第一章 上 光財学園
数ヶ月後4月某日。
渓谷蒼は住宅地を歩いていた。
新品を思わす白色を基調にしたブレザー、襟と袖に深緑色のラインが入る、ネクタイは締めていない、ワイシャツも第3ボタンまで開きダラしなく着ている。
住宅地は直線的な舗装道路で枠組みされ道幅は広く左右には瓦屋根の屋敷が並ぶ、イメージして欲しいのは平安時代の優雅な街並み。
時代設定が平安時代?
蒼はやはり次元の狭間に迷い込んだ?
否
蒼が着ているブレザーは現代風、そして平安時代を思わす街並みは、上空から見ると街並みが変わる。
今現在、蒼のいる場所を上空から説明する。
上空7000メートル、人工衛星の残骸が大気圏に突入し流れ星に変わる……というロマンをぶち壊す感想は心の中に留め、宇宙から日本を視点に下降して行く。
ストップ。
上空6000メートル、日本を挟むように左側にはユーラシア大陸があり右側には太平洋、そして北アメリカ大陸がある、更に下降して行く。
ストップ。
上空5000メートル、小さく日本が見えると思う、そこからチラッとほんの少し右側太平洋に視線を向けて欲しい。
見えますか?
日本の平行線上、太平洋の中心にある『小島』。
面積は数字では無く比較で出すと、日本列島の四国とほぼ同じ大きさ、次はこの小島を視点にして下降。
ストップ。
上空3000メートル、小島全体が見える。
島全体を山脈が囲い、北側には富士山を思わす山がある。
こんな島は見たこと無い、地図にも無い、と思う方々が大半だと思う。
世界の法律が存在を隠す『名の無い島』、渓谷蒼はその島の住人だ。
ゆっくりと下降しながら『名の無い島』を見ていく、富士山を思わす山の周りには樹海、その樹海を抜けると草一本生えない荒地があり、島の5分の2が富士山を思わす山と荒地になる。名の無い島の住人は荒地を保護区と読んでいる。
広大な荒地の終わりには、自然保護をしているのか? と思わせる万里の長城のような建造物がある、長さは島の5分の2の保護区を囲い海まで続いている。
5分の2の保護区から視点を保護区外に移す、すると東西南北に4つの街がある、一つの街が一つの県とイメージして欲しい。
保護区寄りにある東•西•北の街、離れた位置にある南の街から簡単に説明する。
東の街『美岩街』
近代的なバベルの塔を思わすビルが中心にあり、周りにはビル群が建ち並び街全体が五角形になる、客観的に言うなら未来都市。郊外の山脈麓には五稜郭で囲う豪快な屋敷がある、裏庭にはブドウ畑。
西の街『古白街』
平安時代の優雅な街並み、中心には広大な敷地に権力を象徴する威風堂々の和風建造物、この街だけ時代が止まっているように感じる。郊外の山脈麓には桜と松で飾る大庭園を所有する豪快な屋敷、裏庭に一本の枝垂れ桜と茅葺き屋根の屋敷がある。
南の街『農化街』
田園•畑•ビニールハウス•放牧場、住宅地がまばらにある農村を思わす、しかし、中心地には不釣り合いな円筒闘技場がある。郊外の山脈麓には草木の生えない広い敷地を持つ茅葺き屋根の屋敷がある。
北の街『学慈街』
外界を遮断するように高い塀があり、堅く閉ざされた大門が東•西•南にあるのみ、塀の中は美岩街•古白街•農化街の3つの街並みが凝縮される。東にはビル群、西には優雅な街そして権力を象徴する屋敷がある、南には農村を思わす畑や放牧場、文化が混雑している街と言った方が正しく、街に合わせた数多くの学校や学園がある。
その中でも一番広大な敷地を持つ学校……いや、学園がある。
高い塀で外界と遮断する学慈街の中で更に刑務所のような強固な塀で遮断、東側•西側•南側にのみ大門があり、敷地内には石柱作りのコの字型になるゴシック宮殿。
校庭は広大で宮殿裏には一本の道がある、左側にはあらゆる競技場があり、右側には畑やビニールハウスそして放牧場、一本道の先には草原があり、強固な塀の更に先にある高い塀の上には、富士山を思わす山の中腹から頂上までを盛大に見せる。
このゴシック宮殿は『光財学園』、島の中で最も優秀な1000人の15歳が入学を許される学び舎だ。
蒼が現在いるのは平安時代の優雅な街並みを思わす住宅地の中、街は古白街では無く高い塀の中、学慈街。
そして、白色を基調にしたブレザーは光財学園の制服、蒼がダルそうに歩く先には光財学園の強固な塀と柵状の大門が見える。
『お兄ちゃん!?』
蒼の背後から届くソプラノ、いや、大量の鈴を鳴らした時のように耳に残る少女の声。
『入学式なんだから! 当主らしく背中伸ばして!!』
バンッ! と猫背になる蒼の背中を叩く、『お兄ちゃん』と言っているとおり蒼の妹だ。
身長は143センチ、前髪を蒼と同じくV字にカット、整えようとして挫折した癖毛のツインテール、笑み顔で覇気の無い蒼とは違い、秀才感があり幼さ残る可愛い顔立ち、服装は蒼と同色のブレザーにスカートをきっちりと着ている。背中にはアンゴラウサギが張り付いている? のでは無くリュックサックを背負う。
蒼は妹のテンションの高さに付いて行けず、ため息を漏らす、そしてリズムを刻むように前を歩く妹を呼び止める。
「茜?」
「どうしたの?」
癖毛のツインテールを揺らしながら振り返る。
「入学式は午後からだ、なんで午前中それも朝に登校するんだ?」
現在朝の7時、健康的な少年なら「もう30分」と言っている時間だ、現に蒼は「後4時間……」と注文を出していた、更に入学式は午後からになり現在朝の7時に登校しても何も意味は無い。
兄として遠足前夜のテンションを遠足終了後家に帰るまで持続出来るタフな妹に聞きたかった。
「学園に一番乗りして何処に何があるか見る!! 『当主』に恥ずかしくない行い!!」
「何処に何があるかなんて、パンフレットに穴が空くまで見てただろ」
「百聞は一見に如かず!!」
「ソレは百聞を読む事が出来るヤツが言えるセリフだ、百聞どころか一行も読めない俺は一見に命を賭ける、従って帰って二度寝する」
一見一命という持論を持つ蒼はアクビをしながら振り返る、しかし、百聞百読(百聞を100回読む)•一見百見(一見した風景を100回見る)という持論を持つ妹茜は……
「ダメェェェェェェ!!!!」
……と背中を向ける蒼の背中に飛び乗る。
対極的な持論を持つ兄妹、ある意味では凸と凹を補っているように思える、更に対極的なのは持論だけで無く性格も違う。
怒り心頭に蒼の耳元で叫ぶ、自分で作ったスケジュールやプログラムを一寸でも乱されればこの通りの怒り心頭、俗に言う自分ペースを強要してくる時刻表女それが渓谷茜だ。
「ダメェェェェェェ!!!!」
「わかった! わかった!」
面倒くさがりで飽きっぽい渓谷蒼だが、時刻表女の面倒くささには敵わない、鼓膜が破れる前に早々と諦める。
「お兄ちゃんは『当主』なんだから!? 自覚しないとダメ!! わかった!?」
二人の生まれ育った美岩街では渓谷兄妹をこう呼ぶ、『しっかり者の妹』と『ダラしない兄』。
ふと、疑問になる事がある。
入学式に同じ制服を着て一緒に登校している、二人はV字の前髪以外は見た目から双子では無い、蒼も童顔だが茜は中学生にしか見えない、更に疑問になるのが茜は蒼を『当主』と強調している、当主とは道場や土地など人の集まる所を護り継いで行く者が呼ばれる通称になるが……
「俺が親父の後に『美岩街の当主』を継ぐって言っても茜もだろ? 飛び級させて一緒に入学なんて立場ないぞ」
蒼と茜の父親は、近未来都市美岩街の当主、所謂、街の統治者になり、蒼は生まれながらに後継者ルートを歩いている事になる、だが、その安定した後継者ルートは光財学園入学を期に兄妹仲良く後継者ルートに変わった。
「お兄ちゃんが当主! 私は補佐!」
自分は当主では無いと話しを切る、問題なのはソコじゃないと言うように更に続ける。
「『四臣家』の一角である東桜臣家! お兄ちゃんはその名前に恥じない当主になるの! まずは学慈街で渓谷蒼ここに有り!! って見せる!! わかった!?」
「はぁぁぁぁ……めんどくせぇ」
深いため息と呟く一言にツインテールが顔面を連打、妹茜からの愛の鞭だ。
蒼の飽きっぽく面倒くさがりな性格が、兄妹仲良く後継者ルートの原因を作ったのは言うまでもない。更に言うなら半年前に一ヶ月間行方不明になったのが決定打になった。
『東桜臣』とは——
美岩街の統治者が名乗る名前になり、光財学園を卒業し美岩街の当主に襲名した際に、渓谷蒼から東桜臣蒼になる。
『四臣家』とは——
東西南北の街を統治する四家、西と南の二分家、島の頂点に立つ四家二分家の総称になり、東西南北の方位に『桜臣』の名を持つ一族だ。
そして各家が桜臣の名前と一緒に継いでいるのが『役割』になり、その『役割』は名前と一緒に世襲制で受け継がれてきた。
蒼はダルそうに首筋をマッサージしながら、ため息混じりに言う。
「美岩街は科学の街、東桜臣家の役割は科学と当主会の決定権、美岩街の統治者に求められるのは科学者としてのトップと科学的な観点からの判断、ますますめんどくせぇな……、第一に俺は研究をしてねぇって話しだ」
「お兄ちゃんはやらないだけで出来ない訳じゃ無い! それに!! お兄ちゃんがいるから私は研究が出来るの! そんなのいいから行くよ!?」
しっかり者の妹とダラしない兄が歩く事15分、目の前には一軒家が通り抜け出来る柵状の両開きの大門、堅く閉ざされている。
左右を見ても殺風景な強固な塀、曲がり角はどこだ? と思わす程に続く、柵状の大門以外からは敷地内は見えない。
閉ざされた大門から斜め前に視線を向ける、遠目に洋風建築の宮殿、光財学園校舎が見える。
光財学園校舎の外観は、コの字になる四階建ての石柱作り、東•中央•西に出入口があり、見るからに威風堂々としたゴシック宮殿、 屋上を見ると等間隔に凹型になり、大砲を置いたらコの字型の城砦を思わす。
蒼と茜はパンフレットで光財学園校舎を見ている、その規模も数字で見ている、2人の表情は無表情に近い、けして前日に盛り上がりすぎて、こんなもんか? という期待外れの無表情では無い、圧倒されていると言った方が正しい。
「…………。」
「…………。」
威風堂々な建ち姿に圧倒され言葉が出ない、百聞は一見に如かず、とはこの事、何よりも校舎までが——
「遠い、どれだけ歩かせたいんだ」
茜よりも立ち直りが早い蒼、大門から校舎までの校庭は野球場が3つは入る広さがある。
東•西•南の大門から続く石畳みの道、涼やかな人工芝、満開に咲く桜の花、撫でるように吹く春風は花弁と共に春の香りを鼻腔に運んで来る。
閉ざされた大門の中では、草木一本一本が入学生を待ち焦がれているようだ、と言えば風流に感じるが……
「マジで、めんどくせぇ、勘弁してくれよ」
毎日この距離を登校しなければならないと思うだけで憂鬱になる、登校する生徒の身になれば愚痴の一つや二つは言いたくもなる。
蒼は伝説を作る為なら森の中を一ヶ月とは言わず一年でも二年でも遭難出来る、だが、大門から校舎に行く道には石畳みの道と桜の木と人工芝、風流と言えば言葉は素晴らしいが蒼から見れば殺風景な校庭。
伝説に繋がるなら校舎へもウキウキ気分で行くが、校舎で待ち受けているのは後継者ルート、所謂、科学者としての渓谷蒼が歩む道、めんどくせぇ、と更に追加する。
面倒くさがりで飽きっぽい蒼には、百聞の研究を百回繰り返し、解明と立証が出来なければ万回繰り返す科学者など「めんどくせぇ」の一言。
深いため息を吐く、携帯情報端末で校舎を撮影し細かい場所を拡大している茜を見る、百聞百読•一見百見の茜にこそ後継者ルートを歩くに相応しい、と思っていると「んっ?」と背後に気配を感じる。
『やっぱりまだ開いとらんなぁ』
『はい』
不意を突くように耳に届いたのは、活発な少女を思わす関西弁、そして涼やかな風鈴を奏でたような少女の声。
蒼と茜は視線を180度変えて二人の少女を見る。
「開いとらんならしゃあないな」
関西弁少女が右手に握るのは抜き身の黒い刃と長柄の薙刀、身長が172センチの長身、殺気が籠る切れ長の目と整った顔立ち、背中まで伸びる茶髪には軽いパーマが入り、殺気さえなければ美人モデル、そして白色を基調にした深緑色のラインが入る制服は光財学園生徒の証、だが、ブレザーでは無く女袴。
「美礼さん、こちらの方々も、学園の生徒のようです」
ゆったりした独特な口調の少女、関西弁少女と雰囲気自体が対極、殺気はおろか活発さも無い、静かにその場にいると言った感じだ。
身長170センチ、背中まで伸びる長い黒髪を毛先20センチの位置で白いリボンで纏める、パツンと揃えた前髪の下にある目は閉じたまま、表情全体を見ると作られたように微笑んでいる、しかし、その顔立ちは10人いたら10人が綺麗と言い、100人いたら100人が美人と言う、それ以上の言葉があるなら少女を見た1000人が口を揃えて同じ事を言うだろう。左手に握るのは抜き身の白い刃と長柄の薙刀、関西弁少女と同じく女袴の制服に身を包む。
美礼と呼ばれる関西弁少女は殺気が籠る切れ長な目を蒼に向ける、そのまま視線を流し殺気を抑えて茜を見る。
「なんや? 自分等も学園を見に来たん?」
「は! はい!」
直立しながら答えるのは茜、「(こ! 古白街の女性! やっぱり綺麗! やっぱり美人!)」と心の中で感動しながら叫びあげるが、表に出している表情は緊張で引き攣らしている。
「……、私は松庭美礼や、こっちの子は桜庭礼実、今年から学園に入学や、自分等も朝早ように来とるし……今年から入学なんか?」
「は! はい!」
声を裏返さないで返事をするのがやっと、視線を泳がせ二人の顔をチラ見する事しか出来ない、泳ぐ視線の中で黒い刃と白い刃が入り、緊張した表情を驚愕させる。
「む! 村雨!! それ!? 白刃•村雨と黒刃•村雨ですか!?」
「そうやで」
「さ! 西桜臣家の本家と分家!? あっ!? 桜庭家と松庭家は西桜臣家だった!!」
「私が分家でアヤちゃんが本家やな」
「お願いします!! 村雨見せて下さい!!」
「ええで」
興奮する茜に坦々と答える美礼、見た目は入学式に出会った先輩と後輩、茜は飛び級なので年齢的には後輩で間違いないが、目の前にいる二人は蒼と茜と同じく『桜臣』の名前を継ぐ為に後継者ルートを歩く西桜臣家の本家と分家である。
蒼は、黒刃•村雨を受け取ろうとする茜の肩に右手を置き、静止する。
「茜、挨拶が先だ」
チラッと美礼を見る、身長差から見上げる形になっている。
殺気が籠る切れ長な目、茜に対しては緩まり抑えられているが蒼に対しては冷たく突き刺さす。
笑み顔は崩れる事は無い、しかし、切っ掛け一つで一触即発の雰囲気が二人にはある。
「あっ! ごめんなさい!」
茜は一触即発の空気に気付かない、美礼と礼実に対して深く頭を下げる、バッ! と頭を上げ二人を見上げると更に続ける。
「渓谷茜です!」
渓谷という苗字に美礼と礼実はピクッと目元を動かす、茜は気にする事なく続ける。
「年齢はお二人より一歳下になります! 飛び級し学園に通うことになりました! よろしくお願いします!!」
再度深く頭を下げる。
「東桜臣家長男、渓谷蒼だ」
茜とは違い、よろしくお願いします、とは言わない。
何故なら、東桜臣家と西桜臣家が四臣家として学園で出会う事は必然であり、四臣家としての役割がある以上、お互いに『よろしく』されるのは『お願い』されたりする事では無いのだ。
解りやすく簡潔に言うと、四臣家は一蓮托生、何かあればお互い様であり、よろしくお願いされる覚えは無い、という意味だ。
無言になる美礼と礼実、渓谷と東桜臣の名前を四臣家の二人が知らない理由は無い、茜のように表に出さないだけで内心では動揺している。
常に美礼の背後で静かに立っていた桜庭礼実はスッと静かに歩き出す、美礼よりも半歩前に立ちゆっくりと一礼、ゆっくりと頭を上げ微笑み顔を蒼に向ける。
「東桜臣家の御兄妹様とは知らず、大変失礼いたしました」
独特のゆったりとした口調で更に続ける。
「改めまして、桜庭礼実と申します、お二人に会う日を、楽しみにしておりました、なにぶん不勉強な修行中の身、失礼な行いがあるかもしれませんが……『よろしくお願いいたします』」
「(んっ? よろしくお願いします?)」
違和感を捉えたが表情には出さない、隣にいる茜は「よろしくお願いします!」と一礼しているが、茜がよろしくお願いしますと言うのと礼実が言うのとは大違い、大きく理由が変わる。
「(俺と同い年という事は第一子目、西桜臣家の後継者はこの二人だ、よろしくされる覚えは無い、
西桜臣家の役割である『秩序と教育』から考えても、二人が四臣家の役割を学んでない訳が無い、何かあるな……んっ?)」
ふと、自分に向けられる視線に気づく、相手は美礼、切れ長な目で見下すように蒼を見ていた。
「西の分家? どうかしたか?」
一旦考えるのを止めて美礼の棘のある視線を伺う、遠回しに聞かないのは蒼らしい、と言うより、東桜臣家と名乗った以上、言われる事は予想が出来ている。
「東の放浪息子は、家業の役割も考えんと遊び呆けて、妹に当主の重荷を背負わすアホや、と聞いとったからな、どんなもんかと思ったら、どうもせん男やなと思っとったところや」
「そうだな、出来た妹がいると兄は立場が無い」
辛口に毒を吐く美礼に対して、笑み顔であっさりと返す、東桜臣家のダラしない兄としっかり者の妹は美岩街では有名な話しになり、何かある度に噂話にもなる、四臣家の耳にもその噂話は届いている事は明白、今更蒼が気にする事では無い。
噂話の例を上げたら——
半年前の茜の通り名は『研究をしない兄のゴースト科学者』だった。
蒼がまったく研究をしなく茜が研究熱心な為、『ダラしない兄がしっかり者の妹のヒモになり、おんぶに抱っこになっている』、という噂話が流れてしまった。
そして、現在の茜の通り名は『兄殺しの狂科学者』。
蒼が遭難し行方不明になった半年前、ダラしない兄を矯正する為にしっかり者の妹は人体実験を強行、そして薬物投与に失敗し兄を殺した、という噂話が流れる。
蒼は無事に帰って来たのだが、もしかしたらクローンではないか? と蒼や茜の知らないところで囁かれている。
だが、研究をしないダラしない兄は帰って来た後も研究をしない、『クローンなら研究をする優秀な兄にするはずだ、クローンでもダラしない兄しか作れなかったのか?』、とダラしない兄はクローンになってもダラしないと囁かれている。
東桜臣家の史上に着々と黒歴史を作る蒼、後継者ルートが閉ざされてもいいレベルだが、島には『第一子制』という法律があり、第一子目が家業の後継者である、というのを決められている。
美礼は蒼を見下す切れ長な目を横に逸らしてため息を吐く。
「美礼さん!?」
興奮気味に美礼を呼ぶのは茜、兄の不名誉な噂話に呆れていると思い、更に続ける。
「お兄ちゃんは誤解されているだけです! 表立ってやらないから評価をされないだけなんです!」
真っ直ぐに美礼を見上げ拳を握る。
美礼はチラッと蒼へ視線を戻す、妹に何言わせとんねん? と毒を吐きたいところだが、気を使うように茜に視線を向け真剣に自分を見る茜に合わせて目元を緩める。
「そうやな」
一言、茜の求める返答を言う事も出来るが、そんな社交辞令を言ったところで意味は無い、茜から視界を逸らすように大門に移す。茜は、今後ゆっくりと誤解を解決して行けば良いと考える。
美礼は、黒刃•村雨の長柄で肩を叩きながら歩を進める、柵状の大門を正面にすると中心を上から下へと見ていく。
「とりあえずアレやな、門が開いとらんなら仕方ないな」
「違う門から見ますか!?」
アンゴラウサギのリュックサックから、穴が空くパンフレットを出す。
「南門からだと学園を正面に見れます!」
「正面で見るんやったら中で済ませたらええやろ」
「中で?」
頭に? を浮かべる茜、クルクルと回る黒刃•村雨を視界に入れた瞬間、嫌な予感が湧き出てくる。
美礼はニヤッとしながら茜を見ると、黒刃•村雨を両手で握り、大門に対して身体を正面に右構えになる。
「あ、あの、美礼さん……」
黒刃を振り上げると顔だけ茜に向ける、「茜ちゃん? 見とくんやでぇ」と言い、正面に向き直ると同時に、大門の中心に向け縦一線に黒刃を振り下ろす。
スパンッ!?
金属音では無く、発泡スチロールを切ったような音が耳に届く。
茜が見る柵状の大門は金属、露出はしていないが鍵も金属、斬れた跡も無く、凹んだ跡も無い、大門は堅く閉ざしたままだ、「あれ?」と頭に? を浮かべるしかない。
「まぁまぁやな」
と言う美礼は満足した表情になり黒刃•村雨の柄頭をカツンと地面に付ける。
更にゆっくりと右膝を上げ片足立ちをする、ズガン!! と大門に向けてケンカキック、一軒家が通り抜け出来る大門は勢いを余すように両開きに開く。
大門の鍵を斬りケンカキックで大門を開ける器物破損、我が道を塞ぐ障害があれば黒刃が唸る、と言わんばかりの暴挙。
見とくんやでぇと言われた茜は、この暴挙を予想が出来た、予想が出来た行動だが金属製の鍵が斬れるとは思わなかった。驚愕と困惑が混ざった表情を浮かべているのは、科学者として金属製の施錠を斬った現実を受け入れられ無いからだ。
しかし、茜以上に驚愕と困惑を浮かべている人間がいる、暴挙を働いた本人松庭美礼だ。
プルプルと指先を震わせ、唸りを上げる大門に指を差す。
「な、なんか、開いたで……?」
ワザとらしく感じる表情、棒読みに近い口調。
切れ長な目に殺気があり、危険人物を思わす美礼だが訛りのない島で関西弁を使い熟す、所謂、お笑い好きだ。茜からのツッコミを待っている。
「せ、鍵を斬って蹴ったように見えましたが?」
ツッコミよりも真実の解明を優先してしまう科学者の性、そもそも器物破損、笑える現実では無い。
「……、」
科学者の街で育った人間にはツッコミは無理やったか、というのが本音だが口には出さず心に留める、表情を無表情にすると遠い空を眺める。
「私は素振りをしただけや、誰かが鍵を斬ってたんや、優しく手を添えたら開いたんや」
「優しく手を添えたら、ですか?」
「そうや、茜ちゃんも見とったやろ?」
「……。」
「そういう設定や」
「設定ですか……」
無表情で遠い空を見上げる美礼からの偽証の強要、空返事しか返せない。
島の中でも、古白街の民は作法や礼節を特に弁えている、島の歴史を街全体で継いでいると言った方が正しい、そして島の『秩序と教育』を護る役割を家業にしている西桜臣家の膝元にもなる。
西桜臣家の役割を簡単に説明する。
西桜臣本家が古白街の当主となり、西桜臣分家と共に島の『秩序と教育』を護る、そして、西桜臣家にはもう一つ役割がある。
【西桜臣家の者は西桜臣家の者を護る。】
『美礼の背後から前に出る事が無く』
『自分から名乗ろうともせず』
『会話も美礼に任せていた』
桜庭礼実を護るのが美礼の役割になり、本家を分家が護るという絵図では無く、『とある事情を抱えた西桜臣家の人間を同じ西桜臣家の者が護る』という役割もある。
二人の代の西桜臣家では、美礼は秩序と教育を乱す人間を裁きながら、礼実を護る立場になる。
その美礼が、器物破損と偽証、茜は四臣家として島の民として信じられないでいた。
そして自分の中にあった古白街の女性のイメージもガラガラと崩れる。
兄殺しの狂科学者と言われる茜も女である、古白街の優美な女性に憧れる、その度合いは古白街の女性を特集する雑誌を買い漁る程に憧れている。
そして、古白街を統治する西桜臣家は民の代表、作法や礼節を誰よりも極め、その立ち振る舞いは見ているだけで男女問わず見惚れてしまう、ただ立っているだけの桜庭礼実のように。
だが、美礼は…………
「アヤちゃん! 見てみぃ! 良い具合に満開になっとるで!」
……と言い放ち、スパンッ! と桜の枝を切る、既に校庭に入り伐採、いや、器物破損を重ねている。
茜が憧れる女性像古白街の女性に対してのイメージが美礼によって次々と崩されていく。
美礼に呼ばれた礼実は歩を進め校庭に入って行く、桜の枝を受け取り、「良い枝加減ですね」と美礼を叱る事はせず肯定している。
「お、お兄ちゃん? 西桜臣家は……」
「島の秩序の番人だ、法律以上に厳しい『秩序と教育』で島の民を護るのが西桜臣家の役割、の筈だが……」
満開に咲く桜の木を見ながら、校庭を我が物顔で歩く美礼と礼実を視線で追う、笑み顔の額から一滴の汗を流しながら更に続ける。
「分家を見る限り今までの西桜臣家の『秩序と教育』では無い、本家もソレを否定していない、聞いてる話しと違う……(違和感が更に上がった、警戒した方がいいな……)」
「四臣家大丈夫かな?」
不安を言葉に出す茜、西桜臣家の『秩序と教育』は簡単に言えば抑止力、その抑止力が乱れれば訪れるのは混沌。
法律が秩序を作るのでは無く、教育を受ける人間が『その教育に添うように人間性が出来上がり、法律を守る人間が出来上がる』、法律は秩序と教育を元に出来上がると言ってもいい。
混沌とは大袈裟な言葉では無く、平和ボケした国と内戦を繰り返す国のように『秩序と教育』がほんの少し変わるだけで法律が意味の果たさないモノになり、殺人さえ肯定する混沌という事象が起こる。
その秩序と教育を護る西桜臣家が、大門の鍵を斬り不法侵入、秩序には法律のような大小ある刑罰は無く、教育には自分だけ良いという身勝手は無い、『常識や良心』が自分を律する事で秩序が保たれ法律が守られる、その自分を律する教育をするのが西桜臣家になり、名の無い島の住人の模範者が西桜臣家になる。
今の美礼の行動は蒼や茜から見たら有り得ない、としか言いようが無い。
「茜?」
「?」
「東桜臣家として動くぞ」
「!」
「俺が間違えた答えを出したとしても、それが俺の答えだ、茜は茜で出した答えを貫け、『東桜臣家の答えが四臣家の答え』だと言うのを忘れるな」
「うん、わかった」
『茜ちゃぁぁぁぁん!?』
茜を呼ぶ美礼の声が届く、視界を向けると手を振っている、その背後には教師らしき2名の男性と女性がいる、「見つかった!!」と内心では叫んでしまう。
『見て回ってもええみたいやでぇ!!』
うそ!? 鍵は!? 切った桜の枝は!? 器物破損と不法侵入じゃないの!? と困惑する。
「茜? 考えても仕方ない、どのみち門を潜れば『無法•無秩序』、実力のみが正しいのが光財学園、
親から学んで来た教育を学慈街で更に学び、法律や秩序とは違う朱の常識をどれだけ守れるかを選別する場だ、
自分が四臣家であり東桜臣家というのを忘れるな」
意味深なワードを含ませながら歩を進める蒼、後に続く茜、抜き身の薙刀を平然と持ち歩く美礼と礼実。
『実力のみが正しい』には実力主義という名の武力や知力が含まれ、『生まれてから親から学んできた教育』には『朱の常識』という法律や秩序を越えた常識が含まれる。
光財学園に入学する生徒は毎年1000人、その中で卒業が出来るのは300人にも満たない。
その300人は島での経営権を与えられ、家業を継ぎ、勝ち組になる。
光財学園に入学する時点で、その年の同年代の中では勝ち組になり、卒業者は社会の勝ち組になる資格を得る。
『便利なモノには必ずリスクが有る。』
『便利な権利を使う人間には必ず責任が有る。』
命を天秤に乗せ、リスクを負い、責任を学ぶ、それが光財学園であり、学慈街。