご丁寧に両手の平を合わせて挨拶をして、彼女は唐揚げから食べ始めた。
いつもながら思うけど、平生の生意気な態度とは裏腹に食べ方だけは綺麗だよなあ。
まあ個人的には食べ方が汚くてもいいからもっと生意気な態度を改めて欲しいと思う。
「あ、そうだ先輩。今書いてる小説なんですけれど、あまり可愛げのないヒロインが泉に落ちてしまって、それを見ていない主人公が泉の辺りを見回していると、突然美しい女神が現れて『あなたが落としたのはこの料理のできる優しいヒロインですか?それともいつもゲームに付き合ってくれるアニメ好きでちょっとオタクなヒロインですか?』って尋ねてくるんです。そこで主人公が『いえ、私が落としたのはコンタクトレンズです』と言うと女神が『正直な人ですね。あなたにはこの料理ができて優しく、いつもゲームに付き合ってくれるアニメ好きでちょっとオタクなコンタクトレンズを差し上げましょう』と言って主人公にコンタクトレンズを渡してめでたしめでたしなんですけれど、どうですか?印税生活ができるほど売れると思います?」
売れないと思います。
なんというか、日替わりのゲテモノ料理と同じくらい、この子の書く小説はよく分からないな。
もっと普通のは書けないのだろうか。
ゲームの中に入って命をかけたバトルを繰り広げるようなやつとか、ものすごく強い能力を手に入れた主人公が大暴れするようなやつとか。
そもそも料理ができて優しくていつもゲームに付き合ってくれるアニメ好きでちょっとオタクなコンタクトレンズってなんだよ。
「分かってないですね、先輩。既に出尽くした感のある設定の小説を描いても面白くないじゃないですか。私は極度の天邪鬼なので、誰も描かないような小説を描きたいんです」
……女神が泉に落ちた物に対して落としたのはこの二つの内どれだと問うてくるのも、既に出尽くしてると思う。
そう呟いた僕に、「アレンジが大切なんですアレンジが」と後輩は膨れた顔になった。
どこにアレンジ要素があるのだろうか。原作とあまり変わらないような……。強いて言うなら落ちた物と女神から受け取ったものが完全に別物だということくらいだけれど。
「いいですか、私の小説に登場する女神はですね、名前をシュノーケルと言って実はバツイチなんですよ。これってアレンジになりません?」
作中に出さない裏設定を挙げられてアレンジと主張しても、一般大衆は納得しないと思う……。
ていうかバツイチって……その設定いらないだろ……。
それを聞いた後輩は、フォークにパスタを巻きつけ口に運ぶと、少しの間もぐもぐと咀嚼し、ごくんと嚥下してから僕にこう言ってきた。
「じゃあ先輩が何か良い設定考えてきてください。もし私が聞いて、いいなと思ったら今度好きなだけハグさせてあげます」