中身はおばあちゃんな魔女ですが結界を破って王子が求婚にきました
結界を破って、この地に人が入って来たのはいつ以来であろうか――。
きらめく金色の髪に透き通った海のような瞳。少年らしさの残るあどけない表情で、その者は言った。
「やっとお会いできました、森羅万象の魔女様!」
「……は?」
いや、待って。何でその二つ名を知ってるの!? それあれだよ、私が魔女学校に通っていた時に友達と「私、これから自分のこと森羅万象の魔女って名乗るから!」「え〜っなにそれカッコいい〜! じゃあ私は混沌の魔女!」「私は、幻影の魔女〜!」ってなノリで付けた、私の黒歴史だよ?
「――森羅万象の魔女様?」
「待って、その名前で呼ばないで? 私にはイルメラっていう普通の名前があるから!」
「イルメラ様ですね。初めまして、僕はローレンツ・エンヴァルトと申します。この国の第三王子です」
「第三王子!?」
第三王子が、何でこんな所に? いや、それよりも……。
「貴方……どうやって、この結界を破ったの? ここの結界は三十年以上、誰にも破られていないのよ?」
「魔女様に会いたくて僕が破りました。すみません、どうしてもお話しをしたくて……」
……え、この子が破ったの? この結界を? 自分でいうのも何だけど、私かなりの実力者なんですけど? 人と関わるのが嫌すぎて魔法技術を磨きまくって、つよつよ結界を張っておいたのに「魔女様に会いたくて、僕が破りました☆」って……凄いな、今時の若者……。
「……え、えっと、じゃあ、とりあえず家……来る?」
「いいんですか!? お邪魔させていただきます!」
うっ……眩しい……こんな眩いものを見たのは数十年ぶりだ。いつも、ジメジメした森の中で暮らしているから、こんなきらめきに溢れた存在は目に痛い。
とりあえず第三王子を家に招き入れると、お茶を淹れてテーブルの上に置く。
「……つまらないものですが……」
「わあ、すごく良い匂いがします。いただきます……うん、とっても美味しい!」
そんな輝きに満ち溢れた笑顔で言ってもらえるような物ではない。その辺の薬草を乾燥させただけの物だ。
「ところで、お話しとは?」
面倒なことじゃないといいなぁ……わざわざ、ここの結界を破ってまで話したい事とは何なのだろうか。
「そうでした。魔女様……いえ、イルメラ様」
王子様が私の手を両手で柔く握る。
「僕と結婚してください!」
「ぶっは!!」
あっぶな! もうちょっとで第三王子の綺麗な顔にお茶吹きかけるところだった。
今のなに? 聞き間違い? あまりに人と関わらな過ぎて、耳まで退化しちゃった?
「……き、聞き間違いだったら、ごめんなさい。今、結婚って言った?」
「はい、僕と結婚してください!」
……聞き間違いであって欲しかった。
「――えーっと……どういうことか、説明してもらえる?」
「はい、実は――」
第三王子曰く、今度お城で行われる舞踏会で花嫁を見つけなくてはならないらしい。
だが、王子は乗り気になれなかった。彼には憧れの人がいたからだ。そう、それがこの私こと森羅万象の魔女(黒歴史)なのだ。
王子は国内外の魔女や魔法使いに教えを請い、実力をつけ遂にこの森の結界を破ることに成功したのだという。
「……すみません、突然こんなこと言われてもご迷惑だとは分かっているのですが……結婚するなら、どうしても貴方が良かったのです」
私は引きこもりではあるが、長年生きてきたせいもあり、ごく一部の書物や辞典なんかに登場していたりする。彼は、それを見てここに訪れたのだろう。あんなマイナーな本を読んで私に憧れるだなんて……と思わず笑ってしまった。
何より、書物に登場する私は随分と誇張されていて、読んだ際に呆れたことを良く覚えている。
「……物語の中の魔女と、私は全くの別物ですよ。あの中の私は誇張されすぎているし、そもそも文字の中の存在だからこそ魅力的に見えるだけで、本物は貴方の思っているような魔女なんかではありません」
王子は目を丸くして、何度か瞬きをする。
「……そう、でしょうか? 本物の魔女様も、とても魅力的ですが」
おいおいおいおい。凄いな、この王子様。本人を目の前にして、そんなこと言っちゃう?
「どうしても難しいようでしたら、契約結婚という形でも構いません」
「契約結婚?」
「はい。イルメラ様の望む条件での結婚……というのはどうでしょうか?」
「私の……? 貴方はそれでいいわけ?」
「はい。それで、イルメラ様がお側に居てくださるのでしたら」
……うーん……望む条件というのは非常に魅力的だ。正直、そろそろ資金が底をつく頃だったし、高価な本や貴重な薬草なんかも欲しい……。
だからと言って形だけとはいえ、王子と結婚だなんて……。
私は小さく息を吐くと、王子をちらりと見やる。美しい金色の髪に透き通った碧色の目、身長は百七十センチ近くある私とほぼ同じくらいだろうか。真っ直ぐに伸びた背筋と人好きのする爽やかな笑顔。上品であどけなさが残る雰囲気を纏っている。
「……王子は、お幾つなのですか?」
「今年で、十六歳になります」
てことは、今は十五歳なの!? 若っ! 怖っ!
「私は、随分と長く生きておりまして……恐らく王子の曾祖母様よりも年上だと思われますが、そんなのが相手でもよろしいので?」
「そうなんですか? 僕には、二十歳前後くらいにしか見えませんが……」
魔女だからねー! 見た目はね!
「僕は気にしませんよ。それに、どんな条件でも呑むつもりですので遠慮なく言ってください」
悩みに悩んだ挙げ句、私はいつでも好きなだけ本や薬草を買うこと、基本的には自由に過ごさせてもらうこと、対人関係にはほぼ一切関わらないことを条件に第三王子と契約結婚をすることになった。
◇
後日、城に行き諸々の挨拶や手続きを済ませると、私の方はのんびりと離宮暮らしを満喫させてもらっている。
「あ~美味しいご飯は出て来るし、希少な本は読み放題だし、薬草も取り寄せたらすぐに届くし、快適すぎる〜。一生ここに居てもいいかも……」
「まあ、それはローレンツ王子が大変喜ばれますわ」
そんなことを言いながら、にこやかに部屋に入って来る侍女に視線を向ける。
「あら、アリーシャ。今日のおやつは何かしら?」
「本日はマカロンでございます、イルメラ様」
「なんて、ハイカラな食べ物! さすがは王都ね!」
「ふふっイルメラ様ったら、おばあちゃまみたいな言葉遣い」
実際、おばあちゃまなんだけどねと小さく笑う。
アリーシャは私と王子が契約結婚だと知っている数少ない人物の一人だ。
「それと、こちらをお持ちしました。明日の舞踏会でのドレスです」
「あ~……あの言ってたやつ……一応花嫁は見つかったんだし、もういいんじゃないの?」
私の言葉にアリーシャが苦笑する。
「確かにローレンツ様の花嫁様は見つかりましたが、他の王子様方の花嫁探しの場でもありますし、何よりご結婚されたローレンツ様とイルメラ様のお披露目の場でもありますので……」
「……お披露目」
その言葉に、うんざりするが必要最低限やることはやらねばと考える。……しかし、第三王子とはいえ花嫁探しの舞踏会でお披露目なんてする? 本来ならもっとこう、ちゃんと正式な感じで行われるものなんじゃないの? いや、私はそんな面倒なのは嫌だけれど……。まあ、考えても仕方ない。とりあえず明日は頑張ろうと、マカロンを頬張るのだった。
◇
――翌日、用意された白いマーメイドラインのドレスを着て、鏡の前でくるりと一回転してみる。
「さすが、私。完璧に着こなしているわね」
そんなことをしていると扉がノックされ、返事をするとローレンツ王子が入ってきた。
「失礼します。――わあっイルメラ様、普段のお姿も素敵ですが、そのドレスもとても良く似合っています! 美の女神が地上に舞い降りて来られたのかと思いました」
胸に手を当て頬を染めながら、そんなことを言う王子。ほんと怖いわ〜、この十五歳。
「どうも、ありがとう。王子様も良く似合っているわよ」
「本当ですか? イルメラ様に褒めてもらえて嬉しいです!」
いや、誰がどう見ても褒めるとこしかないでしょ。こんなにも礼服の似合う人間いる? 他の王子様たちも、そんなに似合っちゃうの? ヤバいな、王族……。
「ああ、そろそろ時間ですね。参りましょうか」
「ええ」
――会場へとたどり着くと、あまりの煌びやかさに目眩がする。さすが王家主催の舞踏会……何もかもが豪奢すぎて倒れそうだ。
必要な挨拶が終わり、場内にいる乙女たちが王子様からお声が掛かるのを今か今かと待ちわびている頃――。
挨拶の際に初めて目にした第一王子が目の前にやって来る。黒髪の真面目そうなこの男は、無遠慮に私のことをまじまじと見てきた。一体、何なのだろうと思っていた時。
「こんなのが、お前の花嫁なのか? ローレンツ」
――〝こんなの?〟 今、こんなのって言った? この若造。
「確か、多少は名の知れた古い魔女だったか? 見た目は良くても、中身は年寄りなんだろう? 長い間、森の中で引きこもっていたと聞いたし……よく、そんなのと結婚なんてできるな。まあ、お前にはお似合いか」
お? 喧嘩売ってる? 魔法でマンドラゴラに変えて素材にしてやろうか?
「――兄上。僕のことは、何とでもどうぞ。ですが、イルメラ様への暴言を許すつもりはありません」
「は? お前、誰にそんな口を――」
じっと視線を外すことなく真っ直ぐに見つめるローレンツ王子に、第一王子が僅かにたじろぐ。
「……っ、もういい!」
去って行く第一王子に、溜め息を吐く。
「なに、あれ。わざわざ、あんな嫌味を言うために来たの?」
「すみません、イルメラ様。ご不快な思いをさせてしまって……」
「あなたが、謝るようなことじゃないでしょう?」
「……ですが僕は兄弟たちに嫌われいるので、今後も嫌な思いをさせてしまうかもしれません……」
「そうなの? 貴方みたいな、いい子がなぜ……」
「――ねぇ、ちょっと!」
言葉の途中で声を掛けられたので振り向くと、そこには中老の見知らぬ女性が二人居た。何の用かと聞くよりも先に、一人が私を指差しながら叫ぶ。
「あなた、森羅万象じゃない!?」
つい最近も耳にした黒歴史名で呼ばれて、頬が引き攣る。
「やっぱり!? 私も似ていると思ってたのよ〜!」
「あらぁ〜、久しぶり! 元気にしてた?」
声を掛けて来た二人を、目を細めてじっくりと見つめる。すると黒歴史時代の面影が浮かんでき来た。
「――貴方たち、もしかして混沌と幻影!?」
二人とも、それなりに歳を重ねた見た目になっていたので、全然気が付かなかった。
「やだぁ〜懐かしいわねぇ、その呼び方! 思い出してくれて嬉しいわぁ!」
「森羅万象は、あの頃と変わらないわね〜」
「そりゃそうよ、森羅万象は純血ですもの! 混血の私たちとは違うわよ〜」
「そうよねぇ〜。混血だと、どうしても年を取るのが早いのよね〜」
「とはいえ、普通の人間よりずっと寿命は長いんだけどねぇ!」
「「あはははは!」」
「……そう、だったわね……」
そう、この二人は混血だ。なので私よりも時間の流れが早い……人の一生は短い。私はいつも皆に置いて行かれてばかりだった。
だからもう、人となんて関わりたくない……そう思って薄暗い森の中で一人で生きてきたんだ。
「それより貴方、ローレンツ王子とご結婚したの!? いいわねぇ〜、あんな良い子と! 羨ましい〜、私も孫に欲しいわぁ!」
「やだ、孫じゃなくてひ孫でしょ!」
「あらっそうね、ひ孫ね!」
きゃっきゃっと、はしゃぐ混沌と幻影を見て思わず笑ってしまう。
「二人とも、相変わらずねぇ……」
そんなやり取りをしていると、ぱっと会場の照明が消える。
「なに!?」
突然のことに、会場内がざわめく。
私がドレスの下に隠してあった杖を取り出した次の瞬間、明らかな殺気が迫ってくるのを感じる。
「(――いったい、何なの? どういう状況?)」
視界の端でローレンツ王子を捕らえると、彼の目の前に誰かがいた。
急いで王子を後ろに引っ張ると、杖を振りかざして呪文を唱える。
『風精霊の息吹!』
風が起こり相手が怯んだ隙に、ローレンツ王子の前に出る。
「王子様、大丈夫!?」
「――っ、ありがとうございます。問題ありません!」
ほっとしたのも束の間、蹴りが飛んで来たので防御魔法で弾くが、相手は私の左側に隙が出来たのを見逃さず、手に持っていたナイフをローレンツ王子目掛けて投げつけた。
「王子っ!!」
「――っ!!」
ローレンツ王子がナイフを避けたのを見て安堵の息を吐くと、混沌と幻影の声が耳に入る。
「ちょっとちょっと、何よ急に暗くなって〜! 停電?」
「あら、すこし待ってて……」
『光よ!』
混沌が魔法で辺りを照らすと、ぼんやりとしか見えてなかった相手の顔がハッキリと目に映る。
――そこに居たのは……。
「…………ア、リーシャ……? なんで、あなたが……」
私の言葉に、アリーシャが忌々しそうに答える。
「――何でですって? そこに居る第三王子を殺さなきゃならないからよ!」
「……こ、殺すですって!? なんで、そんなこと……」
「あなた聞いていないの? その王子の母親は下級貴族ですらない貧民の娘だったのよ。見た目だけで側室に選ばれて、直ぐに死んでくれたものの……よりによって、そいつを産み落としてから逝ったのよ!!」
アリーシャが吐き捨てるように言う。
「他の王子の血筋は素晴らしいものばかりよ。けれど、そいつだけは違う……下賤の血が王家に混じっているなんて許せない!! だから、そいつを殺せる機会をずっと伺っていたのに……邪魔をしないでっ!!」
「……っ……」
思わず後ろに居るローレンツ王子に視線を向けると、彼は薄く微笑みを浮かべていた……。
僅かな悲しみと諦念……たかだか十五歳の子が見せるような表情では無かった。
――この子は、どれだけの悪意の中で生きてきたのだろうかと胸が苦しくなる。
「みんな、出てきて!」
アリーシャが声を上げると、何処からか黒服の集団が現れる。
「――我々は正当なる血筋を守る者。そこの下賤の者を生かしておくわけにはいかない!」
ああ、昔からいたわねぇ……こういう思想の集団。
私は小さく息を吐くと、アリーシャに向けて杖を構える。
「――させるものですか!」
私とアリーシャが対峙していると、困惑した様子の混沌と幻影が騒ぎ始める。
「ちょっと、何ごと!?」
「ローレンツ王子が狙わているの?」
「あらやだ、だったら私たちも助太刀するわよ、森羅万象!」
そう言うと、二人は杖を構えた。
『舞え!』
幻影が呪文を唱えると、テーブルの上の食器たちが浮遊し黒服の集団を目掛けて飛んで行く。
「なんだ!?」
「危なっ!!」
「痛っ!!」
「クソっ! 上手く避けろ!」
「こっちからも仕掛けるぞ!」
一部の黒服たちが、こちらに向かって来る。
『沈め!』
今度は混沌が呪文を唱える。すると、黒服たちが次々と床に叩きつけられて行った。
「何をやっているのよ!!」
黒服たちの有り様を見て怒鳴るアリーシャに、ざまぁ見ろと笑ってしまう。
「やるじゃない、貴方たち!」
二人に声を掛けると、楽しげにウィンクが返される。
「任せといてよ!」
「森羅万象はローレンツ王子を守ってあげて!」
その言葉に頷くと、アリーシャが目を血走らせながらこちらを睨む。
「許さない許さない許さない許さない……絶対に許すものですか!! 下賤の血を途絶えさせてやるっ!!」
暗器を両手に持って走って来るアリーシャに対して、私も呪文を唱える。
『氷精霊の氷雪!』
幾百の氷柱が現れるとアリーシャに向かって放つ。小さくとも鋭いそれらが彼女の身体に突き刺さる。
最後に大きな氷柱を作ると、アリーシャの腹部に叩き込んだ。ちゃんと先端は丸くさせておいたので安心してほしい。
「……ぅっ、ぐっ……ごほっ……」
蹲るアリーシャを一瞥すると、はっと息を吐く。
「――下賤の血ですって? ふざけんな!! 高貴とか下賤とか純血とか混血とか……私は、そういうのが大っ嫌いなのよ!! この子が何をしたっていうの? ただ、王子としてこの場所で生まれただけじゃない! そんなことで忌み嫌うような、あんたみたいな人間の方がよっぽど下品で醜いわよ!!」
もう一度杖を振りかざすと、呪文を唱える。
『水精霊の戯れ!』
溢れ出す水でアリーシャを捕縛すると、黒服共と一緒に護衛に引き渡す。
アリーシャは最後まで何か喚いていたが、魔法で口を塞いでおいてやった。
舞踏会の途中ではあるが、事が事なので私とローレンツ王子は一足先に帰らせてもらうことにした。心配してくれていた混沌と幻影とは、互いに連絡先を交換してから会場を後にする。
◇
離宮に戻る途中、眩い月が噴水の水面に映る様をぼんやりと見ていた時――少し先を歩いていたローレンツ王子が振り返る。
「……イルメラ様、先ほどはありがとうございました」
「……いいえ。貴方が無事で良かったわ」
「それと、怒ってくれたことも凄く嬉しかったです」
目を細めて笑う王子に、私は小さく首を左右に振る。
「……本当のことをお話しすると、この舞踏会で僕の命が狙われていることを知っていたんです」
「……そ、そうなの?」
「はい。……貴方との結婚も、貴方の魔女としての能力を、買ってでのものでした。――先ほど僕を助けてくれた貴方様は、物語さながらの強さで……表舞台には出て来ませんが、やはり森羅万象の魔女様は、誰よりも強く高潔な僕の憧れの魔女様です。……そんな貴方に試すような真似をしてしまって、申し訳ありませんでした……それと、出自のことを黙っていたことも重ねてお詫びいたします」
「……まぁ、それは別にいいんだけど……」
なるほど、全部分かっていてのことだったのか……。この子は、私が思っていたよりもずっと強かな子なのかもしれない。
「……ん? てことは、命を狙っていた犯人は捕まったし私はこれでお役御免ってことでいいのかしら? 私に犯人を捕まえてもらいたかったって解釈で合っている?」
「……それは……」
なかなか快適な生活だったし、王子が生きている間くらいなら一緒に居てもいいかと思っていのだが、役目が終わったのなら仕方ない。またあの森で気ままに暮らして行こう。
そんなことを考えいたら、ローレンツ王子の内ポケットから何かが落ちるのが目に入る。
「あら、何か落ちたわよ?」
足元に落ちた手紙らしき物を拾おうとして手を伸ばすと、ぞくりと肌が粟立つ。
「(――っ、これは、人の悪意?)」
戸惑いながらも手に取ると、王子に手渡す。
「ああ……すみません。拾っていただいて、ありがとうございます」
「そ、それは何なの?」
「これですか? 殺害予告のお手紙です」
「さっ、殺害予告!?」
まさかの言葉に声が上擦る。
「ええ。頻繁にいただくので、もう慣れました。食べ物に毒が混入されていたり、部屋にピアノ線が仕込まれていたり、寝首を掻かれそうになったり……まあ、いつものことですので!」
そんなキラキラの笑顔で言うセリフじゃないわよね!? なんなの、この子……お城でどんなエグい暮らしをしているのよ……。
「ですが、アリーシャに裏切られたのは少し堪えました……数少ない信用できる者だと思っていたので……」
少し寂しそうに目を伏せるローレンツ王子。
この子……この広い城の中で孤独なんだ。信用できる人なんて、ほとんどいなくて……常に命を狙われていて……きっついなぁ。たかだか、十五歳の子がこんな状況に居るの……私以上の人嫌いになっても、おかしくないでしょうに……。
「……あの、イルメラ様……嫌ではなければ、僕との結婚を続けてもらえませんか? 条件は、いくらでも付け加えてもらっても構いませんので……」
そうよね……一人でも信用出来る者に居て欲しいに決まっているわよね……。
「いいわよ、別に。もともと貴方が生きている間くらいなら続けてもいいと思っていたしね」
「……えっ……それって……」
「ああでも、お世継ぎ問題とかあるし、こんなおばあちゃんよりも若い子と結婚した方が……」
「そんなことありません! 最初にお伝えした通り、僕はずっとイルミラ様に憧れていたんです。結婚するなら絶対に貴方が良いと……だから、たくさんの魔法使いたちに教えを請い、あの結界を破って貴方に会いに行ったんです!」
真剣な眼差しで伝えてくれるローレンツ王子に、たじろいでしまう。こんな若くてキラキラした子にここまで言われると、さすがに少し照れくさい。
「ありがとね、ローレンツ王子。――あ、それと結婚の条件に付け加えて欲しいことがあるんだけど」
「何でも言ってください」
王子が、にこりと微笑む。この子、私がめちゃくちゃな条件出したりするとか思わないのかしら?
「これからは、なるべく私を側に置いておきなさい。それと、貴方の隣の部屋を用意してくれるかしら? 今後は、そこで寝ることにするから。それから、混沌と幻影……私の友人を二人ほど雇ってほしいの。あの二人なら信用できるし、実力も申し分ないから」
そこまで言うと、ローレンツ王子の左手を指さす。
「最後に――その指輪、貸して貰える?」
彼は頷くと、薬指に嵌めていた結婚指輪を外し、私に差し出してくる。
それを受け取ると、自分の指からも外し二つの指輪を掌の上に乗せてから呪文を唱える。
『光精霊の誓約』
指輪が、ぱぁっと大きな光りに包まれると、徐々に明るさが弱まってゆく。
「はい、これで貴方に何かあれば感知できるようにしておいたから。もしもの時には、すぐにでも駆けつけるわ」
指輪を返すと王子が、ぎゅっと握り込む。
「……っ、……ありがとうございます、イルミラ様……」
ローレンツ王子の瞳が僅かに潤んでいるのを見て、小さく息を吐くと微笑みかける。
「なによ、大袈裟ねぇ。私たち仮にも夫婦なんでしょう? 旦那様のためなら、そのくらい何でもないわよ」
軽い調子で言うと、王子が緊張した面持ちでこちらを見つめてくる。
「イルメラ様、お願いがあります」
「な、なに?」
あまりに、真剣な様子に少したじろぐ。
「良ければ僕に、魔法を教えてくれませんか?」
「……魔法を?」
「はい。貴方に守られるばかりではなく、僕自身も戦えるように……そして、いつか貴方に背中を任せていただけるようになりたいんです」
――本当に真っ直ぐな子だこと。
魔法を教えるだなんて面倒なこと、本当はしたくはないんだけれど……こんなにも真面目に嬉しいことを言ってくれたら、断るわけにもいかないわね。
「――言っておくけど、私は厳しいわよ?」
「はい、覚悟の上です」
「貴方が、どんな魔女や魔法使いに師事していたのか知らないけれど、私は二時間に一回しか休憩しないし、日に二回しかおやつは出さないから! あ、お茶は毎回出してあげるから安心なさい」
私の言葉にローレンツ王子が目を丸くしたあと、吹き出す。
「ふっ……はは! あははっ!」
「な、なに? どうしたの? もしかして厳しすぎた? だったら、おやつは日に三回までなら……」
「……違います。やっぱりイルミラ様のことが好きだなぁと思いまして」
この王子、急に恥ずかしいことを平気で言うのよね。
「僕は、ずっとずっと……これまでも、これからもイルミラ様のことが大好きです。憧れの魔女様……こうして貴方の側に居られることに、感謝しています」
何だか熱烈だわね……おばあちゃん、あんまりこういうことに免疫がないから、気恥ずかしくなってきたわ。
「う、うん、そう……それなら、良かったわ……」
ローレンツ王子は爽やかに微笑むと、私の左手を柔く取り指輪にちゅっと音を立てて口付けを落とす。
「これからも、よろしくお願いします。愛しの魔女様」
うっとりと目を細める王子を見て、何となくこれで良かったのだろうかと不安を覚える。
◇
――その後、類まれなる努力と才能で力を付けて行ったローレンツ王子が王国一の魔法使いとなり、私たちが最強の夫婦と呼ばれるようになるのは、もう少しだけ先の話である――。