其の三
ダリル大森林を抜け、西に四里進んだ先に魔人国家ネビュラが存在する。国家と言うが、城や宮などはなく、砦が一つ築かれているだけだ。その砦を本拠とし、砦を囲うようにいくつもの村が点在する。それらを取りまとめて、ネビュラと呼んでいた。
ルイスは砦の中、軍議室の中を歩き回っていた。頭の中には今後の動き方について何十通りと案が詰まっている。だが、それらも馬鹿な男の行いにより水泡と帰そうとしていた。
「少しは落ち着いたらどうだ」
ルイスに声をかけたのは、円卓の席に座る男だ。軍議室には今、ルイスとその男しかいない。腰まで届く長い銀髪、涼しげな目元、肌は陶磁のように白く、瞳は鳶色。この男こそが、ネビュラの首領。そして和平派を取りまとめるカインだ。
「落ち着いてなどいられましょうか! カイン様も聞いたはずですぞっ、あの戦闘狂がやらかしたこと!」
ルイスは思わず反論する。カインはそれに何も返さず、口元を緩め、小さく肩をすかしてみせただけだった。
やがて軍議室に人が集まり始める。今日呼び出されたのは、上級将校以上の者たちだった。
彼らは部屋に入ると直立し、カインへと視線を向ける。誰もルイスの方を見ようとはしなかった。皆、ルイスが苛立っていることに気付いており、絡まれるのを避けるため無視しているようだ。
最後に軍議室へ入ってきた男の姿を見つけ、ルイスは思わずその男を殴り倒したい衝動に襲われた。
黒髪の青年だ。歳はまだ若い。散切りの髪に、真紅の瞳。不敵な表情をしたその青年はルイスなど歯牙にかける風でもなく、カインに向かって直立する。
「ネロ……」
ルイスは忌々しい口調で、青年の名を呟いた。
「今日はよく集まってくれた。さぁ、席についてくれ」
カインの言葉に従い、ネロたちが席に着く。
「お前もいつまで立っているつもりだ。お前から話があるのではないのか?」
カインに言われ、いまだ自分が突っ立っているままだということに気付く。慌てて席に着くと、ルイスは円卓の上に地図を広げた。それはこのルクセリア大陸の地図だ。ダリル大森林から東に行ったところに大きなバツ印がつけられている。そこが現在、交戦派と帝都アーレンブルグとの戦場になっているモーリス平原だ。そこからさらに南に進んだところにキルト丘陵があり、そのすぐ真下にルイスは新たなバツ印を書き込んだ。
「先日、帝都の小部隊がここササリの村に向かっているという報告を受けた。その場に一番近かったネロの部隊に様子を見るよう命令したが」
そこで言葉を切り、ネロへと厳しい視線を向ける。
「ネロはこの部隊を襲撃。敵の一部は撤退。今回、皆に集まってもらったのは、これらの行動が今後引き起こすであろう問題について理解しておいてもらいたかったからだ」
「回りくどい言い方してんじゃねぇよ。俺が奴らを攻撃したのが気に食わないんだろう?」
ネロが初めて口を開く。その憮然とした態度にルイスはカッとなった。
「そうだ。何故、敵を攻撃した。私は敵の様子を見てこい、と命令したのだぞ」
「敵は村を襲う気を放っていた。だから先手を打って、攻撃した」
「何故、襲うと分かった。そんなものはお前の勘ではないのか」
「戦場に出たことのないあんたには分からんだろうよ。敵は間違いなく、村を襲ったはずだ。俺にはそれが分かった。俺だけじゃない、この場にいる誰でもそれは理解できたはずだ」
ルイスは軍師だ。戦略を立て、戦を有利なように運ぶのが仕事だ。だがネロは時折、ルイスの指示とは違う行動を取る。普段は目を瞑ってきた。それなりに戦果を上げていたからだ。だが今回だけは見逃すことは出来なかった。それだけの失態をネロはしているのだ。
「……分かった。敵が村を襲うつもりだったとしよう。そしてお前はそれを阻止するべく、敵に攻撃を仕掛けた。そこまでは認可出来る。しかしお前は敵を討ち漏らしたそうだな」
報告には敵の小隊の中から二十騎ほどが戦場を離脱しているとあった。ルイスを悩ませている原因は、まさにそれだった。
「何故、そいつらも仕留めなかった。奴らは帝都に戻り、今回のことを報告するだろう。そうなれば、奴らは大軍を持って、報復しに来るとは思わんのか」
「たかが敵の小隊一つ潰したとこで、敵が報復に動くかよ」
「小隊ではない、お前が倒したのはその半分だけだろう」
「いや、小隊だよ。俺が倒した小隊を護衛するように、別の小隊が付いていた。それが離脱していった二十騎だ」
「小隊の数が問題なのではない。何故、お前は奴らも攻撃しようとしなかったのだ」
ルイスはネロが嫌いだった。神経質な性格をしている自分にとって、豪放としているネロは煩わしく映る。そのせいもあって、ネロの言動の一つ一つが癪に障った。
「奴らは強い。奴らを攻撃すれば、俺の隊も相当の被害を出していたはずだ。だから追撃を止めた」
「敵が強そうだから逃げ帰って来たか。お前の自慢の精鋭とやらも、所詮はその程度ということだな」
鼻で嗤ってみせた。ネロの瞳に剣呑な光が走る。ネロの体から発せられる殺気に、ルイスは思わず腰を浮かせてしまった。
「そのぐらいにしておけ」
カインが仲裁に入り、ルイスはそれ以上言葉を噤めなくなる。
「問責をするために、皆を集めたわけではないのだ。我らが決めねばならぬこと、それは今後の動きについてだ」
カインの言葉に誰も言葉を挟まない。全員の視線がカインへと集中していた。カインは地図の一点を指差した。モーリス平原から北西に進んだ先にある砦。交戦派カリムの拠点となる砦だった。
「我らは和平の道を探ってきた。だがここ最近、帝都の侵攻は激化していく一方だ。我らの思想に異を唱え、出て行ったカリムたちだが、彼らの損耗も激しく、限界が近いように感じられる」
ダリル大森林を境界とし、相互に不可侵とする国境を作る。それがカインの目指した理想だ。それに反対し、徹底抗戦を掲げたカリム。彼らはダリル大森林の外に拠点を置き、奪われた領土を奪還すべく、帝都アーレンブルグと戦いを繰り広げている。しかし帝都アーレンブルグの五万という大軍に比べ、カリムたちの軍は一万に足りるかどうかという程度だ。カインたちの軍五千を加えたところで、その差は歴然としている。このままでは数に呑まれ、カリムたちは遠からぬ未来、全滅するだろう。
「意を違えたとはいえ、カリムたちもまた我らの同胞だ。このまま彼らが殺されるのを見ているのは忍びない。そこでこちらからカリムに使者を送ろうと思う」
「使者とは?」
質問してきたのはゴーウェンという男だ。ネビュラの本隊四千を指揮するゴーウェンは、慎重さと豪快さを同時に兼ね備えた豪将だった。
「カリムたちをこちらに合流させようと思っている」
「彼らは我ら以上に帝都に同胞を殺されております。帝都に対する恨みは相当のはずです。そんな彼らが和平派と合流できるのでしょうか」
「そう簡単には行かぬだろうな。だが、カリムとてこのままではだめだという危機感は募らせているはずだ。そこで私自らが赴き、カリムを説得しようと思っている」
カインの言葉に軍議室が戸惑いの声に包まれた。
カリムのいる砦は最前線からも近い。そこに首領であるカイン自らが向かうというのは、危険極まりないことだ。もしこの情報が敵に漏れでもしたら、そしてカインが討たれるようなことがあれば、ネビュラはそこで瓦解する。
「ロイス、お前は何故止めん」
ゴーウェンの鋭い視線が突き刺さる。ロイスは気圧されながらも、なんとか言葉を返した。
「私だって、当然止めた。その危険性も説明した。だがカイン様の意思は固い。私だけでは止められなかったのだ」
「ロイスを責めるな、ゴーウェン。危険を冒して出向くからこそ、価値がある。私は何が何でもカリムのところへ向かうぞ」
カインの説得は無理だと悟ったか、ゴーウェンは大きくため息を吐いた。
「ならば、我が部隊もお供しましょう」
「それはならん。お前たちが付いて来れば、それだけで敵に勘付かれるやもしれん。ネロ、お前の部隊に護衛を頼もうと思う」
突然名指しされたことに、ネロは目を白黒させていた。
「お、俺が、ですか?」
「ああ、私をカリムのところまで連れて行ってはくれまいか?」
ネロは戸惑いを隠せないようだった。
ルイスにもその選定に不満はある。しかしカインの決めたことだ。今更何を口にしたところで、カインは自分の意思を変えようとはしないだろう。
「出発は明朝。ネロよ、よろしく頼むぞ」
「はっ」
ネロが直立し、カインが微笑む。
軍議はそれで終了となった。
将校たちが出ていき、閑散とした軍議室でルイスはカインと向かい合った。
「何か言いたげだな、ルイス」
「言いたいことはありますが、カイン様の意思は変わらないでしょう。ネロにはあとで何度も釘を刺すことにします。それよりも会談の後のことを考えねばなりません」
カインとカリムの会談の成否に関わらず、その先のことを考えておかねばならない。
カリムが合流した場合。しなかった場合。帝都はどう動き、こちらはどう動くべきか。
何か大きな戦いが始まろうとしている。そんな予感にルイスは襲われた。