暗雲の中、五里霧中!
「・・・というわけで、エルド君には1週間の謹慎処分を言い渡して帰宅してもらった」
緊急で開かれた会議で魔法局の上司が先ほどの騒ぎについての説明とエルドに対する処分が下されたことを報告した。
「納得いきませんぞ!私はこのような・・・いたた」
ガスタンは処分に納得がいかないといった様子で机を叩いた。エルドに殴られた顔はくっきりと拳の型が残っており確かに痛々しい。しかしながら彼を見る周囲の同僚の視線は大半が冷ややかで。一部の取り巻きが騒いでいるに留まっていた。
「なにがかね?」
「処分が軽すぎます!あれは殺意があったと言っても過言では・・・!」
上司はガスタンの抗議にため息をつくと彼に向き直って言う。
「すまないが私としては事を荒立てたくないのだよ」
「それはわかりますが!」
「君の為でもあるんだよ、なんでも君の暴言がきっかけだそうだな?目撃者が沢山いるのだよ、彼の問題を調べるなら君の発言も当然記録に残るだろう。それに彼が何か良くない事をしていたとしたらそれはそれでスキャンダルだしね」
上司はあくまで事を魔法局のイメージを守るためだと言い、この件を深掘りすればそちらも損になると暗に示した。
ガスタンはまだ不満を感じていたがその場では引き下がることにした。
「ギュントさん、いいんですか?」
「このままで済ますものかよ、奴の娘にはもう一度試験を受けてもらうつもりだ。」
ガスタンは薄気味悪い笑みを浮かべる。そして部下に指示を飛ばすと痛む顔を押さえながらも笑みを浮かべて歩き去った。
『そんなことがあったんですか・・・』
『うん、奴があの子に何かしてこなければいいんだが・・・』
ルナはそれを聞いて泣きたくなった。父に迷惑が掛かっている。そう思ったからだ。
父親は自分の為に怒り、そしてそのために謹慎という処分を受けている。そしてそのことをおくびにも出さず明るく振る舞っているのである。
「いけない、私・・・もっと頑張らなきゃ・・・」
決意を新たにルナはさらに勉学に励むことにした。捨てようとしていた追試の通達を引き出しに仕舞い込んで、それから数日が経っての事である。
ルナは鞄を胸に抱えて、人気のない道を足早に歩いていた。参考書を買いに行こうと街へ出た帰り、なんとなく背後が気になって脇道へ入ったのだった。
だが角を曲がったその瞬間――
「やっと見つけた」
硬い声と共に、制服の上からローブを羽織った男が、路地の入口を塞いでいた。
ガスタンの直属の部下、教務補佐の一人である。
「ルナ・フラウステッド──再試験の通達を受け取っていないな?明後日、補習棟第二試験場に来い。拒否は許されん」
「え・・・で、でも、わたし・・・その、魔法、うまく使えないって、先生たちにも・・・」
声を震わせながら下を向くルナに、男はあからさまなため息を吐いた。わざとらしい言葉にルナは参考書を持つ手に思わず力が籠った。それは魔力欠乏症は短い期間に発症すると命やその後の魔力の成長にも大きな悪影響を及ぼすこともあると聞いたことがあるからだ。できないとわかっていて魔法を使わせるのは彼女のわずかに残った可能性すら摘み取る行為に等しい。
「そうだな。使えないらしいな・・・ああ、そういえば、噂で聞いたぞ?」
男の声が急に低く、侮蔑を帯びる。笑いをかみ殺すようなしぐさをしながら目の前の少女に告げる。
「くくっ、お前・・・父親とは、魔力の系譜があまりにも違いすぎるらしいな。“不義の子”じゃないかって話、知ってるか?」
ルナの顔から血の気が引いた。何かを言いかけた唇は、何も発することができなかった。
男は楽しげに笑って肩をすくめる。ルナは目の前の男性が本当に自分と同じ人間なのかと思ったほど、悪辣に見えた。
「ま、俺には関係ないがな。ただ、追試を受けないと・・・そうだな。お父様が、また騒ぎを起こすかもしれないな?次は“処分”じゃ済まないかもな」
そう言って、男はルナのすぐ横を通りすぎる時、わざと肩を当てるようにして押しのけていった。
「じゃあな、お嬢ちゃん。遅刻は許可されないから、朝一で来いよ?」
足音だけを残して男は去っていく。狭い路地にひとり取り残されたルナは、鞄を抱いたまま立ち尽くし、瞼を伏せて唇を噛んだ。
――その手は小さく、しかし震えていた。
逃げるように走って自宅にもどり、そこから自室に逃げ込んだ先でルナは涙が止まらなかった。
「どうして、どうして・・・!」
自分は何も悪くないのに、父もそうだ。誰も悪くないはずなのに、どうして・・・!
ほんの数日前まで自分の目の前に広がっていた希望が、何もかもが崩れ去っていくような感覚にルナは嗚咽した。
「あ、あああぁ・・・、ど、どうしたら・・・どうしたらいいの?」
そうつぶやいた時、不意に彼女の手に何かが触れた。
「・・・?」
鼻をすすってそれを見る。それは家庭教師であるルルイエの持っていた栞だった。
テキストを読む際に使っていたものを譲ってくれたことを思い出してルナは栞に懺悔するしかなかった。
「ごめんなさい、先生・・・私は、もうダメみたいです・・・教えてくれたことも、なにも・・・」
無駄だった。それを口にすることはできなかった。あまりに残酷過ぎて。それでも、諦めきれない思いが彼女を駆り立てた。
「なるしかない、私は・・・悪魔になる・・・それしかないんだ」
月が赤く染まる夜、少女は一人自宅を飛び出した。




