ブーブー姫は追放された。でも幸せになりました。
「あらやだ、またあの人試食しているわ」
「クスクス。噂のブーブー姫ね」
ドルバーン侯爵が開いた夜会。
煌びやかな会場には着飾った男女が集結しているのだが、何人かは私のことを見て小馬鹿にしてくる。
慣れたもの。
でも良い気はしない。
私はいま、立食パーティで用意された料理を食べ回っている。
すべてのテーブルのそれらを一つまみ食いして、問題なければ次のところに向かう。
もちろん、食い意地が張っているわけじゃない。
私は毒に耐性のある、特異体質なのだ。
だから、ここにいる皆が気持ちよく過ごせるように頑張っている。
それなのに……
「ヒュンデル男爵家のケイティさんでしたっけ?」
「そうそう。去年、ご両親がお亡くなりになったのよね」
「あーら可哀想っ! もしかして食べる物が足りなくて、それであんな……プフッ!」
悪口を言うならせめて本人の聞こえないところでやってほしい。
でも内容は本当だ。
私の両親は一年前に不慮の事故で亡くなった。
それも私の二十歳の誕生日に。
最悪のバースデーだったけれど、泣いてばかりもいられないので毒味の仕事に集中している。
「やあ、ケイティ! 今日も綺麗だね!」
美青年が超満面の笑顔で話しかけてくる。
ライトブラウンのサラサラな髪に藍色の瞳。
スラリと背は高めで、女優も裸足で逃げ出すほどの肌の綺麗さ。
着ている服は王家の紋章が施された礼装で、一目で身分の違いを周囲にわからせる。
彼はフォレス・フォード。
この国の第二王子で、私の幼なじみでもある。
幼なじみといっても身分が違い過ぎるため、大人になった今は失礼のないようにしなくてはならない。
「フォレス様。お久しぶりでございます」
「そんな畏まった言い方やめてくれよ。一緒に冒険した仲じゃないか」
確かに、昔は森やら山やらを一緒に駆け回った。
彼は王族の子なのによく可能だったな……と今では不思議な気持ちだ。
「でも私は、もう爵位すらない平民も同然の者です」
父の爵位は継がなかった。
私は貴族が向いていないから。
フォレスは相変わらず眩しい笑顔で言う。
「爵位? それで、ケイティのなにが変わったんだい? 僕からすれば不変。君は魅力的なままだ!」
「……わかったよ。今日は毒味の仕事できたの。そっちは?」
「ドルバーン侯爵にお誘いを受けてね。それと、ここのアップルパイは格別だからさ〜」
たまらねえって顔をするフォレス。
もう二十歳なのに五歳のときと同じ顔で、私はクスッとする。
昔からパイが大好きだったよね。
その大好きなアップルパイを給仕係の人が運んでくる。
大きな皿に7、8切れのせられていた。
「侯爵のパーティで出るパイは最高なんだよ!」
目を輝かせながらフォレスは手を伸ばす。
「待って! 私が先よ!」
シンと静まりかえる会場。
……しまった。
声が大きすぎた。
周りにいた、特に女性たちが騒ぎ出す。
「まあっ。フォレス様に向かって、なんて言い方なの!?」
「食い意地張っているとは知っていたけど、酷すぎるわ」
「ちょっと貴方! 無礼極まりないわよ!」
何人かの女たちが私を取り囲む。
大体は見覚えのある顔。
フォレスに恋心を抱いている人たちね。
「大変失礼しました」
私はすぐに頭を下げて謝罪する。
面倒ごとは避けたい。
でも彼女たちの怒りはおさまらないようで、私のことを責め立てる。
すごい剣幕で。
見かねたフォレスが止めに入る。
「違うんだ君たち。彼女は僕のために——」
「——フォレス様、それよりパイが好きなんですよね。はい、どうぞ」
私を庇おうとするフォレスに、取り巻きの一人がアップルパイを渡そうとする。
取り巻きといっても、私は見たことがない顔だ。
フォレスはそれどころじゃないといった様子でスルーする。
が、彼女は彼の口元にパイを運ぶ。
「ほら、お食べになってください。あーん」
彼女の行為は、王子に対してかなり無礼だ。
でも私は礼儀なんかよりも危機感を覚える。
「それは私が食べる!」
私は咄嗟に動き出し、彼女からパイを奪い取るようにした。
すぐに一口食べる。
事情をよく知らない人からすればドン引きの行為だろう。
けれど、それは大正解だった。
「……うっ」
かなり苦い。
それでも呑み込むと、しばらく全身に痛みが走った。
間違いない……!
毒だ。
「フォレス、絶対に食べないで! 毒が入っているわ」
ざわざわと会場内に動揺がはしる。
でも信じない者もいる。
私を取り囲んでいた女の一人が鼻息をならす。
「ふん。なんて食い意地の張った女なの。ひとり占めしたいからってそんな嘘を」
彼女は皿のアップルパイをわしゃっと潰す勢いで取る。
「あなた、陰でブーブー姫って呼ばれているのよ。豚みたいに食ってばかりいるから」
そう言うと、彼女はアップルパイを食べてしまう。
……なんてことを。
私は血の気が引くのを感じた。
「はい、毒なんてなにも入ってませんでしししししし……じじじぐぐぐうぐぐうぐぐ…………」
顔が急激に紫色に変わったかと思うや、ぶっ倒れて痙攣し出す。
よほど苦しいのか首をかきむしるような動作をして、口からはぶくぶくと泡を噴き出す。
「医者を呼べ!」
フォレスが鋭い声を発する。
それから五分もせずに医者が到着した。
そして一分の診察で諦めた。
すでに死んでしまっていたのだ。
私の体感でも、あの毒は猛毒に入る強さがあったように思う。
口にしたらまず助からない。
それこそ私のような体質でもなければ。
☆ ★ ☆
私の両親も体が強い方で、ちょっとした毒キノコ程度なら難なく食すことができた。
私はサラブレッドだったようで、その特性が色濃くでたようだ。
更に子供の頃に毒草やら毒キノコやら食しまくったおかげで、今ではどんな毒でも基本的には平気。
どうせなら、この体質を活かそう!
そう思ってパーティなどで毒味役の仕事を請け負っている。
たまに要人を狙って暗殺を仕掛ける人も多いので仕事には困らない。
さて。
晴天が気持ちいい正午。
私は城の中庭に到着した。
見事に刈り揃えられた綺麗な芝生。
そこの中央では、フォレスが剣の素振りをしている。
一心不乱に行っており、汗が頬を伝って顎下から滴り落ちる。
集中しすぎて私に気づいていない。
そこで後ろに座って見学する。
速い。
正確。
なによりフォームが美しい。
「……王国始まって以来の天才か」
ぼそっと呟く。
フォレスは天才中の天才と言われている。
幼い頃から才能が爆発していた。
そういや、十歳でベテラン剣士にも勝っていたなぁ。
凄いのは、フォレスは誰よりも努力家なこと。
王国一の才能×努力家。
そりゃ比肩する人がいなくなる。
「ケイティィィィーー! いつからいたんだーーーい!」
私に気づいた彼は、雄叫びをあげるような声で全力ダッシュしてくる。
「少し前から。頑張ってるね」
「剣は少しサボると腕がガクンと落ちるからね。それより今日はきてくれてありがとう」
「ううん。私に用って?」
今日は話があるからとフォレスに呼ばれていたのだ。
彼は少し離れた位置に置いてあった袋を持ってくる。
口を開けて中から小さな箱を取り出す。
「ケイティ、誕生日おめでとう!」
箱を開けると、中には金のネックレスが入っていた。
どう見ても高い。
普通に渡してこようとするので私は両手で拒否する。
「そんなの受け取れないよ! っていうか、誕生日だったことも忘れてたんだけど」
日々生きるのに必死すぎたのか、本気で忘れていた。
フォレスはハハハと笑ってから、私の首に手を回してネックレスをつける。
「おー、やっぱり似合うねー」
「本当に、こんな高そうなのいいの?」
「去年は悲しいことがあったから、今年は最高の年にしよう!」
誕生日になると、両親のことを思い出して悲しくなるかもと気遣ってくれたのだろう。
昔からずっと優しい。
変わらない。
私はお礼を言ってネックレスを眺める。
ついニヤニヤしてしまう。
それからフォレスと楽しく話をしていると、中庭に数人の男性がやってきた。
その中の一人は、彼の兄である第一王子のヨウガだった。
「ようフォレス、女と楽しそうだな。オレと手合わせしてくれよ」
ヨウガは短髪で人相があまり良くない。
特に目つきが鋭くて、いつもクマがある。
私たちの二つ上で、幼い頃から残忍な性格をしていた。
あまり気乗りしないフォレスを見て、彼はターゲットを私に変えた。
頭を下げる私の顎を、剣の鞘で持ち上げるようにする。
「久しぶりだなケイティ。いやブーブー姫だったか!」
噴き出すヨウガと取り巻きたち。
私は表情を変えずにジッとする。
ここで逆らうと面倒なことになるのはわかっているからだ。
問題はフォレスがどうか……。
チラッと横目で確認するとブチギレ全開の顔だった。
ちょ!?
「兄上ッ! 今の言葉は撤回してください……いや撤回しろ!」
「な、なんだお前。兄に向かって無礼だぞ!」
「先に無礼を働いたのはそちらではないですか! ケイティに謝ってください」
クワッと目を見開いて詰めるフォレスに、さすがのヨウガもタジタジだ。
「それならオレと勝負しろ。お前が勝ったら謝ってやる」
さすがにこの展開は嫌だ。
私はフォレスに訴える。
「私なら大丈夫だから。なにも気にしてないから」
「……受けて立ちましょう」
ああ、ダメだ。
もうなんか、戦いのモードに入っている。
11歳の頃、二人で森にいったとき、クマに襲われたときと同じ顔をしている。
ちなみにフォレスが剣で追い返してくれた。
フォレスとヨウガは向かい合って剣を抜く。
本物のショートソードで、訓練とはいえ命を落としてもおかしくない。
「オオオオオオ——!」
猛々しい雄叫びをあげてヨウガが攻める。
剣技は素晴らしいものがあり、並の剣士では一生到達しえない領域だろう。
このヨウガも天才なのだ。
フォレスに唯一対抗できるといってもいい。
ただ、幼い頃よりフォレスの方がいつも上回り、それが気に入らないのだ。
「クッ……」
実際、時間が経つに連れフォレスが優勢に変わっていく。
最後はヨウガの剣を遠くに飛ばして無手に追い込んだ。
「チッ……。今夜のパーティで恥をかかせてやる」
ヨウガは踵を返して城に戻ろうとする。
それをフォレスは呼びとめる。
「兄上、ケイティに謝ってください」
「……もう謝ったさ。心の中でな」
つばを吐き捨ててその場からいなくなる。
うん……相変わらずだな……。
悔しそうにするフォレスの肩に私はそっと触れる。
「私なら気にしてないから。ありがとうね、私のために怒ってくれて」
「ケイティ。僕は絶対に君を守れるような男になるから。約束、覚えているよね」
子供の頃、将来は結婚して幸せになろうとよく話し合った。
大人になったいまは、無理だろうと私は諦めている。
身分が違うし、彼には妻候補なる素晴らしい女性が沢山いるからだ。
私は逃げるように質問を変える。
「そういえば、今日は夜会があるの?」
「ああ、そうなんだよ。もうすぐ王位継承で次期王が決定する。今夜は外国の人を呼んで王子たちのお披露目会さ」
フォレスはやれやれといった感じに髪をかき上げる。
彼は王になりたいわけじゃない。
自由になりたいのだ。
「それ、私も参加しちゃまずいかな?」
「え!? もちろんいいに決まってるよ! でも、本当につまらないよ?」
「うん、それでも参加したい」
急な申し出にもかかわらず、フォレスはとても喜んでくれた。
私がなぜ参加したいかといえば……嫌な予感がするからだ。
☆ ★ ☆
王族やら大貴族やらが参加する夜会とあっては安っぽい出で立ちではいけない。
できる限り奮発して私は着飾った。
夜の7時。
城の会場に入ると、すでに多くの貴族たちがいた。
高級そうなドレスに身を包んだ女性が特に多く感じる。
外国の要人もいるようだった。
立食形式を取っており、すでに多くの料理がテーブルに並べられていた。
私はすぐに歩き回って一口ずつ料理を口に運ぶ。
……うん、毒はない。
なぜ私が今回の夜会に参加したか?
この間の事件が気になっていたからだ。
ドルバーン侯爵家での料理。
アップルパイにだけ毒が入っていた。
——どうしても引っかかる。
フォレスは昔からアップルパイに目がない。
そして彼に食べさせようとしていた、あの女。
もしあのまま食べていたらフォレスは……。
「大丈夫そうね」
色んなテーブルの料理を食べたけれど、いまのところ全部問題ない。
考えすぎだったかな?
チラッと会場の奥に目をやる。
壇上に長テーブルがあり、そこに陛下と妃、五人の王子が座っている。
近く、王位の引き継ぎが決まる。
候補は第1から第5王子の五人だ。
最有力は第1王子のヨウガか第2王子のフォレスだと噂されている。
リンリン。
鈴の音が響き渡る。
どうやら陛下から話があるようだ。
「今夜はお集まりいただき、感謝する。皆も知っているとおり、私はもうすぐ王位を譲るつもりだ。そこで本日は、我が子たちの紹介を改めて行いたい」
五人の王子たちが前に出てきて、それぞれ自己紹介していく。
フォレスの挨拶は中々に素敵だった。
他の王子たちもよく考えてきたのだろうという内容だ。
でも私が注目していたのは、王子たちの背後。
王子の席でワインや食事の準備をしている給仕係たちだ。
——えっ!?
私は驚愕する。
給仕係の中に、この間の女がいたからだ。
しかも彼女がフォレスの席にワインを運んだ!?
「それでは我が子たちよ。席に戻って、皆と乾杯をしようではないか」
まずい、まずい……。
陛下の指示で王子たちが席に戻っていく。
その際、ヨウガがあの女と目配せをして、ニヤリとした。
もしかして、この間のこともヨウガの指示だったってこと?
集まった者たちにも給士係がワインを渡していく。
もう乾杯が始まってしまう。
私は人をかき分けるようにして前に出ていく。
陛下が乾杯の合図を出す。
「我が国の未来、そしてここに集まる皆の人生に栄光あれ! かんぱ——」
「——飲んじゃダメーッ!」
会場内、私の大声が響き渡る。
たぶん、人生で一番大きい声を絞り出したんじゃないかと思う。
私は壇上に登り、フォレスの近くにいく。
「おい貴様、壇上にあがってくるなど正気か!」
怒りに満ちた顔でヨウガが叫ぶ。
私はペコリと頭を下げ、それでも壇上からは下りない。
陛下が目を凝らす。
「お前はケイティではないか。いくらフォレスの幼なじみとはいえ、その行為は……」
「父上の言うとおりだ! 不敬罪にもほどがあるぞっ」
ヨウガが唾をまき散らしながら怒鳴る。
なにも間違ってはいない。
それでも私は引き下がれない。
「フォレス、そのグラスを貸して」
「で、でも……」
「お願い」
フォレスは動揺しながらも理解してくれた。
そして私にグラスを渡す。
「私はどのような罪になっても構いません。でもこれだけは私がいただきます」
もし毒が入っていなければ、私は死罪だろう。
いや入っていたとしても、そうかもしれない。
でもフォレスが死ぬよりはずっと良い未来だ。
ゴクゴクと私はワインを飲む。
熱っ——!?
胃の中から食道にかけて、灼けるようだ。
そのすぐ後、針で刺されたみたいな痛みが継続的に続く。
毒に強い私でもキツい。
普通の人は一口でも飲めば、100パーセント死に至るくらいの猛毒だ。
「……やっぱりそう。このワインには毒が入っています」
どよめきが生じる。
陛下が動揺しながらも私に言う。
「ケ、ケイティよ。それは間違いないのか?」
私は頷く。
陛下は昔から私に良くしてくれた。
両親と古い仲だったこともあるし、私の体質の理解者でもあった。
信じてくれるだろう。
——パリン!!
ここで、私の持っていたグラスが床に落とされて割れてしまう。
当然、ワインも床にぶちまけられた。
ヨウガが私の手をグラスごと叩きつけたのだ。
「嘘をつけ! この食欲にまみれたブーブー姫が!」
「嘘ではありません! 本当に毒が入っているのです!」
「ならば見ろ」
ヨウガは自分のグラスに入ったワインを一気に飲み干す。
特に倒れる様子もない。
当たり前だろう。
自分のワインには毒を入れていないのだから。
「この女は夜会を回ってはつまみ食いに精を出している女です。ゆえにブーブー姫と呼ばれているのです」
会場に集まった人たちにヨウガが説明する。
静まりかえる中、ヨウガは雄弁をふるう。
「いかなる理由があろうとも王の許可もなく勝手に壇上にあがった。これは王家を愚弄する行為です。重罪……いや死罪に値する。父上、この女に裁きを! でなければ国民にも他国にも示しがつきません」
毒ワインのことをうやむやにしたい意図もあるのだろう。
とにかくヨウガはよく喋る。
そして悔しいけど雰囲気を呑み込む力は本物だ。
ああまで言われては、陛下としても威厳を示すために罪を言い渡すしかないだろう。
陛下は重々しく口を開く。
「ケイティ・ヒュンデルを…………国外追放とする」
苦しそうな声で絞り出した陛下に、私は深々と頭を下げる。
間違いなく温情だ。
死罪になってもおかしくないし、そうした方が示しがついた。
私が壇から下りると二人の兵士がやってきて連行しようとする。
「待て! その必要はない」
スタッと壇上から下りてきたのはフォレスだ。
剣の修行のときよりも真剣な表情をしている。
「ケイティは僕が責任を持って国外に連れていく」
「フォレス。それはどういう意味だ?」
陛下が焦った様子で尋ねる。
フォレスは陛下に体を向けて答える。
「父上、そのままです。僕はケイティとこの国を出ていきます」
「なんと!?」
この場にいた全員が驚いただろう。
もちろん私もその一人だ。
王が必死に止めようとする。
「お、お前は次期王に…………いや、これから王になるかもしれぬのだぞ」
「大切な人を守ろうともしない男に、国なんて守れないでしょう。これからは、一人の男として生きていきます」
目力の強さから、その覚悟は本物なのだと周囲にも伝わった。
フォレスは私の手を力強く引いて、城を出ていく。
城下町に繋がる橋があるのだが、その真ん中で彼はようやく足を止めた。
今夜は満月で、煌々とした星たちが夜空を彩る。
月明かりがフォレスの綺麗な顔を優しく照らす。
「ケイティ、僕は二回も君に助けられた。これからは、僕が君を守っていくよ」
そう言って、彼は私を強く抱きしめた。
色んな想いが頭の中を駆け巡ったが、私は感情に素直になって、抱きしめ返した。
☆ ★ ☆
あれから一ヶ月が過ぎた。
隣国の町に引っ越してきた私たちは、家を借りて二人で生活をしている。
フォレスは冒険者になった。
私は貴族や大商人の毒味役の仕事などをしている。
二人で協力して生計を立てて、日々一生懸命頑張っている。
生活は決して優雅ではないけど毎日が刺激的で楽しい。
今日も午前中から仕事だ。
朝は一緒に家を出て、途中まで並んで歩く。
「ケイティ、今日はなるべく早く帰るよ」
「私は早く終わるから、夕食準備して待ってるね」
「おー楽しみだ。ケイティのご飯はいつも美味しいから。……あ、そうだ。来月、三泊四日の旅行にでもいかないかい?」
「楽しそう! いきたい!」
「期待して待っててくれ。それじゃ!」
「うん、あとでね」
手を振ってフォレスと別れる。
彼の背中を見送ってから、私は仕事場に足を向ける。
国を出てから色々大変なことはあったけれど、フォレスと一緒に過ごせる日々はとても幸せだ。
☆ ★ ☆
「皆様、王としてご挨拶できることを光栄に思います」
王族や大貴族たちが顔を揃えた広間の中央には、喜色満面のヨウガが立っていた。
王位を継承するのはヨウガに決定したのだ。
新王となった彼の最初の仕事は、集まった王族や貴族たちに挨拶をすること。
「私が王となったからには、皆様のますますの繁栄をお約束します。共に尽力して、この国を世界最高の王国にのしあげましょう! ——かんぱい!」
ヨウガが誇りに満ちた顔でグラスをかかげる。
集まった者たちも同じような動作をした。
かんぱいという声が揃い、皆が一斉にグラスのワインを飲む。
ヨウガは勝ち誇った顔で空になったグラスを見つめる。
……オレの勝ちだ。
……オレは他の王子たちに勝ったんだ。
フォレスの暗殺は失敗したものの、結果として国を出ていったので良し。
他のライバルたちに対しての策も完璧だった。
フォレスに比べれば劣る王子たちなので、さすがに暗殺は企てなかったが、できる限りの妨害や工作は行った。
その努力が功を奏してついに念願の王の座を手に入れた。
……のはいいが、なんだか気持ち悪い。
「ゴエェッ!?」
胃酸が胸をかけあがってくる。
胸焼けに絶えきれず、ヨウガは液を吐いてしまう。
……血??
胃液かと思いきや赤い液体だった。
すぐに気道が塞がったのかと感じるほど呼吸が難しくなる。
苦しい、とにかく苦しい。
ヨウガは指で喉元をかきむしる。
「ひゅっ……ひゅぅうう…………」
助けて! そう声を出そうとするが発声すら難しい。
視界がグルグルと回って全身が震えだし、ヨウガは倒れ込む。
周りにいた人たちが驚いて駆けよってくるのはわかった。
皆がヨウガの顔を心配そうにのぞき込む。
その中で一人だけ、見下したような、邪悪な笑みを浮かべる者がいた。
第三王子である弟だった。
……キサマ、まさか……。
心の中で恨みの言葉を紡ぐが、それが口から出ることはなかった。
☆ ★ ☆
あれから二ヶ月が経った。
私たちの生活は順調だ。
今日は二人とも休みなので町中で買い物デートをしていた。
十分楽しんだので二人で自宅に帰る途中だ。
「楽しかったねー」
「今週末はもっと楽しいよ。旅行のプランを色々と練っているからね」
ニヤリとするフォレス。
どこに連れていってくれるんだろう。
楽しみでしょうがない。
……と、自宅の前に壮年の男性がいる。
お客さんだろうか?
私たちは顔を見合わせ、近づく。
「フォレス様ッ」
そう言った彼の顔には見覚えがある。
フォレスはよく知っているようで彼の名前を呼んだ。
「ロッツか!? どうしてここにいるんだ?」
そうだ、ロッツさん。
幼い頃からフォレスの生活指導なんかをしてくれた人だ。
「大事なお話があります」
ロッツさんは深刻な顔で告げた。
とりあえず家の中に入ってもらって、そこで話を聞くことに。
私は紅茶を入れながら、二人の会話に耳を傾けた。
「フォレス様、戻ってきてはいただけませんか?」
「今更なにを。もう王位継承だって終わっただろう?」
「その件なのですが——」
ロッツさんは私たちが城を出ていってからの話を苦々しい顔で語った。
その内容が衝撃的すぎて、紅茶をカップに注ぐ際に私の指にかかってしまう。
熱ってぃ!
……さておき、内容は酷いものだ。
まず次の王はヨウガに決まった。
しかし、そのヨウガが就任の日に暗殺されたというのだ。
総力をあげて調べたところ、犯人は第三王子のレクスだと判明した。
兄殺しの罪でレクスは処刑。
その過程で、死んだヨウガも方々で悪辣な行いをしてきたことが判明する。
部下に命じてフォレス暗殺を企てていた件も露わになった。
部下の女が吐露したらしい。
フォレスにパイを食べさせようとしたり、ワインに毒を入れた女のことね。
あの女も死罪になったとのこと。
あまりに醜い争いに陛下は参ってしまって、数日間高熱を出して寝込んだ。
そこから回復した陛下はこう言った。
「フォレスを連れてこい。王として迎え入れよ。……それが陛下のお言葉です」
「急に言われてもなぁ」
フォレスはポリポリと指で頭をかく。
ロッツさんは続ける。
「元々、王はフォレス様を次期王に推していたのです。実力的にも人格的にも最も相応しいだろうと」
やっぱりそうか。
ヨウガもそれを薄々感じ取っていたのだ。
だから二度もフォレスを暗殺しにかかった。
バレるリスクを負ってでも、自分が王になるためには仕掛けるしかなかったんだ。
結局は、自分も狙われる側だったのだけど。
フォレスは少し考えた後、きっぱりと答える。
「断るよ」
「……なぜです?」
「知っているだろ。僕は王として生きるよりもケイティと楽しく暮らしたい。それが僕の幸せなんだ」
少し泣きそうになりながら話を聞く。
私も同じ気持ちだ。
死ぬまでフォレスと一緒にいたい。
「もちろん、ケイティ様も一緒にお戻りください」
「あの、私は国外追放されているのですが」
つい話に参加してしまう。
「陛下は、フォレス様の命の恩人に大変失礼なことをしたと反省しております」
そっか、女が吐露したから私の言動が嘘じゃないって判明したんだ。
「フォレス様は王として。そしてケイティ様はその妃として。どうか二人で国に戻ってきてほしい。それが陛下のお言葉です」
「「ええっ……」」
フォレスはわかるけど、私なんかが妃?
もう貴族ですらない私には過ぎた話だが、陛下はそんなこと微塵も気にしないとのこと。
急展開すぎて黙り込む私に代わって、フォレスが答える。
「とりあえず今週、僕らは旅行にいくんだ。帰ってきてから決めるよ」
「畏まりました。良いお返事を期待しております」
ロッツさんは片膝をつくと胸に片手を添え、頭を下げてから我が家を出ていく。
いやそれ、王とか妃に対する挨拶ーっ!
「どど、どうするの?」
あたふたしながら尋ねる私に比べ、フォレスはリラックスした様子だ。
「ま、旅行しながら考えようか!」
フォレスは満面の笑みを浮かべる。
落ち着かない旅行になりそう——