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朱の足跡 fast contact  作者: 有知春秋
ミルク編
1/19

ネギを握る幼女のお持て成し

ミルク編を10万文字前後で完結させてます。

皆藤愛沙編も10万文字前後で完結させてます。

一話一話にボリュームがあります。だいたい10000文字前後かな。

時間がある時に読むのをオススメします。

只今、文章力を鍛えるために座敷童のいち子を執筆中、朱の足跡fcの執筆を止めてます。

 

『ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!』

 甲高い幼女の絶叫が響き渡るのは日差しも入らない薄暗い森の中。

『いだぁあぁぁぁあぁぁぁあ!!』

 絶叫が悲鳴に変わっても深い森の中では幼女を視界に収める事は出来ない。

「人の、声?」と呟くニヤけ顔の少年は安堵を表情に出し「助かった」と漏らす。

 幼女の悲鳴に安堵して助かったと漏らした時点でどんな悲惨な境遇で育っているんだ、と疑問符が浮かぶところだが少年の風貌を見れば納得してしまう。

 V字の前髪以外はボサボサに乱れ、着ているスウェットは所々が破けてスニーカーも汚れて穴が空いている。

 見た目から解るとおり。

「遭難して一ヶ月、死んだ事にされてないだろうな」

 V字前髪の少年は絶賛遭難中だ。

 絶叫であれ悲鳴であれ一ヶ月振りの人の声に安堵してしまうのは仕方がない。

 いや、仕方がないと言ってしまうと同情が出てしまうため訂正させてもらう。

 少年が背中に背負うのは風来坊が持ち歩いてそうな布袋(ぬのぶくろ)のみ。

 スウェットに布袋の軽装備で日差しも入らない森の中を歩いてる時点で、人生ごとなめきっている。遭難はなるべくしてなったと受け取った方が良さそうだ。

 少年の名前は渓谷(けいこく)(あお)、絶賛遭難中なのは高校入学を前に何か特別な事を自分は出来る……いや、修業して伝説の男になると思春期特有の残念病(俗に中二病)が再発し今に至る。病状具合は完治に程遠い。

 幼女の悲鳴が小さくなりピタッと止まる。

「まずい!」

 渓谷蒼は悲鳴を頼りに歩を進めていた。その悲鳴が無くなれば待っているのは遭難の再来、湧き上がる動揺を抑えながら幼女の声がした方向に走る。

 しかし、ここは日差しも入らなければ道も無い森の中、生い茂る雑草の影に隠れた木の幹に足を取られ、盛大に転がる。

「いってぇなぁ……」

 ふと地面を見ると、生い茂る雑草の中にも不自然に踏み固められたような道があった。

「……獣道?」

 人間の視界からでは生い茂る雑草にしか見えなくても、自分が歩いてた場所は獣道だったというのはよくある話だ。しかも、この獣道は幼女の声がした方向に続いている。

「よっしゃ! よっしゃ!」

 獣道と幼女の悲鳴というワードが続けば幼女が獣に襲われたと解釈して危機感が生まれるところだが、蒼の脳内では獣道が光の道に変換されているため二足歩行を忘れて四足歩行で喜びながら走る。

 徐々に整っていく獣道を進み、木と木の間から差し込む光に割って入る。

 薄暗い森の中から脱出すると日差しが目に入り、目が慣れるのに数秒の時間を必要とした。

 蒼が薄目で見た風景はテニスコート四面分の広場。

 広場の中心には二メートルの吹き抜け基礎と開放的なベランダがある山小屋。避暑地のログハウスをイメージしてほしい。

 日差しに目が慣れた蒼が視線を向けた先には悲鳴を挙げていたであろう二歳、推定三歳ぐらいの幼女。

 長ネギを天に掲げながらちょこんとベランダの手摺に座る。

 甘ったるいハチミツ牛乳の匂いがしてきそうな可愛い幼女だが、その風貌は時代錯誤もいいところまで悪化している。

 現代では少数派になったオカッパ頭からは一つまみ分の癖毛がピョンと伸び、服装は絶滅寸前のモンペ、長袖シャツの上に腹巻を装備した姿は昭和臭しかなく下駄(げた)が更に時代の逆行を進めている。オシャレポイントは首から下げた大きな御守り【大判振舞】と刺繍がされている。

 現代が戦時中なら飴をあげたくなる可愛い幼女だ。

 一ヶ月間の遭難から獣道を抜けて広場に出たら戦時中を思わす幼女、一般人なら田舎の子供だと解釈するが蒼は違う。

「じ、次元の狭間に迷い込んだのか」と言いながら驚愕した表情を作る。

 思春期特有の残念病はやはり完治には程遠く、一ヶ月間の遭難さえも明日には冒険だと言ってそうだ。

 オカッパ幼女は天に掲げた長ネギを見ながらヨダレを垂らし「ネギじゃぁ」と大好物だと言わんばかりに目をキラキラと輝かせる。

 蒼は天に掲げた長ネギを木の枝という名の伝説の剣だと思っていたため、思わず「ネギ?」と口に出してしまう。

「むむ! 誰じゃ⁉︎」

 蒼に気づいたオカッパ幼女はクリクリの可愛い目を警戒するように細くしてジッと見詰める。

「よ、よう。森で迷ったんだ。親はいるか?」

 蒼は戸惑いながら言葉を繋げたが一秒……三秒……五秒と無言が続き、額から気持ちの悪い汗が湧き出てくる。

 一○秒に差し掛かった時にオカッパ幼女に変化が現れる。

「む、むむ、むむむ」

 長ネギに向けていた視線と同じぐらいのキラキラとした視線を蒼に向けた。

「俺はネギじゃないぞ……」

 今度は蒼が警戒してしまう。

 その瞬間——

「客人じゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 木々の葉を揺らしながら風に逆らって森の中に響き渡る大音量。

 蒼は咄嗟に耳を塞ぐ。

 大声を封印された都会っ子とは一味違うのが田舎っ子、こんな深い森の中に住んで時代を逆走した田舎っ子にもなれば一味どころか二味三味を越えて七味ほど違う。

「うおっ⁉︎ あぶねぇ!」

 蒼は地面を蹴って走り出すが既に手遅れ。

 オカッパ幼女は地面まで二メートル強はある高さから飛び降り、着地と同時にズダダダダダっと走り出す。

 その身体能力は推定三歳とは思えない。

 蒼がもつれる足を直すとオカッパ幼女は長ネギを向ける。

「持ってるんじゃ」

「足、大丈……夫」

 言葉を待たずにオカッパ幼女はログハウスに向けて走り出し、ベランダに上がる階段を素通りして吹き抜けになった基礎に入って行く。

 ほどなくして金属を叩く音とその音が狭い空間に籠っているような雑音が耳に届く。

 吹き抜け基礎の奥から現れたのはドラム缶。

 そしてオカッパ幼女の右手には縄でまとめた(まき)、左手には縄が緩んだ弓の形をした道具もある。

「待ってるんじゃ」

 オカッパ幼女は蒼に笑顔を向けながらドラム缶をサッカーボールのように蹴る。

「足は痛くないのか?」

 ドラム缶の転がる雑音が勝ってオカッパ幼女の耳には届かない。

 見た感じ痛そうにもしてなく、二メートル強から飛び降りた身体能力やドラム缶を蹴る脚力から総合的な肉体の強さが一般的ではないと予測できる。

「大丈夫な方の遺伝体質か……」

 蒼はオカッパ幼女を理解したように自己完結して、動向を見届ける。

 ログハウスの階段前にはドラム缶よりも幅が一回り大きな円形の石枠がある。

 形状は屋根の無いピザ釜をイメージしてほしい。

 何かの役割があるのかはわからないが、空気穴兼蒔投入口を半円を描くように10センチ程の石で囲っている。

 オカッパ幼女は石枠の横にドラム缶を寝かせると縄でまとめた蒔を降ろし、弓の形をした道具も降ろす。

「待ってるんじゃ」

「あ、あぁ」

 何が起こるんだ? 焚き火か? と思いながら見守る。

 案の定、縄でまとめてあった蒔を石枠の中で組み立てて『焚き火』の準備をする。

 だが、都会っ子蒼の予想はここまで。

 オカッパ幼女は腹巻に挟んであった四○センチぐらいの棒を取り出し、弓の形をした道具を手に取って緩んだ紐に棒を絡ませる。

 地面に座り込んで厚さ三センチほどの蒔を一本手前に置くと、木屑をパラパラと蒔に落とし『ヒモギリ式』で火種を作り出す。

「ふんぬぅぅぅぅ、ふんぬぅぅぅぅ」

 腕を上下に振るたびに紐に絡まる棒が唸りをあげて高回転する。

「ま、マジか……」

 オカッパ幼女のヒモギリ式に衝撃を受け、

「この幼女、只者じゃねぇな」

 思春期特有の残念病を患う蒼でも、現代でヒモギリ式を実行する幼女には感服するしか無いようだ。

「ふんぬぅぅぅぅ、ふんぬぅぅぅぅ、ふんぬぅ……、!」

 チリチリと煙が出ると素早く弓の形をした道具を置いて木屑をパラパラと火種に載せる。小さな両手で火種を包み込むと顔を真っ赤にしながら「ふぅ! ふぅ!」と何度も息を吹きかけ火種を大きくする……が。

 ふっ、と小さな火種は消えてしまう。

 ヒモギリ式という重労働を顔を真っ赤にしながら頑張ったが、訪れたのは心にポッカリと穴が空く現実。

 しかし、ここで諦めるのは甘ったれた都会っ子。

 見た目から戦時中のハングリー精神が(ほとばし)るオカッパ幼女は負けじと再挑戦する。

 だが、先程と違い少しムキになっているようだ。そこがまた可愛い。

 ヒモギリ式は一般家庭では絶滅し、気合いの入ったアウトドア好きがキャンプでするぐらいだ。そんなアウトドア好きも、私生活ではヒモギリ式を取り入れていない。居たとしても極少数だ。

 見た目も私生活も時代を逆走するオカッパ幼女を蒼は心の底から微笑ましく思ってしまう。

「焚き火をしたいのか?」

「ワタキはパパみたいに上手く出来ないんじゃ」

 顔を真っ赤にしてムキになりながら語を繋げる。

「待ってるんじゃ」

「…………」

 (おとこ)•渓谷蒼一五歳、推定三歳の可愛い幼女がヒモギリ式を貫く姿、その意思の強さが胸にズドンと響き、感動する。

 ここで手を貸さないのは(おとこ)ではない、いや、アレを見せないわけにはいかない。

「よし、良いものを見せてやる」

「?」

 頭に疑問符を浮かべたオカッパ幼女は手を止める。

 蒼はニヤけ顔を向けながら布袋を地面に降ろし、紐を緩めて開く、中から四角い薬ケースを出して蓋を開くと赤色•黄色•黒色•青色のカプセルが入っていた。

 その中から青色のカプセルを取ってプチッと潰し、石枠の中で組まさる蒔の中心にポイッと投げる。

「これで火がつくぞ」

「????」

 五秒ほど時間が経過したが何も起こらない。オカッパ幼女は石枠から視線を移し、頭に疑問符を浮かべながら蒼を見上げた。

 すると、石枠の中からパチパチパチパチという音が鳴り出す。

 オカッパ幼女が視線を石枠に戻すと徐々に煙が出始め、数秒経たずにボッボッボッと火が上がる。

「なんでじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 未知との遭遇に衝撃を受ける。

 蒼はオカッパ幼女の反応に嬉しくなり、右手に握る長ネギを燃え上がった炎に向け、決め顔に左手を被せた決めポーズをする。そして残念病丸出しに言い放つ。

「魔法だ‼︎」

「ま! むむ⁉︎ まぼ???」

 興奮していたオカッパ幼女はピタッと止まり、頭に疑問符を浮かべ、

「まぼだってなんじゃ?」

「…………」

 魔法を信じる以前の問題、オカッパ幼女には魔法という知識はおろか存在さえも知らない。

 そもそも魔法では無い、青色のカプセルに入った着火剤が蒔に付着し化学反応を起こして火を出す混じりっ気なしの科学。

 オカッパ幼女の純粋な瞳に見つめられた蒼は一気に恥ずかしくなり、炎に向けていた手を口元に置いてワザとらしくゴホンと咳をする。

「ま、まぁ、アレだ、魔法は大人しか使ったらダメなんだ。子供にはまだ早い」

 苦し紛れの言い訳だが、カプセルを潰しただけで木材を発火させる代物は子供の手の届かない場所で保管して下さいの危険物だ。

「むむ! ワタキは5歳じゃ! 時代が時代なら成人じゃ! 青い豆はどこにあるんじゃ⁉︎」

 カプセルを知らない子供から見れば青いカプセルは青い豆に変換される。

(コレはマズイ!)

 悪影響を与えてた事に気付く。

 蒼から見たオカッパ幼女の目の輝きは食べたら火を吹ける妄想までしている。

「豆じゃない、毒物だ。絶対食べるな。絶対触るな。この魔法は封印だ」

 薬ケースの蓋を閉めて布袋の一番奥に封印、羨ましそうにそして不満気に見てくるがこの魔法(カプセル)は時代を逆走したオカッパ幼女には危険極まりない。

「んっ? 五歳?」

 オカッパ幼女が五歳と言っていたのを思い出す。

 改めてオカッパ幼女の三頭身を抜け出たばかりの体型を見たが、何度見ても三頭身からやっと抜け出した二歳、推定三歳にしか見えない。

「二歳、三歳ぐらいじゃないのか?」

「五歳じゃ! ワタキは五歳なんじゃ!」

 鼻息を荒くして反抗期全開になる。

「そうか、悪かったな」

 蒼は背伸びをしたい年頃だと思うことにして『五歳設定』で話しを進める。

「五歳は時代が時代なら成人かもしないけど現代ではまだ子供だ。それに魔法は一五歳からだ。絶対触るな。絶対食べるな」

「むむぅ、世知辛い世の中じゃのぉ」

「ところで焚き火をしてどうするんだ?」

 魔法から話しを逸らす、と言うより本題に戻す。

「ワタキとしたことが!」

 思い出したと言わんばかりにドラム缶に抱き着く。

 三頭身を抜けたばかりの小さな身体では抱き着いたように見えるが、体格の数倍はあるドラム缶を起こして軽々と持ち上げている。

 蒼は『大丈夫な方の遺伝体質』ならコレぐらいはできると思っているため、ただただ動向を見守る。

 ドラム缶を石枠の上に載せたオカッパ幼女はログハウスの方向に振り返り、吹き抜け基礎に走って行く。

 ログハウスの下には消火栓を思わすパイプがあって(へび)(とぐろ)のように巻かれたホースが繋がる。

 パイプの付け根にはレバーがあり、小さな手でホースの先端を握るとレバーを横向きから縦向きに捻る。

 (しぼ)んでいたホースは膨らみ、ホースの先端からジャバジャバと湯気立つお湯が出る。

 オカッパ幼女はドラム缶まで一直線に走り、ホースを伸ばしてドラム缶にホースの先端を投入……しようとしたが身長が足りなく届かない。

 蒼はここにきてオカッパ幼女のやりたかった事がわかり、ホースを掴んでドラム缶に投入する。

「風呂か?」

「温泉じゃ、客人は持て成すんじゃ」

「マジか……、一ヶ月も山の中を彷徨ってたから水浴びしかしてないんだ。ありがてぇ」

「入るんじゃ!」

 蒼はオカッパ幼女に長ネギを返し、布袋からスポンジ•頭髪用洗剤•ボディソープの三点セットを出す。湯加減を確かめつつドラム缶に三点セットを投入。

「いい湯だな。……よし」

 お湯から手を抜くとドラム缶から溢れたお湯で布袋が濡れないように階段に置く。

 オカッパ幼女はトコトコと蒼の後について行くと布袋の隣に長ネギを置く。そのまま階段を上がって行き、玄関前から洗濯板が入ったタライを持ってくる。

 目を輝かせながら蒼を見上げた。

「洗濯じゃ、服を入れるんじゃ」

 タライを蒼に向ける。

「それもお持て成しってやつか?」

「そうじゃ」

「洗濯は自分でや……」

「ワタキがやるんじゃ! お持て成しするんじゃ!」

「お、おう、わかった」

 強引に押された形でスウェットをタライに入れると「よし、魔法を一つ使わせてやる」と言い、布袋から薬ケースを出して黄色のカプセルを取り出す。

「コレは食べたらダメだが触っても大丈夫な魔法だ」

 先程のように説明をおろそかにしない。

「どんなまほうじゃ?」

 タライを地面に置いて蒼を見上げる。その目は期待が膨らんでキラキラと輝く。

「アワアワの魔法だ。生まれた泡はもちろん食べられない。食べないのを約束出来るな?」

「うむ」

 蒼はドラム缶からホースの先端を出してタライにお湯を入れる。半分ほどお湯が溜まると黄色のカプセルをプチッと潰してお湯に落とす。

 カプセルは数秒経たずに溶けた。

「手を入れて混ぜてみろ」

「むむ」

 タライに小さな手を入れて掻き混ぜる。すると、繊維の細かい白い泡がモコモコと浮いてくる。

「洗剤じゃ! 豆洗剤じゃ!」

(洗剤は知ってるんだな)

 オカッパ幼女の逆走する時代は水洗いのみの時代に行き着いてなく、少し残念な気持ちになる蒼だった。

「豆でなくカプセルだ。洗剤を封印した魔法だ」

「まほう、カプセリュまほうじゃな」

「カプセリュじゃなくてカプセルだな。とりあえず……」

 トランクスを脱いで布袋の上に置く。

「パンツもじゃ!」

「パンツは自分でやる」

「ワタキがやるんじゃ! ワタキが洗うんじゃ!」

 オカッパ幼女という鬼気が蒼に迫る。

 引き下る気配が微塵も無く『お持て成しの押し売りは相手に罪悪感を生ませるぞ』と教えてあげたい。

(言ったところで引き下がらないだろうな……それに————)

 蒼には別の心配もある。

「まぁ、いいか」

 早々と諦めた方が反抗期を悪化させないと感じ取り、泡に占領されたタライにトランクスを入れる。

 ドラム缶風呂に入ると蒼の体積分の温泉が溢れ出る。

 ふと、火が気になりドラム缶の下を見る。

 石枠の蒔投入口にはお湯が入らないように角度が作ってあり、更に地面に流れ出たお湯も蒔投入口から入らないように10センチ程の石で囲ってある。

 石枠の中にはお湯が入って行かない。良く出来た作りだ、と感心する。

 一安心した蒼は一ヶ月振りの風呂に気持ち良さが声となって湧き出る。

 お湯を両手で掬い取り汚れた顔を洗う、緑陽香る大自然の空気を鼻から吸い込み、出る言葉は。

「かっはぁぁぁぁぁ! 気んっ持ちいいなぁ!」

「湯加減はどうじゃ」

 蒼の気持ち良さが嬉しく目を輝かせる。

 しかし、目の輝きとは裏腹に泡がモコモコと増えるタライの中では、洗濯板で洗うスウェットがビリッビリッと不吉な音を鳴らしてる。

(予想通り破いたな)

 別の心配が的中、だが、替えのスウェットも布袋に入っているので小さな事は気にしない。

「ちょうどいいぞぉ」

 内心ではダメージジーンズのスウェットバージョン、ダメージスウェットを作っていたつもりでいた蒼だった。

 オカッパ幼女が洗うダメージスウェットは「けっこういい感じじゃね?」と個人的に思っている一品だったのだ。諦め半分に更なる進化をオカッパ幼女が与えてくれると期待するしかない。

「ワタキのお持て成しはどうじゃ?」

 ビリッビリビリッと声の大きさに比例した破きっぷり、嬉しさが勝っているためまったく気付いていない。

(おっ、思いっきりいったな)

「最高だ」

 推定三歳の洗濯、それも洗濯板。トランクスは別としてもダメージスウェットとスニーカーは練習には丁度いい。

(コレで進化したダメージスウェットが出来上がれば万々歳だな)

 と思っていると不意に会話の進路が変わる。

「お前の名前はなんじゃ!?」

「んっ? ……うおっ! そういえば言ってなかったな」

 出会った矢先に長ネギを渡され、ヒモギリ式を見せられ、ドラム缶風呂を用意され、確かに自己紹介をする暇は無かった。

「蒼だ、美岩街(びがんがい)生まれ美岩街育ちの渓谷蒼だ」

「アオじゃな。ワタキはミルクじゃ」

「ミルクか。わかった」

 蒼はオカッパ幼女ミルクの見た目から(花子とか節子じゃないんだな……)と思いながら頭髪用洗剤を手に出して頭を洗う。

 ホースから出るお湯で泡を落とすと「ぷはぁ」と気持ち良さ全開に声が出る。

 そんな蒼を羨ましそうに見ていたミルクは「ワタキも入るんじゃ!」と返答を待たずに衣服を脱いで階段に向けて投げる。カボチャパンツだけヒラヒラと風に乗って見事に階段三段目に着地。

 ミルクはドラム缶風呂の端を掴んでよじ登る。

 蒼は手を貸そうとしたが「自分で出来るんじゃ!」と強く言われので出した手を引く。慣れたようにドラム缶風呂に入り、蒼に背中を向けながらドラム缶の端を掴み「ぷはぁぁぁぁぁ」と蒼の真似をする。

 蒼はホースの先端をミルクに向けてオカッパ頭にお湯をかける。

「よぉし、頭を洗ってやる」

「むむ!」

 強がる間も無くオカッパ頭に手を添えられ泡立てられる。グッとドラム缶の端を掴む手に力が入り、小さな身体を硬直させる。

「どうしたんだ?」

 蒼は頭に疑問符を浮かべる。

「アオ、痛くないのか?」

 ミルクには似合わない暗い表情になっている。

「んっ? あぁ……」

 痛くないのか? という発言の意味を蒼は理解している。理解しているから泡立つオカッパ頭で変な髪型を作りながら気楽に言う。

「このとおりミルクぐらいの力なら大丈夫だぞ」

「本当か?」

「嘘言ってどうする?」

 推定三歳が二メートル強の高さから飛び降り、着地後と同時に走り出す。

 (カラ)とはいえドラム缶をサッカーボール感覚で蹴り、失敗はしたがヒモギリ式で種火を作る。

『大丈夫な方の遺伝体質』とは異常に強い肉体を意味しているのだ。

 暗い表情のまま森を眺めるミルク、その手はドラム缶の端を強く握って離すことは無い。

「よぉし、泡を落とすぞぉ、目を瞑るんだ」

「むむ!」

 強く目を瞑る。

 ホースの先端から出るお湯が泡を流してる間、ミルクはグッと目をつぶり、ドラム缶の端から手を離さなかった。

 泡を流し終わると右手で顔を拭きながらチラッと蒼の方に振り向く。

「アオ、感謝じゃばばばばびばばば」

 顔に温泉を放射されまともに喋れない。

「ぎゃはははは」

 暗くなったミルクの笑顔を戻すためにワザとやったお湯かけは、案の定ミルクを上機嫌にした。

 ひと段落すると森を見ながら「自然の中での温泉は気持ち良いなぁ」「そうじゃなぁ」程度の他愛のない会話をする。

 蒼はふとログハウスを見上げると疑惑が脳裏を過る。

「ミルク、親はどうした?」

「パパはヌシ狩りに行ったんじゃ」

 父親が向かって行った方向なのか森の中に指を差す。

 正確には蒼が出てきたのがログハウス正面の森になり、父親はログハウス右側の森に向かった。

「母親は?」

「街じゃ。ワタキが生まれて半年ぐらいで山を降りたんじゃ」

「!」

(迂闊(うかつ)だった)

 蒼の中では、父親が狩りに行ったなら母親はログハウスの中にいると思っていたが、ログハウスに居たならミルクが「客人じゃぁぁぁぁぁぁぁぁ」と叫んだ時点で表に出てくる。

 子供相手と思って深く考えなかった結果の言葉は迂闊だったとしか言いようがない。

 どうして母親だけが街なんだ? とは聞ける筈がない。

 ミルクのように強い肉体を持つ子供の親は同じく強い肉体を持つというのが蒼の中での常識、だとしても拭いきれない可能性が一つある。

 《母親はミルクの力に対応出来なくて離れて暮らしている》

 蒼はミルクの表情を伺うように横から見ると指を差した方向を鼻歌まじりに見ている。その表情はお土産を楽しみにしている子供だった。

 蒼はホッと安堵する気持ちになる。

 そして念の為に確かめる。

「ヌシ狩りに行ったって事は……ミルクは足手まといだから留守番にされたんだな?」

 ワザとミルクが怒りそうな事を言ったのは、無理矢理笑顔を作っている可能性がある……と勘繰ったからで、考えすぎだとは思うがミルクの笑顔を確認するためだ。

「むむ! ワタキが倒す予定だったんじゃ! パパに譲ったんじゃ!」

「そうかそうか、そうだよな」

 ミルクのムキになった表情に無理矢理作った笑顔でないことが解り、ただの考え過ぎだった事に安堵した。

(まぁ……小物や山菜採りならミルクでも大丈夫だが、大物なら連れて行く訳にはいかないからな。とは言え一人にさせるのもどうかと思うが……)

 肉体の強さやヒモギリ式を実行できる行動力があっても、常識的に三頭身が抜けたばかりの幼女を一人で留守番させるのは親としてどうかと思う。

 だが、その疑問も予測の範囲で解決する。

 父親がミルクの声が届く範囲で狩りをしている事が前提になるが、ミルクの「客人じゃぁぁぁぁぁぁぁぁ」という叫びは父親に聞こえている筈。

『一旦戻って来て安全を確認した』と可能性の一つとして頭の端に留め『ミルクからの危険信号が届く範囲で狩りをしている』と予測する。

 どちらにしても、父親はミルクの安全を確認したから戻って来ない。客人をお持て成しするための食事を探していると考えた方が自然だ。

 そんな事を考えていると————

 ミシミシ、パキィと背後の森の奥から不自然に木の枝が折れた音が鳴る。

 蒼はチラッとミルクを見るがその音に気づいていない。

(……、父親じゃないな)

 異音を捕らえたのはミルクが指を差した方向とは間逆の森の中、チラッと視界を向けるが姿形は無い。

 だが、気配はある。

 警戒しながら獣道を一歩一歩近づいてくる。九分九厘ミルクの父親ではない。

 ミルクの力に対応出来る時点で蒼も大丈夫な方の遺伝体質になる。それもミルクの強い力に対し年相応に対応出来るレベル。

 ミルクは足音はおろか気配も捕らえてないが、人間では無い気配も含めて蒼は捕らえている。

 蒼はミルクの両脇に手を入れて持ち上げながら立ち上がる。

 ミルクは身体を硬直させながら蒼の方をゆっくりと振り向く。

「どうしたんじゃ?」

「なんかいる」

「?」

 ミルクは頭に疑問符を浮かべながらキョロキョロと周りを見る。

 蒼が感じ取る気配は森の中、それも視界に入らない距離、ミルクには解らないようだ。

 ドラム缶風呂から上がった蒼は布袋からトランクスを出して履くと、カボチャパンツをミルクに履かせる。

「森までの距離が三○メートル、そこから約二五……いや、二○メートル先を四つ足でこっちに向かって歩いて来ている」

 蒼がチラッと気配がする方向へ視線を向けると、ミルクも見る。

「むむ、……? ……?」

 強がっているだけでミルクには解らない。蒼が視線を向けた方向をキョロキョロと見ているだけだ。

「ミルク? 俺の背中に乗るんだ」

「……!」

 躊躇うミルクの手をガシッと掴んで「なっ? 大丈夫だろ?」と笑顔で優しく一言。そのまま手を引っ張り背中を向ける。

 ミルクはそっと蒼の肩に手を添えるが、蒼は後ろに手を回して小さな身体を持ち上げる。

 布袋から替えのスウェットを出すとミルクと自分を強く縛り付け、ミルクが落ちないようにする。

 バキバキ! バキィ!

 !?……ミルクはバッと森の中を見る。瞬間ビクッと身体が硬直したミルクの背中を蒼は優しく撫でる。

「アオ? ……ヌシじゃ」

 声が震える。

「だろうな」

 蒼は背中にある硬直した小さな身体からミルクが懐く恐怖がわかる。

 恐怖を懐くミルクに対して、振り向いた蒼の表情は安心感を与えてくれる笑顔。

「怖いか?」

「怖くないんじゃ」

 強がる声が震え、蒼の肩を掴む小さな手がプルプルと震えだした。

「大丈夫だ」

 ミルクに安心感を与えるように背中を撫でる。

 蒼とミルクが見ている先は一点。

 地を踏み締める四つ足は小枝を折り獣道を踏み固める。その恐怖を与える足音は蒼とミルクの警戒心に誘われるように近づく。

「パパ、やられたのかのぉ」

 ギュッと蒼の肩を掴む。

 どこか悲しみを誘う握り加減はミルクの表情を見なくても解る。泣きそうな顔になっているに違いない。

「滅多な事を言うもんじゃない、来るぞ」

 バキバキバキバキ! バキバキバキバキバキバキ!!!!

 視界の先にある木々の間から無理矢理入り込む黒い影。

 姿形を認識した時には顎先を上げ、視線が上がる。

 蒼の身長が一五五センチの小柄とはいえ、人間が二本足で立って見上げる巨漢。

 茶黒く太い毛を全身に纏い、太い四つ足にある鋭い爪が地面を抉る。

 ゆっくりと前足を空中に上げ、立ち上がる姿は見ている者に人生の終わりを告げる圧巻の四メートル。

 巨漢熊(ヌシ)と呼ぶに相応しい。

 肉食獣の鋭く生え揃う牙を覗かせた瞬間。

「グオォォオオォオォオォォォォォォォオォォォオオォオォオ」

 蒼とミルクに向けられた雄叫びは雑草を一斉にお辞儀さして、木々の葉を落とす。その葉はビシッバシィと雄叫びの衝撃で弾ける。

 ミルクはビクビクッと身体を震わせながら蒼の肩を強く掴む。

 その瞬間——

「ヌシじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 巨漢熊(ヌシ)の雄叫びに対抗する大絶叫。

 蒼は唖然としながら巨漢熊(ヌシ)を見上げ。

「立派な熊だな。ミルクの親父はこんなのを相手にしようとしてたのか?」

「ヌシじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 ミルクからの返答は大絶叫。

 理解は出来る。大声を出して父親を呼んでいるのだ。

巨漢熊(ヌシ)を前にして声を出せる事を褒めるべきだな」

 口元を笑わせると、

「こりゃぁ、逃げれんな」

 諦めを思わす一言。しかし、その表情は目元口元をニヤつかせた緊張感を奪う笑顔。いや、現状や表現によって使い分けるニヤけ(ヅラ)や笑顔では無く、四メートルの巨漢熊を前にしても普段からの笑顔を崩さない蒼に限り【()(かお)】と言った方がいい。

 軽い男を思わす蒼の笑み顔はミルクの暗くなった表情には反応したが、巨漢熊(ヌシ)の雄叫びをその身に受けても変わる事は無い。

 恐怖には揺るがない不動の笑み顔と言っていい。

「ミルク、ちゃんと掴んでろよ」

 発する言葉も普段と変わらず、口調も軽い。

 ミルクは絶叫しながら蒼の肩を強く掴むと身体全体をへばり付かせるように両足にも力を入れる。

 巨漢熊(ヌシ)は一歩進む毎に牙をむき出し、雄叫びでミルクの絶叫を掻き消す。

 ミルクは巨漢熊(ヌシ)の雄叫びに自我の限界が訪れ、恐怖が勝り目元に涙を浮かべる。大きな瞳から涙が零れ落ちるその瞬間——

「うらぁあ‼︎」

 蒼には似合わない怒号を放つ。

 巨漢熊の雄叫びとミルクの絶叫は掻き消され、巨漢熊(ヌシ)の雄叫びとミルクの絶叫は止まる。


巨漢熊(ヌシ)VS渓谷蒼•ミルク】


 乱雑に逃げる事は可能かもしれないが、逃げたとしてもミルクがこの場で暮らす事を巨漢熊は知ってしまった。

 野生の世界では弱者は餌、この場で逃げる事は後々ミルクを餌にする事と同じ。

 蒼は左手を広げて手の平を巨漢熊に向けると指先を曲げて関節を鳴らす。

 右手は腰の位置に置いて同じく指先を曲げて関節を鳴らす。

 右足を肩幅の位置に下げて戦闘体勢(ファイティグポーズ)になる。

 アウトボクサーのようにリズムを刻んだのは一瞬、右足の五本指が土を噛み締めたその瞬間、轟と地面が抉り、土を後方に飛散させた。

 その場に蒼とミルクはいない。

 刹那の瞬間に巨漢熊の(ふところ)一メートルの位置まで距離を詰め、更に地面を右足で蹴る。

 蒼は振り下ろされる右ベアクロウを左足で蹴り、追撃の左ベアクロウを右足で蹴る。

 カウンターを防御として利用した二段飛びだ。

 両前足を跳ね下げられた巨漢熊の顔面がガラ空きになる。

 しかし、巨漢熊には両前足の他にも武器がある。熊最大の武器と言ってもいい。

 巨漢熊は鋭い牙がむき出しの大口を開ける。

 蒼とミルクを丸呑みしそうな噛みつきに対して蒼は右拳を握り込む。

 恐怖を微塵も感じさせない右拳が巨漢熊(ヌシ)の顎先を捉えて強制的に大口を閉じる。

 真上に跳ね上がった巨漢熊の首が一撃の破壊力を想像させる。おそらく人間の首なら跳ね上がる程度ではない。

 更に、右拳の一撃で生まれた遠心力をそのまま利用し、バク転と同時に右足爪先で顎先への二撃目。

 巨漢熊の顎骨が生々しく悲鳴を挙げる。

 蒼は空中で半回転し巨漢熊(ヌシ)を正面にして追撃を喰らわそうとするが、巨漢熊(ヌシ)は後ろに倒れそうな上半身をピタッと静止させ、追撃を阻止するだけの右前足を抱き付くように振るう。

 蒼はチッと舌打ちしながら巨漢熊(ヌシ)の右前足に合わせて左足で肉球を蹴り、斜め後方へ飛んで間合いを空ける。

「浅い……」

 着地した瞬間に出た一言は苦虫を噛んだような笑み顔から出た。

 そのままバックステップで布袋まで下がり、両手を入れる。バッと抜き出した両手には丁字(ちょうじ)(がた)の小型拳銃。しかし、丁字型の小型拳銃には引き金があるだけで銃口は無い。


 順手で握る小型拳銃を巨漢熊(ヌシ)に勢い良く向けると、風切り音と同時に本来なら銃口になる部分が三段に伸びる。

 形状はトンファー。

 逆手に持ち直し、小指で引き金を引く。

 何の変化も無い、意味があっての引き金を引くという行動だがトンファーには何の変化も無い。

 トンファーに興味を湧き上がらせたのはミルク。

「なんじゃなんじゃ!? コレなんじゃ!?」

 ミルクが視界に捉えられたのは刹那の一部分、巨漢熊の右ベアクロウを蒼が左足で蹴った瞬間のみ。後は瞬きして何も見えていなく、声を出す余裕など微塵もなく、なんかクルッと回った? ぐらいにしか思っていない。

 蒼は巨漢熊を警戒しながら答える。

「ガントンファー、魔法を放つ武器だ」

 思春期特有の残念病と思うかもしれないが今回は違う、ミルクに不安を与えないために余裕を演じているだけだ。

 蒼の中では渾身の右拳に渾身のバク転右爪先蹴りで勝負がついたと思っていたのだ。

 二足歩行の人体が顎先への打撃を喰らえば脳が揺れる。ボクシングの試合で顎先に打撃を受け、膝をカクンと曲げて倒れて気絶する場面をイメージして欲しい。二本足で立てるなら弱点が顎先というのは正しいのだ。

 だが、熊が二本足で立つ時は自分を大きく見せるための威嚇なだけで戦闘体勢では無い。そして熊のような雑食や肉食獣の顎は木や骨を噛み砕く力があるため顎先は弱点では無いのだ。

 熊問わず、四足歩行の生物の脳を揺らすなら『脂肪が無く脳に近い眉間』、そして神経が集まった鼻である。

 しかし……

(ヌシの野郎、対人戦闘に慣れてやがる。あのベアクロウと噛みつきから眉間や鼻を狙うのは無理だ)」

 蒼は熊の弱点を熟知している。

 巨漢熊(ヌシ)が弱点である眉間や鼻を攻めさせない対人戦闘をしているのだ。

 ソレを前提に、蒼は渾身の打撃を顎先に撃ち込んだが、その打撃後からの巨漢熊の右前足は蒼の中では予想外にしかならない。

 右前足の肉球でなく鼻に蹴りを入れる事も可能だったが、右前足に捕まりベアホールドでミルクごと喰われる可能性もある。

 結果は鼻への追撃を諦めて肉球を蹴り後方へ逃げるしか無かった。

 蒼の中では顎への一撃目で脳震盪、二撃目で気絶、後方に倒れて行く所に鼻への三撃目というビジョンが出来上がっていた。

 今現在、巨漢熊が倒れていないのは予定外、内心は自信を喪失している。

 顔の前でガントンファーを交差させ、覗くように見た巨漢熊(ヌシ)は顎先を撫でて「何かしたか?」と言いたげに余裕綽々に蒼を睨み付ける。

 更に、前足のベアクロウは蒼が相手だと利用されると考え、地面に前足を降ろし四つ足で地面を噛み締め体勢を低くする。

 弱点である眉間や鼻を蒼の眼前に晒しているが、熊本来の闘い方は低い体勢から突進し、腕力と体重を乗せて相手を押し倒してから蹂躙するが如く噛みつく。

 熊に蹴りが使えれば立った体勢でも相手を圧倒出来るが、四足歩行の生物は前方に向けた蹴りは骨格上不可能。それこそひっくり返って尻餅をつく。

 もう一度言うが、熊が立ち上がるのはただの威嚇なのだ。

 それも蒼のような身体能力が高く素早い相手だと反応が一呼吸遅れ、上から下へ向けた大振りなベアクロウは悪手にしならない。

 巨漢熊は蒼を強者と認めたからこそ弱点を晒す熊本来の戦闘体勢になったのだ。

 そして好敵手を見つけた時のようにニヤリと牙を見せ、不敵な微笑を浮かべながら蒼を見る。

 マジかよ……と呟きたい気持ちをミルクに不安を与えないために抑える。

 代わりに出る言葉は。

「賢いな、ここ一ヶ月で相手にした熊とは……」

 言葉が止まる。視線の先、巨漢熊の背後、森の中から突如現れる。

『隙有りゃあ!』

 巻き舌で叫ぶ人影。

 黒塗りの鞘に納まった日本刀を左手に握り、抜刀の構えのまま巨漢熊に奇襲をかけた人影は天パ頭の少年。その風貌は(あか)(ふんどし)一丁。

「パパじゃ!」

 ミルクは目を輝かせる。

 それよりも早く巨漢熊は反応していた。しかし、蒼に向けていた熊本来の戦闘体勢では背後は死角。

 一呼吸遅れ、振り向きざまに右前足の裏拳を天パ頭の少年目掛けて放つ。

 ほぼ同時に「うらぁ!」と蒼が叫びながら特攻。

 巨漢熊の目玉が蒼に向いた半呼吸にも満たない刹那の時。

 天パ頭の少年は右手で柄を握り、黒塗(くろぬ)りの(さや)から刀身を覗かせると、巨漢熊の裏拳に向けて柄頭で一撃。

 鍔迫り合いは一瞬。

 正確には右前足と柄頭での力勝負は一瞬。

 天パ頭の少年は左手に握る鞘を投げ捨て直刃の刀身を抜刀。巨漢熊の右前足にめり込む柄に左手を添え、剛毛ごと握り込む。

 無理矢理手首を返して、剛毛を皮膚ごと千切りながら首へ一刀。

「げっ!?」

 予定外と言わんばかりに声を挙げた天パ頭の少年。

 その視線の先では、茶黒く剛毛な首回りが刃の斬れ味を殺し、皮一枚を切るが硬い筋肉が刃を阻む。

 刀身を振り抜く事が出来ないのだ。

 刃を引けば次は無いのは誰が見ても明らか、天パ頭の少年は足の指を獲物を捉えた鷲のように広げ、巨漢熊の茶黒い剛毛に絡ませ、首に刃を入れたまま馬乗りになる。

「時間を稼いでくれ!」

 天パ頭の少年は蒼に向けて言い放つ。

「おう!」

 間髪入れず応えた蒼。

 正面では、巨漢熊が邪魔者を払うように左前足を蒼に向けて放つ。

 蒼は右ガントンファーで防御、瞬間にバヂィンと青白い紫電が剛毛と皮膚を焼く。

「うおっ!」

「なんじゃあ!」

 紫電を見て目を輝かせた天パ頭の少年とミルクが声を挙げる。

 苦笑を浮かべた巨漢熊(ヌシ)は浴びせられた雷撃に左腕が痙攣(けいれん)。蒼を押し込む力を失った左前足はダラリと下がる。

 しかし、百戦錬磨の巨漢熊はその程度では怯まない。右前足を軽く上げ、猫背になった体勢のまま全体重で押し込むだけの右前足を蒼に向ける。

 刀身が首にめり込んで身動きの取れない天パ頭の少年よりも、蒼を先に倒す算段だ。

 蒼は左手のガントンファーで巨漢熊の全体重が乗った右前足を防御、バヂィンと青白い紫電が出る。

 右前足を左前足と同様に封じたと思うのは尚早、雷撃が来る前提の体重を乗せた右前足は捨て身、そのまま体重を蒼に乗せるのみ。

「く、そ、おめぇ」

 巨漢熊の全体重を右ガントンファーで受け止めた蒼の足元では土が抉れ、奥歯を噛み締めた歯茎からは血が滲む。笑み顔を保てない。

 巨漢熊の蒼から仕留める捨て身は成功。

 身動きの取れない蒼に待っているのは、体重を乗せた後から行われる蹂躙、牙をむき出しに大口を開けた噛みつきだ。


 しかし————


「させるかぁあ‼︎」

 声を荒げたのは天パ頭の少年。

 巨漢熊の首にめり込む直刃の刀身を強引にねじ込む。

 大口を開いた瞬間首筋が伸びれば首を斬るのは容易い、蒼やミルクに向けられた噛みつきを阻止した。

 蒼とミルクの頭は丸かじりされずに済んだが電撃を受ける右前足の体重が更に上がる。

「ぐっ! なんちゅうヤツだ!」

 蒼の左腕と右足は重圧に踏ん張るがミシミシと骨を鳴らす。

 巨漢熊の左前足を見るとダラリと下がっていたのがグググッと動きだした。

 チッと舌打ち、左前足の痙攣が終われば待っているのはベアホールド、ミルクごと喰われる。

 蒼は奥歯を噛み締め、天パ頭の少年に視線を向ける。

「おい!」

 右手に持つガントンファーを回転させて風を切ると、直刃の刀身がめり込む首元とは逆側に一撃を当てる。

「電気は⁉︎」

 蒼は『日本刀から伝わる電撃に絶えれるか?』と一言に含ませる。

「遠慮するな!」

 天パ頭の少年は『ガッツリ行け!』と含ませ、切れ長な目と口元をニヤつかせる。

 言うのが先か後かはこの場では必要ない。返答して雷撃を放つタイミングなど相談する余裕などないのだから。

 蒼は間髪入れず引き金を小指で引く。

「うらぁ!」

 左ガントンファーからの雷撃と右ガントンファーからの雷撃が引き合うように一箇所に向かう。

 バヂィンと紫電が弾くその位置は巨漢熊の首、正確にはめり込む直刃の刀身。

 青白い紫電が刀身から腕を通り抜け、天パ頭の少年を一瞬だけストレートヘアにする。

 その瞬間、巨漢熊の首元がビグンッと反応し、硬い筋肉が強制的に首筋を伸ばす。

 それは奥歯を食い締めて首筋に入れていた力が緩んだ事を意味する。

 その刹那の反応を天パ頭の少年は見逃さない。

「よっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 ズ……と紫電を放つ刀身は巨漢熊の首へと入り込む。

 ギロリと天パ頭の少年を睨み付ける巨漢熊(ヌシ)の眼光、そこには雄叫びも無ければ断末魔も無い、何かを伝えるように天パ頭の少年を見つめる。

「ヌシ! 俺が次のヌシだぁらぁぁぁぁぁあ!」

 天パ頭の少年はギロリと睨み付けた眼光に応える。

 巨漢熊はゆっくりと目を閉じる。どこか呆れてため息を漏らしそうな表情だ。それはまるで『まだお前には早い』と言っているように感じる。

 直刃の刀身が巨漢熊の首を通り抜ける。

 跳ね上がる巨漢熊の首、その表情は『……楽しかった』と言うように口元を笑わす。

 胴体は両前足をダラリと下げ、首元から血を噴き出しながら倒れる。

「ヌシ獲ったりぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」

 勝鬨(かちどき)を挙げる天パ頭の少年。

 ふぅと口から息を漏らす蒼は背負うミルクに視線を向ける。

「ミルク? 大丈夫か?」

 蒼が受けた衝撃は背中に背負うミルクにもある。何かゴソゴソと動いていたため、生きている事は解るがケガがないか心配する。

「ワタキのパンチが当たったぁぁぁぁぁぁぁぁ」

「パンチ?」

 疑問符を浮かべる。

 蒼が右ガントンファーで巨漢熊の左前足を麻痺させ、右前足を左ガントンファーで防御し右ガントンファーを首元に一撃を与えた瞬間、蒼が天パ頭の少年に「電気は⁉︎」と言ったまさにその瞬間、ペチッと巨漢熊の腹にミルクパンチが当たっていた。しかし、残念な事に誰も気づいていない、巨漢熊でさえ気づいていない。

 蒼が背中で感じていたゴソゴソと動くミルクは恐怖でオシッコを漏らしながら参戦していたのだ。

 更に細かく言えば、巨漢熊の左前足がグググッと動いていた時、短い腕は届かず顔を真っ赤にしながらふぅふぅと息を吹きかけていた。

 巨漢熊の左前足の回復を吹きかける息で遅らせていた。とはミルクしか思っていない。

 ミルクの無事を確認した蒼は両腕に視線を移し筋肉痛以外は無傷なのを確認する。

「運が良かったとしか思えない……」

 視線を大笑いしている天パ頭の少年へ向け、

「ミルク? パパって言ってたよな?」

「……、むむ? パパじゃ!」

 オシッコを漏らした事がバレないように強がる。動揺していると言った方が正しい。

 ミルクの内心では微量か大量かを確認したいようだが、背後から見た蒼のスウェットには地図が出来上がり、ポタポタと雫を落とす。

「若いよな?」

 蒼はミルクの動揺を気にしないで話を進める。

 推定三歳が熊を前にして漏らすのは当たり前、ミルクに気を使っているのではなく、お漏らし事態気にしてないのだ。

 返答を待っても、お漏らしを気にしたミルクからの返答が無いため。

「俺と変わらない気がするんだが……」

 蒼が小柄で幼さ残る笑み顔なのもあるが、切れ長な目と一七四センチの身長から年上に見えなくもない。

「パパは一五歳じゃ!」

「同い年だな……」

「いやぁ、客人、助かった。危うく『また』やられるところだった」

 巨漢熊の首を胴体に乗せ、鞘を拾い刀身を納めると、

「ヌシの巣に奇襲するつもりが、まさかの我が家への強襲。客人がいなかったらミルクが危なかった。俺は勇也(ゆうや)、よろしく頼む」

 ミルクの父親こと天パ頭の少年こと勇也は、会話に自己紹介を混ぜながら握手を求めるように右手を出す。

「俺は蒼、」

 出された右手を握り返し握手をすると、

「……、『また』って何回もこんなのと闘ってたのか?」

「かれこれ一○年近い付き合いだ、毎回やられて苦湯を飲まされていた、……んっ?」

 ミルクの濡れた髪を見る。

「⁉︎」

 ミルクはお漏らしがバレたと思い、罰悪そうに表情を作って硬直する。

「おぉ! 温泉に入れてくれたのか!」

「いや、俺の方が入れてもらっ……」

「パパ、アオは火付け名人なんじゃ、魔法でボッボッボッじゃ、ヌシが来たから濡れたままパンツを履いたんじゃ」

 お漏らしではなく身体を拭かずにパンツを履いた結果だと言うが、パンツとスウェットを通り越してポタポタと落とす雫では誤魔化しようがない。

(お漏らしを誤魔化したいんだな)と思う蒼だが、ミルクのお漏らしよりも魔法という言葉に苦笑いが浮かんでしまう。

 察しが良いのか勇也は話しを合わせるように言い放つ。

「惜しかったなぁ、魔法は大人になってからだからミルクにはまだ早い」

「むむ! 知ってるんじゃ! 一五歳からなんじゃ!」

「そうだな、蒼や俺みたいなお漏らしをしない一五歳からだ」

 強がったミルクにあっさりとお漏らしを暴露する。

「!……、お、お漏らしなんか、してない、んじゃ」

 動揺するミルクを子供扱いするように頭を撫で回した勇也は「ちゃんと洗濯するんだぞ」と言うと、視線を蒼に移す。

「蒼、何から何まで感謝する。ヌシ鍋を作るから温泉に入って待っててくれ」

「あ、あぁ。いや、手伝うぞ?」

「蒼は客人だ。ちゃんとお持て成しをしたい」

「そうか……、悪いな」

「いやいや、ミルクの遊び相手になってくれるだけで大助かりだ」

 巨漢熊の首を胴体から降ろし腹を見せるように仰向けにする。

「念願の〜、ヌシの毛皮〜〜」とリズムを刻みながら鼻歌を歌いながら、鞘から刀身を抜き解体を開始する。

 蒼は勇也の人間性にホッとする。

 見る人が見れば、素っ裸で自分の娘を背負いスウェットで縛り付けた姿は変態の誘拐犯、それにも関わらず客人として迎え入れる器の広さに父親としての風格さえある。

 一五歳で子供がいる時点で思春期の階段を飛び越えた超越者、思春期の階段を一段も上がっていない蒼は同い年として勇也を尊敬する。

 ミルクと自分を縛ったスウェットを解きながら膝を曲げる。

 背中から降りたミルクはお漏らし地図が描かれたスウェットを引っ張る。

「どうした?」

「洗うんじゃ!」

 強がる事しか出来ないミルクはバッとスウェットを取り上げ、階段前にあるタライへ小走りで行く。

 スウェットをタライに入れるとカボチャパンツを脱いで「お漏らしじゃ無いんじゃ」と呟きながら憂鬱に洗い始める。

 蒼はミルクの元に行く。

 洗濯よりもお漏らし後の放置はカブれると思い、ミルクを抱き上げてドラム缶風呂に入れる。

「洗濯は風呂に入った後だ」

「むむぅ、ワタキはお漏らししてないんじゃ」

「そうだな」

 トランクスを脱いでドラム缶風呂に入る。

「本当にしてないんじゃ」

「そうだな」

 ミルクの話しに合わせるように返答しながらオカッパ頭を撫でる。

 ミルクは顔向け出来ないと言いたげに小さな背中を向けると、ドラム缶の端を掴みながら表情を暗くした。

 何処と無く寂しさがある小さな背中。

 それは、お漏らしで生まれた恥ずかしさではなく、お漏らししたパンツを洗ってくれる母親がいない事で生まれた寂しさに思える。

 母親がいない理由など聞く必要は無い。

 何故なら、蒼が感じ取った勇也の人間性から、意味も無く母親とミルクを離す事はないとわかるからだ。


 ボディソープをスポンジに垂らし、巨漢熊との戦いで汚れた身体を洗う。ミルクにスポンジを渡すと洗いやすいように抱き上げる。


 母親がいない理由を聞きたい気持ちになるが『ミルクの強い肉体に母親が対応出来ない』と言われるに決まっている。


 頭髪用洗剤を手に垂らしミルクのオカッパ頭を泡立てると「自分でできるんじゃ」と強がったミルクが自分で洗い始めたため、自分の頭を洗う。

 ふと気付く、先程のようにミルクは身体を硬直させない。

 おそらく、巨漢熊との戦闘をとおして自分の力に対応出来ると解ったからだろう。


 巨漢熊を思い出すと一つの疑念が過る。

 もしも母親が亡くなった事を隠しているとしたら?

 蒼の頭の中に気持ちの悪い可能性が浮かぶ。

 巨漢熊に襲われた可能性。又はミルクの強い肉体から放たれた打撃が最悪の結果を生んだ可能性。


 気持ちの悪い可能性を払うようにホースの先端を取り、ミルクの頭にお湯をかける。泡を落とし切ると自分の頭にホースを向ける。


 自分の知りたいという感情だけで可能性を模索し、家族の問題を掘り返す必要は無い。と自己完結しミルクの母親の事を考えるのを止める。


 いつの日か、二人から話てきたら自分に出来る事をやればいい。と思いながら、ふぅと深く息を吐き、ミルクのオカッパ頭を撫でる。

「ぷはぁ、じゃ」

「いい湯だなぁ」


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