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 明日も作業をするからとアクト工務店の親方に云われていたので、少々早めに起床した。

 しばらく酒場の営業が無いとなると、ブラン・カテの運営と、ノア・カテの事務仕事だけを考えればいいのであるから、云ってみれば「のんびり」出来るのだが、それにしたって、休日のつもりで居る訳にはいかない。

 最低限、アクト工務店が作業をしに来る時刻――はっきりとは知らされていないとしても、昼間仕事をしている人のライフスタイルから考えて――には起床しているべきだし、そうでなくても、自分に対して優しくする意味で「のんびり」していると、人間というのはいくらでも、今度は「だらしなく」なれるものだ。

 とはいえ完全にアクト工務店の作業に生活時間帯を合わせると、今度は、基本的に夜型であるべき自分の体内時計が狂いそうだから、その辺りは親方と相談することにして……、後々、大きなツケが回ってくる前に、普段から自制を心がけなくてはいけない。

 玉手箱を開けない性質をしているというノア・カテの主人は、そう考えながら、自室のバスルームで洗顔をして、着替えをした。

 ――ちょうどクローゼットの扉を閉めたところで、ベッドの枕元に備え付けている機械から、音が聞こえた。

 RIRIRI RIRIRI

 ……ルードゥルフィーア・セイレイシィという人間にしては少々珍しく、大げさに――ビクリと肩を強ばらせて――驚いて、機械に視線を向ける。

 それから、ひとつ「ほぅ」と息を吐いて、機械に近寄った。ブラン・カテ・ビル玄関からのベルが鳴った音だ。

 ボタンを押して「はい」と応答する。機械の一部にはまっているモニタに、ブラン・カテ玄関からの映像が映っていた。

「おはようございます、セイレイシィさん。アクト工務店でございます」

 確かに、親方と、その息子が映っている。それと、年の頃が親方と息子の間くらいの男性と女性が一人ずつ。どちらも見た顔だ。親方は、「ノア・カテの改装」に相応しい人材を、ちゃんと選べたらしい。――どちらも息子さんより年上だということは、いよいよ、息子さんにとっては教官、ノア・カテは実習現場みたいなものだな、そんなことを考える。他には、顔は見たことがない、恐らく警備員である――服装がいかにもそれらしかった――男性が一人。

 ちらりと時計を見ると、――向こうも、こちらのそもそものライフスタイルを把握しているからか、「工務店」の仕事が始まる時間帯としては、少々遅いのではないかというくらいだった。もしかすると、昨日「寝不足だ」と云ったのも、親方はちゃんと覚えていて考えてくれたのかもしれない。

 向こうのモニタに、自分の顔を映している訳ではないが、にっこり笑って、ノア・カテの主人が答える。

「おはようございます、と云うには少々遅い気もしますが、おはようございます。私の生活時間帯を考慮して下さって有り難う」

「いやいや、こちらこそ。起きてて下さったんですねぇ。声がしっかりしてらっしゃる。ベルで起こしちまったら、申し訳ないことだと思ってましたよ」

「本当に? ……私の寝起きのとぼけた顔を、見られなくて残念だとか思ってません?」

「わっはっは、確かに、それも貴重なことですから、惜しいと云えば惜しいですな」

 親方は豪快に笑ったが、傍に居る息子が「また雑談だ」という顔をしているので――しかし、傍に居る見知った社員は、やっぱり笑っていた――、ノア・カテの主人は苦笑を浮かべ、この辺りで要らぬ話は切り上げよう、と考え、一つ咳払いをして、「じゃあ、鍵を開けに下りますね」と云った。

 機械から「分かりました、ノア・カテの入口でお待ちしてます」という声が聞こえ、モニタのフレームから親方をはじめアクト工務店の社員たち、それと警備員の姿が消えた。

 それを確かめてから通信を切り、「鍵」を持って部屋を出、ビル全体に止まるエレベータを使って、ノア・カテのあるじは地上に降りた。

 地上に降りて、ブラン・カテの玄関から外に出て、ノア・カテの入口へ向かう。

 階段を降りるための最初のドアの前には、アクト工務店の関係者が居り、あるじが着いたときには警備員が既に、ドアの周りに「立ち入り禁止」の囲いを設置し終えるところだった。

「ああ、セイレイシィさん、おはようございます。――なんだ、本当にもうシッカリ身支度が済んでますね」

 これは親方ではなく、見知った女性社員がからかうような声で云った。

 ノア・カテのあるじは、「おはようございます。……ええ、ノア・カテのあるじは、滅多に隙を見せるものじゃありませんよ」と肩を竦めながら笑った。

 親方が警備員に、「こちらが、クライアントのルードゥルフィーア・セイレイシィさんです」とノア・カテのあるじを紹介した。

 ノア・カテのあるじが、「初めまして、どうぞ宜しくお願いします」と云いながら微笑を浮かべて軽くお辞儀をし、手を差し出した。

 警備員は、比較的若い――親方の息子と同じくらいの男性である。二代目と同じく、驚いた顔をして、「宜しくお願いします」と少々うわずった声を出して、おずおずとノア・カテのあるじの手を握り返した。恐らく……こういう場面で、警備員である自分に声を掛けて、握手まで求めるクライアントに、まだ会ったことがないのだろう。そんな態度だった。

 ノア・カテのあるじは、微苦笑を浮かべ、ひとまず警備員に声を掛ける。

「このドアの前に立って、アクト工務店の方――いや、当然私も――以外を中に入れなければそれでいいので、そんなに緊張しないでください」

 ――警備員は、ノア・カテのあるじと握手をしてからそのまま、やけに肩をいからせて、口を引き結んでいた。クライアントと握手したのが初めてだった、というだけで、こう緊張しているのではなさそうだ。

 多分――この警備員も、二代目と同じく親方から……、いや、もしかすると今日来た社員からも、この酒場がどういうところなのかを、やけに大げさに説明されたのかもしれない。

「と云っても、ずっと立ってろと云うとそれだけでハードな仕事になってしまいますから、当然、椅子に座っててもいいですよ。――親方、彼のための椅子はあるんですか」

「そりゃ、ありますけどね。……セイレイシィさん、それは依頼主から云われると困りますねぇ。ただでさえ若い者は、楽したがるんだから」

 親方が、昨日ジュニアのことでそうしたように、甘い顔をする依頼主へ、しかめっ面を作った。

 ノア・カテのあるじの言葉に、少しばかり安心したような息を吐いて肩の力を抜いた警備員が、また、慌てて口を引き結ぶ。

 だったら、そういう「若い者」をつれてこなけりゃいいのに、とあるじは苦笑交じりに考えたが、――この酒場がある土(、)地(、)を考えれば、「警備員」には、若くて体力があり、ついでに腕っ節も強い者を連れてくる必要があるか、とも考えて、それは云わずにおく。

 ノア・カテのあるじが肩を竦めて、――今度は何となく意地悪な声で、親方に云う。

「そう、依頼主が私。手配したのは親方かもしれませんが、報酬を支払うのは私です。もし、私が先に云っておかなくて、親方が『だらけてんじゃない』とこの子を立ちん坊にさせようものなら、それは依頼主の私が、そうさせたことになる。……そうなると、この警備員さんは、二度と私に会いたくもなかろうし、この職場――ノア・カテという酒場の印象も悪くなることでしょうよ?」

「うむっ」

 親方が、一つ唸って首を引く。他の社員――「まだ仕事に入れないのか」と首を傾げている二代目を除き――は苦笑していた。多分、ノア・カテという酒場がどういうところか、この社員らも知っているが、親方のそれに対する思い入れの強さと……それが故に極端なほど――特に若い人間に――厳しくなる親方も知っていて苦笑しているのだろう。

 ノア・カテのあるじが、声色を少し緩ませて続けた。

「動ける親方たちと違って、警備員の人は動けないんですから、そっちの方が辛いですよ、退屈だし。ねぇ」

 ノア・カテのあるじが、警備員に向かって首を傾げてみせたが、……「ねぇ」と云われても、答えられるものではない。警備員は、少々緊張した声で「ひたすら職務に忠実であるように努めます」と返した。

 ノア・カテのあるじは苦笑を浮かべ、「だから、緊張はしないでいいんですよ」と軽く背中を叩いた――警備員の背が高かったから、肩は叩けなかった――。

「程よい緊張は仕事を良いものにしますが、余計な緊張は余計な体力を使うだけですよ。――じゃ、宜しくお願いしますね、さて、鍵を開けましょうか」

 と云って、ノア・カテのあるじは、やっと、階段に続く扉の鍵をポケットから取り出した。

 ジュニアが、「ほっ」と息を吐くのを、ノア・カテのあるじは微苦笑を浮かべて見ていた。

 ノア・カテのあるじは、鍵を開けながら、ジュニアにも軽く云う。

「それはジュニア、あなたもですよ」

「え?」

 突然声を掛けられたので、親方の倅が少し驚いた声を出して首を傾げる。

「程よい緊張・プレッシャーは、いい仕事をさせますけども、度を超した緊張とプレッシャーはミスを誘うものです」

「……心します」

 その声も、やけに険しかったのでノア・カテのあるじは「やれやれ」と苦笑した。

 ジュニアはつくづく、真面目な人らしい、だが、少しは余裕を持って貰わないと、付き合いづらいなぁ、と考えながら。

 ……だが、この親方の息子さんなんだし、とも思う。こういう仕事は、技術が身に付くことで余裕が出るものだ。真面目だからこそ、その余裕が出るのも早い筈だ――ただでさえ昨日、この親方が「腕は何とかなった」と云っていた、一般の現場であれば、もう一人前と云っていいのだろう――。

 警備員を残し、アクト工務店の社員達をひきつれる形で、ノア・カテのあるじが階段を下りる。

 突き当たりにある扉の鍵を、これは受付カウンタの中に入ってから解除する。

 ジュニアと他の二人の社員は店内に入り、工具箱を広げて中身を出したり、足場の確認などをしていたが、親方は、ノア・カテのあるじと話をした――雑談ではない――。

「親方、作業の開始時刻は、今後も今日と同じくらいになりますか?」

「ああ、そうですねぇ。……ご主人に鍵を開けて貰わなきゃいけないから、あんまり早いとやっぱり辛いでしょう、今度は、酒場の営業始まってからが」

「ええ、流石に。二度寝すると云ったって、作業が終わったらまた鍵を閉めに来なきゃいけませんものね。却って、作業の間の方が、普段より生活が不規則になりそうな気がします。――やっぱり、合い鍵をお渡ししたいですよ、それだったら、皆さんが作業に入るのも、普段通りに出来るでしょ」

 あるじが肩を竦めて云う。それもそうかもなぁ、と親方は毛の生えていない頭頂部をさすりながら首を捻った。

「このドアは、完全に取り外すまでは親方がご来店の時のパスワードで開けるのも閉めるのも出来るようにしておけばいいんですし……。――私はお人好しかもしれませんが、親方の方こそ、そんなに私に不信感を与えなくてもいいじゃないですか」

 ノア・カテのあるじが苦笑する。

「アクト工務店の社員さんは、クライアントがお人好しだからって、しめしめ、何か盗ってやろうと思う人じゃないでしょう?」

「そりゃそうですよ」

 親方が慌てた顔で云う。

「そんな輩を雇い入れてたとなっちゃあ、アタシゃあ、先祖代々、ノア・カテのご主人代々に祟られちまいまさ」

 そうでしょう、とあるじが笑う。

「といっても、父だけはあなたを祟る資格がありませんけどね」

「これこれ、ご主人。そこまで云っちゃアいけませんて。先代は、そりゃまあ、ちっと人がよすぎたかもしれませんが」

 親方だって云ってるじゃありませんか、とノア・カテの現あるじが笑った後、本題に戻すために、ひとつ息をついてから続けた。

「このドアが撤去されるまでであれば、最悪、合い鍵を無くすか、無くさなくても外のドアを閉め忘れたかしても、このドアが開かなければいい訳で、となれば、親方がパスワードを外に漏らさなければ、あるいは、忘れなければいいだけの話です。――それは、完全に親方の責任になりますけどね」

 ノア・カテのあるじが、大げさに親方の顔を窺うように覗き込み、親方が「むぅ」と唸った。


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